2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(13)>

 

 「とにかく、小田さんに迷惑かけたくないんですけど、似てるんだからしょうがないよねえ(笑)」「あのう、何度も何度もすみません。この子がしてるんじゃなくて、あたしがしている、という事になるんですか?」「そこがご相談で(笑)」

 

 

 ご相談と言っても、菊地くんは小田さんに話を飲んでもらうしかない。「ODがもし、小田さんじゃなくて千住くんに似てたら、千住くんが女装してる事になってややこしいだろ(笑)。新顔でも良かったけど、却って面白れえよ」と言って、菊地くんはこの、大変なアクロバットがカスタマーにどう見えるか、それ以前に、そもそも賭場が立つのかどうか、二重の大博打の前にハイになっていた。私はODに毛布をかけてから、少し離れたソファに座り、二人の会話の録音を始めた。

 

 

 

 「とにかく、一切のご迷惑はかけません。あんまり好き言葉じゃないですけど、よく言いますよね、見え方、とか、見せ方、とかさ(笑)。小田さんにもパブリックイメージあるもんね」「いや、まあ、そんな大仰なものでは、、、」「でも、この子、身長もハイヒール履いたら僕を越すし」「そこ、嫌なところじゃないんですか?(笑)」「全然(笑)、それはともかく、身長もあるし細いし、手足長いから、分かりやすくハイモードにしちゃうんで、比較的大胆なルックになるときもありますけど」「胸出すとか?」「いやいや胸は出さない(笑)。テレビ出れないでしょ(笑)」「それ言ったら刺青もダメなんじゃないですか?地上波なら」「あそうだ!(笑)手袋しますよ左手だけ(笑)」「取り敢えずそこはオーケーです(笑)」「了解です(笑)。デビューが夏場で、夏フェス決めたいんで、そうですね、スイムウエアに長襦袢にハイヒールでフジロックに出ます。ファレルのハッピーの、後ろにいるモデルみたいな(笑)」「ううううう(笑)。あの、そのスタイリング自体は素敵だと思うんですけど、、、、、しつこい様ですけど、永遠に、あたしなんですよね?行く行くは種明かし、みたいな事はなく」「どちらが良いですか?」「いや、あの、全然。ある時、二人出てきたら凄くないですか?モノマネの、ご本人登場みたいな。この場合、どっちが本人なんだか分かりませんけど」「すげえ事言うなあ(笑)」「とにかく、あたしは何も考えないで、普通に自分の活動してて良いんですよね?」「はい」「分かりました。だったら菊地さんにお任せします」「うわー簡単に決まった(笑)緊張して損しちゃったな(笑)」

 

 

 

 「菊地さん、ただ、一つだけお願いが」「ありゃあ、気が合いますね(笑)。こっちも一つあるんですよ(笑)」「(笑)契約書とか書きます?」「いやいやいや。乃木坂ぐらい売れたらにしましょう、書き物はおっかねえから(笑)。つまり一生書かないけど(笑)。あ、すみませんお願いというのは?」「楽曲は、お二人で書くんですよね?」「それは書く(笑)。こいつ、なんでもできるんで」「そしたら、全曲チェックさせてください」「喜んで(笑)。ダメなところがあったら書き直してください(笑)」「喜んで(笑)」「有難うございます(笑)」

 

 

 

 「で、あたしにお願いっていうのは、、、、」「あのう、、、ですね、、、、」「はい、、、」「あいつをここに住ませてやって欲しいんです」「ええええええ!!?」「週に1回は川崎のパン工場に帰しますんで、、、、できたらそのう、、、、週5で(笑)」「ちょっと、、、、うううううそれは。長考に入っていいですか?(笑)」「勿論です。では、仮契約成立という事で(笑)」「菊地さんほんと楽しそうですね(笑)」「だってヤバくないですか?(笑)4人で2役、、、、あれ違うか?」「そうですよ!さっきのお話だったら。だって私でしょう?菊地さんでしょう?ボスさんでしょう?彼女でしょう?それで、外向けには、菊地さんとあたしがやってるのに、、、、」「別人だって言い張ってる、という態だから、、、」「だから、都合4役ですよ。4人4役っていうか、、、、あれ、違うか?」「そうだそうだ!変形した4人4役ですよね!中身が違うだけで!うはははははははヤベー(笑)」「入れ替わりやりたいですね(笑)入れ替わっても分からない(笑)」「小田さん面白いなあ(笑)」「結局全員、誰だかわかんなくなっちゃったりして(笑)良いなあそういうの」「良くないでしょう(笑)」

 

 

 

 私は立ち上がり、ODを起こそうとした。すると小田さんが、「あ、ボスさん」と私を制した。

 

 

 

「大丈夫です。今日から半同棲しますね(笑)。ODと(笑)」

 

 

 

 マネージに関する話を済ませ、川崎の工場から届けられた、5日分のパンを小田さんに託して、私と菊地くんはODを残し、小田さんの部屋から出た。菊地くんは競歩のような速度で歩きながら「よっしゃあ始まった。ヤベえの始まった(笑)」と言って、特殊メイクのように目を血走らせていた。

 

 

 

 「大丈夫か?小田さんとの会話は、一応録音しておいたが」「嫌だねえ請負屋は(笑)」「ODと一緒に長期間過ごしたのは、今のところ、工場の人達だけ、と考えるのが妥当だろ?」「え何?あいつ夜中に遠吠えしたりするの?(笑)」「可能性はゼロじゃない(笑)」「そうだな、もしトラブルがあったら、君が預かってくれ」「マジで?」「マジで、とか言うんだな(笑)」「たまにね(笑)。まあわかった。その場合は湾岸の倉庫に二人で移る」「あの、ディーバに出てきた隠れ家みたいなとこな。ローラースケート買わねえとな」「それにしてもちょっとハイ過ぎないか?」「そっりゃそうだよ。これ、さっき長沼から」

 

 

 

 菊地くんは印籠のように、歩きながらガラケーをかざした。そこには、彼のマネージャーからのメールで

 

 

 

 <伊勢丹からキャンペーンソングの依頼が来ています。今年の5月との事ですが、間に合いますでしょうか?>

 

 

 とあった。

 

 

 

「これじゃあ仕方ないな(笑)」「だろ?(笑)どんな賭場でも、立ててねえ限りツキ自体が来ねえ。あいつ持ってるよ。今、パン食ってるか寝てるか?いくら賭ける?」「パンに5万」「寝たままパン食ってるに10万だ(笑)」。彼は歩きながら電話をかけ、あもしもし~。どうも菊地です~。先ほどはどうも。あいつ今何してます?と聞いた。

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(12)>

 

 菊地くんの才能でもあり、一種の病理とも言えるだろう。彼はほんのひと手間で、素材の潜在的な強度を引き出す。速度は、かからなければかからない方が良い。彼は歩きながら流れるように全てを決めてしまう。実家が日本料理屋だから、といえば、彼に倣ってフロイトになるのだろうが、とにかく彼はプレイングディレクターで、一緒に動きながらどんどんスタイリングしてしまう。場合によっては、買い物もする。買ったか買わなかったわからないぐらいの速度で。大谷能生氏に「大谷くん、ラッパーになった方が良いよ」と言って、そのままラッパーにしてしまった際、今でも谷王がきているスーツは、菊地くんが広告塔をしていたブランドのものだし、小物、大物、類例は枚挙に暇がない。

 

 

 菊地くんの立場に反するが、アドラーによれば、人の属性にはゲッターとプレゼンターがいる。菊地くんはそれを更にフロイト的に解釈し直し、ロールプレイとして、一手早くプレゼンターの立場をとってしまえば、相手が否応なくゲッターになると思っている。独りよがりになればこれはストーキングの動きに近いが、結果を出しているので全ての状態が自然に流れてしまう。彼がグルーヴだと信じているものは、こうした自然な流れだ。驚くべき変化が、自然に発生する。これは、素材が料理になる過程である。料理という行為には、一切の冗長性が排除されないといけない。

 

 

 

 私が一番驚いたのは、彼が年長の先輩に連れられて、老舗のすき焼き屋に行った時のことだ。彼は仲居に逆らうことなく、寄り添って自然に流れ、いきなり、自分の溶き卵の卵液を焼けている鍋の縁に回しかけた時だ。「あー、肉と野菜ばっか食ってたら卵焼きが食いたくなった。卵がタレ吸って調子良いんで、このまま焼いたら美味いですよ」と言い終わる頃には、プラモデルのような、小さな卵焼きが綺麗に焼きあがっていた。

 

 

 

 そこにいた全員が、驚く暇もなく、彼はそれをパクッと喰べて、「んーまい!(笑)」と笑い、「皆さんも喰います?(笑)」と言って、結果として卵焼きを4個焼いた。明らかにこれはブリコラージュの実践だ、と派手に解釈することも可能だ。彼がフロイトだけでなく、レヴィ=ストロースも思想的な基軸にしているのは、おそらく有名な、調理の三原則がある、それだけだろう。しかし、フロイトもレヴィ=ストロースも、音楽への不全と偏愛があった。彼が偏愛する者は全員、音楽への不全と偏愛を持っている。マイルス・デイヴィスですら、彼は強引にそう解釈しようとする。スリップも許可範囲に入れるのがフロイディアンなのだろうか。

 

 

 

 すき焼きの卵焼きは、私の原イメージになった。あんなとてつもなく奇妙なものを、まるでコースの中の一品のように、そこにいた全員が自然に食べた。今、彼は、伊達眼鏡という、必要性から見たらゼロに近いものをアイコンにしようとしている。着けられたODは鏡を見て「あらあ」と言いながら、ポーズをとったり、歌って踊る真似をしたりしている。

 

 

 

 そして菊地くんが、「気に入ったかOD?」と、笑いながら聞くと、ODの答えは「超気に入ったじゃないスか!可愛いデス」でも「なんか不思議な感じじゃないスか~。初めてメガネかけたじゃないスか~」でもなかった。ODは反射的に「え?気に入ったかって?」と、いったような、怪訝な表情をした。まるで、ずっと自分の顔面の、メガネの所定位置が空欄だったかのように。どんなに奇妙なものであろうと、最終スパンクハッピーは、ごくごく自然に受け止められるだろう。

 

 

 

 「まあ問題は、二期との比較だけだ。っても、そうだなあ初動の数ヶ月だな。こいつには何が何だかわからないから助かるよ。楽で良いよこいつ。なんたって小田さんだと思って磨けば良いんだからな。なあボス?なあ(笑)」と、菊地くんは本当に楽しそうに笑った。それは、獲物を捉え、捌いて調理しているようにも、ミューズに跪いて祈りを捧げているようにも見えた。同じことだからだろう。亡くなった菊地くんの父親は手酷い暴君だったが、鳥も魚も、時には豚や羊も生きたまま捌いたらしい。「お経が長くてさあ。潰す前の(笑)。寿司になんねえよ。鰯に唱えてたらさあ(笑)」「だからオレは絶対にペットは飼わねえ、SMなんかするんだったら、人殺しのがよっぽど良いね」と菊地くんは言っていた。私が始末をする時に、その瞬間から逆算して妙法法華経の一部を唱えながらする話をした時、菊地くんは「オレ前田さんに聞いたんだよね。シュートの瞬間に頭の中で何考えてるんですか?って。ヤベえよ。答え(笑)」と言った。

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(11)>

 

 「ファイナリスト諸君(笑)乾杯だ。小田さんすいません、シャンパングラスじゃなくて良いんで、グラスを4つお借りできますか?」

 

 

 バラバラのグラスにルイ・ロデレールがロシア皇帝に献上したシャンパンが注がれ、菊地くんが「OD、乾杯の音頭をとってくれないかな」と言うと、ODが「音頭っスか?」と目を丸くした。私は「いや、歌わなくて良い。お前、乾杯したことあるだろ?」と言うと、ODは「毎晩してたじゃないスか!(笑)」と言って、楽しそうに「今日も一日お疲れさんデス!!かんぱーい!!」と言って、同じ顔をした二組がグラスを当てあった。ODだけが一気に飲み干して「プハーすげえ旨いじゃないスか!!」と言った。パン工場の兄たちを真似ているのだ。

 

 

 

 数分間、誰も話し出さなかった。菊地くんはニヤニヤし、小田さんは戦慄し、ODは無邪気にはしゃいで、私は様子を見ていた。いくらでもこの状態が続きそうだ。見兼ねた小田さんが、電子タバコを吸いながら

 

 

 

 

 「音楽でも、、、、かけましょうか、、」

 

 

 と言って、ラフマニノフのピアノ曲を流した。情動奔流の音響化であり、典型的なヒステリアとも言える、非常に複雑で美しい作品である。全員がしばらく音を浴びて、菊地くんは「ラフマニノフやべえな。ちょっと失礼。トイレお借りします」と、トイレに行った。気がつくとODは、ソファで仰向けに、口を開けて寝ていた。

 

 

 

 「小田さん、今回は巻き込んでしまってすみません」「ええと、、、、あなたは菊地さん?、、、あれ?」「違います。菊地くんは(指差して)トイレで」「あの、すいません。あなたが<菊地くん>っていうの止めてもらえますか?すごく変な感じなんで(苦笑)」「わかりました(苦笑)。じゃあ、なんと言えば」「彼、とか、あの人、とか」「了解です。私は、彼ではありません。あの人は今(指差して)トイレで」「どう言っても変な感じですね(笑)」

 

 

 

 

 「ああ小田さん、トイレお借りしました。あのー、手を洗うのに、勝手にハンドソープ使っちゃいました。ごめんなさい」「いやハンドソープは良いんで、それよりあの、お二人であたしの両脇に立つの止めてください。すごく気持ち悪い(笑)」「失礼」「失礼(笑)」「じゃあ、どうすれば?」「じゃあ、どうすれば?(笑)」しばらく黙って、小田さんも残りのシャンパンをあおった。

 

           *    *    *    *    * 

 

 

 

 「ODっていうのか。良い名前だな。旨そうだそのメロンパン(笑)」

 

 

 

 

 「うわー。凄いデスね。ボスが2人、、、、お二人はご兄弟デスね。双子というのを知ってるデス。ネットで見たじゃないスか」

 

 

 

 

 「OD、オレと彼は別人だ」

 

 

 

 

 「またまた~(笑)。ウソじゃないスか~(笑)。菊地さんはボスのお兄さんスか?弟さんスか?」

 

 

 

 

 ODは後に、極端に発達した情報処理能力で、私と菊地くんを「ぜんぜん似てない」と知覚するに至るのだが、最初は常人と同じ反応だった。

 

 

 

 

 「いやあ、本当に別人なんだよOD。それにな、来週、君とそっくりな女の子と会わせる、、、、、、この人だほら」

 

 

 

 

 「これは自分の写真じゃないスか(笑)」

 

 

 

 

 「よく見てみろ、君、この服に見覚えあるか?楽器も弾けないだろ?あれ?弾けるんだっけ?」

 

 

 

 

 「ピアノが弾けるじゃないスか!(笑)」「いきなりどうして(笑)」「一回弾いたら、弾けたじゃないスか」「どこで?」「川崎のデパートの中にある楽器屋さんデス(笑)」「へー。ボス知ってた?」「え、ボスなのオレ?(笑)」「いくらなんでも長いでしょうボス・ザ・エヌケーってのは。みんなボスボスって言うよすぐに」「やだなあ。石原裕次郎みたいじゃないか」「ボスボス~(笑)」「やめろOD(笑)」「ボスボス~(笑)」「やめろって(笑)」「いや、それで良い(笑)」

 

 

 

 

 「それよりOD、よく見ろ。この服、見たことないだろ?場所も」「確かにそうデスが、、、、でも、この写真は、、、、、やっぱ自分じゃないスか(笑)」「自信あるか?」「自信、、、、は、、、、あんまり無いじゃないスか、、、、自分は物忘れが激しいデス!(笑)」「オレも(笑)」「菊地さんもデスか!(笑)」「たまに、自分の名前忘れちゃう(笑)」「自分もそうデス!(笑)仲間デスね(笑)」「そうだな(笑)。でも、この人と君も、オレとボスも、そっくりだけど別人なんだ。和田アキ子と優木まおみのようにな(笑)」「ホントじゃないスかー!!そっくりじゃないスかー!」

 

 

 工場長に譲り受けたガラケーは私が保管する事にし、ODにはスマホを与えた。ODはものの数時間で、初めて手にするモバイルを完璧にマスターした。今は、高速で検索し、和田アキ子と優木まおみの静止画から、特にそっくりな写真を見つけて、スプリット画面に並べて見ている。

 

 

 「まあいいや。それよりOD、ええと、、、、、この服を着てみてくれないか」「プラダのコレクションラインじゃないか」「借りてきたんだ」「誰から?」「いやメゾンから」「ああ、、、、なるほど、、、、うわああああああ!」「うわあああああああ!」

 

 

 ODはニコニコしながら一瞬で服を全部脱いでしまった。

 

 

「ちょOD!!待て待て!!」「ここで脱ぐな!!」「だって!着ろって言ったじゃないスかー!服は脱がないと着れないじゃないスか(困)」「お前が困るな!困るのはコッチだ!」「えー君、ひょっとしてパン工場で、工員のみなさんと一緒に着替えてたのか、そうやって」「違うじゃないスか!着替えは一人でしかした事ないデス!」「そうかわかった!、、、、、とにかくまず着ろ!あのー、着てた方のやつな」「了解じゃないスか(笑)」

 

 

 「あのなOD。男の人の前で裸になってはいけない。絶対だ。いや、女の人の前でもだ(笑)」「はい。じゃないスか(笑)」「風呂はどうしてたの?」「一人でしか入った事ないじゃないスか、、、、」「そうかそうか、わかった、まあいいや。えー、そういう話は後々聞くとして、そうだな、じゃあ、これをかけてくれ」「メガネじゃないスか、、、、自分、目は良いじゃないスか(笑)」「そうか。こんだけPCやってるのにな、、、まあいいや。これはねOD、君の衣装だ」

 

 

 それは、菊地くんが過去、小田朋美さんにあげたものだった。私との移動中、新宿南口のルミネの中を通過しているときに「あ、あれ、小田さんにあげよう」と言って、いきなり眼鏡屋に入り、「小田さんは目力が強いし、なんでも目に出るから、逆にゴツい伊達メガネしたら可愛いんだよ」と言って、ものの数秒で支払い終えた物だ。「こうやって物を買うのか」「ああ、おかしい?」「おかしいね(笑)」「そうか(笑)」

 

 

 ODが装着して、我々は軽く息を飲んだ。「すげえ良いじゃん(笑)。ボス、どう思う?(笑)」「とても良いね(笑)」

 

 

 

 菊地くんは、面白くてしょうがないといった、彼のあの笑顔で

 

 

 「これ、楽だなあ(笑)。小田さんだと思えばいいんだ(笑)」

 

 

 

 と言った。

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(10)>

 

 「うわー。うわー。ホントにそっくりじゃないスか~。凄いじゃないスか~」

 

 ODは小田さんの顔を撫で、自分の顔も撫でたり、パッとステップバックして、鏡を見てはまた感心し、パンをパクッとくわえて、また小田さんの顔を見つめたりしている。小田さんの部屋のテーブルの上は、セブン&アイのコンビニエンスストアで買ってきたパンが山のように積んであった。小田さんはいつものクールな感じで微笑みながらも、明らかに困惑していた。菊地くんはお約束で遅れている。

 

 

 

 

 

     *    *    *    *    *

 

 

 私は菊地くんに了解を得た上で、小田朋美さんの身辺を洗わせてもらった。死んだと思っている双子の姉妹がいるとか、政府のヒトクローンの極秘プロジェクトに関わっていて、実は小田さん自身が誰かのアヴァターであるとかいった事はない。と確定してから、私は小田さんにお会いして事の次第を全て話した。パークハイアットのピークカフェで待ち合わせすると、小田さんは私を見つけ、軽く腰を浮かせて、すぐにまた座り直し、私が「小田朋美さんですね。初めまして」と言うと、「え?なに?これドッキリ?」と云った表情で私を見つめていた。

 

 

 

 「え?あなた、菊地さんじゃないんですか?、、、、菊地さんでしょ?(苦笑)」「いえいえ、かくかくしかじかでして」「はあ、、、、でも、、、そんなの、、、ちょっと信じられないな(苦笑)」「まあまあそれは、当日明らかになります。菊地くんも来るので」「<菊地くんも>って、、、(苦笑)」「それより、本人に会ったら、それどころじゃなく驚かれると思います。事前に写真、ご覧になりますか?」「はい、是非、、、」

 

 

 

 

 私はODがユニクロの部屋着を着て、1斤のパンを食べながらふざけて踊っている写真を見せた。後のインスタグラムの平均値である。ODはバレリーナの様に両手を180度広げて、片足を背後に伸ばし、片足のポイントだけで静止することができた。

 

 

 

 

 「え、なんかこれ、、、、あたし、、、、、ですよね(焦)、、、、あたし、こんな、、、、、え?いつ撮ったんですか?いつこれ?」「いやだから、これがODです(笑)。ここに来る前に撮りました」「嫌だ気持ち悪い(苦笑)、、、、でも、、、俄然興味が出てきました(笑)」「そうですか(笑)、あの、ですのでね、小田さん、要点はそこだけです。彼女がデヴューしたら、カスタマーのほとんどは、小田朋美さんが、一人二役でやっている、、、というか、単に今回のスパンクハッピー再始動参加に際する芸名だと思うでしょう」

 

 

 

 

 「ごめんなさい飲み込みが悪くて、、、、あのう、、、本当にあなたは菊地さんじゃない、のね?」「そうです」「なんだけど、菊地さんが芸名でやっている態にする、、、んですね?」「そうです(笑)」「そもそもあのー、それはどうしてなんですか?」「すみません。今は言えません(笑)」「じゃあまあ、それはそうだとして、それは良いじゃないですか、菊地さんとあなたの間でコンセンサスとれてるんだから」「はい」「でも、あたしも、この子と同一人物だとして、スパンクハッピーを始めるの?」「いや、そこをご相談させて頂きたいんです。とぼけて頂いても大丈夫ですよ。ODと自分は絶対に別人だと」「、、、でも、無理ですよね、、、、声もそっくりだし」「はい、誰もが、小田さんを、パブリックイメージ以上に、シャレの利いた方だと思うだけでしょうね(笑)」

 

 

 

 

 小田さんは、しばらく硬い無表情になってから、唐突に話し出した。

 

 

 

 

 「でも、バレますよ。あたしのスケジュールはインサイダーにはガラス張りだし、今からスパンクハッピーの立ち上げに参加するというのは、スケジュール的にも能力的にも無理です。今年はceroもクラックラックスもCMも、三枝さんとのプロジェクトも含めて凄く忙しいし、フジロックでデビューって、そもそも今年のフジロック、ceroも出ますよ」「フェス被りは却ってありがたいです(笑)。小田さんが二つ出て、活躍されている、という態になるし」「でも、ピアノもキーボードも弾かないで、歌って踊るんですよね?」「はい(笑)」「えー、だから、えー、ごめんなさい頭が混乱してきた。この子がした事は、あたしがした事になるんですね?」「そうです」「えー、、、、、」。

 

 

 

 

 「菊地くんのプランでは、衣装は、あらゆるルックを使います。グランメゾンのドレスも使うし、水着やボディスーツや、男装、ヘナタトゥーも使います、あと言葉遣いも独特です」「え水着?」「まあ、パリコレSSみたいな、水着着て、アウター1枚羽織って」「えー」「大変失礼。菊地くん曰く、ですが、3サイズとかじゃなくて、体型も全く同じだと」「菊地さんはあたしの体なんか知りませんよ」「彼の超能力ですよ。聞いた事ないですか?眼球にX線がついてるんです(笑)」「何れにせよ嫌だなあそれ(笑)」

 

 

 

 

 嫌だなあ、と言いながら、小田さんはほとんど、このプロジェクトに興味津々だった。そもそも、ミーティングの場所にご自宅をお貸しして頂く約束はすでに取り付けてあるのだ。

 

 

 

 

 「えー?スパンクハッピーあたしじゃダメなんですか?(笑)、あ、そうか、この子がいるか(笑)。あ、じゃあ、これはこれは?これはどう?たまにあなたと菊地さんが入れ替わって、あたしとこの子が入れ替わる(笑)」「大歓迎です。ただ、こいつは小田さんの代わりはできませんよ(笑)」「ああ、それが出来たら楽なんだよなあ(笑)。アヴァターって良いですねー(笑)」「小田さん、話が逸れてます(笑)」

 

 

 

     *    *    *    *    *

 

 

 ドアチャイムが鳴り、小田さんが玄関まで菊地くんを迎えに行った。菊地くんは、ルイ・ロデレールのクリスタルを剥き身で握っており、「あ、小田さん、どうもどうも、あけおめ?ですかね?あ!コートは大丈夫です大丈夫です!ありがとうございます。どうも」と言いながら靴を脱いで上がってきた。いつもの無遠慮なドスドスした足音に続いてドアが開くと、菊地くんの瞳孔は開いており、彼がトランスした時の、あの爬虫類の様な、野良犬のような顔で、他の3人を睥睨した。

 

 

 

 「やっと揃ったな諸君。話が上手くまとまったらシャンパンはドン・ペリニョンにアップグレードしよう。」

 

 

 

 もしこれが映画で、監督が凡庸だったら、360度カメラが、CGで合成された4人をぐるっと見回した筈だ。菊地くんがよくもたらす、恐怖と面白みとセクシュアルさが混同された、異様な緊張感が流れ、誰もが、ODすらも言葉を失った。菊地くんは、こんなに面白いことがあるか、と云った表情で、吹き出しそうになりながらこう言った。

 

 

 「さながら、一つ部屋に詰め込まれた、2組のファイナリストだな。はははははは。あ!そうだこうしよう!ファイナル・スパンクハッピーだ!だって、ファイナリストに相応しいメンツでしょ。なあ、そうは思わないかね?OD?ご機嫌はいかがかな?あらー。今日もパンがいっぱいだ(笑)」

 

 

ODは私と菊地くんを交互に見つめ、「菊地さん!ボス!小田さん超カッコイイじゃないスか~!それに音楽の大学を出てるデス!それに凄い綺麗~。綺麗じゃないスか〜」と言いながら、小田さんに横から抱きついた。菊地くんは笑い出し、小田さんは戦慄していた。

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(9)>

 

 工場長は、彼女と二人きりにさせてくれと言い、おーい、お前、降りてこい、と彼女に言った。彼女はワイヤーアクションのワイヤーが背中についているとしか思えなかった。いつも降りているであろうルートで、10メートル弱はある高さから数秒でストン、と降りてきて、工場長に駆け寄り、タックルのようにして思いっきり抱きついた。

 

 

 工場長~。あのお兄さんは自分と一緒に歌を歌いに来たデス。パンをあげて欲しいじゃないスか。お兄さんは今日からここで働くデスか?うん、、、まあな(笑)、、、ちょっとお前、オレの部屋で話さないか?、、、あの人は、、、、、まあいい、久しぶりで2人で話そう。おーい、みんな、今日はもう上がって良いぞ。

 

 

 彼女は一瞬、怪訝な顔をしたが、満面の笑みで「お兄ちゃんの皆さん。今日も1日、お疲れ様じゃないスか~。明日また会うじゃないスか~。歌ってほしい歌があったらなんでも言ってくだサイ!」と手を振って、ぴょんぴょんその場を跳ねた。私は工場長と目を合わせ、軽く頷いてから、「じゃあな、オレは今日は帰るよ。またな」と言って工場を後にした。彼女は私のところに走り寄って来て、「お兄さん、明日は一緒に何を歌うデスか?好きな曲の名前を言ってくれたら、インターネットで憶えておくじゃないスか!さようならじゃないスか(笑)。早く明日がこないかなー」と笑って手を振った。

 

 

 工場長にはまだ一銭も渡していないし、金額の提示も条件の提示もしていない。一緒に逃げられても、やはり気が変わったと強硬になられても、最悪、彼女が錯乱して失踪してもフォローショットはいくらでもある。ただ、彼女には、納得してもらわないといけない。今の所彼女の利益は、パンと歌うことしかない。私は、あまりの事の容易さと難しさに挟殺された。東京でレコード会社と契約する。歌が君の仕事になる。今の1万倍の人々が君の歌を聴く、パンはいくらでもやる。ただ、工場を出て貰わないといけない。帰る頻度は、保証できない。全てがシンプルだ。シンプルすぎる。

 

 

 工場長は「あいつを説得できたら連絡します」と言った。何日かかるだろうか?私は久しぶりの自分の寝床に戻り、疲労がまとめて襲ってこないように、内気功で呼吸を整え、4時間でスローダウンが完了するように身体に言い聞かせた。

 

 

 工場で貰ったバケットをそのまま、マグロの解体のように一文字にナイフを入れて切り開き、近所のコンビニで買った雪印の「切れてるカマンベール」を2箱分、均等に並べて、軽く胡椒を振り、元に戻した。カーヴに保存しておいたドンペリニオンのヴィンテージ06を開け、マグカップに注いでから、その筋に彼女の指紋を渡し、3分間瞑想し、星の使いと言われるシャンパンを半分、バケットサンドを一本分全部食べて、残ったドンペリをデキャンタージュしてから冷蔵庫に仕舞い、12時間眠り、菊地くんに電話をした。

 

 

 

 全てを聞き終えた菊地くんは、開口一番「小田さんに似てんのね?ていうか、そっくりなのね?」と言った。「そうだ。だが別人だ。指紋の照合を当たっているが、小田朋美さんのじゃないのは言うまでもなく、警視庁の失踪者のデータベースにも、韓国にもベトナムにも台湾にも中国にも一致するものはなかった。つまり、厳密には何人かも同定できない」「わかった。歌は似てるか?声というか」「全く同じだね」「ヤバいなあ(笑)。やると思う?やってくれそう?」

 

 

 

 すまんが、今回ばかりは全く予想、、、、と言いかけた瞬間、別のガラケーが鳴った。着信名は

 

 

 

 

「パン(OD)」

 

 

 

 としてあった。工場長のガラケーの番号だが、取り急ぎ呼称がないので、小田さんと似ていることから仮にそうしておいたのである。

 

 

 

 

 私は深呼吸をして、脳内であらゆるケースのシュミュレーションをした。そのうちの幾つかは、あろうことか、私に悲しみを与えた。任務の遂行が頓挫したという意味でなく、個人的な悲しみである。個人的な悲しみは、何年ぶりだろうか?私は、自分の手が軽く震えていることに、自分でも驚くぐらい驚いた。

 

 

 「はい、もしもし、菊地です。工場長さんですか?」

 

 

 

 「はい、○○です。おい、、、お前(工場長さん、自分が出るじゃないスか~)、、そうか、、、、(貸してくだサイ~)お、、、おお」

 

 

 

 

 「君だね。久しぶり(笑)」

 

 

 「そんな~、昨日会ったばかりじゃないスか!(笑)」

 

 

 

 「工場長さんに、話は聞いたか?いろいろそのう、、、君にとって、、、、なんというか、、、」

 

 「自分、やるじゃないスか(笑)」

 

 

 「え?」

 

 

 

 「やるじゃないスか(笑)」

 

 

 「そ、、、うか、、、、、それは良かった。嬉しいよ。あの、念のために、もう一度聞くけど、ちゃんと工場長さんから話は聞いたか?」

 

 

 

 「勿論じゃないスか!(笑)」

 

 

 

 「わかった、、、、、うん、、、、その、、、そうか」

 

 

 

 「お兄さん、、、、なんか、、、自分じゃ駄目スか、、、嬉しくなさそう、、、、」

 

 

 

 「いやいやいやいや!そんなことはないよ!、、、あの、、、、いや、ちょっと、あまりにあっけなかったんで驚いてさ、、、、、あの、、、、ありがとう」

 

 

 

 「本当スカ?、、、、やっぱ自分じゃ、、、、」

 

 

 

 「ダメなんかじゃないダメじゃない」

 

 

 

 「本当スか~、、、、、」

 

 

 

 

 「嬉しいよ。ありがとう(笑)。わかるか?オレは喜んでるんだ(笑)」

 

 

 「そうスか!(笑)良かったデス!(笑)」

 

 

 

 「今からすぐ向かいに行く。工場に行けばいいか?」

 

 

 「工場の皆さんとは、もう挨拶をしてきたじゃないスか(笑)。今は工場長と川崎の駅にいるデス」

 

 

 「そうかわかった。何口にいる?」

 

 

 

 「もしもし、菊地さん」

 

 

 

 「あ、はい」

 

 

 

 

 「こいつを、、、、、よろしくお願いします。あたしは、こいつを置いて工場に戻りますんで、、、、、今はアトレにいます」

 

 

 「わかりました。アトレですね」

 

 

 

 「はい。こいつに、あたしの携帯をやることにしました。これからはこの番号で、こいつが出ますんで」

 

 

 「工場長さん」

 

 

 

 「はい」

 

 

 

 「毎日連絡させます」

 

 

 

 「、、、、、はい」

 

 

 

 「それでは、、、、あのう、、、、工場長、、、あの○○さん」

 

 

 

 「はい」

 

 

 

 「本当にありがとうございました」

 

 

 

 「はい、、、、、はい、、、、おい、お前(もう大丈夫じゃないスか!)そうか、、、ここでおとなしく待ってるんだぞ、、、、それじゃあ、菊地さん、失礼します」

 

 

 

 電話が切れ、私はベッドから飛び起きて、シャワーも浴びずに服を着て、タクシーに乗った。着信歴には、初めて記載される「パン(OD)」という文字があった。私は運転手に行き先を告げてから、心の中で(パン、OD、パン、OD、パン、OD)という呪文を唱え続けていた。

 

 

 

 タクシーを降り、急いで歩道橋を登り、アトレ川崎の入り口に駆け込んだ。映画の待ち合わせのシーンのように私は焦ってキョロキョロし、人ごみの中から彼女を見つけると、私はあろうことか、涙が溢れてきた。なんてことだ。

 

 

 彼女は、背中に大きな風呂敷包みを背負い、両手に大きなビニール袋を2つづつ持っていた。そこには、間違いなく、パンが詰まっている。

 

 

 私を見つけた彼女は、満面の笑顔で、ビニール袋を持ったまま手を振った。幾つかのコッペパンが床に落ち、彼女は「うわ~。落ちたじゃないスか~」と、慌ててパンを拾い集め、最後の一つにかぶりついた。私は彼女に向かって歩いて行った(パン、OD、パン、OD、パン、OD、パン)。

 

 「OD!」と私は叫んだ。彼女は怪訝な顔をして「オーディー?それ何スか~?」と言った。まずそのパンを食い切れ。今日からそれが、お前の名前だ。

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(8)>

 

 「わかったわかった。すまん。驚かしたな。友達とあんまり似てたから、間違えたんだ」

 

 「小田って誰スか~(泣)。全然知らないじゃないスか~(泣)。工場長~(泣)」

 

 「もう小田さんのことはいい。それより泣くな。いいか?オレはお前を苛めたり、怖い目に遭わせに来たんじゃない。わかるか?ほら、こっちを見ろ。オレの目を見ろ」

 

 

 「、、、、、、、、、、」

 

 

 「歌が好きだな?」

 

 

 「、、、、、、、、、、」

 

 

 「そうだろ?お前が歌ってるのを聞いたんだ。歌が好きだろ?」

 

 

 「、、、、、、、、、、、」

 

 

 「、、、、好きとか嫌いとかわかんないじゃないスか、、、、、パンは好きじゃないすか!!マジ卍パリピ好き好きデス!!!パンさえあれば何も要らないじゃないスかー!!!(笑)」

 

 

 「ここで毎日歌ってるんだな」

 

 

 「歌うと、皆さんが褒めてくれるじゃないスか(笑)」

 

 

 「そうか(笑)。歌が上手いな(笑)、だから褒めてもらえるんだ」

 

 

 「上手いとかわかんないじゃないスか、、、、歌はみんな上手いじゃないスか(笑)。レコードやラジオからいっぱい聞こえてくるじゃないスか(笑)インターネットも、いーっぱい歌が入ってるデス!自分もそれと同じじゃないスか(笑)。カラオケも好きデスが、ここで歌うのが一番好きじゃないスか」

 

 

 「そうか(笑)。いつから歌ってる?」

 

 

 「いつから?、、、、、、わかんないじゃないスか、、、、」

 

 

 誘拐された可能性も、失踪者である可能性もある。年齢が読めないが、おそらく10代か20代だ。記憶喪失だとしても、生涯喪失か、一時的喪失かまだわからない。この服が失踪時のものか、ここの誰かに買い与えられたものかもわからない。ただ、両親はここにはいない。逃げるときに、親の名を呼ばなかった。

 

 

 「お前、家族はいるか?」

 

 

 「いるじゃないスか!(笑)ここの皆さんデス!(笑)」

 

 

 「そうか(笑)、、、、あのなあ、両親はいるか?この中に?」

 

 

 「りょうしん?」

 

 

 「お父さんとか、お母さんとかの事だ」

 

 

 「そんなんいるじゃないスか!工場長がお父さんデス!(笑)」

 

 

 工場長の老人は下を向いた。

 

 

 「お母さんも工場長じゃないスか!!(笑)」

 

 

 「そうか(笑)」

 

 

 「あとは皆さんが全員、お兄ちゃんデス!!」

 

 

 「そうかそうか(笑)。たくさんお兄ちゃんがいて良いな(笑)。オレもな、お兄ちゃんが5人いたんだ。でも、4人が死んじまった(笑)」

 

 

 「そうスか、、、、、お気の毒に、、、、、じゃないスか、、、、」

 

 

 「オレは、歌が好きなやつを探してるんだ。両親もいないし、兄弟もいないに等しい、それに、オレもな、歌が好きなんだ(笑)」

 

 

 「そうスか!!(笑)」

 

 

 「一人で歌っても、つまんないだろ?」

 

 

 「そうじゃないスか!!でも、皆さん忙しいから、自分はいつも一人で歌ってるデス。でも、やっぱちょっと寂しいじゃないスか(笑)」

 

 

 私は横目で工場長と工員たちを見た。ありとあらゆるケースを推定したが、彼らの表情が最も雄弁だった。私は大きく鼻で息をして、彼女の指紋を取ろうとして、握手を求めた。恐る恐るだが、彼女は手を出し、やがて両手で私の手を握って、踊って見せた。それは、踊りというより、喜びを表す、自然な反応だったのだろう。

 

 

 この、なんらかの理由で記憶を失った、高い確率で親に捨てられた天才児を、何とか連れ帰り、身柄を確保し、契約しないといけない。彼女は、へんてこな踊りを踊りながら、お兄さん一緒に歌うじゃないスか。それともパンを食べるデスか?自分の分をいくらでもあげるじゃないスか。超うまいじゃないスか~。と言って笑った。

 

 

 「わかったわかった。ありがとうな(笑)。それより、お前、名前はなんていうんだ?」

 

 

 「え、、、、、、」

 

 

 しまった。と私は、胃のあたりが締まるのを感じた。

 

 

 「自分は、、、、、名前、、、、、、ない、、、じゃないスかあ、、、」

 

 

 私は必死に取り繕うしかなかった。

 

 

 「いやそんなお前、名前がないということはないだろ(笑)。こちらの工場の人らには何と呼ばれてる?ん?あるだろ、あだ名とかでも(笑)」

 

 

 「お前とか、おい、とか呼ばれてるデス(笑)」

 

 

 「そうか(笑)。名前がないんだな(笑)」

 

 

 「そんなの要らないじゃないスか!!(笑)」

 

 

 「そうだな(笑)」

 

 

 ちょっと、工場長さんに話があるんだ。お前、また上に登って、好きな歌を歌ってこい。今度は追いかけたりしないから。と言うと、彼女は早口で「わかったじゃないスか!!」と叫んで、ボルタリングの世界王者のように、というより、猿のように、鉄柵やダクトを掴んでは駆け上がり、数十秒で工場の天井近くまで登った。

 

 

 「お兄さーん!こっちに来て一緒に歌うじゃないスか~!」

 

 

 工場長と話をつけなければいけないようだ。しかも、菊地くんとして。

 

 

 「工場長さん。先ほどご確認いただいたように、僕は音楽家で、フリーランスの音楽プロデューサーです。警察でも、彼女の親族でも、回し者でもありません。自分の事務所の代表取締役でもある。だから、おっしゃりずらい事まで聞くつもりはありません。僕は全くの新人歌手を探しています。彼女には才能がある。おわかりいただけますか?」

 

 

 「菊地さん。あたし等はただ、、、その、、、、」

 

 

 「わかってます」

 

 

 「あいつは、、、、、あの、、、、本当に、、、、、プロの歌手に、、、、なれるんですか?」

 

 

 「僕は、インチキ芸能事務所の、いかがわしいスカウトマンでもない。本物の才能を見つける仕事です」

 

 

 「はあ、、、、、」

 

 

 「彼女の名前は、まったくわかりませんか?」

 

 

 「はい、、、、10年前に、そこの粉倉で寝てたんでさあ。家に帰れって言っても、家がねえ、腹が減ったって言うから」

 

 

 「なるほど」

 

 

 「あたしの息子は、ほら(指差して)、あいつです。でも、娘なんていねえんで」

 

 

 「この工場に住まわせたんですか?」

 

 

 「はい、、、ここには工員用の風呂も寝床もあるし、それにあいつは、パソコンも出来るし、掃除も洗濯も出来るんです、車の運転も、、、ただ、女もんの服なんかねえんで、、、、駅前の百貨店で、、、、倅の女房が、、、」

 

 

 「なるほど、、、、、ここから出たことは?」

 

 

 「ありません、、、、あたしも出ませんし。倅は女房もガキもいるんで」

 

 

 「10年間も?」

 

 

 「トラックで配達に行かせたことは何度かあるんですが、行った先で歌うたって、パンを貰って来ちまうんで(笑)」

 

 

 「工場長さん。僕を信用して頂けませんか?いきなりやってきて、図々しい話だとはわかっています」

 

 

 「、、、、あいつを、、、、こっから連れ出すんですか?」

 

 

 「はい(笑)」

 

 

 「たまには戻ってこれますか?」

 

 

 「勿論(笑)」

 

 

 工場長の涙堂が膨れ上がり、白目が充血し始めた。

 

 「あいつを、、、、家に帰してやりたいと、、、、、ずっと思ってました、、、、最初は、、、、、最初は、いつかふらっといなくなるべ、ぐらいに思って、、、、、医者にだって、、、いつか、、、、、いつか連れて行こうと、何度思ったかわかりゃしません、、、、でも、、、、」

 

 

 「工場長。誰にも罪はない。わかりますか?」

 

 

 「うううううううう、、、、ううううう、、、、」

 

 

 「僕は、彼女を幸せにできるとか、本当の家に帰すとか、そういう約束はできません。僕ができるのは、彼女の歌を、この工場の外にまで広めることだけです。それはひょっとして、不幸になることかもしれない。この仕事は残酷です。でも、一番不幸なことは、彼女の歌を、皆さんが独占しているということです。皆さんの憩いの時間を奪ってしまうのは、僕も本当に心苦しい、ですが、どうかその、、、、」

 

 

 工場長は跪いて慟哭し始めた。私は自分の掌に残った彼女の指紋を採集し、そのまま工場長の背中を触った。

 

 

 「、、、、テレビとかにも、出るんですかい?」

 

 

 「見たいですか?」

 

 

 「見てえなああ(泣)」

 

 

 「わかりました。約束はできませんが、最善を尽くします。テレビに出たりしたら、親が名乗り出るかもしれませんね」

 

 

 「、、、、そうか、、、、」

 

 

 天上から、たっぷりとエコーが乗った声が聞こえてきた。お兄さーん、一緒に歌うじゃないスかー。

 

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(7)>

 

 「おい、アリアまで歌ってみろ」と私が大声を出すと、工員全員の視線が私に向けられた。私は大臀筋と大腿二頭筋に人差し指の電極を刺し、加速状態にしてから全速力で階段を駆け上がり、彼女を捕獲しようとした。スタートした瞬間にゴールに飛び込んでいる感覚。彼女は「うわーっ!!うわーっ!!こいつ誰スかっ!!工場長~!」と叫びながら、脱兎のごとく工場の最上フロアに飛び移り、つまり、私と同じコースに乗った。

 

 

 

 工員たちは2フロア下、遥か後方にいた。おかしい。おかしいぞ。捕獲できない。今私は、瞬間的にだが、時速70キロ弱、100メートルを6秒切る速度を出している。ベン・ジョンソンがドープして出した世界新のタイムより早い。しかし、私と彼女の距離はほとんど縮まらず、心拍数は焦燥感とともに無用に上がり続けた。「おい待て!」「嫌だー!!来るなー!!怖いじゃないスかー!!!」「怖くない!警察やお前の家族の回し者じゃない!!待て!!」「あっち行けじゃないスかーーーっ!!あっち行けーーっ!!」

 

 

 

 いわゆるズタ袋のような、頭からすっぽり被る、コーヒー豆の入荷袋のような、端切れを縫い合わせた服を着た彼女は裸足だった。私は姿勢を14度前傾させ、空気抵抗を最少にして、3秒で彼女に追いついた。背後からタックルして抱きとめないと危険だ。行く手は鉄門の行き止まりになっており、複雑に入り組んだダクトがむき出している。この速度のまま突っ込んだら致命的な骨折が避けられないだろう。

 

 

 

 「待。て。」「うひゃー!!じゃないスかっ!!」私の右手が彼女のズタ袋に引っかかった瞬間、彼女は視界から消えた。私の掌には巻きスカート部にあたる布切れが残った。急停止してその布を確認すると同時に、ボッスーンという音が聞こえ、辺り一面に強力粉の白い粉が舞い上がって視界を遮った。飛び降りたのだ。

 

 

 

 「くそう!」と小さく叫んで、私は階下を見下ろした。そこは業務用のパン生地がロット管理される前にプーリングされている、巨大なステンレスのタンクがあり、トラックの荷台のように開放されていた。そこに満たされているパン生地の中央に、大きな窪みが出来ている。

 

 

 

 胸を刺されるような緊張感が走り、そこにいた全員が息をのむ中、「工場長~。ごめんなさいじゃないスかあ~~~うあ~~」という、のんびりした声が聞こえてきた時には、捕縛されていたのは私の方だった。屈強な工員たちが4~5人がかりで私を押さえつけている。

 

 

 

 「なんだテメエ!!」「あいつに何する気だ!!」「あんた誰スか~!」「落ち着け!私は怪しいもんじゃない!!、、、、いやあの、皆さん落ち着いてください。痛たたたたた!ちょ。手を離して下さい。手を離して!」。その気になれば一瞬でふりとける振りほどける程度に、彼らの捕縛は力任せの雑なものだった。しかし、今は菊地くんとして振舞わないといけない。私は痛がりながら笑って「痛い痛い痛い痛い!(笑)。スンマセンスンマセン(笑)。あの、、、違うんですよ、、、、、本当に怪しいもんじゃないんです。アタシは、、、あの、、、えーと、、レレレレコード会社の人間でして、、、痛たたたたた(笑)。ちょっと、手だけ離して下さいよ~。名刺出します名刺、、、、、出せないでしょ、こんな、皆さんで一挙にぎゅーぎゅー押さえつけられたら(笑)ねえ(笑)」

 

 

 

 視線の先には、彼女がパン生地の中から救出され、工場長と思しき老人にしがみついて震えているのが見えた。私がむしり取った巻きスカートの布地部分から片脚が露出し、アスリートのように締まった筋肉が見えたが、彼女はまったく気にせず、その足も使って老人にしがみついていた。「おい、お前、怪我はねえか?大丈夫か?」「(震えながら)大丈夫じゃないスか~。それよりアイツ、誰スか~。怖い~。工場長~」。

 

 

 

 老人は最大に訝しげな顔で私を見た。「あのねごめんごめん。僕はねえ、全然あやしくないんだ。全く怪しくないの(笑)。ホントに(笑)。追いかけて悪かったよ。君が逃げたからさ。慌てて追いかけちゃったの。ははははははは。ちょっとさあ、あの、そちら、工場長さん?ですか?自己紹介させてくださいよ~。ね?あらあ、粉だらけのパン生地まみれになっちゃったねえ(笑)、芸人さんの障害物競走みたいだ(笑)、後、ドッキリの落とし穴な。うははははははは。君、元気だねえ。ここで働いてるの?(笑)」

 

 

 

 「工場長~」「大丈夫だ。怪我なさそうだな、、、、、おい、お前、何もんだ?」「アタシはですねえ、あのうー、実はアレです。レコード会社の新人発掘部の者で」「レコード会社?レコード会社って、、、、どこだ?」「SONYSONY。知ってるでしょ」「SONY?じゃあお前、SONYの社員だな。名刺見せろ」「いやあの、実はアタシはSONYの社員じゃあなくてですね(笑)、、、、なんていうかな」「何言ってんだ、あっやしい奴だな~」「信じられないじゃないスか」

 

 

 

「わかったわかった。じゃあ、じゃあ、どなたかスマホかタブレット持ってませんか?アタシ名前言うから、検索して、写真と比べてください。あの、左手にね、墨入ってるから、その記事もあるから。インターネットに。パスポートも保険証も持ってますから。ね?とにかく手を離してくれませんかね~。腕が折れちゃうもん、ね?へへへへへへへへ」

 

 

 

 数分後に私は菊地くんの身分として照合された。工員の中にはTBSのリスナーもおり(菊地くんの番組のリスナーはいなかった。工員の朝は早い)、女子アナの話やタモリ倶楽部の話などをして、我々は意気投合し、私は淹れたてのコーヒーと、焼きたての、中にクリームを詰めていないコロネを貰った。

 

 

 彼女だけがまだ訝しがっていた。しかし、工場長は内心で喜んでいたようだ。「おい、有名な方がお前をスカウトに来たぞ、、、その、、、お前がどうするか、話は俺も聞いてやっから、、、、、とにかく奥で顔洗ってこい」

 

 

 

 私は、菊地くんにどうやって報告するかを考えていた。実に君好みのシュチュエーションだよ。パン工場にいた。ははははは。と、私の心拍数はやっと平常に戻った。

 

 

 

 しかし、顔と髪を洗って、汚いセーターとスカートで現れた彼女を見ると、私の心拍数は、またもや急激に上がった。彼女は私の知人だったのである。

 

 

 

 「うわちょっと!小田さん!ええええええええええ!小田さんなんでこんな所、いや失礼、あのう、、、こんな所っていうのは、、、パン工場は素晴らしいですよ!そうじゃなくて!小田さん何で?」

 

 

 

 小田朋美さんの演奏も歌も、私は勿論よく知っていた。しかし菊地くんから聞かされていた小田さんは、作曲家に特有の、多少のヒステリー傾向があるだけで、縞性で重篤な健忘症とか、解離性の多重人格者ではない筈だ。それとも、菊地くんとて、仲間の精神障害は私にさえ話さないでいたのだろうか。私は少々恐ろしくなった。

 

 

 

 「小田さん。小田さんですよね?、、、だからバッハを、、、、ほら、僕ですよ、、、あっれ?、、、いやだなあ小田さん、逃げたりして(笑)」「工場長~」「なんだお前、ちゃんと小田って名前があんのか?」「知らないじゃないスか~。こいつ気持ち悪い~」「え?小田さんじゃないの?、、、ちょっと、、、、あの、小田さん、、、、、はははは。ふざけるの止めましょうよ(笑)。僕ですよ僕」

 

 

 

 あ、何か事情があるのかも。私は、一瞬息を飲んだ。しかしどうやら、彼女は嘘をついていない。彼女の過密スケジュールを鑑みるに、工員たちと懐いている時間などある筈がないし、顔と声と脚の筋繊維の状態以外は、全くの別人としか思えなかった。

 

 

 

 「小田って誰スか~。全然知らないじゃないスか~。お前、早く出て行け~(泣)」

 

 

 

 彼女は泣き出し、私は3度目の戦慄を感じた。こいつは。小田朋美さんじゃない。

 

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(6)>

 

 

 

 私は現在、BOSS THE NKと名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係にある。と言っても信用されないだろう。すぐには。

 

 

 

 仕事柄、立ったままでもどこでも眠れるようになっていた私だが、今は寝床に向かう時間だ。私はむしろ緊張しながら歩いていた。今は菊地くんに見間違えられてはいけない時だ。私は左手の甲を隠すために、季節外れの革手袋をしっかり付け、フードをかぶって、マスクをした。特に目立たない程度に。

 

 

 

 すると、さっき高台で香っていたパンの香ばしい香りがどんどん強まってきた。うっすらだったそれは、明確なものに変わった。焦げ目の匂い、バターの香り、何らかのクリームを精錬する匂い、入荷したばかりの、小麦粉の袋の匂い、それらは、チーン、とかグイーンとか、ドサッっといった聴覚情報も伴っていた。間違いない。私は思わずマスクを外して、大きく香りを嗅いだ。

 

 

 ほお、こんな場所にパン工場ができていたのか。自分がしばらく寝床を留守にしていた間に。一体、何年帰ってないだろう?震災直後に一度、帰宅して何日間か眠り続けた時があった。あれ以来だとしたら、ざっと7年前だ。前にも書いた通り、私は私のやり方で、被災した人々からの仕事を請け負いって来た。菊地くんが毎週、赤坂のスタジオに通っているのを尻目に。一体どこだろう?私は何かを感じ、としか言いようがない状態で、リスク承知でパン工場を探していた。

 

 

 

 すると、さっきからうっすら聞こえていた歌のようなものが、なんだかわかってきた。それは、椎名林檎のCDのボーナストラックであろう。アカペラの「丸の内サディスティック」だった。方、こんなトラックがあるのだな。いや、ないな。ない筈だ。椎名林檎がアカペラを製品化する訳がない。私は極端に耳をすませた。

 

 

 

 耳をすませた瞬間、まるで逃げ去るように「丸の内サディスティック」は終わってしまい、しばらくすると、アカペラはMISHAの「逢いたくて今」に変わった。よもや明確だった。椎名林檎の声でも、MISHAの声でもない。それは、恐るべき丁度よさとのびやさを持った、天然の魅力に満ちた、柔らかくて深い、少女の鼻歌だった。一般的な鼻歌と違うのは、川の向こうまで届くほどの自然な声量と、部分部分、オリジナルの節回しよりも魅力的な、独特の節回しを持っていたことだ。

 

 

 

 おいおいおいおいおい。うおっとっとうおっとっと。落ち着けBOSS THE NK。私は、歌が聞こえる方へ向かっていった。それは、あらゆるパン製造の香りがする方向と同じだった。

 

 

 

 落ち着け。落ち着け。まだわからない。何もわからないぞ。即断は命取りだ。と自分に言い聞かせながら、私は心拍数と血圧が上げるのを止められなかった。疲労困憊した体は、余計それを止められない。

 

 

 

 気がつくと私は「○○製パン」という看板を掲げた、ごくごく普通の工場の前に立っていた。たいして大きくも小さくもなく、古くも新しくもない、全く特徴のないそのパン工場からは、工員たちの会話が聞こえてきた。

 

 

 

 「工場長、最近、練りの機械、スイッチ切り替えたっスか?」「いや、いつもと同じミドルだけどな」「ここんとこ、ちょっと種が硬すぎないスか?」「そうか、、、発酵は?」「何も変えてないじゃないスか~」「おい山本、イーストの量、、、」「自分、変えてないス」「内堀~」「自分も正直、ここんとこ、ちょっと硬いと思ってたデス」「あーあ、練り機チェックすっか」「えー?今からスか?」「だって、みんな硬てえって思ってんだろ。焼き上がり出せ」「了解じゃないスか、、、、、っても、今焼きあがったの、これだけっス」「何だお前、クリーム詰めてねえクリームコロンじゃねえか、、、、まあ、その方がわかるか、、、、、、あ、硬えなあやっぱ」

 

 

 

 工場長の老人以外、工員は全員、同じ話し方をしていた。集団によく起こる現象だ。私は歌の主、間違いない天才である、おそらく少女と思われる人物を、血眼になって探した。

 

 

 

 

 

 

 「おいお前、もっと昔の歌知らねえのか?(笑)お前の歌聴いてると機械まで調子狂うってよ。あははははははは」「昔のってなんスか?内堀さん、自分よくわかんないじゃないスか~」「そりゃあ、お前、、、、昔の曲ってのは、、、、昔の曲だよ!スナックとかで流れてねえ奴をよ」「うーん、、、、、わかったじゃないスか!」

 

 

 

 

 

 

 

 声の主は、あろうことか、バッハの世俗カンタータ39番の第一部、コラールから、すべて声で歌い出した。歌詞はデタラメのドイツ語だったが、音は1音残らず正しかった。初演は多くの世俗カンタータと同じ、1726年。キーは自分なりに変えてあったように思う。有名なリコーダーの対旋律も、声の主は正確無比に歌いこないした。器楽部もフーガも単旋律として暗記しているのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 工員たちは、皆黙ってしまった。コラールを歌い終えると、そのままレチタティーヴォに入った。工員たちは、すべての稼動中の機械を止めた。深く感動していたのだ。私と同様。このカンタータのタイトルは「飢えたるもに、汝のパンを分かち与えよ」と言う。

 

 

 

 

 

 

 

 福音書のありがたい言葉ではない。旧約聖書のイザヤ書第58章7-8節を引用したものだ。当時、故国を追放されていたプロテスタントの難民が、ドイツの図書館都市、ライプツィヒに迎え入れられた。プロテスタントの聖トーマス教会のカントルだったバッハは、彼らの歓迎、祝福の礼拝のためにこれを書いたと言われている。

 

 

 

 

 

 

 

 レチタティーヴォを歌い終えると、工員たちの一部は、拳を握って涙を流していた。「、、、、なあ、この曲は何ていう歌なんだ。教会の神様の歌だろ?」「なあ、教えてくれよ」「知りたいじゃないスか」

 

 

 

 

 

 

 

 私の視力は彼女をロックオンし、戦慄した。工場の天井近い櫓は、オペラハウスのバルコン席のようでも、鐘塔のようでもあった。そこで歌うと、反響が最も美しく響くのであろう。ジェルソミーナのように、ボロボロの古着を着て、強力粉で顔も髪も真っ白になっている少女は、得意満面の笑みで、階下にいる工員たちに向かって「これは、、、えーっと、、、、パンの歌じゃないスか!(笑)」と言った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(5)>

 

 私は現在、BOSS THE NKと名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係にある。と言っても信用されないだろう。すぐには。

 

 

 

「受任報酬がまだ入金されてないぞ」「音を上げたか(笑)」「一度家に帰らせてくれ。眠い」「わかった。睡眠は大事だな。報告は、そうだな、3日はなくて良い。君の寝床が今どこだなんて聞かないよ日本じゃないかもしれないし」「上海の時はどうだった?よく見つかったな、上海京劇のスポンサーの娘だろ?」「いや、あれは向こうから来た。オレが早かったんじゃない。彼女と彼女の母親が早かった。日本でデビューしようとしたんだから。2004年だよ。韓流のハの字もない頃だ。今は台湾で活動してるはずだ。面白い親子だった。逃げられたけどな(笑)」「上海の無神経な開発が止まらなかった頃だな」「ああ、川崎の工業地帯が100個入る。黄河に、日本の70年代の、100倍の工業廃液を捨てて、200倍のスモッグを出す、どうだ、凄いだろう。と満面の笑顔で自慢された時はヤバかったね。10年後には中国のスモッグで日本人が喘息になると確信したよ」「まあ、花粉症程度にはそうなったな」「まあ、休んでくれ。心身をリセットすれば」「チャンスもリセットされる」「じゃあな」「じゃあな」

 

 

 

 川崎か。と私は軽く憂鬱になり、電話を切った。川崎こそが、私の地元だからだ。姉は早くに喘息で亡くなり、親兄弟は離散し、両親の死に目には遭えなかった。胸部外科医志望だった私を請負屋に仕込んだ師匠は中国人だったが、川崎で表向きは鯉の養殖をやっていた。食用の鯉だ。あの巨大な養殖用の水槽は今でも悪夢に出てくる。一度だけ私は、その水槽で泳いだ。何だって経験しないと分からない。どんなものだって食わないと身にならない。

 

 

 

 地元へ戻る懐かしさと狂おしさはどなたでもご存じのはずだ。ある程度は。私は何10ものスプリット画面で再生される、過去のおぞましい記憶を再生させっぱなしにして、東名川崎インターから降り、幼少期は重化学工業地帯だった区画に向かって歩いていた。

 

 

 この近辺が、あらゆる意味で、昭和よりもマシになったかどうか?というのは難しい質問だ。脳内の、記憶を映し出すスプリット画面は2分割になり、やがて消えた。最低でも空気は良くなった。ブエノスアイレスというのは「良い空気」という意味だ。ラプラタ川は環境保護がなされているが、リアチェロ川の汚染は酷い。アルゼンチン内共和国と言われるほど富が集積しているあの街の空気を、アルゼンチン全域の廃液を濁流させることで汚し続けている。ボカから運ばれてくる港の風だけが街の名前を辛うじて守っている。

 

 

 

 深呼吸をすると、かすかにパンの匂いがした。まさか、こんなところにパン工場があるわけがない。いろいろな匂いのケミストリーが偶然パンの匂いになったに違いない。それにしてもその匂いは芳醇で美しいものに思えた。どんなパン屋だ?と思いながら、私は特に気にせず、高台から比較的、工場の少ない地域を見ていた。パンの匂いはより香しいものに変わり、私は急激に睡魔が襲ってきた。大きなあくびをすると、今度は、歌のようなものが聴こえてきた。疲れが酷いな。と私は苦笑し、景観に背を向けて歩き出した。

 

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(4)>

 

 私は現在、BOSS THE NKと名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係である。と言っても信用はされないだろう。すぐには。

 

 

 

 2018年の2月に、私は天才の捜索を開始した。天才児を意図的に探す。というのは、絵に描いた餅だと思う方も多いだろう。一般的にはそうだ。天才とは、文字通り天然の産物で、時には自然災害やテクノロジーを介した事故のような形でしか我々の前に現れない。

 

 

 

 しかし菊地くんは、私から見ても、ナチュールである彼らと遭遇し、そのまま行動を共にすることが非常に多い、天才の磁石のような、レシーバーのような男だ。曰く倉地久美夫、曰く今堀恒雄、曰く故・菊地潔、曰く水上聡、曰く藤本敦夫、曰くQN、曰く鳥越啓介、etc、現在もオーヴァーグラウンドで活動している者も、隠遁者も、故人さえいるが、前近代の欧州から発した、所謂「天才論」とて、始祖とされるディドロのそれや中興の祖とされるチェザーレ・ロンブロオゾのそれとて、大分内容が違う。それは、「天才的」という概念が、常に社会構造との照合関係にあるからだろう。

 

 

 

 菊地くん自身の20世紀末的な天才論では、例えばaiko等も天才に含むが、我々はよく、クリズマとジニアスはどう違うか?といった話をした。20世紀前半と後半でさえ、天才の定義は大きく変わる。クリズマのオークションが1000万円からだとして、天才は1兆円からだとか、20世紀の前半と後半では天才の意味がまったく違う(20世紀中盤からは、天才は自称されるに至り、そこには本物も偽物もいた)とかいった点では概ね意見は一致したが、この議論に限らず、完璧な意見の一致という事は滅多にない。例えば私は桑田佳祐とNASは天才だとし、菊地くんはaikoと阿久悠は天才だとした。私は主に現象学を、菊地くんは主に身体性を基準にしている。

 

 

 

 しかしとにかく、今回は、菊地くんの定義による天才児、しかも音楽家を探さないといけなく、尚且つ、菊地くん自身の天賦の磁力によって吸い寄せられる天才を釣り上げるのではなく、私の足で探さないといけない。

 

 

 

 「デビュー曲はタイトルだけ決まっている。<恋の天才>だ。これは、最もカジュアルな、一過性の天才を扱うから、凡才が天才を崇拝し、嫉妬して歌うのが設えとしては最適なんだけれども、実は天才自身が歌っていた。という事になるのが望ましいし、とにかく、僕が演じているキャラクターたる君が、天才児とバディを組まないと最終段階のスパンクハッピーにならない。宜しく頼む」

 

 

 

 ルックは菊地くんそのものにしたので、場所によっては目撃情報、接触情報が出ることをリスクでなく、リターンにしないといけない。私は菊地くんの名刺を大量に貰い、先ずは世界中のコンセルバトゥールの、天才児クラスを検索し、日本語が話せる(これも菊地くんのオファーに含まれていた)天才児との接触を試み、結局8カ国を歴訪した(第2期ですら、菊地くんはドメスティックのみならず、上海に赴いている。香港ブームも遥かに去り、韓流に至っては、匂いさえしていない時期だ)。「菊地成孔が世界中で天才児を探している」というワード・オヴ・マウスが自走してくれることも期待しながら。

 

 

 

 しかし、期待は外れた。プラハで天才児の両親に就業ビザの手配をしても、ミンスク(ベラルーシの首都)のコンセルバトゥールで10余名に及ぶ天才児を一列に並べても、ニューヨークで14カ国の血が混じった天才児をゲフィンの新人発掘部と取り合っても、SNSをやらない菊地くんの動きはワード・オヴ・マウスが走ったりはしないと私は痛感した。菊地くんは日本国内では「ラジオの名パースナリティ」であるパブリックイメージにリミットされ、合衆国内、南朝鮮、南米、フランスでは「ガンダムの音楽をやった、ジャズやヒップホップもやる大学の先生」だった。移動はきつく、私は4月には日本に戻り、一度途方に暮れた。その選択の中には、この仕事を降りる。ということも含まれていた。受任料金がまだ引き落とされていなかったからだ。

 

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(3)>

 

読者の皆さん。私は現在、BOSS THE NKと名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係である。と言っても信用はされないだろう。すぐには。

 

 

 

 私がオファーの電話を受けたのは一昨年の暮れだったように思う。12月末に、菊地くんのラジオ番組で、「ノンストップスパンクハッピー」がオンエアされて、しばらく後のことだ。年末年始は私の仕事に関係ないが、一件だけ始末していない仕事があったので、元日にその仕事を済ませて、1月2日から菊地くんのオファーに着手する構えにした。元日の現場は大阪の南港だったが、ジョブ自体は3分で済んだ。一手遅れで「あけましておめでとうございます」と言った時には済んでいた。もうこうした仕事からは足を洗いたい。防疫の注射も、緻密な計画の暗記も、自閉症の子供とコミュニュケーションを取るのも、私は楽しんできた。だが、この歳になると、あれもこれもは流石にキツい。

 

 

 

 菊地くんからのオファーが、私の最後の仕事になり、菊地くんが私の最後のクライアントになることを、内心で私は望んだ。望みは一番やってはいけない心理的な機制だが、音楽の仕事は、建築の仕事や絵画の贋作の仕事よりも、遥かに心身に良いという事実には抗えなかった。あのルワンダでさえ、シャイカゴからシャイラク(年間の銃殺死亡者の数が、イラクを上回ったことから)と仇名が変わったシカゴでさえ、私は音楽に救われた。

 

 

 

 下準備が必須になった。もともと相貌や身の丈が似ている彼と、もっと似せないといけない。「構造と力」の時は、録音準備の現場と、録音現場まででジョブは終了だったが、今回は、最長でだが、一生がかりになるし、常に表に出ていないといけない。なにせ今回は、彼本人が演じていることにしないといけないのだ。しかも、一人二役で。

 

 

 

 最初にしたことは、大久保のタトゥーショップで、彼と同じタトゥーを入れる事だ。タトゥアーのO氏は、私を見るなり店の裏口から逃げ出そうとした。混乱したのである。何度も説明し、私は菊地くんの為にO氏が描いた下絵を復元してもらった。ガルーダは神鳥である。いたずら者ビシュヌ神の乗り物だが、神格としてはビシュヌ神より上なのである。こうした事は、菊地くんから送られてきた膨大な資料に書いてあったことの、ほんの一部だ。

 

 

 

 それから私は、顎を少々削り、顔にある傷を一度消して、菊地くんのそれに合わせる整形手術をした。幸い菊地くんは体重の増減が激しいので、身体にメスを入れる必要はなかった。これからは逐一彼の状態に合わせれば良い。

 

 

 

 私はほとんど白髪だが、菊地くんに合わせて染め、毛髪の本数も若干調整した。一番重要な歯並びは、上の並びだけ完全に合わせた。東京歯科大学に、彼の1995年の歯型が残っている。これは、一期スパンクハッピーのアルバム「フリークスマイル」のジャケット撮影の直前に採られたものだ。それを元にした。驚くべきことに、22年経っても、菊地くんの下顎は、骨格ごと、全く成長していなかった。

 

 

 

 どんな熱狂的なファンでもインタビュアでも、菊地くんの下の歯列を見せろとは言わないだろう。唇をめくって確認しようと手を伸ばすカスタマーが現れたら、薬指を折ってしまえば良いし、私は人とは寝ない。これから探し出す私の相棒以外で、どうしても誰かと寝室を共にしなければならない時のみ、菊地くんに来てもらうことにしたが、今の所、こんな面倒は一度も起こっていない。

 

 

 

 音楽はすべて共有している。「構造と力」の時は、DC/PRGだったが、今回はスパンクハッピーだ。しかも、菊地くんは、これを3期とは考えておらず、最終期としている。全く新たな方向性になることは楽しみなばかりで、憂慮は要らない。問題は、相棒がどんな女性になるか、いや、女性になるか男性になるかさえ、まだわかってなかったことだ。肉体的にも精神的にも。

 

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(2)>

 

 読者の皆さん。私は現在、BOSS THE NKと名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係にある。と言っても通用しなかろう。すぐには。

 

 

 

 早速昨日の話の続きに入る。我々は震災による人々の多重的な被災に対するサポートを続けてきた。菊地くんはラジオを。即ち、音楽と言葉を使って。私は私なりの仕事をしてきたのだが、内容は明かせない。それは主に始末に関するジョブであって、菊地くんとはだいぶ職種が違う。書けるのはそれだけだ。

 

 

 

 7年以上かけて、私は始末を続けてきた。あらゆる仕事を請け負うのが請負人としてのプライドであることは言うまでもない。それでも、気が重い時は気が重くなる。

 

 

 

 ある時、数年ぶりで菊地くんから連絡があった。彼はガラケーだし、私も仕事の請けあいにはスマホは使わない。あんなに足がつきやすい道具を使って、人々は危険が全く伴わない、安全な行為だけで日々を過ごしているのだろうか。

 

 

 

 いずれにせよ、菊地くんは「スパンクハッピーをもう一度立ち上げることになった」と言った。彼は、07年に活動を休止したDCPRGを10年に再活動させた。それに際しては私には何の依頼もなかった。ただ、彼があの電化オーケストラを大きく動かす時、必ず乱世が訪れる。翌年に何があったのかは言うまでもないだろう。

 

 

 

 国内戦であるアルターウォーから7年が経過したある日の、その電話はかかってきた。「○○(私のコードネーム)、大仕事だ。スパンクハッピーを再始動させる事になった」「今回は何をすれば良い?」「全てだ」「全て」「ちょっと待ってくれ。なんで今更あのユニットを再始動することになったんだ?それを聞かないと、請け負うことはできないな」「ラジオで、再始動を宣言してしまったんだ」「それは、したくもないのに、口が滑ったという意味か?」「違う。まあ、オレの心理的な流れは興味がないだろうから、事実だけを話すよ。番組で、過去の遺物として第2期のスパンクスの音源を流すと、リスナーの食いつきが異常に良いんだ」「<15年早かった>バンドの、マーケットの無理解を、11年ぶりで晴らそうということか?(笑)」「違う。マーケットの無理解を晴らそうなんてオレが考えると思うか?(笑)」「一生、晴らしながら生きることになるな(笑)」「そうだ(笑)」「直観か?いつものように」「そうだ。やるべき時が来た。この国はインターネットとSNSの完全な普及によって、鬱病患者数をやみくもに増大させ、国民に愚痴を垂れ流させて満足させることで、国民の健全な行動力を押さえ込んでいる。彼らは、愚痴り、毒を吐き続けることで、自分を動けなくしている」「その考えは一部硬直していると思うが、続けてくれ」「そうした世の中で、2期スパンクハッピーが、特に若年層からの食いつきが良い」「病みだとか、みんな死ねだとか、単なる退行を、社会側に責任がある他罰的な鬱病自覚につなげるしかないからな。国民は」「そうだ。そんな中、2期のスパンクハッピーが、病みのオールドスクーラー、メンヘラの旧約聖書のように扱われるのは、忸怩たる思いがあるね」「判からいでもないな。汚名を晴らしたい。という訳か」「いや、音楽がどう解釈されようと構わない。マーケットは、あらゆる皿から、好きなものだけしか食わない。ブッフェと同じだ。とあるブッフェから、オマールのグラタンばっかりが回転しても、ホテル側は汚名とは思わないだろ」「喜ぶだろうね(笑)」

 

 

 

「ただ、2期がアティテュードとしたのは、青春の全否定だ」「左翼性だな」「そうだ」「発売当時は、青春こそが国民食だった。大人が後めたいまま青春を、思春期にある者が大手を振って青春を、子供が背伸びして青春を。青春は全世代必須のコンテンツになった」「青春を売るのは、米やデニムを売るのと変わらなかった。という訳だ」「そうだ。そんな季節に、米もデニムも売らなかった2期がセールする訳がない。オレは、米とデニム以外の食材を磨き抜いて、どれだけ人々がくうか試してみた」「予想より喰われたろ?(笑)「ああ(笑)。それで満足だった。だが」「今は忸怩たる思いに熟成された。そうだな?」「というか、まあ」「番組をやっていて、健全な左翼性に火がついたか?(笑)」「まあね(笑)。あくまでポリティカルな側面では」「退行と幼児性の全否定をするのか?それとも、今こそ2期のイデオロギーを打ち出すのか」「あえて言えば前者だが、音楽はもっとでかい」「でかい。そうだな」「構造と力、の時のことは恩に着てるよ」「まあ、終わったことだ。それより、今回はどうする?」「活動の再開はオレが発表する。君はオレの変装者を擬態して、バディを探し、まずはデビューしてくれ。そこまでで受任報酬を支払う」

 

 

 

 「了解。バディの条件は?」「完全な素人で、天才であること。ルックも歌唱力も潜在していて、特にルックは、一から作り上げられること。年齢は10代から30代まで。そして」「そして?」「できれば、作詞作曲と編曲と演奏が全部できることが望ましい。スキルだ。もうマネキンはいらない。というより、マネキンでは元の木阿弥だ。君には、大きな年齢差を超えたバディを組んでほしい。バディフッドを見せたい。あとはインスタグラムとツイッターの運営」「活動期間中、君はどうしてる?」「他のミッションにあたる」「何年やる?期間は」「双方の存命中」「成功報酬がいつもの額では済まないのはわかってるな?」「わかってる」「ちなみに、だが、SONYからのレーベル閉鎖勧告の件は聞いているが、問題ないな?」「致命的ではない。としか言えないね」「君が嫌いなSNSに手を出す理由は?私が君の擬態である事のほのめかしか?」「一つは、君が探し出す相棒には、様々な服を着てもらう事になる。現状での最大の宣伝媒体がラジオだからな。服が見せられない。あと一つは」「うん。あと一つは」「番組が終了する気がする」「ほう」

 

 

 

「ところで、オレの今回のコードネームはどうする?」と私が問うと、彼は「後日決定してから伝える。じゃあな」といった。

 

 

 

 それから数時間で彼からメールが来た。そこには

 

 

 

BOSS THE NK (「BOSS THE MCじゃないよ。というエクスキューズ付き)」

 

 

 

 と書いてあった。まあ、ブルーハーブのマニアからは苦情が来ないだろう。「ナル・ボスティーノ」だったらギリだが。と私は、今後おそらく死ぬまで表向きで名乗るであろう数秒間だけ吟味した。

 

 

 

 

<追記>

 

 

 

 連載二回目にして追記がある。菊地くんが事を起こすと、大抵何かを引き込む。 

 

 

 

 以下は2期スパンクハッピーの楽曲の歌詞である。私はこの曲こそが2期スパンクハッピーの代表曲だと思っている。活動再開に際し、この楽曲の凄まじいリリックが、本件を引き込んだと言えるだろう。白眉は、当時40代だった自分を、社交界の少年男娼として楽曲内に登場させたことだ。

 

 

 

 少年男娼が登場する歌曲は、J-POPは言うまでもなく、シャンソンですら存在しない。この曲の再演を期待するファンは、最終スパンクスに関しては、とするが、存在しないだろう。完璧な過去の遺物だ。私は彼がこの詞を書いているところを見ている。大袈裟でなく彼は、10数分で一気に書き上げ、一文字も直さずにスタジオに入った。浅草のダンキンドーナッツでの事だ。

 

 

 

 

 あなたの国は、小さい子のヌード写真がおおすぎるって、どのパーティーでもいわれた。街中に裸の女の子の写真があふれていて、電車の中にまでつってあるのは絶対おかしいって。

 

 

 

でも、まさかそのうちの一人があたしだってことは、誰も気づかなかった。

 

 

 

あたしはこういう所に集まるマダム達は、エメラルドを頭にいっぱいつけすぎて馬鹿になっちゃったんだって思って育ったの。 

 

 

 

パパは「この国には肉食の文化が無いから。みんな我々のように乳のみ仔牛から腐りかけの成牛までの、いろんな肉の味わいの差だとか、ジビエの血の味の事とかが解らない。だから子供の裸ばかりを有り難がるんだ。一種の国家的変態だよ」っていうお得意の演説で、腐りかけの成牛みたいなママを喜ばせてる。彼女はキャビアを食べている人を見ると鼻をつまむ。

 

 

 

小さな卵を食べるのは野蛮人だって。 

 

 

 

フォクシー1粒でアダルトヴィデオの女の子みたいになれるってきいたから、あたしは自分を魔女だっていってる友達に頼んで、パーティーに持ってきて貰い、最高に良く効きますように。そしてあこがれのトレーシーみたいになれますようにって魔法をかけてもらってから、彼女とキスをして、コアントローで飲みほした。どこかで生きていれば35になるのね。あたしのトレーシー・ローズ。あなたは、あたしが知るかぎり本当の天才。そして天使。 

 

 

 

あなたとパパの書斎で出会った日のことは一生忘れないわ。

 

 

 

黒革の表紙の本の裏に隠されていた80年代のVHS(ヴェ・アッシュ・エス)。あのヴィデオキャセをパパから盗んでから、あたしの人生は変わった。あれがバイブルになったの。あたしは今、あなたがデビューした年と同い年で、あなたの娘ぐらいの年だわ。そう思うと、とっても変な気分。まだフォクシーは全然効いて無いみたい。口の中は、熱いチェリーの味ばっかり。 

 

 

 

生きてれば74歳になるのね。あたしのグレース・ケリー。

 

 

 

生きてれば15歳に成るのね。あたしのジョンベネ・ラムジー。

 

 

 

あなた方の事を考えると、死ぬほどうっとりして、死ぬほど憂鬱になるの。

 

 

 

パパの命令でお医者様にマリリン・モンローそっくりに改造されたり、本当にある国の王女になるなんて絶対に間違ってる。でも死ぬほど羨ましい。そして死ぬほど怖い。あたしはこんなに死ぬほど羨ましくて、死ぬほど怖くて、死ぬほど退屈。

 

 

 

 

ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ

 

 

 

ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ

 

 

 

ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ

 

 

 

ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ

 

 

 

 

たくさん血が出たり骨を折っちゃったりするのは僕の時代にはあんまり好まれなかったんです。フェティッシュとか、精神分析とか、そういう詰まらないものが流行っていて。でも、彼女達が好きなものが結局、宝石と香水と毛皮だって事は永遠なんですよ。裸に毛皮だけ着せて、香水の瓶を割って、お腹を軽く傷つける。詰まらないプレイですけど、効果は凄いんです。真っ赤な血がうっとりするような香りで。 

 

 

 

宝石も勿論たくさん使いました。トパーズ、アメジスト、オパール、こういう物には、水晶以上の魔力と、生体科学的な影響力があって、まあ、若返るんだと(苦笑)。こういう話をすると、馬鹿にして嘲けり笑っている連中ほど、瞳孔が開いているのが解る。後で必ず呼び止められるから絶対。それで、彼女達の宝石箱から一つ残らず出させてね。身につけさせるんじゃないですよ。体の中に入れてゆくんです。

 

 

 

滑稽といえば滑稽だし、でも芸術的とも言える。お腹を宝石でパンパンにしたご婦人が喘いでるんですから。

 

 

 

勿論、楽しくも何ともなかった。気持ちよくも何ともなかった。嬉しくも何ともなかった。この国の社交界の一部では、こういったことが何百年も続いてるんだなって思うと、変に敬虔な気持ちにさえなりかけたもんです。日本人だからでしょうね。僕は20歳過ぎてたんだけど、誰もが15歳ぐらいだと思っていて。 

 

 

 

最近はちゃんとクラブがあったりするんですよ。卓もサウンドシステムもすごく充実していて。ヴァルスやポルカが終わると、変な、聴いたこともないオーストリア語のハウスみたいのがかかるんですけど、みんなハイヒールに革靴だし、っていうか、踊りが凄くて、笑うのを我慢するのに苦労しました。嫌な感じの嘲笑しかできないから。生まれてからずっとそうなんです。

 

 

 

復讐心ですか?どうだろう?今の東京の子供に比べればね。 

 

 

 

アメリカのポルノ女優に憧れてる。っていう日本人の女の子が居て、さっきフォクシー飲んだの。って、この子は全然踊って無くて、目をトロンとさせて、年寄りばっかり狙ってた。

 

 

世界中に行ったけど、どこも何も変わらない。俺みたいになるなよ。って誰かに思ってた頃もあったんですけど、今はそんな誰かも居ない。生まれて初めてです。自分からキスしたいなって思って。でも諦めました。彼女は、消えてた。 

 

 

 

 

ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ

 

 

 

ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ

 

 

 

ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ

 

 

 

ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ

 

2019年

2月

18日

<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(1)

 

 この「BOSSの回想録」は、私(BOSS THE NK)が、最終スパンクハッピーの活動資金を得るために、菊地成孔くんのブロマガ「ビュロー菊地チャンネル」の軒先を借りて描き始めたものである。菊地くんが、伝説の「スパンクハッピー」の活動を再開することにし、私に活動を一任してから、私がヴォーカリストのODを発見し、2018年のフジロックフェスティバルに出演するまでを描いたもので、現在連載は第24回、デビューステージの「GREAT HOLIDAY」当日まで差し掛かっている。連載は継続中で、原稿料は頂いているが、好事家に評判が良いので、第一章に当たる初回から第13回までを、期間限定でこちらに掲示することにした。期限は2・28まで。最終スパンクハッピーの愛好者の皆さんも、そうでない方も、ご興味さえあればこの10日間のあいだにDLし、購読できるので是非。

 

 

BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(1)

 

 初めまして。私は現在、BOSS THE NKと名乗っている。菊地成孔くんとは友人関係にある、と言っても通用しなかろう。すぐには。

 

 

 

 解離性の人格障害を起こしやすいインターネット時代だ。別人格やアルターイーゴと解釈されても、些か古風にドッペルゲンゲルと解釈されようと、同一人物のペンネームと解釈されようと、単に菊地くんが遊びで書いていると、そして、そう解釈する方々が一番多いであろうことは致し方ない。好きなように解釈していただきたい。事実は目の前にある一つだけだ。

 

 

 最終スパンクスも無事デビューし、初年のSS、並びに初年の暮れを無事に越したので、今から、エピソード・マイナス1として、私が菊地くんからの依頼を受け、ODを発見し、2018年のフジロックフェスティバルに出演するまでの経緯を、菊地くんの軒先を借りて少しづつ綴って行くことにする。ここが有料サイトであることは知っている。私の稿料は全て最終スパンクハッピーの活動資金に充当させて頂くことは、菊地くんとの合意によって決定している。

 

 私は請負屋だ。なので、過去の履歴やプロファイリングは明かせない。明記できるのは、私が、上顧客の一人である菊地くんから、彼の音楽ユニットを再始動させるための一切を任されたことだ。

 

 過去、菊地くんは、5年から10年に一度の頻度で私に音楽関係のジョブを依頼してきた。内容は明かせないが、一つだけ彼の許諾とともに紹介するならば、これだけだ。

 

 

 

 DCPRGの2作目「構造と力」は、2期スパンクハッピーの2作目「ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ」と、制作期間が重なっている事を、菊地くんのカスタマーの方々ならご存知だろう。

 

 

 

 彼はパニック障害の、実質上の寛解期にあったが、さすがにあの両作をたった一人で完成させることは無理だと判断し、「構造と力」のスーパーヴァイジングを私に依頼してきた。そもそもあの作品はパリ録音が計画され、スタジオのマネージまで事が進んだまま、彼のパニック障害によって頓挫している。タイトルに英題と仏題があるのはその名残だ。

 

 

 

 結果としてあのアルバムは彼の電化オーケストラであるDCPRGの最高傑作のひとつになったと私は理解しているが、私はクレジット無しで彼の仕事の大半を請け負った。

 

 

 

 1個人が同年にあの2作を完成させることは、おそらく不可能だった筈だ。完成どころか、鑑賞ですら。あの2作を同時に咀嚼しながら鑑賞したカスタマーはオンタイムではごくごく少数だったのではないだろうか?

 

 

 

 しかし、今回のジョブは、それを遥かに超える規模のものだ。受任料金、報奨金に関する一切は明かせないが、5年、10年単位の仕事になる事は間違いなかった。遂行中に、私、もしくは菊地くん、もしくは両名が死亡する可能性も、現実的にゼロではない。私は菊地くんとほぼ同世代、としか言えないのだが、請負屋としてはそろそろ引退すべき年齢であった事は間違いない。

 

 

 

 2011年以降、人々の心には日照りと飢饉が続き、ハイエナが闊歩した。つまり、私の仕事は大いに繁盛した。菊地くんはAMラジオというメディアを手にして、自分の仕事に励んだようだ。このジョブでさえ7年がかりだった。もう私は、大仕事が出来ても、自分のキャリアとしては、後ひとつだろうと腹をくくっていた。後に菊地くんは、TBSラジオのエグゼクティヴからリストラされるが、皮肉なことに、その番組がきっかけで、私の最後の大仕事が依頼されることになった。

 

2018年

6月

20日

スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明

 「それはどこにでもある、聞いた事ある、そんな、ありきたりでつまらないお話/スパンクハッピー活動再開に際して/菊地成孔と小田朋美による共同声明」

 

<まず菊地成孔>

 

 (スパンクハッピーを包括的に語る事のみならず、ODを小田朋美さんだとして書く文章は、少なくとも僕は、これを最初で最後とするので、小田朋美さんのファンの方は特にお読みください、あるいは特にお読みにならないでください)

 

  一期のヴォーカルだった原みどりさんも、相方だった河野伸くんも共に現役で元気に活動しているし、アルバムはボーナストラックまでついた復刻版が出ています(2007年10月。もう10年以上前ですね。これもぜんぜん売れませんでした。発売時も復刻時も売れないのだから、永遠に売れないと思います・笑)。

 

 ですのでやはり、ファンの皆様の前から、魔法の様にミッシングしてしまっているままの、岩澤瞳さんについてから書かせて頂きます。

 

 とはいえ、生きていれば今頃40歳になるのね私のジョンベネ・ラムジー。ではなく、生きていれば今頃ちょうど40歳になる岩澤さんが、今どこで何をしているか、僕はまったく知りません。

 

 最後に連絡をとったのは、僕と一緒に岩澤さんのメイクと衣装を担当していた、親友の蒼井紅茶が亡くなった時で、これももう、何年前なのか記憶が曖昧です(彼女と、彼女が息子さんを抱いて昼寝をしたまま、夢見るように亡くなってしまったこと。については文庫版の「スペインの宇宙食」のあとがきに詳述されています)。

 

 岩澤さんからは、数年分(当時)の報告と、葬儀に行くか行かないか?行くなら一緒に行くか?といった内容の、ごくごく普通のメールが届き、僕は何か、とても安心したのですが、自分は葬儀は嫌いなので行かない。後で一人で仏壇に手を合わせに行く。と書いて送りました。

 

 そのメール以来、岩澤さんは僕の前からもミッシングしたままです。SNSをやれば、何かあるのかな?ちょっと興味あるな。とも、あまり思えません。

 

 ただ、はっきりしている事は、人生には、ミッシングパーソンがいるぐらいが自然であり、豊かなのだ。という事です。岩澤さんがこの地球のどこかで(東欧あたりでご結婚して、お子さんを何人か産んでいても、ご実家でご家族と一緒に暮らしていたとしても、亡くなっていたとしても、全くおかしくない人でしたので)、少しでも安楽に、幸福に過ごされている事を心から願っています。

 

 三期の話をするのが本稿の目的ですので、二期の音楽性について若干触れます。実のところ、僕が何を考えて二期をやっていたか?という話は、インタビューで大量に残っていますが、敢えてスタイリッシュに潰乱的に話し(どうせ理解なんかされっこないと思っていたので)、インタビュアを煙に巻いていたので、真面目に話すのは初めてです。

 

 岩澤瞳さんをミューズとする二期スパンクハッピーは、様々な美学的な伽藍の中に閉じ込められた宝石のようになっていたので、中毒性の高い、美しい思い出になっているファンの方々も多く、三期は先ず何よりも、二期と比較される、という、時間の無駄としか言いようがない通過儀礼から始まるのは致し方ありませんし(そしてそういったものは、経験則上、秒速で鎮静されるものですが)、それ以前に、有難いことに、多くのリスペクトを受けている実感もあります。

 

 ただ、換骨奪胎というか、往々にして影響関係というのはそういうものですが、二期スパンクスのリスペクトを表明される方が「食えてない芯」のようなものがあります。この事をお話しする事が、二期スパンクスの本質を具体的に語る事になると思われます。

 

 それは具体的に音楽の内容というより、<病み>という現象への理解 / 誤解。継承 / 切断です。

 

 病理を含まない音楽は原理的にありえません。なので、二期スパンクハッピーも、かなり意識的 / 計画的に病理をメッセージに含ませました(計画を超えた部分も当然存在し、それが計画という実行に乗って、計画ごと伝わる、とするのがフロイト流ですが)。

 

 文脈上お分かりいただけていると思いますが、これは、誹謗でも中傷でも全くなく、敬意や感謝と共に名前を出して書きますが、アーバンギャルドさんに代表される、二期スパンクハッピーの影響を公言する方々は、二期スパンクスの中の「症状」の部分を、かなり薄めたか、あるいは誤解しているか、あるいは(後述する)オリジナリティを加えているかしたまま、大量に拡散されたと思っています。

 

 これは一例ですが、根源的な性倒錯について、後続者は何も歌っていませんし、(神経症ではなく)精神病についても、何のメッセージもないように思えます(しつこいようですが、事の善悪では無いです)。

 

 二期スパンクスが後続に分与しなかったコアとは何かと言えば、「青春について歌わない」という鋼鉄のマナーです。

 

 誰もがついつい、青春について熱心に歌って、それがリアルでシリアスで素晴らしい事であると、無審査に価値が決定している世界で、僕は青春について歌う気は全くありませんでした(勿論、他の人々が歌うのは一向に構いません。というか、それが20世紀後半のポップソングの国是ですし。国是に従う事は国民の義務です)。

 

 歳が大きく離れた(13歳差)男女が青春という現象を歌ったりしたら、それこそ、二期への裏返しの賞賛だった「気持ち悪い」が、ツイストなしの、そのまんまになっていたでしょう。二期スパンクスが音楽に乗せた病理は、反青春もしくは非青春というゾーンの中にあります。

 

 一般に、臨床的な意味でも、ネット的な意味でも<病み>というのは、<青春と恋>という状態の第1コンテンツに過ぎず、というか、トートロジカルに、青春というのは<恋=病み>が微熱的に体質化/慢性化している一定期間の事です。

 

 ですので、あくまで僕のカテゴライズでは、奥田民生さんの歌も、ゴールデンボンバーさんの歌も、aikoさんの歌も、アーバンギャルドさんの歌も、女王蜂さんの歌も、小沢健二さんの歌も、おおよそ日本語のポップスのほとんど総ては「青春と恋」という、非常に魅力的で苦しい季節に関する表現のバリエーションとして、文学や映画等とも一括でき、更に言えば、今や古語ですが、「メンヘラ」とか、「こじらせ」というのは、「基本は量的な還元」というフロイトの原理にかなっていますが、いずれにせよ、軽症、重症に関わらず、青春という現象に収斂されてしまう病理を中枢にした音楽は、いずれも二期スパンクハッピーとは全く別の音楽だと思っています。

 

 「ヴァンドーム・ラ・シック・カイセキ」では、社交界の少年売春まで扱った二期が表現したかったものは、幼児的がもたらす総てについて、退行の純粋さから倒錯性まで、総てを極限的に、病理的に網羅しようという事でした。

 

 「普通の恋」を、スパンクハッピー名義にしなかった(この事実をご存知ない方も多い時代になった。と思いますが)のは、楽曲の出来、不出来と別に、あれが紛う方無き青春の歌だからです。

 

 青春は「こっ恥ずかしい」ものですが、幼児期に受ける羞恥心に「こっ恥」の「こ」の字もありません。幼児期の「主観は全知全能、客観は無知無能」という、テラサイズの勘違い状態から生じる羞恥心は激しく、どのぐらい激しいかといえば、激し過ぎて誰も記憶できないほどです。

 

 二期スパンクハッピーは「15年早かった」等とよく言われますが、それは音楽性やパフォーミングが先鋭的に過ぎた、という事もゼロではないでしょうが、青春という状態の株価が高騰していた時代(活動時期)には咀嚼出来なかった物が、退行という状態の株価が高騰した現在から読み直すと腑に落ちる。というだけの事ではないか、とも思っています。 

 

    *   *   *   *   * 

 

 岩澤さんが、文字どおり、持病をこじらせ、音楽活動どころか、社会生活まで困難になってしまう事で、我々の活動が終了してから、僕は数年間あがいて(この時期を、第三期、第四期、という風に数えないのは、単に音源の発売が無かったからで、マイルスに於けるロストクインテットのようなものです)、最終的に、06年に野宮真貴さんとのステージでスパンクハッピーを完全に終結したつもりでした。

 

 この時期にミューズでありマネキンをしてくれた、ドミニク・ツァイさん、縣亜希さんを始めとする何名かの方々には、未だに懐かしく、感謝と友愛の念を持っていますが、岩澤さんと同じ、僕にはミッシングパーソンズのままです。皆さんの御多幸を心より願っています。

 

 僕より年上かつ、実年齢だけではなく、真の意味で「大人の女」である野宮さんにマネキンをして頂いた事は、そういうわけで、基底部にインセストタブーを置いた幼児性の表現という、二期スパンクスの終了、という構造に対して、過適応ぐらいに適応していました。スッキリする、というのは、排泄ぐらいでも容易に得られる感覚ですが、あの時の、無意識の底から完全にスッキリした感覚は忘れられません。「ああ、ことが完全に終わる。というのは、こういう事なのか」と思ったのが、2006年の10月です。それは京都で、スパークスの前座でした。

 

 翌年にはデートコースペンタゴン・ロイヤルガーデンも活動停止し、僕は、ペペ・トルメント・アスカラールと菊地成孔ダブセクステットの活動に集中します。「デギュスタシオン・ア・ジャズ」と「南米のエリザベステーラー」を手土産に、俗に「ジャズ回帰」と言われる、ジャズミュージック界へのお礼参りは痛快かつ攻撃的で、絵に描いたようなパラダイムシフトの快感と恐怖が、僕を異様なほどに生き生きさせていました。それはドスを呑んだままの赤ん坊が生まれたような感覚でした。 

 

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 小田朋美さんと出会ったのは、実はかなり古く、そもそも彼女は東京藝術大学の、僕のクラスの生徒(潜りですが)でした。

 

 女子大生と非常勤講師、等というと、俗流のエロチカが連想されても致し方ありませんが、エロチカどころか、彼女は当時スキンヘッドで、今の5倍ぐらい目つきが悪く、コミュ症の具合も今の3倍は重症でした。初めて出会ったのは、藝大のキャンパス内です。

 

 それは授業前後とかではなく、当時、僕が音楽を担当させて頂いていた、NHKの「爆笑問題のニッポンの教養」という番組の特番(「爆笑問題のニッポンの教養「表現力!爆笑問題×東京藝術大学」)の収録直後でした。

 

 藝大のキャンパス内に特設会場を組んで、爆笑問題のお二人が芸大生と「芸術」について討論する、という企画でしたが、当時非常勤講師であり、番組の音楽担当だった僕はゲストパネラーとして参加しました。

 

 これが2009年の8月ですから(僕が46歳、小田さんが21歳)、スパンクハッピーの活動終了からほぼ3年後です。いわゆる「喪の作業」には一般的 / 平均的な尺は存在しませんが、前述の通り、腹の底から完全にスッキリしてから3年後、というのは、喪もへったくれもないぐらいの時期です。

 

 神の視点に立てば、これは<完全に喪の作業が済んだ時には、すでに再生の契機となる人物と出会っていたのであった>といった訳で、今度は俗流のエロチカならぬ単なる運命論ですが、それに倣って些かロマンチカに言えば、「その時は、後にどうなるか、誰も知る由もなかったのである」といった態でしょう。本稿を通じて僕が皆さんに伝えたい事があるとすれば、人生は何でも起き得る、と本気で考えている限りに於いて、実際に何でも起き得る。という事です。

 

 小田さんとの、三期にして最終であるスパンクスの単独ライブデビューは8月5日なので、この、出会いの瞬間から丁度9年後になりますが、その時はスパンクスは言うまでもなく、後の「シャーマン狩り(2013)」は愚か、DCPRG入り(2014)ですら、夢のまた夢、という感じでした。

 

 小田朋美さんは僕にとって極端で特別な存在です。それは、特別魅力的だとか、特別嫌いだとか、特別能力が高いとか、特別不安定であるとか、特別天才的であるとか、そういった人間的なリージョンだけではありません。

 

 彼女の極端な特別性については、「スパンクハッピーとDCPRGのどちらにも加入できる / した、唯一の存在」という雄弁な事実を示せばそれで充分だと思います。スパンクハッピーとDCPRG(当時)は、僕の神経症を発症させる。つまり、分裂の具現体であり、ですから小田さんは僕にとって、統一の具現体ということになります。更に言えば、それは相互的だとも言えるでしょう。小田さんは、以下の様にして、僕と最初に接触したのですから 

 

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 出会い、というと、左から僕が歩いてきて、右から小田さんが歩いてきて、額でもぶつけたかのようなイメージですが、実際は、僕の背後から尾けてきたきた小田さんが、ささっと僕の傍に付けたのです。

 

 前述の通り、坊主頭(いわゆる「スキンヘッド」的な、モードでデザイン的な者ものではなく、男子高生みたいなバリカンの丸刈りでした)で目つきが悪く、物凄く怯えていて、低い、小さな声で抑圧的に話す、絵に描いたような背伸びしたパンク少女は、炎天下の長時間収録が終わってヘトヘトになっている僕に横付けると、こちらも見ずに、こんにちは、だとか、私はあなたの生徒で、だとかの挨拶も何もなく、開口一番、「(聞き取り不明)なもん、、、、、全く何の意味も(聞き取り不明)」と言ったのです。

 

 「うっわ!出た芸大のパンクマルコメくん(笑)」と、笑いを堪えたのを覚えています。

 

 発声は、中森明菜さんの調子の悪いとき(或は良いとき)みたいな、低く抑圧的な声で、全然聴き取れず、「え?なんですか?全くなんの意味も無い?と?とあなた仰った?」と聞き返したら、はいそうです、も、いやあ、そういう意味じゃなくて、も何もなく、もう一度、「、、、ぜんぜん意味無いすよ」と、下を向いてガンたれながら、吐き捨てるように言ったのです。

 

 あまりにも図式的な不良っぷりと、テレビの公開討論番組など意味がない、という、愚直で70年代ぐらいの文化認識に、微笑みを禁じえませんでした。お父様の膝の上で一緒にテレビを見ながら育ったかな? 

 

 この、小田さんの「ルックスと反比例する面白さ」はコケティッシュでもキュートでも、癒しでもありました、この時に感じた「かっこいいのに面白い」感じは、未だに小田さんから失われておらず、インスタグラム(やってますよー。そこそこ面白いと思いますので、是非チェックを!)御存知の通り、現在のODの人格造形に直接組み込まれています。 

 

 おもしろきことは善きこと哉、この時僕は、「やっべキタキタ暗くて危ねえ馬鹿(笑)」とばかりに、ささっと逃げる(そんなことは僕の5歳の頃から現在までずっと続く日常茶飯事です)気に全くならず、相手をすることにしました。よしんば、万が一彼女が、音楽のお稽古しかした事の無い、生意気で鼻持ちならない、お嬢様上がりの藝大生がなりたがる下降志向の似非不良(藝大に、こんなパースナリティの生徒は腐るほどいます)だったとしても。です。

 

 僕は過去、倉地久美夫、今堀恒雄といった真の天才が開花する前の危なっかしい頃から見抜いて、彼等と強くフィットする能力を持っています。自分が天才ではないからでしょうね。天才は、そうですね。苦しいと思いますよ(笑)。僕にはわかんないけど。

 

 最初僕は、性同一性障害の子かな?と思いましたが、どうやらそうではなさそうで、適正値を言えばボーイッシュこじらせ、ぐらいだったと思います。二度言いますが、僕は本当に育ちが悪く、女の子であれ、学童であれ、初対面の人物に対して、まずは拳と手首と瞳孔をチェックします。喧嘩の跡も、自傷の跡もなく、目もしっかりしていて、とてもヘルシーであることを確認した僕は、取り敢えず誠実モードで話しました。 

 

 「いやあ、あなた、無意味とか茶番とか仰るけれども、テレビ番組なんて、それを言ったらどんな番組だってみんな茶番で、みんな意味なんて無いですよ、マスメディアの産物なんだから(笑)、それより太田光さんは漫才師だけどクリエーター志向もあるし(当時。今昔の感がありますなあ)、今日は仕事というレヴェルを超えて、かなり本気でお話しされていたと思いますけどねえ?どうでしたか?」と、僕なりにかなり丁寧に言うと、1音も全く答えません(笑)。何かを言いたそうに、しかし緊張を隠す為にガンはたれたまま(笑)モゴモゴしている様を見て、僕は噴き出しそうになりました。 

 

 有能な漫才師だったら、「無言かーい!」と言いながら、拳骨で頭をこすっていたでしょう(笑)。隠そうと思えば隠し通せるこの属性を、商品価値として外化させた責任のほぼ100%は僕にあります。小田さんをシャーマニックでカリスマのある、シリアスな巫女として崇拝したい方からは抗議を無限に受け付けます(笑)。 

 

 僕はかなり丁寧に話し、やっと相互コミュケーションが取れて来た頃には、校門近くで長沼が待っている事務所の車が見えてきて、ではまたいつか。という事になりましたが、今ではその車に2人で頻繁に乗るので(長沼の運転で)、この段階で僕が皆さんに伝えたい事があるとすれば、人生は何でも起き得る、と本気で考えている限り、としますが、何でも起き得る。という事です。 

 

 小田さんの述懐によれば、芸大生時代の小田さんは、僕のナディア・ブーランジェに関する講義中の間違いを指摘したり、僕が「対位法を4年間かけて修得し、卒業しても、何の仕事も無い」と言った事に抵抗を感じたり(授業は「古典的な楽典と、商業音楽理論の違い」を比較文化として扱う事がメインでしたので、「対位法やっても何の仕事も無い」発言は、あくまで商業音楽の現場での話しであり、対位法を作曲学から排除してスタートする商業音楽理論のインスタント性の強調の為の発言だったのですが、バッハを神とする小田さんにとって、対位法に対する侮辱ぐらいには思った様です)ちょっと気になる非常勤講師に対し、そこそこ精神的に忙しかったようではあるのですが、僕にとって小田さんは何よりも「テレビ収録が終わった時に近づいて来た素敵な不良マルコメくん」のままでした。

 

 ただ、小田さんがそのとき全身から放っていた「助けてくれ。雁字搦めの自分を解放してくれ」という、嘆願の叫びに近いメッセージはビンビンに届いていており、僕の胸に、小さなトゲとして刺さっていました。刺さっていましたが、僕には現実的になす術も無く、「あの子、今頃どうしてるんだろうなあ?」とか思いながら、一端は忘却していました。

 

 

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 更に3年後、震災があり、「粋な夜電波」が軌道に乗り始めた、2012年の事です。当時モーションブルーのブッカーだった岡島という男から「凄いバンドがいるんですけど、今夜ウチでライブなんですけど、今から菊地さんいらっしゃいませんか?無理ですよね。ふふふふ」というメッセージが入っていました。これがものんくるです。

 

 当時、やはり僕の元・生徒であるベーアこと阿部淳くんは、エアプレーン・レーベルを実質上仕切っていましたが、それ以前&以上に、僕を慕う、飲み友だちでした。彼はものんくるを、彼が就業していた(今は独立して、アポロサウンズというレーベルを立ち上げています。アポロサウンズはクラックラックスのレーベルです)エアプレーンからリリースすべく、僕にプロデューサーのオファーを打診、というか熱望しました。

 

 吉田沙良さんとの話になると、更にスピンオフしてしまうので全て割愛しますが、僕はものんくるを聴いて快諾し、彼等のファーストアルバムをプロデュースします(それに続いたのが、青羊さん=けもので、要するに現在のTABOOのラインナップは僕とベーアで作った訳ですが、「EWE→ユニバーサル→インパルス!→ビュロー菊地レーベル→TABOO」というひとつのサーガも、詳述していたらこのテキストがスパンクスまで辿り着くのに10日ぐらい経ってしまうので割愛します)。 

 

 とにかく僕は、ものんくるとけもののアルバムをエアプレーンで製作し、気を良くしたベーアが次にプッシュして来たのが、「小田朋美」という、芸大の作曲科を出た女の子だったのです。 

 

 ベーアがあの声で「本当の天才ですよ。絶対凄いんで、資料送ります。是非そのお、、、、、プロデュースを(笑)」と言いながら、僕のワイングラスに、スーパートスカーナを注いだのをよく憶えています。 

 

 しかし、僕は、ベーアが持ってきたデモテープを聴き、ライブDVDを見て、1秒の迷いもなくノーと言いました。 

 

 「この子は物凄い潜在能力があるけど、基本言語がクラシックだ。オレがプロデュースするのは畑が違いすぎるし、この子に失礼だよ」と、可能な限りの誠実さで言ったつもりですが、ベーアは「そこをなんとか~」とあの声で擦り寄ってきました(笑)。あの時、ベーアが粘らなかったらと思うと寒気がします。この段落を借りて、阿部くんに最大の感謝を捧げます。 

 

 青羊さんは元ジャズシンガーですし、今ではその片鱗も感じさせない吉田沙良さんも、オーニソロジー=辻村くんも、全員がジャズ発です。演奏中、全員をいきなりカットすることはジャズならば「ブレイク」「ミュート」と言いますが、クラシックだと「ゲネラルパウゼ」と言います。現場で、「ここのアンダンテは僕のアウフタクトで、ゲネラルパウゼします」とかいうかオレ?(笑)などと言いながらも、小田さんの才能の、危なっかしいほどの輝きと、自分でも収拾のつかない混乱と未熟さは、僕を深いところで魅了していたと思います。

 

 「作曲はできるが、作詞ができない、有名な詩人に使用の許可を貰ったり、書いてもらったりしている」とベーアに言われ、「別にそれは良いけど誰の詩よ?」と聞いたら「谷川俊太郎と宮沢賢治」と言うので、僕はルノアールの歌舞伎町店で大量のアイスカフェラテを吹き出しました。僕が苦手な詩人のナンバー1と2だったからです(笑)

 

 もう逃げよう。彼女には何の罪はないが、やっぱダメだ芸大(笑)、と思いながらも、ベーアの粘りは続きました。

 

 

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 結果として、「シャーマン狩り(2013)」を「共同プロデュース」という名義でリリースさせるに至る、最大の理由は、どう逃げようとも逃げ切れない、小田さんの才能と魅力、というのが最も適正でしょうが、「小田朋美」さんが、「あの時のパンクマルコメくん」と同一人物だと知った、という事実によるサポートも大きかったと思います。

 

 髪も伸び、やや狂的な表情と挙動不審ぶりは少し残していたとはいえ、元々の育ちの良さから来るエレガンスと、前述の<面白さを>エレガンスとメンヘラぽさと兼ね備えた、女性としての魅力に満ちていて「あらあ、君、あの時の坊主くんですか(笑)」「(俯き加減に)はい(笑)」「あらあ、ちゃんと返事できるようになっちゃって(笑)」と、再会の挨拶の後、僕は「これ以上、オリジナル曲はないし、書けないのね?」というと「(横を見ながら)はい」と言うので、「わかった、こうしましょう。僕はあなたのオリジナル曲には一切触りません。足りないものを考えてアルバムの全体像を決めるから、共同プロデュース。という事にしませんか?」「はい、でも、何をやればいいんですか?」「カヴァーですね」「カヴァー、、、、、」 

 

 僕は彼女に、20曲ぐらいのカヴァー曲候補を与えました。洋楽も方角も適当に混ぜて。アレンジもお任せで。すると、返ってきたデモには、ドラマーの田中教順くん(元DC/PRG)とのデュエットが収められており、それは流行りのメトミックモジュレーション、タイム・エクスパンション&コントレクションの発想が基礎になっていて、その手法で演奏されたパフュームの曲は実に素晴らしく、「これヤバい。これだけでアルバム一枚作るならフルプロデュースしても良い」と、僕はいきなり色気を出しました。「このやり方でいい。このセットで後2曲いきましょう」

 

 

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 小田さんのオリジナルは、クオリティは非常に高いものの、やはりアレンジはクラシッくべースですし、そこがクラシックの醍醐味だから言っても仕方がありませんが、僕にとって、ややドラマティックすぎる様に思われ(「風よ吹け 風よ吹け」と歌う曲と「雨よ降れー!」と絶唱する曲があったので、「雨乞いのアルバムかよ(笑)」と、ついつい笑ってしまったりしていました)、僕は一切触らない方が良いと再確認しましたが、僕がカヴァー案として送った楽曲群から、まさか選ばないだろうと思っていた「鏡の中の10月(小池玉緒)」や「エンジェリック(スパンクハッピー)」があったのにはちょっと驚きました。選曲自体も去ることながら、その音楽的な魅力にです。

 

 しかし、小田さんがデビューアルバムにスパンクハッピーの曲をカヴァーしていたという事実でさえ、僕は兆しだとはまったく思いませんでした(すでに多くのインタヴューを受けており、彼らは鬼の首でも取ったように、「あのエンジェリックの時から、菊地さんはスパンクス活動再開の着想があったんですか?」というので「全然(笑)」と正直に答え、彼らの作ったストーリーを、食い終わった割り箸のようにバッキリ折り、落胆させて喜んでいます。申し訳ない・笑)。

 

 「対位法も書けず、和声法もあなたと違うシステムを使っている僕にあなたのプロデュースは、実務として出来ません。ジャズ畑の人しか責任を持って預かれないんです。ですが、僕が保証しますが、あなたの才能は凄い。なので、僕があなたをフックアップしましょう。これは約束します。僕は約束は守ります。音楽に関してなら(笑)」「、、、あの、、、フックアップって何ですか?」「直訳すると、釣り上げる、ということですが、そうですね、有名にするということです。あなたは、数年で僕より有名になります」「(中森明菜の声で、下を向いたまま)なりっこないですよ(苦笑)」「なりますよ。見ててください(笑)」

 

 そのあと僕が彼女を最初に連れて行ったのは、松尾潔さんがトータルプロデュースする、JUJUのジャズアルバムの、僕がプロデュースを担当する曲の、仮歌入れの現場でした。小田さんは、歌ったことがない「ミスティ」の仮歌を入れ、僕は松尾さんの反応を見ました。

 

 彼は明らかに興奮していました「菊地さん、あの子すごくいいねえ。どこで見つけてきたんですか?」「芸大(笑)。作曲科だから、坂本龍一の後輩(笑)」「うおー(笑)すごいなーやっぱ菊地さんは。マジカルなキャスティングをなさいますね(笑)」

 

 僕はメモ用紙を破いて、汚い字で「小田さん、松尾さんが興奮しています。挨拶して名刺を渡してください」と書いて、スタジオの隅で、ささっと渡したんですが、全くするそぶりがなく(笑)、とうとう先に松尾さんが近づいていって、「ねえ、あれですよねえ、グレッチェン(パーラト)とか好きでしょ」「、、、ああ、はい、、」「凄い良いですよねえ。無駄ナヴィブラートとかがなくて」「、、、はあ」。僕は内心、(知ってるわけねえ・笑)と思いながら、笑いをこらえるのに必死でした。

 

 

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 小田さんとメールのやり取りをする季節が来て、アルバムのタイトル案を出すので選んでください。と、いくつかの候補を出すと「絶対に<シャーマン狩り>が良い」という答えでした。

 

 このタイトルは、雑に一聴すると、親殺し=アンチエディプスであるが如く聞こえかねませんが、何度も諳んじで、アルバムを聴き、小田さんに移入するに、そうではない事が解るでしょう。

 

 ここで「狩られる(GO GUNNIN'が英訳ですので、詰まり、弓矢とかではなく、猟銃で射殺するのですが)」のは、小さく箱庭の世界に納まって出れないまま、しかしそこで巫女になってしまった、小田朋美さん自信です。今の小田さんが、過去の、出来上がってしまった小田さんを狩る事。ここまで小田さんに伝わったかどうかは解りません。ただ、小田さんは、他の候補と比較する気もないほど、「シャーマン狩り(GO GUNNINNG SHAHMAN)」というタイトルを推しました。

 

 そしてシャーマンを狩るのは半裸のインディオです。半裸のインディオが、自分の村のシャーマンを狩ると、それは自分であった。僕に、いつもの「あ、あ、あ、そうか、あ、あ、」が湧いて来ました。

 

 あ、あ、あ、あ、そうか、この人、嫌がりそうにないな。よし決めた。言ってみよう。

 

 

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 「小田さん。ジャケットなんですけど、オールヌードどうですか?」というと、「ああ、良いですね」という、予想通りの答えが返ってきました。狼狽しなかったのは僕ら二人だけで、関係者(特にベーア・笑)は全員、色めき立っていましたが、撮影はカメラマンの女性と僕と小田さんと3人で行われました(メイクは、今スパンハッピーのメイクを担当してくれている池田さんでした。池田さんは先日の再開の際「あー!久しぶり!あれですよね!ヌードの!」「はい(笑)」といった会話を小田さんと交わしていました)。

 

 いろんなポーズさせましたが、小田さんは、全く恥ずかしがらず、どこも隠さずにどんどん動くので、胸や尻どころではなく、移動中に局部も肛門もチラ見ましたが、全くエロティークではなく、むしろトライヴァルでした。それよりも、この段階で、僕がタトゥーカルチャーとコミットしておけば、と悔やんでいます。ヘナタトゥー(刺青ではなく、植物色素で肌に描く、非常に細かい文様。一週間ぐらいでで消える)で顔面からつま先まで文様を入れたら、どれだけ美しく、攻撃的だったか。まあまあこれは、「来るべき最終スパンクハッピーに向けて無意識が取っておいた」としましょう。

 

 撮影を終えた小田さんは、トラットリアで結構ハイになり、バローロのかなり良い奴の赤をぐいぐい飲み、マンガリッツァ豚のローストをガンガン食べながら「いやあ、ヌード良いですね。スッキリしました」「今日、すごく楽しかった」と笑いながら言いました。「そりゃそうでしょう(笑)」と僕は答え、「この写真は、黄色か緑色に着色した上で、様々なアクセントラインを引きます。背中にはバーコードを入れます。刺青の代わりというか」「なるほど、、いいですね」。

 

  その後も何やかやと、小田さんの(というかクラシックの)能力が必要とされる現場には、積極的に来ていただきました。中でも素晴らしかったのは、菊地凛子さんの「戒厳令」の中の「the lake」の弦楽アレンジです。仕事柄、弦のアレンジャーなんて死ぬほど知ってますし、僕自身もします。しかし、調性音楽の強度というか、キーがちゃんとある楽曲で、ここまで響かせ、感動させる能力を僕は知りません。いつか小田さんにぺぺの弦楽アレンジを。と思っているまま、2014年にはDC/PRGに加入してもらいました。

 

  天に誓って、これは誹謗ではありませんが、丈青は、難しいリフというのが苦手で、その代わり、ソロには凄まじいものがあります。シミラボとのコラボを終え、ネクストは作曲作品だ、と思っていた僕は、ちょうど丈青がソイルが忙しくてもう無理かも。という時に、小田さんの加入を決めました。

 

 ジャズタッチのソロはできない代わりに、どんな難しいリフも平然と弾いてしまうスキルは予想通りで、カンタ(コーラス。サルサの用語)も出来る小田さんの広範囲に高いスキルはDC/PRGをネクストレヴェルに引き上げる機動力になりました。僕と小田さんと大儀見でカンタをトランシーに繰り返す「JUNTA/軍事政権」や、小田さんにコロ(ヴォーカル。サルサの用語)を取ってもらい、僕と大儀見がカンタに回る「移民アニメーション」は、作曲した高見一樹に無断でダビングしたものですが、達磨に目が入った形で、プレイメイトや構造1と並ぶ、DC/PRGのクラシックスになったと思います。小田さんがお気に入りの「fka」のライブアレンジも、小田さんの近現代の和声法のアダプトに寄って、グレードが何ステージも上がったと思います。

 

 最初はおぼつかなかったソロも、スクリャービンやラフマニノフやブーレーズなどの現代音楽や、民族音楽のミクスチュアという独特のスタイルとなって、ジャズ~フュージョン100%の名手、坪口とのコントラスト/シンメトリーによる音楽的効果を上げています。老練から若手まで、我々全員が見守る中で、ライブ毎に成長を遂げてゆく姿は、韓国だったら「バンドの中の妹」と呼ばれたでしょう。実際に小田さんは、お兄様が二人いる末っ子です。フロイディアンが、こんな俗流の心理学みたいな物を振り回すのはどうかと思いますが、小田さんは、年長の兄二人と父親という男性社会に、何とか入れてもらいたいが、なかなか入れてもらえないという、よくある認証要求の強い人で、それが、どエゲツない腕利きの男達の中に入る事で、昇華もあるだろうし、何せ、家族で果たせなかった事を果たすのだから、大変な力を出すだろう、ぐらいは思っていましたが、それは予想以上でした。

 

 更には僕が新宿ピットインでやっている「モダンジャズ・ディスコティーク」で、ライブタイムのブッカーをやっていたベーアが、「小西という凄い才能がいまして、ニューヨーク(かな?)の家を全部引き払って帰国したんだけど、日本でバンドが無いって居るから、このイベント用にバンド組めって行ったんですよ~」と、あの声と口調で言うので、「へーそうなんだ」とつれない感じで言っていたのが、クラックラックスです。

 

ここから先は、どなたもご存知でしょう。2016年の夏のある日、喫茶店で小田さんと話していたら「今度、なんか有名なバンドにサポートで入れと言われたんですけど、大丈夫ですかね?」というので、「なんていうバンドですか?」と聞くと、「セロっていうんですが」「うわーそれはとても有名なバンドです。良い経験になると思いますよ。絶対にやったほうが良い」と進言しました。また別の日には「CMの音楽をやらないかという話が来たんですが、どうしたら良いでしょうか?」「会社はどこですか?」「グランドファンクっていうんですが」「(笑)僕が若い頃、CMの仕事でお世話になった会社です。社長から社員まで、全員僕を知ってますよ」「へえ、そうなんですね。。。。」

 

 気がつけば小田さんが、僕も知らないような多くのバンド(特に、三枝さんとのクラシカルな仕事ぶりは、ジャンル的に本業だから、とはいえ、とても素晴らしいと思います)から引っ張りだこになっている状況は、「言ったとおりになったでしょう」としか言いようがありません。しかし僕にとってこの台詞は、日常的なものなので、特に嬉しいとかではなく、また一つ、やっぱそうなったな。と思ったのみです。

 

 僕は、インパルスレーベルに送り込んだ無名時代のシミラボですら自分がフックアップしたとは思っていません。しかし、小田さんとの約束はもう充分果たような、まだ全然足りないような不思議な気分でした。

 

 

 ダメ押し、今、言ってしまうのは早すぎるかもしれませんが、僕は、冨永くんの「素敵なダイナマイトスキャンダル」の音楽を担当する際に、当初、オーケストレーショナーとしての裏方であった小田さんを、僕と連名の、共同音楽監督に昇格させました。

 

 

 一緒にスタジオに入っている間に「とてもじゃないが、小田さんにこの仕事の裏方に位置させておくわけにはいかない」と思ったからです。この映画の主題歌である「山の音」は、尾野真知子さんと末井昭さんのデュエットですが、デモテープは言うまでもなく、僕と小田さんによるものです。その時ですら、もう臨界だったのにも関わらず、それでも僕は「小田さんとスパンクハッピー」とは、全く思っていませんでした。

 

 だいたい直感だけで動き、その直感が数年後にはほぼほぼ現実になる。という僕のようなタイプにとって、「いやあ、予想もつかなかった。こんな事になるとは」という現象は、最も啓示的で輝かしいことです。

 

 小田さんと一緒にスパンクハッピーを再開する事になったのは、その、数少ない一例です。僕を博徒ではなく、策士だとでも思い込んでいる、頭もセンスも悪い、勉強不足の癖にもの申したい人々は、クラックラックスを聴き、セロを聴くことで、僕が小田さんをヴォーカリストとしてチョイスしたぐらいに思い込みたがりますが、一言、冗談言うなら、少しは笑わせていただけないとあなた(笑)。その為にも歴史の勉強をしましょう。これこの通り。

 

 

 肝心要の、「最終スパンクハッピーが結成されるまで」については、これから結構な数が予想される、二人のインタビューに譲ります。その際、ボスとODが本当のことを言うかどうかは保証できませんが(笑)、ここに書いたことは天地神明に誓って全て本当です。「完全に終わって11年も経ったことが再び始めさせる力」の意味、そして何より、小田さんの、無尽蔵の才能と魅力について、ここでは事実の1000分の1しか書いてありません。

 

 

 

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 三期スパンクスが、セリーとして「三期」と区分されるしかないのは、致し方ない事実です。しかし、今思うに、一期と二期はテストランだったとしか思えません。自分が後何年生きるかわかりませんが、このままは4万年なら余裕でミニマル。小田さんが僕の、最初にして最後の、完璧なパートナー(しかも、歳の差は23歳と、過去最大)である事は、歴史の証明力に一任します。と、ここまでお読みになって頂いても尚、小田さんが僕にとって、いかに特別な存在であるかが伝わったか、心許ありません。まあ、まだ1曲しか発表してないし、3曲しか歌ってないしね(笑)。

 

 「最終スパンクハッピー」というのは、諧謔ではありません。もう既に、スパンクハッピーは死んでいたのかもしれない。僕は、小田さんというパートナーを得て、まったく新しいバンドを作っただけなのかもしれません。小田さんが狩ったものは、最初、動けない息苦しい未熟なシャーマンたる自分の半身だった。今回、小田さんが狩った獲物がなんなのか?もう説明は野暮というものでしょう。

 

 

 どこまで言葉を紡いだ所で、ヤカラは「こんなん菊地の着せ替え人形の一人でしょ」「3人目でしょ。単に」「自分でフックアップして、熟れたら刈り取るだけでしょ」と思うでしょうし、更に悪いヤカラがこの世にいない、などという牧場の歌を奏でるほど、BOSSODはアウトドアではありません。ヤカラはヤカラらしく、愛と音楽の機関銃で皆殺しにするのでどうぞお楽しみに(笑)。

 

 

 「スパンクハッピー」という言葉は、意訳すれば、殺されて幸せ。という意味です。我々が、愛や病を、青春や幼児退行を、調性とモードを、ダンスとセックスを、モードとモードを、どう扱うかは、我々自身にすら、全貌は解っていません。冒険は始まったばかりです。

 

 

 ひとつだけはっきりしている事は、クラックラックスやセロで歌ったりコーラスしたり、DC/PRGsong-xxでキーボードを弾いたり、コマーシャルやテレビの音楽を作ったりしている、器用で多忙な、小田朋美さんという希有な才媛と、最終スパンクハッピーが擁するODは、業務上のキャラとか、大人の事情(契約問題だとか)とか、単なる遊びとかではなく、真の意味で別人なのだ。という事です(因に、ですが、レディガガも芸大作曲科です。本名はステファニー・ジョアン・アンジェリーナ・ジャーマノッタですけどね)。

 

 

 そして小田さんの「解放してくれ」という、実のところまだ尽きてはいないメッセージは、「シャーマン狩り」から5年間、フックアッパーとして、プロデューサーとして、仲間として引き受け続けてきたし、今後もそうするつもりです。ODというキャラクターは、とても楽しい奴だけど、遊びじゃないです。ペルソナは、秘匿の為の道具ではない。ペルソナは、自分を解放する為の仮面なのです。

 

 僕は、フックアップする態で、小田さんの才能(と、女性性)が、ゆっくりとお花でも咲くようだベイビー。解放される事を楽しんでいただけかもしれません。パンクマルコメくんはすっかりクールでセクシーで、エレガントで、ちょっとクレージーなレディになりましたが、こういうご時世、道は茨であることは目に見えています(考えて見るに、第二期まではSNSすらなかったのです)。二期スパンクスのしがみつきが、小田さんを手軽な安パイだと思ったり、ODがインスタグラムで水着になったりしているのを、様々な意味で耐え難いとまで思っておられる純情可憐、あるいはモードについて免疫も知識もない皆様からのクレームは24時間、我々2人が責任を持って受け付けます。新しいバンドをこしらえるのに、防御の事まで考えなければ行けない、クソのような世の中に、敢えて我々は、武装して立ち上がる事にしました。

 

 

 初動の拒絶反応やアンチの吐く唾を恐れていたら、僕の人生はありませんでした。というか、恐らく、そうされたいのでしょう。僕は亡くなった母親(産みの方)と、吐瀉物や血液や、顔面の切片を雑巾で拭いて育ちました。その時間だけが、母親との交情の時間だったのです。小田朋美さんの人生は恐らく大分違ったでしょう。産まれたばかりのODの人生は、想像すら着きません。パートナーシップがどこに転がっているか、運命を読める人は発狂するしか無いでしょう。総ての脇を固めて生きる人々の、増殖と硬化を許す世界に対し、三期スパンクハッピーは、一期スパンクハッピーとして、或はまったく別のバンドとして初めて立ち上がった。と言えるでしょう。ビューティーを世界に。じゃあ続きは頼んだぜOD

 

 

 

 

 

<続きまして小田朋美>

 

 

 皆さん、こんにちは!今日はスパンクハッピーについて書いちゃうじゃないスか~!とすっかりOD口調が定着していますが、今日は小田朋美としてスパンクハッピーに関して(菊地さんと同じく、おそらく最初で最後の)真面目な文章を書かせていただきたいと思います。

 と宣言したはいいものの、ネットに長文を書くのは凄く久しぶりなので、うまく書ける自信も無く、所信表明を書くと決めてから固まったまま一週間ほど経過してしまっている私ですが、私にとって特別なユニットである<最終SPANK HAPPY>に対しての思いが皆さんに少しでもお伝えできればいいなと思っています。

 

 

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 菊地さんとの出会いの経緯は、菊地さんがたっぷりと書いてくださったこともあり、詳述は譲らせていただきますが、まず、私が菊地さんと初めて本格的に音楽活動をさせていただいたプロジェクトであるDC/PRG(加入当時はdCprG)、そして『シャーマン狩り』の共同プロデュースについて少々(既にちょっと、ODっぽいですかね・笑)。

 

 DC/PRG(当時のdCprG)に加入したことは、当時の私にとって大きな革命でした。歳の離れたふたりの兄の下に末っ子の妹として生まれた私は、誕生時から年上の男性コミュニティの中に新参者として現れたという宿命のせいか、年上の男性に仲間として認められたいという欲望が強いように思うのですが、そんな私の欲望を知ってか知らずか(ご存知なかったと思いますし、ご存知だったとしてもそれが理由とは思いませんが)、菊地さんは私をDC/PRGの仲間に加えてくださいました。私は大先輩である素晴らしい音楽家の皆さんに囲まれ、自分の知らない音楽言語や価値観のなかに飛び込むこととなり、音楽的収穫はもちろんのこと、再び新参者の妹として新しく生まれたような気持ちでした。

 

 

 同時期に起こったもうひとつの革命はファーストアルバム『シャーマン狩り』です。制作当時、私にとって強く印象的だったことがひとつあるのですが、それは、菊地さんが提案してくださった数パターンのタイトル案のなかに「ファロス願望」という言葉があったことです。当時の私はファロスという言葉さえ知らず、急いでググるような案配でしたが、意味が分かったところで、私にファロス願望なんてあるかなあ…言われてみればそんなこともあるような気もするなあ…と、ピンと来ていませんでした。でも、なんだか見透かされてる感じがして悔しいなあ、、、、と、ちょっと妹らしい(?)反抗心みたいなものを滲ませつつも、音楽性だけでなく私の人間性まで理解してくださったうえでアルバム作りに関わってくださる菊地さんに大きな信頼を寄せていました。 

 

 私はずっと、自分の知らない景色を見たい、遠くへ行きたい、旅をしたいと思いながら音楽を続けてきましたが、それは、誰よりも自分を縛ってしまう自分自身から解放されたいという願望から来ていると思います。と、同時に、縛られることでこそ得られる自由もあるのは当然で、縛りがなければ言語も扱えないし、音楽も成り立ちません。ごく当たり前なことですが、拘束と解放、突き詰めれば生と死、という矛盾の塔を螺旋階段のように登って昇華させていくことが、表現することだと私は思っています。

 

 『シャーマン狩り』で、私はその螺旋階段をひとつ登ることが出来ました。自分のオリジナル曲にはどれも自信と愛着を持っていたものの、同時に解放しきれない、軽やかになれない自分も感じていたのですが、そこに菊地さんが出してくださったアイディアが加わったことにより、私はひとつの解放を得ることが出来たのです。それは音楽面はもちろんのこと、タイトル案やアートディレクションに於いてもです。フルヌードという過激なジャケット案に対して抵抗が無かったのは、私が脱いでもエロくならないという自負があったこともありますが(笑)、何より、フルヌードという表現が性的なイメージを超えた《解放》の具現化であると思ったし、それは菊地さんの意図でもあると確信したからです。

 

 そして、その『シャーマン狩り』制作時に、私は初めて<スパンクハッピー>という名前と出会います。菊地さんがアルバムの新たなコンテンツとしてカバー曲を提案してくださることになり、洋楽含めた十数曲が候補に挙がっていましたが、その時やりたいと直感的にピンと来たのは、スパンクスの「Angelic」(と、小池玉緒さんの「鏡の中の十月」)でした。ちなみに、曲を聴いた最初の感想は、「あ、アーバンギャルドみたいな男女ユニットだ!」ということと、とても素敵で魅力的な曲だ、ということでした。おふたりのヴォーカルはもちろんのこと、間奏で突然転調したりするトラックも、退屈そうなのにキラキラしている歌詞もすごく魅惑的で、私はその時すでにスパンクスの魅力に惹かれていました。もちろん、まさか自分が後にスパンクスの一員になるなんて思いもせずに。

 

 

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 『シャーマン狩り』の後も、菊地さんは私をことあるごとに現場を下さり、私の知らない鮮やかな景色を見せてくださいました。「音楽の父・バッハ、音楽の母・ヘンデル」なんていうキャッチフレーズがありますが、私の今までの音楽活動(学生時代を除く実践的音楽活動)に於ける両親がいるとするならば、母は二代目高橋竹山さんです。竹山さんは津軽三味線奏者の草分け的存在である高橋竹山さんの二代目であり、女性から見てもかっこいい女性です。6年前から私をステージで使い続けてくださり、全国津々浦々に連れてってくださっており、誰より私を演奏家として鍛えてくださっている方です。

 

 そして父は菊地さんです。有り難いことに、CRCK/LCKSceroのサポート、映像音楽等々、私は現在様々な場所で音楽活動をさせていただいていますが、いまの私があるのは、ペーペーのくせして生意気で目つきの悪い少女だった私を、実践の現場で育ててくださったおふたりのおかげです。

 

 

 

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 スパンクハッピーを一緒にやりませんか?と菊地さんが持ちかけてくださったのは、今年の初めのことです。菊地さんのアイディアは私にとっていつでも新鮮で魅力的なものであり、一見突飛な考えに思えるこのお話も、驚きはしたものの、不思議と抵抗はありませんでした。ただ、ハラミドリさん、岩澤瞳さんという強烈にして非常に魅力的な女性ヴォーカルの後釜という重責に対して、全く不安がなかったと言えば嘘になります。ですが、考えてみれば、いつだって人は誰しも誰かの後釜なわけですし、スパンクスの音楽性が第一期、第二期、と全く異なるものであり、最終である第三期も全く新しいイメージでデビューするのだという菊地さんのご説明があったこと、そして何より、これまで菊地さんにフックアップしていただく流れで引き受けていた仕事とは趣を異にし、とうとう、対等な立場、ユニットという形態でガッツリ組ませていただくことにより、とても面白いものができる、豊かな景色が作れる、という確信のもと、快諾させて頂きました。ついつい丁寧に書いてしまっていますが、正直、とにかく物凄く嬉しかったです(いろいろな意味で)。

 

 

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 改めて言うのも野暮なことですが、<OD>は菊地さんから与えられた、ひとつのペルソナ/キャラクターです。#me tooが叫ばれるこのご時世、図式的に女性が年上の男性に操られているように映るのは、もしかしたら人によってはマイナスなイメージを持たれるかもしれません(もちろん、言うまでもないことですが、私が菊地さんに強制させられているようなことは何一つとしてありません。恐らく菊地さんは、男女問わず、こうして仲間の力を引き出していると思います)。ですが、私達が未だかつて何かに操られ、何かを演じてこなかったことなんてありません。物心ついて社会との関わりを持ち始めた頃から、子供を演じ、女を演じ、男を演じ、友達を演じ、学生を演じ、恋人を演じ、仕事人を演じ…と何でもいいけれど、私達は何かに操られ、演じながら、縛られながら、自由を求めて生きている、、、、、なんてよく聞くようなフレーズを私が今さら言うことでもないでしょう。私は知らない間に、小田朋美を演じ、小田朋美に閉じ込められてきたと思います。菊地さんが「ラストコーション」という映画を論じたとき「いかなる愛も、それが愛である限り、演技である」というコピーに感心していました。菊地さんがフットワーク軽く、魔法をひょいひょいかける秘密の手帳みたいな物がフロイトだとしたら、きっと菊地さんは種も仕掛けも解答も、その手帳に書いてあるのを知っての上で、更にその先にある状態を見据えて賭博師みいたいに生きていると思います。

 

 私は高校時代、作家・遠藤周作が<狐狸庵先生>というペンネームで書いていた、彼のシリアスな作品群とは対極をなす、軽妙なエッセイがすごく好きで、それ以来私はずっとペンネーム/ペルソナに憧れていました。遠藤周作に於ける<狐狸庵先生>は、彼にとって息抜きの遊び等ではなく、彼を解放させ、彼の創作活動を活性化させる重要な役割を担っていたと思います。<OD>は、私にとって憧れの<狐狸庵先生>であり、私を熟知している菊地さんが私に与えてくださったひとつの発明であり、解放の道具であり、そしてその道具によって私は改めて自分と向き合い、自分を再獲得することが出来ると信じています。

 

 

 

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 私は、自分が携わるあらゆる音楽に対して、その時持てる力を全て込めて接していますが、BOSSODから成る<最終スパンクハッピー>は、私にとって、自分自身を再発見し解放する最も重要なプロジェクトであり(それはキャラクター面だけでなく音楽面に於いても)、その意味に於いて、私が小田朋美として活動しているどの活動とも別次元にある、特別なユニットです。スパンクハッピーの音楽的収穫は、巡り巡って、小田朋美に返って来ると思っています。

 

 こんなに長い間お世話になりまくっておきながら(お世話になりまくっているからこそかもしれませんが)、どうしても照れがあって、公の場で感謝を述べることはあまり無かったのですが、この場を借りて改めて、私の音楽的兄であり、父であり、そしてこの度パートナーとなった菊地さんに最大の尊敬と感謝を捧げます。そして、その尊敬と感謝、そして何よりの信頼を燃料に、<最終スパンクハッピー>という船を漕ぎ出せることを、心から楽しみにしております。ってボス〜。自分、文章苦手なのに一生懸命書きましたけど、こんな感じで大丈夫スか〜?早く可愛い衣装で歌ったり踊ったり、パン工場に行ったりしたいデス!!!

 

 

BOSS)オーケーOD,久しぶりの長文で、ちょっと緊張してたみたいだが、なんのなんの。よく頑張った。パン工場に連れてってやろう。佐世保かプラハあたりのな。それでは諸君、我々のクソ長い無駄話はこれで終わりだ。我々に最初にロング・インタビューをオファーしてきた奇特なリアルサウンドのインタビューページはコチラ、我々オフィシャルインスタグラムはコチラ、twitterの公式アカウントはコチラだ。ご存知の通り、かっぱらいや泥棒やパチもんが横行するヤバい世界だ。必ずオフィシャルチェックしてみてくれ。最終スパンクハッピーを消費しつくしてくれ給え。ではアディダス!まちがえたアディオス!!

 

2018年

4月

13日

ペンギン音楽大学 新規生徒募集のお知らせ

菊地成孔です。長らく新入生(正規入学、短期ワークショップ共に)の募集を行わなかった、ワタシの私塾「ペンギン音楽大学」ですが、以下の3つのクラスを4年ぶりに生徒募集いたしますので、応募される方は

pendai1804@gmail.com

まで、タイトル「ペン大入学希望」として、メールをお送りください。詳細に書いた要綱をお送りいたします。(稀に、こちらから送信した要綱が、迷惑メールに振り分けられることがありますので、メールをいただいた後は、迷惑メールもチェックしてください。基本的には、入学希望メールを頂戴してから、要綱の送信は数日以内には必ずお送りいたします)

<ペンギン音楽大学2018年度新規募集>

すべてのクラス、曜日内でのスケジュール変更、
入学時、手続料、初回から6回分(←これは入学金ではなく、最初の6回分の前払いです、以後、授業ごとのお支払いと成ります)を支払うことを了承いただける方

 

「モダン・ポリリズム」

(既存のクラスに、下記カリキュラムの間のみ合流=非正規入学)

 金曜20-22時(定員20名)

 講師菊地成孔が、自他の作品を分析、作曲するために編んだ「モダン・ポリリズム」のオリジナル・メソッドを、ワークショップ形式で直接指導します。

 

「理論初等科ゼロからクラス」(新入生として正規入学)
  
 クラシック音楽の楽理ではない、ポップス/ジャズ発の音楽理論を講師菊地成孔がまとめたオリジナル・メソッドを、完全初心者向けのクラスとして開講します(楽譜が読めなくても受講できます)

 土曜17-19時(定員30名)

 

「BBLS(ビーバップ・ロー・スクール)ワークショップ」
(既存のクラスに合流=非正規入学)

 濱瀬元彦先生の「チャーリー・パーカーの技法」を下敷きに作成した、ペン大オリジナルのビーバップ用エチュードを基に、理論理解と実践をワークショプ形式で行います。主任講師である菊地の他に、サブ講師がつきます。
 *入学テストあり、何らかの楽器が弾けること

 日曜19-21時(定員なし)

 

2017年

5月

20日

ライブ3週に4回連続(DC/PRG/HOLIDAY2/菊地成孔DUBSEPTET/JAZZ DOMMUNISTERS)

 

 どうもどうも。ご機嫌いかがですか?(株)ビュロー菊地ならびにTABOO LABEL代表の菊地成孔でございます。なかなか夏になりきれないですよね。梅雨に至っては引退したかの様です。地球も変わって行きますね。大人になりきれないですね。あなたもワタシも地球も。 


 とまあ、そんな、無理矢理なまでにエコロジカル風な出だしになったも故無き話ではありませんで、私、少なくともこの15年間、つまり、少なくとも40代に入ってからは記録となります。3週間に4回連続でそれぞれ別ユニットのライブを行います。保つかなあ体(笑)。 


 ご贔屓筋の皆様に於かれましては、左はラジオ主体のゼロ円ファンの方から、右は可処分所得を全部突っ込んで下さる過激派の皆様まで、幅広くいらっしゃるとは思いますが、やっぱりそうですね、理性的に考えて、全部来るべきでしょうね。全部来るのが良いと思います。はい(笑)。 


 以下、各ライブ、その当該アーティストについて私の筆で直接ご紹介させて頂きますが、比較的重要(ひとバンドは解散します)な情報もありますので、短文時代の長文遺憾ながら、刮目してお読み頂けると幸甚の至りに御座いまする。かたじけない。 


 

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<第一ライブ 5/25()DC/PRG/WA/R/2 渋谷WWW


  詳細はコチラ 


 田中教順の脱退(アリガスは、リザーバーとして在籍しています)を受け、オーディションによって、驚異の新人、秋元&近藤を得る事で、バンドのコンディションが更に5倍ぐらい良くなっている、結成20年目に向かわんとするバンド(今や、類家心平くんはおろか、小田朋美くんまでが姉さんですからね・汗・菊地/大儀見/坪口/津上は元老院入りです)としましては、当の本人がキモチ悪いぐらい老化しない、dCprG改め「DC/PRG」ですが、何とメンバーリニューアルライブの二回目にして、千住宗臣がスケジュールアウトで不参加。代打を、ユーミンやももクロ、スキマスイッチ等でお馴染みの完全無欠のオーヴァーグラウンダー、村石雅行が務めます(彼を知っている方で我々を知っている方は100%全員驚くと思うんですが、旧友なんですよね)。


 もう、ぶっちゃけ言っちゃいますけど、先日ドワンゴさんで生中継されたライブとコンテンツ全く一緒です。一緒ですが、村石×秋元ですよ(断言しますが、秋元はあと数年で「石若駿の時代」を終わらせると思います。これは石若にとっても良い事です)。そそそそそれに、フロントアクトとして、急遽オーニソロジーの出演が決まりました(メンツは前日のHOLIDAY 1と同じ。辻村くんのバックはDC/PRGの秋元&近藤と、東京ザヴィヌルバッハ、菊地成孔ソロの宮嶋くんです)来ないとおかしいっしょ。オレだったら行く。因にウチラは今年夏フェスありません!(笑)つうか年間この日以外はあと2回しかやらねえし!!(泣・1回は東名阪ですらない) 

 


<第二ライブ  5/31() HOLIDAY 2  LADYS PAY DAY(市川愛、ものんくる、けものwith菊地成孔) 代官山UNIT


 *詳細はコチラ   


 お陰さまで満員御礼、御高評のうちに幕を閉じました「TABOO LABEL PRESENTS  HOLIDAY 1 GENTLEMANS PAY DAY」ですが、早速第二回をば。初回が男性ヴォーカルばかりでしたので、二回目は女性ヴォーカルばかりでお送り致します。LADYS PAY DAYというのは、30年代のアメリカだと、ちょっと言えない様な意味になっちゃうんですけどね。 


 市川愛さんは、長らくジャズヴォーカリスト「Ai ichikawa AKA 市川愛」として、またJAZZDOMMUNISTERSのアンノウン・フィメール・ラッパー「I.C.I」として活動されて来ましたが、今年からスッキリと「市川愛」名義で、シティ・ポップ/AOR/フォーク系の日本語ヴォーカリストとして活動を開始するに際し、TABOOとサインしました。既にこのセットでの活動は始まっていますが、HOLIDAYのステージに上がって頂きます。 


 続きまして、既に重鎮の風格さえ漂う「ものんくる」ですが、こちらも最新アルバム完成直前(もう、ジャケ写撮り始めてます)で、アコースティック9重奏団を止め、スティーリー・ダン・スタイル(メンバー2人と、腕利きのプレイヤーの集結)で制作されたこちらも、ハッキリ言って赤ちゃんにパンパースないんですけど(ハンパない。という事だよ。「パねえ」が嫌いなんだよ。)、ライブもクッソやばいです。


 そして実質上のフロントライナーとなります、こちらも セカンドアルバム完成直前の(マジ直前。あとはTDとマスタリングを残すのみ)、「けもの」ですが、アルバムの音楽性は「オルタナAOR」もしくは、以外とありそうでなかった同語反復「オルタナニューウエーヴ」(「オルタナ/ニューウエーヴ」じゃないよ。すげえ微妙な話だけど)。に突き抜けていて必聴!なのですが、今回のライブは、正式リリパ前のリリパ前夜祭、という事で、プロデューサーである私が、ほぼほぼ全曲参加し(アルバムでは3曲デュエットしてるからね。サックスも4曲ぐらい吹いてるし)、「けものwith菊地成孔」というスペシャルユニットとして参加します!まあ聴いたらヤラれるよアルバムもライブも。 


 情報にあります通り、この日は安価で3バンドご提供するショーケース・イベントでもありますので、お気軽にお越し下さい。お気軽にお越し頂いて、ヤラれ果てると思いますが(笑)。 


<第三ライブ  6/3()&4() 菊地成孔DUBSEPTET モーションブルー横浜>


*詳細はコチラ   


 もう、どんどんライブが減り続けているDUBSEPTET初の2DAYS、という事ですが、突然ですが、この2DAYSをもって無期限の活動休止に入ります。


 理由は例によって喧嘩とか駒野の取り合い、とかではなく、余りにもメンバー全員が多忙になり、スケジュール&マネージがほぼほぼ壊滅状態に成って来たので、所謂「余儀なくされた」系の活動休止でありまして、そもそもペペとDCPRG(当時)の大人数によるスケジュール&マネージの難航という問題をクリアすべく結成された、スモールコンボ「ダブ・セクステット」が、最初にスケジュール&マネージのブレイクダウンを起こし、そのまま引き継ぎバンドであるDUBSEPTETがとうとう活動休止に至ったのは皮肉としかいいようがありません。やっぱねえ、ジャズメンは働き過ぎよ!あとオレがアゲチンすぎ!!(←スンマセン、活動休止の悲しさのあまり調子に乗りました) 


 という訳で、閉店商売ではありませんが、この2DAYSは、4ステージ総て同じセットリストではなく、2ステージ1セットの2デイズの恰好で、総てのレパートリーを出し尽くす恰好で有終の美を飾りたいと思いますので是非お越し下さい。因に、「私がサキソフォン奏者オンリーで参加するジャズのバンド」は、暇だが腕利きの若手を集めて再結成します(どうせすぐ全員が売れっ子になって、同じことになる。これを防ぐ為に終身雇用制の、奴隷商人の様な悪徳な契約を結ぶしか無い)。  


 

 <第四ライブ  6/11() JAZZDOMMUNISTERS ft aka GAMI/OMSB/BIM/I.C.I  代官山UNIT


*詳細はコチラ 


 と、こう、実のところ、我がレーベルの実力と水準をシュプレヒコールする4週とも言えるんですが、最終コーナー、4番目の悪魔として、JAZZDOMMUNISTERSが登場します。しかも漢aka GAMIOMSB(SIMI LAB)、BIMTHE OTOGIBANASHIS)、I.C.Iという、いろんな意味で恐ろしい人々ばかりを連れて。 


 先ほど、けものも、ものんくるも、最新アルバムが完成間際。と申し上げましたが、要するに昨年末からTABOO LABELは「ガンダム2」「けもの2」「ものんくる3」の同時制作を行って参りまして、何とかギリギリでリリースタイミングを守りつつ、ハイクオリティを確保出来たのですが、一番遅れて制作に着手し(つうか製作期間4週間)、全員を追い越して最初にアルバムを完成させてしまった、永遠のグロテスク、JAZZDOMMUNISTERSですが、アルバムどうしようもないよ凄過ぎて(笑)。 


 タイトルは「Cupid & Bataille, Dirty Microphone(キューピッド&バタイユ、ダーティー・マイクロフォン)」と言いまして6/7にリリースします(発売まで一ヶ月切ってる!店頭展開用のアー写もMVも何もない!でも平然とリリース!要らねえよそんなもん!!)。上記4名のft陣にプラスして、女優の菊地凛子さんが、rinbjo名義ではなく、ご本人として1曲参加しています)。


 でも、さすがのノープロモーションはおっかないので(笑)先ずは6/4オンエアの粋な夜電波で、アルバム全曲試聴会を行います。これで値踏みして、買ったりライブに来たりしてくれ!今日すでに3回目のテンドンなんで胃ももたれているだろうが、聴いたら驚くぞ!(笑)、どう驚くかって?ぜんぜん説明出来ない(笑)。


 そして、この日が正式のリリパだという(笑)オレたちは女性ヴォーカルが居るバンドの前衛を守るブッコミか!(笑)。

 

 まあ、こういう事は全作のプロデューサーであり、レーベル代表者が絶対に言ってはいけない事なんだけれども、一番ヤバいのはドミュニスターズです。もう比べ物に成んない。ドープ&ポップ過ぎて。


 ではお待ちしてまーす。ネットだけで生きてると次の戦争まで保たないぞ!薄々オマエラにもそれは解っている筈だ!!助けてやるから現場まで来やがれヘッヘー!! 


 

 

 

2017年

4月

08日

菊地成孔主宰による私塾<ペンギン音楽大学>より「サックス科初頭」募集のお知らせ。

 

このたび、ジャズミュージシャンの菊地成孔が主宰する、夜学/無試験の音楽私塾「ペンギン音楽大学」で、8年ぶりに「サックス科初頭」の生徒を公募する事が決定しました。

 

 

 

楽器も持っていない完全なビギナーから、辛うじて楽器を持っているだけで何も出来ない程度のビギナーまで、限定20人で募集致します。

 

 

 

要項を希望される方はタイトルを「ペン大/サックス要項希望」とし、コチラまでメールを送信下さい。開始は5月より。目指せBlue Giant()

 

2017年

4月

07日

<菊地成孔主宰/ペンギン音楽大学「ビーバップ・ロー・スクール(ビバッパー養成クラス)」外部入学者募集のお知らせ>

 

 菊地成孔が経営/講師を務める「ペンギン音楽大学」では、チャーリー・パーカー分析から始まる、ビバッパーの短期養成クラスを開講します。

 

 

 

 「アドリブは取れなくもないけれども、ジャズのボキャブラリーが無い」という人々に、1年間でビーバップのボキャブラリーをインストールし、アドリブ奏者として完全にリフォームします。開始は5月からで、入試があります。楽器の演奏者のみが対象で、楽器はトランペット、あらゆるサキソフォン、トロンボーン、ギター、ピアノに限ります。

 

 

 

 入学要項をお求めお方はコチラまで、メールのタイトルを「ペン大要項希望」として送信ください。

 

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2017年

3月

05日

「菊地成孔とペペトルメント・アスカラール」 Tour 2017 “凝視と愛撫の旅団 brigada mirada y caricia”ブルーノート東京公演2DAYS(3月5/6日)のお知らせ

 

 

 

 菊地成孔です。久しぶりで公演の煽りに出て参りました。ワタシ本人が煽りに馳せ参じるというのは、つまり券売が苦戦しているという苦笑ごとですが(苦笑)、とまれ苦戦は月曜(二日目/3月6日)のファーストセットだけです。月曜の6時半からブルーノートって、開場5時半って事でしょう、一体誰がくるんだよ!!(苦笑)という話ですが、業界の慣わしですので仕方ありません(日曜は両セットともほぼほぼフルハウスですが、まだ残席はあります)。月曜の夕方からお暇だという方は是非お越し下さい。ドレスコード等はありません。

 先日、名古屋、大阪(初)と地方公演を行って参りました我々ペペトルメント・アスカラールですが、オルケスタのコンンディションは結成13年目にして最高の状態にあります。弦楽も正規楽団員として取り戻し、初の大阪公演では2セットとも満員札止め&スタンディングオベーションを頂戴するという僥倖に預りまして、まあ初めてアレを目の前で見たら驚くわな。と思う訳ですが、東京ではこないだ銀座でやったばっかり(笑)、以下、煽りの手法としては些か下品ですが、当楽団の公演は、この機を逃すと、2017年は年間を通して、あと二回しかありません。季節は、秋と年末です。今のうちに是非、御経験ください。

 恒例のソムリエとのコラボ企画ですが、以下の様になっております。ワタシのチョイスによる葡萄酒の赤を、高価格帯(フランス/ボルドー)を初日と二日目で入れ替え、低価格帯(アルゼンチン/サルタ)は2日とも同じにします。あの楽団には葡萄酒の赤かカクテルしか無いですね。やはり。葡萄酒マニアの方にはどういう意図かは、自ずとご理解頂けるでしょう。葡萄酒ビギナーの方も、試しにボルドーの実力を経験されてみては?(「ラストタンゴ・イン・パリ」のガトー・バルビエリ追悼も含意し、ガブガブ飲みたい方にはアルゼンチンをお勧めします)。

<ボルドー赤(高価格帯)>

初日(日曜)


シャトー・フェリエール09 グラス¥3800/ボトル¥22000

二日目(月曜)

シャトー・グランピュイ・ラコスト グラス¥3500/ボトル¥20000

<サルタ(低価格帯)>

エステート・マルベック ボデガ・コロメ  グラス¥1400/ボトル¥6500

 総て、ボトルでお求めの方にはエチケットにサインさせて頂きます。さて、カクテルですが、これはワタシがまずネーミングをし、味わいの傾向を指示した上で、バーテンダーの方に作って頂きました。すげえ旨そう!!


<カクテル>

「天使の恥部」

ティオペペ(シェリー)
マンゴー、オレンジ、苺のミックスジュース
スパークリングワイン
クエルボ1800(テキーラ)

*五十嵐バーテンダーからのコメント

ティオペペをベースにマンゴー、オレンジ、ストロベリーのミックスジュースが入ったトロピカルテイストのカクテル。フロートしたアネホテキーラで、より印象的な味わいに仕上げました。
 
 それでは、憂鬱な日曜と、憂鬱な月曜にお待ちしております。

 

 

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2017年

1月

22日

<dCprGからDC/PRGへ/新しいアメリカが牽引する。新しい世界の、新しい戦争へ>

 

 丈青の脱退から小田朋美の加入により、名称をDCPRGからdCprGに改めた我々dCprGですが、音源的には最新アルバム「フランツカフカの南アメリカft W・シェイクスピア」並びに「機動戦士ガンダム/サンダーボルトOST」にボーナストラックとして収録された「ロナルド・レーガン・アザーサイド」のみで(まだお買い上げでない方は是非どうぞ。別に金は大して入らない。1人でも多くの方々に聞いて頂きたいのです)ドラムスの田中恭順とベースのアリガスの脱退を受け、昨年のフジロックフェスティバルを前期メンバーのラストライブとし、そのまま昨年末、ベースとドラムスのオーディションを行いました。 

 

 

 

 

 

注1)  因に、その後、ベースのアリガスは、脱退時と、職場である製薬会社の事情が大きく変わり、バンドへの継続参加が可能に成ったため、脱退は取り消し、いざという時のリザーバーとしてベンチを温めています。 

 

 

 

 

 

 SNSを活用しているとはとても言えない我々ですが、アマチュアの方は言うまでもなく、名だたるプロの方までの応募があり、先ずはドラムスが、続いてベースが決定しました。オーディションの模様は、イベントとしての性質上、つまり、落選者が数多く出る、という事から、あらゆる情報は公開しませんが、新メンバーに決定した二人は双方とも私や大儀見、坪口といった古参からすれば息子と言っても良い年齢ですが、大変な逸材で、「もしオーディションに来たのが全員使えなかったら、ドラムスはFUYUに、ベースはELFの清水君に頼もう」等というイージーで楽しい夢は、楽しい夢のままに終わる事が出来ました。

 

 

 

 強気で盛ってしまっている訳ではなく、久しぶりの新メンバーの加入によって興奮している訳ではなく、既に新メンバー両名は田中、アリガスよりも高い技術と音楽性、それに加えて圧倒的な若さによる未完成も併せ持っています。ギャル樣方が「20代はもうババア」的な極論を振りかざした20世紀でしたが、音楽、とくに日本のジャズを含めたブラックミュージックの世界では、あたかも20世紀の様に「30代以上はもうフレッシュねえし」という暴論を吐きたく成ってしまうほど、リハーサルでは両名のプレイが我々をホットにさせました。

 

 

 

 来る1月24日に、新宿BLAZEにて、両名のデビューであり、更新した我々のデビューであるライブを行います。タイトルは『DC/PRG GOES TO NEW AMERICA GOES TO NEW WORLD GOES TO NEW WAR TOUR』とします。ドワンゴさんの尽力に寄って、生中継もあります。

 

 

 

 TOURと冠していますが、当面の予定は、この新宿歌舞伎町だけとさせて下さい。今年は、ペペも併せ二つのビッグバンドで楽旅に出る年にしますのでご期待ください。

 

 

 

 01年の「アイアンマウンテン報告」から微動だにせず、いつもの通り、私はアメリカが物わかり良く、ヒラリーを当選させ、グダグダするとは露とも思っていませんでした。多くの政治記者や評論家が、インターネットの使い過ぎによって動物的な感と巨視的な鳥類の視線を失い、搾取者が望む知性に向けて洗脳され、飼いならされきっているのを尻目に。

 

 

 

名前も、担当楽器も、年齢も、音楽歴も、あらゆるIDは伏せたまま、顔面だけ公開します。両名のうちのどちらかがドラムで、どちらかがベースです。世界の動乱は御存知の通りです。我々が世界に対して、何をなすべきかも、最近ラジオを聴き「菊地さんのライブに行ってみてえな~」といった牧歌的な戦闘状態にいらっしゃる方々も(大歓迎です。ただ足腰にお気をつけて)、音楽というアルターウォーを共に戦闘し、勝利しましょう。圧倒的なダンスの官能によって。彼等両名が我々を更新し、我々が彼等を更新し、我々が世界を更新し、世界が我々を行使し続けています。新宿歌舞伎町でお待ちしております。 

 

 

 

 

 

 dCprG改めDC/PRG(仮称)主幹 菊地成孔 

 

 

 

 

 

 

 

http://ch.nicovideo.jp/bureaukikuchi

 

 

 

http://taboolabel.net/dcprg.html

 

 

 

http://www.gundam.info/topic/15773

 

2016年

10月

14日

無料世界から再撤退します

 

 という訳で、今年の誕生日にアップしました「学歴詐称は、してないです(笑)」にありました通り、このテキストを最後に、無料の世界に文章を書く事から再び撤退します。

 

 「撤退」というと、<強い意志を持って完全に消える>という感じですが、変わらずライブやイベントの告知は行います。当コンテンツ「N/K blog」は、「学歴詐称」「ハピマテのCD」「デューク本郷」のみ残してしばらく掲示した後、閉じます。

告知などに関しましては、今後はフェイスブックに不定期で掲載いたします。

 

 

1)「ビュロ菊だより」*有料ブログマガジン「ビュロー菊地チャンネル」の中のブログ連載(偽インスタグラム) 

 

2)「リアルサウンド」*無料の音楽/映画批評サイトで、連載「菊地成孔の欧米休憩タイム~アルファヴェットを使わない国々の映画批評」と題して、主に日本映画と韓国映画の批評をやっています。 

 

3)ウエブ版「花椿」*資生堂さんの、伝説の冊子のウエブ版ですね。「どうしたいか解らない病の処方箋」と題して、「女性」に関するエッセイをやっています。

 

 と、しばらくこの3つのみとなります(紙媒体の連載は他にいくつかあります。また、ウエブ/紙、共に、ワンショット寄稿に関しては、前述「フェイスブック」に告知させて頂きます。また、「しばらく」というのは、他のウエブ媒体で新連載が始まるからです→年末当たりから)ので、宜しくお願い致します。

 

 以後、撤退までの流れを書きます。大して新しい話は無いですけど。

 

 

<兆候>

 

 ワタシが、「おっかしいなあ、ヤバい世の中に成って来たぞ」と直感したのは、なんだかんだで5~6年前でしょうか。きっかけはフェイスブックです。

 

 

 とうのも、友人がスマホで(というか、友人はほぼ全員スマホですが・笑)SNSをいろいろやってまして、中でもワタシの興味をひいたのは、フェイスブックでした。

 

 

 というのも、共通の知人がやってまして(これは5~6年前の話しで、「共通の知人」はたった1人だけでした。今では言うまでもなく「オレが知ってる奴の事は、全部ダチのスマホ借りれば見れる」という、情報共有の究極形に近い状態になっているのは、言うまでもありません)、我々はそれを見て、毎晩ゲラゲラ笑ってたんですね。

 

 

 この<笑いの質>が、実のところテーマの総てでして、非常に微妙で複合体的な意味を持っていました。

 

 

 ナンセンスの側面、嘲笑の側面、驚異の側面、etc,etc。そして何よりも大きかったのは、「新しい」という感覚です(今ではもう定着文化として全然新しい感なくなっちゃってますけど)。

 

 

 一時期それは、ワタシにとってのポストモダン文学であり、社会学研究であり、言語学研究であり、ニューメディア研究として、総合的なエンターテインメントの最上級として、毎日ゲラゲラ笑いながら読み、ユーチューブを越える、ワタシを熱狂させるネットコンテンツになりました。

 

 

 勿論、そいつは全然悪い奴でもダメな奴でもないです。非常に誠実で、多少の山っ気があって、ロマンチストで、友情に厚いナイスガイです。

 

 

 ただ、「お前、文章書くの?っていうか、読み書きするんか?ビッグコミック・スピリッツと仕事のメール以外」という人だったんですね。

 

 

 これが凄かった。文章のてにをは、誤字脱字といったレヴェルを遥か成層圏の臨界を見下ろして、天空高く飛び上がる、完全な日本語のパンクでした。

 

 

 今でも暗記している名フレーズが山ほどあるんですが、書くと誰だか解っちゃうんで書きませんけど、ワタシは涙を流して笑い、それを音読して腹を抱え、更に音読して床を転げまくりました。それは、啓示的と言って良いほどの斬新さがあり、音楽のパンクの時と、本当に同じでした。

 

 

 そしてワタシは、友人と(因にこの友人は文学者です)「これからさあ、こういう文章が、日本人が書く一般的な文章のアヴェレイジに成るんだろうな」「恐ろしいけど、そうしか考えられないよな」と言っては、最後に「どうしたら良いんだろう。オレたち(笑)」と、顔を見つめ合って笑いました。恐ろしい事だけど、まあ、まだ先だ。

 

 

<定着>

 

 

 しばらくしてその遊びは、あらゆる意味で水平化し、まあつまり、飽きて、ワタシはまったくしなくなりました。ただ、文学者であり、自らもSNSを盛んに(今はどうだか知りませんが)やっていた友人は、「来るべき日」の到来が、思いのほか早かった事に、どう対処して良いか解らない、といった感じで、端的に言って、余り楽しそうには見えませんでした。

 

 

 誤解なきよう、ワタシは、パロール(この際、「音楽も含む」とか言っちゃいますが)によるスラングならば、全然アリの人で、「最近の若者の言葉は乱れている。けしからん」等と言った憤懣は53年間、1度も持った事はありません(言うまでもなく、「嫌いなスラング」はスラングの中でも半分ぐらいでしたけど。それでも)。

 

 

 ですけど、やっぱりネットが凄かったのは、書き文字のスラングが生じた事ですね(これも厳密に言えば、大衆小説がスラングを作る事は、恐らく明治時代からあったでしょうから、ネットがニューメディアである側面は、ココではないんですが)。

 

 

 恐らく、ですけど、その核分裂/核融合の力量が最も高かった地域は「2ちゃんねる」だと思いますが、どんな地域にも存在する地域の特色として、嘲笑、自嘲、呪詛、といったトゥイストあるいはネガティヴな側面が強すぎて、まあ、激辛料理、癖の強い料理みたいな意味で、誰でもバクバクは喰えない。それでも局所的なクオリティは最高の、ある意味のエリートだと思いますね。2ちゃんねるは。

 

 

 フェイスブックや、先行したミクシィなんかは、(まあ、2ちゃん当社比として)平穏に、ハッピーに、平和志向、ポジティヴ志向だったのでバクバク喰えた。これがヤバくて、綺麗に良い事書こうとして、その文体がパンクなんで(笑・パンクに対する侮辱ではないですよ念のため)、もう痺れちゃった訳です。「ヤバいよ。みんな書き始めたよ。ほんの20年前は、誰も文章なんか書いてなかったのに(笑)」。

 

 

 最近、ゾンビ映画が何度目かのブームを迎えていますが、ワタシは、今回のそれには、潜在心理的にインターネット絶対関係あると思ってます。ワタシは自分のラジオ番組の最初に、ある程度の決り文句を含めた口上をシーズン(半年)ごとに入れ替えるんですが、先頃終了したばかりのシーズン11には

 

 

SNSで読み書き憶えたゾンビ共の島から、あなたを救出に参りました」

 

 

 という一節を入れてみました。陰性反応が出るか、陽性反応が出るか?陰陽入り乱れた高沸もしくは鎮静が起こるか?結果、このシーズンは、過去の全シーズン中、2~3番目に数字を穫ったシーズンになりました。

 

 

 「おめえの文章だって全然パンクじゃねえかよ高卒の癖に高尚な文章書きたがるスノッブ野郎」とか「そもそもテメエ自身が<ブログ発の文筆家>の元祖だろ?」と言われれば、答えは完全なるイエースであります。しかし、フロイドによれば、問題は質ではない。量なのね。ゾンビが1人だけで歩道橋の下で静かにしていても、ゾンビ映画としては珍品でしょう。遠慮会釈無く言いますが、ワタシはよしんばパンクだとしても、後に商品化される程度には質が高く、希少価値だったんですよ。ただそれだけです。

 

<震撼>

 

 

 一番ワタシが恐ろしい目に遭ったのは、こうした事を巡る考えの果てに、一度無料世界から出たんですよね。その時は「ゼロ円ファン」というキャッチコピーみたいなものを掲げて抜けたんですけど、やっぱそのうち、有料の方が2000人規模の、要するにファンサイトみたいに成って来たので、やっぱストリートに出よう。ということで、再び無料世界に戻った、その直後の「<セッション!>騒動」だったんですよね。

 

 

 町山さんが怖かったんじゃありません。保安官を虐めるのは超楽しかったです。「セッション!」を、震えるほどの傑作だとする人々がいっぱいいたことは、まあちょっとは恐ろしかったですけど、そんなもんは好みですからね。「好み悪いよな。斉藤工」とは思いましたけどね(笑)。

 

 

 ただ、ワタシは、ドラッグならば、としますが、高級品が好みです。脱法ハーブよりはコカインが良いですね。それに、ワタシ自身の表現だって、比べる相手によってはジャンク・レヴェルとジャッジする事も可能でしょうから、とにかくジャンキーに非はありません(というか、もう一度フロイドが出て来ますが、問題は質ではなく量なのね。コカインがパケ500円で、そこらの学生にも楽々手に入ったら、それは高級品ではないですよね)。

 

 

 怖かったのは、ワタシの所に大量に寄せられたディスり、そしてチアーのメールですら、そのほぼ総てが、ワタシの文意と全く違った読まれ方をしていた事なんです。「もうダメだ。もうオレの文章は伝わらない」という、<薄々解っていた事>を実感する。というのは物凄く恐ろしかったです。

 

 

 「そんなもん、誤読が嫌だなんて幼稚な事言ってんじゃねえ。お前だって誤読には価値があると言ってたじゃねえか」と言われれば、アブソリュートリー、イエースであります。ただ、全部読んでくれないんだもん。長いから(笑)。三度目にも成ればテンドンだとお気づきになるでしょうが、フロイドが出て来ますが、問題は質じゃなくて量なんですよね(笑)。

 

 

 「伝わらない」に加えて「読み切ってもらえない」という事です。このペア恐ろしい。凄まじい虚無感と、危機意識ですね。「やっぱダメダメ」と思いました。あんときは。この列島国家はZ-アイランドだ。やっぱ。

 

 

 ですんで、いくらワタシが学歴詐称について書こうと、ハピマテについて書こうと、デューク本郷さんこと山口雅也さんについて書こうと、総てをそれでアップセット出来るなんて、少ない毛の先ほども考えてないです。どんな文字列を、どれだけ重ねようとも、バカも祟り神も呪い虫もいつまで経ってもいなくならないんで、というか、こんなのはフロイド以前だけれども、呪ったり祟ったりする事がその人を支えている場合、呪わせてあげた方が人助けですよね。

 

 

 ですんで、今回の再撤退への幕引きのシリーズは、総ては自己満足といいましょうか、「言っとくべき事を言っとこう。まとめて」というだけです。

 

 

<再震撼>

 

 

 とまあ、ネットによる言語感覚の変容、ネットそれ自体の合法ドラッグ性、といった話も、ワタシが言い出した頃は滅多打ちされたけれども、今では既に一般的な認識であって、まあもうどうでも良いかな。と漠然と思っていたんですけど、それから幾星霜、この歳に成って、ここまで、と思うほど、メディア観について根底から揺さぶられる様な本を読んじゃったんですよね。

 

 

「誰が音楽をタダにした?」(スティーブン・ウィット著/関美和訳/早川書房(原題の逐語訳は「如何にして音楽は無料に成ったか」)

 

 

 こっれはヤバい本です。今年一番ですね、ワタシにとっては。「新刊を何度も読み返す」なんて経験は本当の久しぶりです。

 

 

 先ず、筆者が述懐するんですね。「僕らは、海賊盤世代だ」と言って始まるんですが、現在40に差し掛かろうという彼は、ナップスター以降の、海賊盤のダウンロードによって、持っているPCのメモリーをパンパンにし続け、「それが、僕らにとってのサブカルチャーだった」と言うのね。ここが凄い。

 

 

 そして、その音楽はもう「一生かかっても聴ききれないので」「どれを聴いて良いかわからない。というのが唯一の問題だった」と言う訳です。

 

 

 ところがある時、彼はふと思うのね。「この、インターネットの中で流通する海賊盤の出所は、本当に、無関係な個人の集積なんだろうか?」と。「ひょっとして、大規模で組織的なものなんじゃないのか?」と。90年代の段階で(因にコレ、サスペンス小説みたいに壮大でドラマティックなんですけど、全部実話ですよ)。

 

 

 そこでプロローグが終わるのね。そうすると、いきなり第一章が、mp3の開発者の話になるのね。jpegが後ろ盾についているmp2との熾烈な商品化戦争の歴史を、これでもかこれでもかと描いて行くの。第一には、mp3が産まれない限り、「音楽がタダ」になる未来は来ないからね。

 

 

 これに「組織的な海賊盤アップロードの集団」「70年代からトップアーティストを産み続けた天才プロデューサー」「それを負い続けるFBI(トップはベトナム系)」といったアザーラインが、パラレルにその歴史を綴り、大河の流れの様に「音楽がタダになった現在」に向けて、ひとつに成って行く訳。

 

 

 mp3の開発者なんか、アインシュタインみたいな感じですよ。最後まで彼は、違法アップロードに対して徹底的に反対なんだから。自分がライフワークとして開発した技術が、音楽産業という巨大な文化を潰してしまいかねない打撃を与える恰好に成る訳ですからね。

 

 

 脇役にジョブスまで出て来る(ここも凄く面白い)、「デジタルコンテンツの無料化」といった、誰でも知っている現在に関する局所的なドキュメントではなく、「インターネットを統一する国際法が永遠に制定されなさそうである事」「そもそも、このままで良いのか?」といった、インターネット社会論の本として、先行する「デッドヘッズに学ぶ」「FREE」「21世紀の資本論」等々よりも数百倍おもしろく精緻で、音楽家であるワタシだけでなく、読む人の誰をも揺さぶる、恐ろしい本です。「元々レコード盤なんて、音楽っていう芸能から見たら、宣伝用のオマケみたいなモンだった訳よ。フェスの売り上げは毎年4倍ずつ膨らんでる。音楽は、<レコード芸術>という20世紀文化の側面が失われ、原点に戻っただけですよ」とかいって、イージーに一刀両断させてくれないの。

 

 

<再決断>

 

 

 とまあ、そういう感じで、ワタシは「無料で文章を読ませ合う」ニューフロンティアから一旦逃走しますが、言うまでもなくエゴサによる悪評や曲解が怖い(もっと怖いのは「悪評に慣れてしまう」こと)とか、単純に金が欲しいとかいった古代の理由に依拠する行動ではありません。悪口や批判、賞賛や欲情、誤解や曲解は、インターネットどころか、カラーテレビが普及し始めた頃から50年以上ボコボコに受けてきつづけてるし、金なんてまたヒモからやり直す自信が満々にあります(笑)。

 

 

 ワタシが文筆家に成ったのは、文学によって人生というもの、人の生きる意義という物を追求しようとか、誰もが楽しめる痛快な物語を書きたいとかいった動機によるものじゃないです。ライブの告知に、チャームとしてくっつけた物が認められただけであって、つまり戦争テクノロジーが出自ではない訳よ。音声圧縮/解凍の技術だって、内部で轟音が鳴っている爆撃機に、大統領からの原爆投下命令が、なるべく正確に、明瞭に伝わる為の物だし、そもそもコンピューター自体が、弾道計算用に開発された戦争テクノロジーなのは誰でも知ってますよね。言語も文章も、殺傷能力があるのは誰でも知ってますよね。

 

 

 ワタシはそもそもの出自が褒められたもんじゃないから、せめて書く物や音楽は、生かし、潤わせて、平和という、絵に描いた餅ギリギリの理念により、生きる喜びという、うっかりするとポケットの穴から落ちてしまうものをがっちり握り直させる為にありたいです。その為に、一時退散します。誰もがいくらでも好きなだけ文章を書くことは、表現の自由なんかじゃない、表現の制限である上に、電力とリビドーの地球規模での無駄遣いですよ。それではまた。

 

2016年

7月

14日

「デューク本郷」は「山口雅也」氏です(最終回)

 

 

 今回で山口雅也氏に対する物は最終回です。次回は、「何故、無料世界から(再)撤退するか?」について書いて、総まとめとし、当サイト自体を閉じようと思います(サイト自体は、<新しい形の製品カタログ>として再開しますが<ブログ欄>は置きません→勿論、有料世界「ビュロー菊地チャンネル」では続けます)。

 

 

 とさて、以下、前回の「2分09秒までで解る事」の先に進みます。

 

 

 人格異常者の(勿論ワタシは、人格異常者に対しても精神病者に対しても神経症者に対しても、一切の偏見も陰性感情もありません。今回は、降り掛かった火の粉に、偶然人格異常者の傾向が色濃かった。というだけで、比較的精神的に健康である町山智浩さんも、比較的精神的に不健康である山口雅也さんも、同じ<オレにインネン付けて来た奴(どちらも<アメリカ在住の、拳銃持ち・笑>)という意味では変わりありません。異常者の毒気に弱い方は、そもそもの山口氏の講義も、それを分析せんとするこのブログも読まないで下さい。よほどこの件について興味がある方でない限り、読まない方がいくらか牧歌的な人生を送れるでしょう。

 

 

 ワタシの山口さんへの反論が開始されるや否や、再生回数400となんぼだった氏の「ジャズ講義」は、現在3000回を越えています。端的に言って彼は、無邪気に喜んでいる筈です(笑)。

 

 

 

 それでは悪食かつ趣味のお悪い方、かつ、可哀想な事に、毒に感染して、苦しみながらも読むのを止められない人々(SNSにハマっている人々の大半がそうなので、特に同情はしませんが・笑)、お待たせ致しました。

 

 

     <本当に「行った(おこなった)」のは誰か?>

 

 

 2分9秒からの、明らかに我々に対する、消極的挑発を含んだ台詞を書き起こしてみます。

 

 

 「日本の国立大学で<行った(おこなった)>、ジャズの講義録をまとめた本なんかは、アメリカでは全く通用しないデタラメな物で、根本的に間違ってる、訂正のしようがない物なんで」

 

 

 ここでの、一瞬の「行った(おこなった)」は、前回の最後に指摘した様に、第一には主客が(彼がやったんではないので)、第二には時制が(たった今、行った物ではなく、10年以上前に「行われた(おこなわれた)」ものなので)二重に間違っています。

 

 

 「そんなの、ちょっとした言い間違いじゃないか。アメリカが長いんだし。日本語の端っこをちょっと間違えたんでしょ」と仰る方も多いでしょう、しかし毎度お馴染みフロイドで言えば、こうした「ちょっとした言い間違い」が再重要なんです(そして氏は、「ちょいちょい帰国」していますが、これについては最後に触れます)。しかも、それが<反復>された際には、重要性は更に上がります。そして更に更に言えば、この部分以外、「日本語がおかしい」箇所は一カ所もありません。ここだけです。

 

 

 <反復>を確認しましょう。一度、24分54秒まで先に送って下さい。

 

 

 「(えー)日本の国立大学で<行った(おこなった)>。ジャズの講義録をまとめた本なんかは、(まあ)アメリカでは全く通用しないデタラメな物で、根本的に間違ってる、(まあ)訂正のしようがない物なんで」

 

   全く同じです。3つの可能性が考えられます。

 

 

1)サンプリング(彼はこの講義をPC製作しているので)

 

2)台本

 

3)即興(何度も何度も脳内で反復し、いつでも出て来る様になったクリシェ=決まり文句)

 

 (1)は否定すべきです。カッコに括った「えー」と「まあ」は、初回にはありません(まあ「初回分だけは編集した」とは言い始めるとキリがないけど)。

 

 

 となると、(2)か(3)という事になるんですが、どちらにしても、物凄い怨念です(笑)。

 

 

 論旨の強調の為や、修辞上のリズムのために、敢えて反復を使ったり、そもそも執着的な性格で、どんな事でも(セヴンのアイスコーヒーが旨いとか、「トットてれび」の満島ひかりさんは物凄すぎたとか)、その気もなく、自然に何度か反復する人はいます(「反復」に関して、俗流だとしても精神分析的に詳しくやるとキリがないのでここではこんなモンで)。

 

 

 ただ、ワタシ(じゃなくても誰でも良いんだけど)が、

 

 

 「東京の秋葉原で<おこなった>連続殺人事件なんかは、本当に恐ろしい物で」

 

 

 と約30分の中で<2度>言ったとしましょう。あなたは「単なる良い間違い」だと評価しますか?(他に、特に主客や時制の間違いは一度もしていないのに。です)

 

 

 しかし、計画性にせよ、発生性にしても、主客と時制を共に転倒するほどの興奮を伴ったこの一連の台詞は「とにかくコレだけは何度だって言ってやる。何度だって言ってやる。何度だって言ってやるからな。何度だって言ってやるんだ。現に、脳内では何年も止まらないんだ」という、殺意にも近い物を感じます。

 

 

 というか端的に殺意でしょう(「殺される」という被害妄想と対になった。いくらこの人が、伝説の暗殺者「デューク東郷(劇画「ゴルゴ13」の主人公)」のパロディである「デューク本郷」を名乗り、遠いマンハッタン(恐らくニュージャージーぐらいだけど・笑)からスコープを覗き込み、一発で我々を仕留めたつもりが、我々に銃弾はあたっていないどころか、逆に議論をふっかけてきたり、なんだかどうやら楽しそうにやっている。

 

 

 つまり「殺したのに、死んでない」訳です。

 

 

 こんな辛い事は無いと思います。世の中にはシリアルキラーという人々がいて(衝動的ではない、スロータイムのロングスパンがシリアルキラー、衝動的でクイックタイムなのは概ねスプレーキラーと言います。それこそ秋葉原事件は、<日本のスプレーキラーの代表的事件>です)、彼等は、「実際に殺しても、まだ相手が殺していないと感じるので」、何年、場合に寄っては何十年もかけて何人でも殺し続ける訳で、以下、フロイドのタームではありませんが、怨念という狼を心の中で大切に飼育して人々の生きる糧であります。

 

 

 <東京大学で行われた><東京大学で行われている(「いた」が正解)>等々、彼が少しでも正しく言い直した時、彼の呪いの狼は少しおとなしく、或は死にかけていると言えるでしょう。そして、総ての言い間違いには根拠があるとするのが、フロイディアンという、実に古くさい、実に批判も多い思想に依拠するワタシの考え方です。そして日本語で「語るに落ちる」「アホ言うもんがアホじゃ」「天に唾を吐く」「アドルフに告ぐ(手塚治虫の漫画。<ヒットラー自身がユダヤ人だった>説に、ストーリーが立脚している)」等々の表現を、フロイドは「自白」と呼んでいます。

 

 

 その上で言います。本当に、<アメリカでは全く通用しない>のは、誰なんでしょうか?本当に、<基本的に間違ってる>のは、一体、誰なんでしょう?

 

 

 それよりも何より、なぜ彼は、この言葉を吐く時、異様なまでに憤激するんでしょうか?

 

 

 

<一転して、掴みの大爆笑ハンパねえ(ちょっと悔しいぜ・笑>

 

 

 さて、ひと毒吐き終え(笑)、少し山ちゃんの口調も弾み出して参りまして

 

 

2分22秒「事始めに、アメリカ最新のジャズ研究のやり方とか、そういう根源的な事から、お話ししたいと思います」

 

 

 なんつって、何も知らない人々は大いに期待するでしょうし、何を隠そう、このワタシも、皮肉でもなんでもなく、ガチで非常にワクワクさせられました。

 

 

 人格障害者、特に自己愛性の者には多く、いわゆるカリスマがあります。地獄の様な屈辱感をバネにした、天空を舞い上がる様な万能感に、ついつい引きずり込まれてしまう。

 

 

 ワタシも、「これだよおアイラブ雅也。これが聴きたかったんだよお。オレと大谷クンへのディスりはまあ、許してやるから、これをガッツり聴かせてくれよお」と、思わず身を乗り出してしまいました。前回までに書いた、経歴詐称や、あらゆる怪しさも全部吹っ飛んで(笑)。

 

 

(*以下、読んでいる方が全員、彼の講義ヴィデオをご覧になっている前提で「○分○○秒」表示は総てカットします。「ああ、あそこね」という感じで照合して下さい>)

 

 

 するとですな、いきなし

 

 

1)ニューヨークのニックネーム BIG APPLEの話

 

2)ジャズの語源 ジャズとは何か?

 

3)歴史書の歴史=ヒストリオグラフィ 日本のジャズの歴史書の歴史

 

 とコンテンツが紹介されます。

 

 

 ヤッベー!こんなベイシックな所から、「最新の」「アメリカの」ジャズ研究の一端が開陳されるのか!!ジョン・J・フィッツジェラルドや、<一番古いのは野球のジャズボールだけど、まだわかんねえ>等々の、カビの生えた俗説を覆す、「ここ20年で大きく変わったアメリカのジャズ研究」の成果が聴けるんだな!!やったー!!

 

 

 と思って講義を聴くといきなりトーフルが出て来るんですねえ(笑)。やっぱキチガイは面白い(笑)。

 

 

 この、噎せ返らんばかりの「英語権威主義=留学権威主義」の<オレは凄いだろう感>にヤラれちゃって、グッタリしたら、もう先は観ない方が良いです、でも、なにせ面白く聴かせるからね。カリスマあるから。

 

 

 そしたらもう(笑)、期待を裏切らないどころか、期待を150%ぐらい上回る、驚異の「NHKの語学講座」のパロディが出て来ます。死ぬほど見たんだろうなあこの人、NHKの語学講座(笑)。そりゃあ出たいよなあNHK

 

 

 はっきりいって、面白さだけで言ったら、ウチラの授業よりずっと上かも知れない(内容はまあ、1000分の1だとしても)。やっぱねえ、ここでは「クッソー負けた(笑)」感ありましたよ(笑・届けてえなあ、この感想)。

 

 

 だって、「ニューヨークの語源は?」っていう問題で、ADの四択が出る訳ね。

 

 

 それで、ミスリードの恰好で、「皆さんDとお答えに成りましたよね」って言ってから、「ブッブー」っと不正解のブザー音を口で出して(ここ、すげえカワイイ・笑)正解が出るんですが、これがなんと。

 

 

 いきなり飛び出して来る五番目の(E)なのお!!!(笑)問題は四択なんですよ!!

 

 

 ちょっと面白いじゃないか!!(笑)

 

 

 と、まあまあまあ、これはご覧になったとおり「トーフルの教科書が古くさくて(92年度版)、間違った(っていうか、「ひと世代前の」)解釈を正解としている上、その問題が自体が四択だから」という前提に立ったもので、100%雅也オリジナル・ギャグとは言えませんが、それにしたって笑いました(笑)。

 

 

 そして、いよいよ

 

 

「ここ20で随分変わって来た、最新の、アメリカのジャズ研究」

 

 

 の成果を踏まえた、マサヤ先生の正解が出るんですけど、何と

 

 

「正解は、<E>のジョン・J・フィッツジェラルドです」

 

 

リピート「正解は、<E>のジョン・J・フィッツジェラルドです」

 

 

え?、、、、、

 

 

それって、、、、、、

 

 

一般的な通説じゃ?、、、、

 

 

ま、、、、まだ、ひっくり返る、、、、、ん、ですよね、、、、山口先生、、、、ユーモリストでいらっしゃるからあ、、、、あははははは、、、、、あはは、、、、、はは、、、、

 

 

ひっくり返らないの(突っ伏して涙)。

 

 

 

<さて、日本で、上手くすればご近所の本屋さんでも買う事が出来るし、少なくともAmazonでは楽勝で買う事が出来る本から一節を引用します>

 

 

 フランスのジャズマニアが書いたエッセイ集を、ワタシの友人でもある鈴木孝弥さんが翻訳した物で、原著(フランス版)が2009年、日本語版が2011年に出た物ですが、「学術書」でも「歴史書」でも「最新の研究の成果」でもありません、いかにもフランスらしい小粋なエッセイ集で、とても素敵な本なので、是非ご一読をお勧め致します。

 

 

「だけど、誰がディジーのトランペットをひん曲げたんだ?~ジャズエピソード傑作選~」ブリュノ・コストゥマル著/鈴木孝弥訳 

 

 

p32「ビッグ・アップルとアダムのりんご」

 

 

 ニュー・ヨークにつけられた、あの有名な愛称はどこから来たのだろう?人はしばしば、1929年の大恐慌で破産した金融家達が、郊外のコテージで作ったりんごをニュー・ヨークの路上で売る事を余儀なくされた話(*注1)を思い出す。

 

 あるいは、30年代のある大衆ダンスを。キャブ・キャロウェイが出演した同名映画の着想元に成った奴だ(*注2)。

 

 さらには、フランス移民で売春宿の女将だったエヴ・ドゥ・サン=テヴルモンのことを思い出す者までいる。というのも、彼女の将官の若い女の子だちは、<齧りたくなる林檎ちゃん>と、呼ばれ、19世紀の初頭、高級住宅街だったボンド・ストリート界隈で評判だったからだ(*注3)

 

 しかし、この愛称のオリジンとして最も世に認められている説は、ジョン・J・フィッツジェラルドという男から来る物だ。1920年代の事だが、「モーニング・テレグラフ」紙の競馬コラムニストだった彼は、ニュー・オーリンズを取材している最中に、厩舎の二人の青年がニュー・ヨークの競馬場競馬場のことを、<ビッグ・アップル>と呼んで会話しているのを耳にする。彼等にとって<大きなりんご>とは、サラブレッドが莫大な額の利益をもたらせてくれる場所、という意味なのである。この比喩を気に入ったフィッツジェラルドは、それをニューヨークのニューヨークの街全体のメタファーに拡張し、今もって有名な、以下の文章で締めくくられたテクストに使用したのである。

 

 

 <ただひとつ、大きなりんごがあるだけだ。それがニューヨークなのだ、それがニュー・ヨークなのだ!>

 

 

 おそらくこうしたエピソードの総てを<よすが>としてこのニックネームをポピュラーにするのが、1920年代と30年代のジャズ・シーンである。

 

 

 ハーレムのクラブ黄金時代(*注4)、そこで最も有名だったクラブの店名が「ビッグ・アップル」であり、ニュー・ヨークに滞在するミュージシャンたちにとって、そのクラブに出演する事は仕事として不可欠なことだった。やがて彼らは、「ニュー・ヨークに行く」とは言わずに、「ビッグ・アップルに行く」と言うようになるのである。

 

 

 偶然の一致かどうかは分らないが、彼らのスラングにおける<でっかいりんごを持つ>という表現は、ステイジに上がる前の緊張から「アダムの林檎」(*注5)が破裂しそうになっている状態を指しもするものだ。

 

 

 そうしたジャズ界での日常的な表現が、地元の作家でジャーナリストのデイモン・ランヨンによって引用される。

 

 

<成功の木には多くのりんごがなっている。が、もしもあなたがニュー・ヨークのそれを収穫するとき、あなたは<ザ・ビッグ・アップルを穫るのだ>

 

 

 (後略)

 

 

注1) 1929年10月のニュー・ヨークの株式市場の株価大暴落によって金融家、製造業者を始め多くの失業者が待ちに溢れ、りんご協会が失業者たちにりんごを卸して販売させるシステムを導入。多くの失業者が、首から<職求む>と書いた看板をかけ、新たな仕事を探しながら路上でりんごを売るようになった。

 

注2) もしかするとここには、キャブ・キャロウェイが出演した「ジターバグ(「ジルバ」の語源)パーティー」(1944)と、1938年の映画「キープ・パンチン」から、ダンス集団ホワイティ・リンディ・ホッパーズ、がダンス「ザ・ビッグ・アップル」を踊るシーンを編集した短編作品「ザ・ビッグアップル」(a.k.aジターリング・ジターバグス(1943)との、著者による混同があるかもしれない。 

 

注3)  エヴ・ドゥ・サン=テルモンの「エヴ(Eva)」は、アメリカ風に読む

 

と「イヴ」であり、アダム&イヴの連想から、彼女のところの従業員を<りんごちゃん>と呼ぶようになった。という意味であろう。

 

 

注4)  不動産バブルが弾けて、地価、家賃が暴落し、黒人たちの居住区が形成

 

された事で、1920年代の同地にアフリカ系アメリカ人のアイデンティティーを示すインナー・シティ・カルチャーが一気に存在感を見せ始めた芸術興隆運動、いわゆるハーレム・ルネッサンンスの時代を示している。

 

 

注5) のどぼとけのこと(聖書に依る)。

 

 まだ、ネットだとかで使われてんですかね?「ズッコーン」という言葉。これを山口先生にお送りしたいと思います(笑)。

 

 

 だってこんなん、昭和から知られてる事だよ。恐らく世界中で(笑)。オレ読んだもん、高校ぐらいの時、「アメリカ雑学集」みたいな本で。

 

 

 興奮して思わず口語体になっちゃうけど(笑)、だってね。この一連の流れって、言うまでもないけど、山口がトーフルの教科書読んだのは96年であって、その時既に、<渡米前の山口くんも、この事知ってるから>気がついたんだろ!!!(笑)アメリカの大学で学んだ事じゃねえじゃねえかよ!!(爆笑)

 

 

 「アメリカの、最新のジャズ学」どこに行っちゃったんだよ!!

 

 

 ブリュノ・コストゥマルは、この、「誰でも知っている、有名な一節」だけの紹介じゃ、上質なエッセイ集の一編としては弱いと思い、いくつかの古説、通俗説等をまぶして、小粋なエッセイの一編に仕上げた訳です(繰り返しますが、孝弥さんの名訳も手伝って、本当に、心が愉快に、楽に成る名著ですんで、こんな毒をもって毒を製する解説なんか読んでないで、この本読みましょうね。金がかかるけど・笑)。

 

 

 何の為に、こんな、誰からでも蜘蛛の巣城の矢みたいに360度ツッコミが入ってしまう様な事を山口はしたんでしょうか? 脇を固めなきゃ、訳解んない通りすがりのバカまでから突っ込まれるクソのような時代に、Amazonのユーザーズレビューでは、自分への批判は総てブロックさせ、他人への悪態は書き放題。という、法務省をバックにつけた(笑)、高度で悪質なタクティクスまで使う人なのに。

 

 

 <答えはもうお解り>

 

 

 得意の、「アメリカの大学教授と親しくさせてもらってます」の申告の為です。

 

 

 これを言う瞬間も、彼はさっきの呪詛のクリシェと同じ、舞い上がる様な非現実感の中にいます。頭の片隅では解ってるかもしれない(解ってないと思うけど)「ヤバいんじゃないかな。前後の流れ的に」

 

 

 でも、勝っちゃうの「(偉い先生と)それ以来、親しくさせて頂いています」が(笑)。

 

 

 単なる権威の誇示だけでは済まない、絵に描いた様な反復ですコレ。「言わずにはいられない」といった。

 

 

 彼は、たかだか92年のトーフルの教科書に、たかだかちょっと古くさい認識が入っていたとして、アメリカの「語源学の<権威>」である「ジェラルド・コーエン」に、告げ口するの、「先生。トーフルの教科書に、古い俗説がそのまま載ってますよ」つって(ヤバいなあもう・笑)。

 

 

 こっから先の、何でも盛っちゃうマルマル盛り盛り雅也節には、むしろ乗っかっちゃった方が遥かに楽です。じゃないと、吐いちゃう。ギガ盛りすぎて(笑)

 

 

   <まあ、そんなんいったら、ワタシんとこにも来ますよ>

 

 

 キチガイからいっぱい。「菊地先生、どこそこの地方新聞が、マイルスをパーカーの同期みたいに書いてます」とかさ(笑)、「菊地先生、中上健次が、コルトレーンがアルバムでアルトサックス吹いてるって書いてありますよ」とかね(笑)。更に、ジャズ縛りに取っちゃったりなんかしたら、もう大変です。いろんなのが来るの(笑)。

 

 

 「そうですか。それは完全な間違いですね。直接その発行元に指摘するのがよろしいのでは?その際、ワタシの名前を出して頂いて全く構いませんよ」って返しますよ。勿論。(キチガイじゃない方へも、まったく同じ対応をしているので「あれ?俺(あたし)菊地さんから丁寧な返事を頂いたので、キチガイだと思われてるのかも?」とか思わない様にして下さい)。

 

 

 要するに、「親しくさせてもらって」ます(笑)。

 

 

<さて、例えばどこを盛ってるか?>

 

 

 もう、盛りが体質化しているので、盛らないと口も開けない人だと思うんだけど(つまり、100倍=100分の1の世界を生きてる人だと思うんですが)

 

 

 1)「オックスフォードディクショナリー」は確かに「アメリカの最高峰」どころか、英語圏でも最高ランクの辞書ですが、いうまでもなく同レベルの辞書はいっぱいあり、ワンノヴゼムに過ぎないです。

 

 

 2)ジェラルド・コーエンは、確かに編纂顧問として名を連ねてはいるけれども、「語源学の権威」として参加している訳ではありません。厳格に言うと、「俗語の担当」としてチームに入っています(これは、以降の「盛り」と連結しているので、後に詳述します)

 

 

3)そもそも山口さんちのマサヤくんが「日本人ジャズ研究の第一人者」ではない。

 

 

 とか、全センテンスにタコヤキのソースみたいに、びっしり盛られまくりなんですけど、その果てのオチに何が来るのかっちゅうと ↓

 

 

  「トーフルが<二度とこんな過ちは致しません>と認めた」

 

 

 と言うのね(すげえよな、これ・笑・ある意味、訴訟社会のルーチンなんでしょうけど)

 

 

 だけど、肝心の「以後、トーフルのこの設問の解答は、正しく直されています。ほら、この通り、トーフルは96年以降、問題の回答を修正しました(もしくは問題自体を削除しました)」という、最も必要なオチが、、、、、

 

 

 無いのよ~(涙笑)。トーフルの窓口関係者に頭下げさせて、そこで終わりなのよ~。単なるクレーマーじゃんか~(笑)

 

 

 ただ、ここまでお読み頂ければお解りの通り、上手いんですよ実に、先ず第一に、前述の「トーフルは以後改めた」だろうな、というミスリードに、スムースに成功してますし(もし本当に直ったりしたら、大いばりで画面に出します。この人は)、第二には、まるで「指摘だけして頭を下げさせ、さっとその場を去った名探偵」みたいになっちゃってるわけです。トーフルが年間何十万個の質問を管理していると思いますか?「面倒なのが来たんでルーチンで処理しとけ」ってだけですよ(笑)。

 

 

<雅也。オレがつきあってやろうじゃないか。オレのやり方じゃダメだろうけどな・笑>

 

 

 いみじくもトーフルがした(であろう)、「窓口対応」を、実寸大でちゃんと受け取り、、、つまり、ウザがられたり、シカトされたりを、いちいち適正値でカウントしていたら、生きて行けない人生だったんだと思います(人格異常者には、この「扱い」に延々と食って掛かる人もいますが)。

 

 

 でも、彼は違う。学者がルーチンの返事を一通くれて、いろいろな機関に窓口対応される事を、彼は「素晴らしい、誇らしい業績」と解釈します。彼の講義、総ての発言には、隅々までその痕跡に満ち満ちています。

 

 

 別にワタシが偉いという話しじゃないですよ、と前置きさせてから書かせて頂きますが、さきほどちらっと書いた通りですね、ワタシに直接メールして、お役所みたいな機械的な反応一通で済まされた。という方は、遠慮なく挙手して下さい。

 

 

 端的に言うと、ワタシはキチガイにつきあいます。

 

 

 第一には義母がキチガイだったからです。第二には、ワタシだって、山クンのような、一点突破の重症ではありませんが、全方面にうっすーくキチガイであって、彼(もしくは「彼等」)とワタシの違いは、怨念の狼がワタシに懐かなかった事。実力と才能が、山口クンよりかはいくらかあった事。だけだからです。

 

 

 ワタシはキチガイを異物と思えません(まあこれは、フロイドというよりアドラーに近く成ってしまいますが、いずれにせよアナロジーですね)。ですんで、どんなにキチガイに執着されても、とことんつきあいますワタシは(「キチガイとしかつきあわない」と言ってるんじゃないんで・笑・念のため)。

 

 

 それに、キチガイに対してひるんだり口ごもったり、その場を去ったりせず、キチガイの話しに乗っかって、どんどん逆に質問を返して行けば、妄想の限界領域まで尽きてしまった彼等は、絶対に自分から折れて消えるんで(「お前はマイルスを汚している。お前を殺す」という殺害予告をくれた男性と半年文通した事があります。これは初期の極例ですが、昔からのファンの方なら御存知の方も多いと思います。また、例外的に警察呼んじゃった事が、長い音楽歴の中で一回だけあります。これは、公演中に絶叫して暴れたんで、ワタシじゃなく、クラブが呼んだのね。ワタシはこの、完全に狂った女性ですら、一対一で、とことん話したかったです、、、、っていうか、以前2人っきりで話してるんですが。路上でね。まあこの話しはさておきまして)。

 

 

 アメリカという国家にキチガイの義母はいないでしょう(いたとしてもイギリスですし)。そして、あの忙しくて差別の塊である国が、キチガイととことんつきあうなんて暇なんかない国であることは、どなただって容易に想像がつくでしょう。

 

 

 山口クンの、「知己の無い有名な先生にメールを出し、返事をもらう事で<親しく(←この語も絶妙。「親しく」したいんだよね、山ちゃんは)させてもらっている。まあ、アメリカの慣用表現なのかもしれませんが>と考える反復」は以後、止まりません。

 

 

 「あ、ヤバい人だ」と反射的に身構えた学者達は、1~2通ぐらいはジェントルに対応し、それ以上踏み込む事はしなかったでしょう。マサヤの夢は担保されます。向こうから突っ込まれないんだから。

 

 

<それにしてもこれはいかんぞ~山口>

 

 

 英語権威主義であるデューは、こうした盛りラッシュの中、そこそこ大きめのフックをちょいちょい入れて来ます。タチ悪いんでピックアップしますね。

 

 

 「語源学とは英語ではエティモウロジィと言って、是非、この機会に単語を憶えて下さい」

 

 

 英語の先生も入ってきちゃってるんですけど(笑)、それは兎も角、「語源学」って、恐らく検索すればすぐわかりますけど、言語学の一部としてはかなり危なっかしい領域です。

 

 

<「語源学」っていうのは>

 

 

 基本はまあ、その国の言葉の語源を探る。っていう事なんですけど、これがすんげえ難しい考古学の一領域である事は誰だって想像つきますよね?ソシュール云々するつもりはありませんが、言葉は通時性によって、無根拠に変移するんだから。

 

 

 勢い、学問としての「語源学」は穫れ高が低く、敢えて結構ヒドい例で言うけど、イタリア語で米の事をルッチって言うんですが、これが日本語の「うるち米」の「うるち」と関係あんじゃねえの?的な事、つまり「比較言語」の領域内で、なんとか命脈保ってる様な学問ですよ。

 

 

 とは言ったって、正統な学問領域である事には違いなく、山口が「ビッグアップルの<語源>」とか言った風に使う学問ではまったくないです。

 

 ビッグアップル言い出したのがフィッツジェラルドっていうスポーツライターで、、、というのは、単なるジャズトリビア、もしぎりぎりまで大きく言っても考現学(これもまあ、正規な学問とは言えないですけど)であって、あれをして「語源学」というのは、アナロジーやポエジーとしてはいいけど、山ちゃんアナロジーで結んでないからね。ガチンコで語源学だ言ってるんで。「エチモウロジィ」とか、外国語講座の先生みたいに成っちゃって(笑)。英語力がアジアで一番低いとされる我が国の生徒達に教えてやってくれよ。聞きかじりのエチモロジーだけじゃなく、アナロジーも、ポエジーもさ。

 

 

 山ちゃんは信じてるの、偉そうな感じがする物は総て。だから巧みなミスリードとは断罪出来ないんだけど、とのかく語源学は「現代語の言葉の発祥を、雑誌かなんかの記事によって、正しく唯一に決める学問」なんて、安っぽいもんじゃないんですよ。

 

 

 それ言ったらね、よく芸人さんとかが「テンション上げて行こう」って言いますよね?あの「テンション」は「興奮」「覇気」みたいに俗転されて使われてますけど、もともと「高所緊張」の事で、特に「高所」が重要です。ギタリストの方ならば、初めて触るギターの指板を握って「弦高が高いな」というのを「テンション高いな」と言いますね。音楽理論にもテンションは出て来ますが「緊張させる音」じゃないんですよ。<度数的に、テンションはコードトーンよりも高い位置にあると設定した上で、度数を決められている>んで、そう呼ぶんです。

 

 

 この程度の事は、とてもじゃないですけど、正規には「エチモウロジィ」とは呼べません(アナロジーなら良いですよ。アナロジーは何をどうしたって良いんだから)。「語源学」は、もっとずうっとちゃんとした、しかもかなり有用性と確定性に欠く学問です。

 

 

 勿論、語源学を必死に真面目にやってる学者はいる訳で、彼等を、徒労に取り憑かれたバカだと言っているのではありませんので念のため。

 

 

<あとこれも、人格障害者特有の、恐ろしい引きの強さなんだけど(笑)>

 

 

 ここで、「語源学の権威」として「オックスフォードディクショナリー」の編纂に尽力している「アメリカでは非常に信用されてる先生」こと

 

 

 ジェラルド・コーエン

 

 

 が、出て来ますね。

 

 

 これは、哲学もしくは経済学やった方なら、日本の大学生でも知っている、

 

 

「分析的マルクス主義の代表的な学者であり「平等論」で特に有名な、イギリス人哲学者/社会学者の(ミドルネームは「アラン」)ジェラルド・コーエン」

 

 

 と、同姓同名なのよ(震笑)。

 

 

 この人が、オックスフォード辞典に執筆しているかどうかは知らないよ。でも、しててもおかしくない人だし、してたらそこそこの権威です。

 

 

 こっちの、<有名な方>のミドルネームは「アラン」、しかし山ちゃんが手紙出した人のミドルネームは「レオナード」です。

 

 

 更には、有名な哲学者のジェラルド・コーエンは、確か08年には死んでるからね。時間的に、山口っちゃんとの邂逅は無理とは言わないけど、単純に難しいよね。

 

 

 山がメールしたジェラルド・レオナード・コーエンって人は、「Origin of New York City's Nickname "the Big Apple"」っていう本で「ビッグアップル」が如何にニューヨークの語源になったか?というトピックを、軽いペーパーバック1冊使って書いた、エッセイスト、よしんばギリギリまで盛っても「米俗語の研究家」ですよ。

 

 

 それまで、「いろんな説が入り乱れていた<ビッグアップル語源>を、一応資料使ってまとめたのね(フィッツジェラルド説は、89年代末には出ていたので、一応、説得力を持たせただけだけどね→しかし、これでトーフルがいかに古くさいか解りますが)。「アメリカスラング辞典」みたいなの出してる新書の会社から、数冊出ていて、日本語版は1冊もありません(山ちゃんは、ここを利用するね。英語が出来な奴はバカだと思ってるから・笑)。

 

 

 スコット・フィッツジェラルドとジョン・J・フィッツジェラルドとの違いは得意げに解説する山ちゃんが、何故「これ、有名な哲学者のジェラルド・コーエンとは別人ですからね」って解説しなかったか?

 

 

1)勿論、盛りたかったから(自分と直接関係しているので)

 

 

2)有名な方のジェラルド・アラン・コーエンの事を知らなかった。

 

 

 究極の選択ですよね(笑)

 

 っていうかね、そもそもこの本、出版が91年なのよ。

 

 

 つまり、山クンが留学する96年より前なんですよね(笑)。しかも、山ちゃん、この本の存在を知ったの、講義ヴィデオ観る限り、留学中だよねえ(笑)。

 

 

 もっかい言うけどさ

 

 

「ここ20で発達したアメリカの、最新のジャズ学」

 

 

 どこに行っちゃったんだよ!!(笑)

 

 

 <アナロジー>や<ポエジー>なんか、誰でも知ってるだろ。と見切ったとしよう。でも、<エチモロジー>程度を、拡大的に権威的に振り回すなら、学問としては些か強度がある、「パトグラフィー(ペアトグラフィ)」の事も日本の人たちに、画面にスペル出して教えてあげてようよデューク。

 

 

 : pathography  : Pathographie

 

 

 <有名な(極端な)人物の生涯研究の中で、その人が残した手紙や著作から疾病を見いだして、その意義を考える学問>の事だよ(まあ、これだってギリギリの学問だけどね。学問としての接尾辞(gy)ないし、そもそも逐語訳は「疾病記録」だからね)。

 

 

 つまり、今オレが君にやっている事は、ソフトでライトな素人パトグラフィって事だよ(笑)。気分はどうかね?どうせ、旗色悪そうな部分は意識が全部除外しちゃって、揚げ足取れる部分だけを必死にサーチして攻撃するだけの、気の毒なぐらいセコイ脳みそだと思うけど(笑)。

 

 

<「性的な意味」への、ただならぬ拒否>

 

 

 さて、ソフトでライトな素人パトグラフィを続けましょう。

 

 

 「ビッグアップルの語源」に次ぐ、マサヤちゃんご自慢のお安い教養開陳ですが、またもや「語源」です。

 

 

 それは肝心要の「ジャズ」の語源で、まあ、「歴史」をやるなら、当然ここからだよね。という意味ではその通りなんですけど、「東京大学のアルバートアイラー」をディスる事とは全く関係ない(笑)、ウチラは平均率とバークリーメソッドとMIDIを繋いで見せただけで、ニグロスピリチュアルだのミシシッピーだのいう、ある種資料人類学的な歴史の話しなんかしてない訳よ。そんな本は掃いて捨てるほどあるんで、仮説に則った特殊な歴史観を提出しただけなのは読めば誰でも解る。つまり「ジャズの語源」だとか「ジャズの定義なんつう話は<してない>訳だよ。

 

 

 してない事の批判をするってどういう事だ?(笑)してない事をデタラメだって言うのって、どういう事だ?(笑)存在もしない現象を「アメリカでは通用しない」って、どういう事だ?(笑)

 

 

 「今更、そんな正気の質問してもしょうがないでしょう」と言うなかれ。この3つの質問に、彼の病理の殆どが集約されてしまうのは、最後までお読み頂ければ歴然とします。

 

 

<もう既にかなり長いので・笑・ちゅうか話しを解り易くする為に、一瞬展開をスキップさせるとですね>

 

 

 山口雅也先生の講義第一弾「ジャズの歴史」は言うまでもなく、第二弾の「マイルス研究」も、第三弾の「自分の音階の本解説」も、全部見ても、「この20年間で変わって来た、アメリカの最新のジャズ研究のありかた」

 

 

 一切出て来ません(笑)。

 

 

 コケザルの壷、もしくはマグガフィンですよ。つまり「一番期待して、しかもそれが存在する事を暗示し続けられた宝物の中身が空だった」ちゅうことです。

 

 

 

 山口、時間を返してくれ(笑)。オレは忙しいんだ。恐らく君よりいくらかね。

 

 

<時空に関する万能>

 

 

 じゃあなんでこの人、こんなテキ屋みたいな事を堂々とするんでしょう?

 

 「自分が輝かしい留学生活で習った事」=「最新アメリカ本格的権威あるジャズ研究」だからです。となると、96年から99年まででです(ギリで20世紀じゃねえか・笑)。怖いよこれー。確かにね。「その当時は、それが最新」でしょうよ。ワタシも86年には「日本でも大分変わって来た、最新のファッション」着てましたよ(笑)。

 

 

 ここの齟齬、っちゅうか、齟齬どころじゃねえな、個人の生涯時間感覚と、世界の時間/時代感覚に自立律も排他律も同一律も、つまり矛盾も現実的正否もなんもない、胎内的な完全な自由。こそが、山口雅也さんの主観的世界で、Amazonのユーザーズレビューに登場する「デューク本郷」とは、別の感覚なんです。デュークの時間感覚は、まともだからね(時間感覚だけですけど・笑)。なので、この2人が同一人物である事は「隠したい」というより「お互いに(認めるのは)無理」なんですよね。

 

 

 そんな、山口雅也の「ここ20年でアメリカのジャズ研究も大分変わって来ました」という魔法の1行は「犯意のある、誇大申告」ではなく、彼にとっての事実なので、とても強度があり(自分に対する信心という)、あたかも、<自分が学士としてジャズの大学でこの20年間、正規に研究をしてきた>というプロフィールのミスリードをいとも簡単に仕上げちゃう訳です。

 

 

 しかし実際の「この20年間」は、

 

 

 この人、図書館通いだからね(笑)。教育受けてないし、また、前編~中編で書いた様に、教育を「やってもいない」の(悲しい。本当に)。典型的な自己愛人格障害者の万能感ですよ(笑)。しかも厄介な事に「図書館通い」で「研究してる」から、充分自分の前言と矛盾しないんですよね(万能だから、そもそも何も矛盾しないんだけど・笑)。

 

 

 と、具合悪く成って来た方もいるでしょうから、気分良くしましょう。話し戻しますが、「ジャズ」の語源について、先ずは前掲書「だけど、誰がディジーの」からの、素晴らしい一編を全文引用します。

 

 

           前掲書P29   

 

 

          「ジャスミンのノート」

 

 

 疑いの余地なく、ジャズのゆりかご(発祥地)は、まさしくニュー・オーリンズの赤線(合法売買春)ゾーン、ストーリーヴィルである。総ての音楽理論家達は、この音楽スタイルが、<ワークソング(黒人奴隷達が歌ったアフリカ伝承の歌)とゴスペルやニグロ・スピリチュアル(黒人の宗教歌)と、ブルーズとラグタイムとの巧妙な混合物から生まれたという意見で一意している。20世紀の夜明け、ピクニックやパーティーで人々得お踊らせるためにそのカクテルを仕上げたのは、パレイド用の少人数編成バンドだ。そこから年を追うごとに、そのカクテルはどんどん複雑に、個性的な物になっていった。

 

 

 さて、そこで残る疑問が、<JAZZ>という言葉の語源である。それを突き止めることが数多くの研究の対象に成ってきたのだけれど、それには決着のつく目処が全く立っていない!

 

 

 最初にこの言葉が書かれた形跡として残っているのは、1912年4月2日付け「ロスアンジェルス・タイムス」紙のスポーツ欄。ベン・ヘンダーソンという名の野球ピッチャーが、そこで彼特有の球種<ジャズ・ボール>について「ボールが揺れ動いて、バッターはまるで手が出ないのさ」と語っている記事だ。これはストリートの表現からくすねて来た言葉で、音楽とは関係がない。音に関わりがあるとしても、せいぜい速さと力強さを連想させるオノマトペといったところだろう。シカゴで広まった新種の刺激的な音の名称として、この言葉に複数の表記(JAZ/JASS/JASZ)を用い始めたのは1915年以降のことだ。

 

 

 で、だから、どうしてこの言葉なのか?だ。これは精液、あるいは種、もしくは精神、エネルギーを意味する<jism>から派生した俗語<jasm>から来た可能性がある。

 

 

 また一部の人たちは、これはフランス語の<jaser>(*注1)、もしくは<shasser>(*注2)のクレオール的変化による言葉だと主張している。

 

 

 さらに、複数のジャズメンがこの言葉を作り出したのだと言う人たちもいれば、これはアフリカ起源の言葉であり、そのバンドゥー語(*注3)で、」音楽を演奏すること」を意味する<jaja>が語源なのだと言う者もいる。

 

 

 それから、最も詩的な説もおさえておこう。

 

 

 当時のストーリーヴィルの売春婦たちが好んで使っていたフランス語の香水にはジャスミン・オイルが使われており、その香りを指すものとして<jass>という言葉が生まれたらしい。そして彼女たちは、自分に近づいて来る、お客になってくれそうな連中に対し、そそるような声でこんな言葉を放っていたのだ。

 

 

Is jass on your mind tonight,honey?(今晩、ジャスミンの香りはいかがかしら、ハニー?)

 

 

注1) フランス語のjaserは、ぺちゃくちゃしゃべる、の意。これは動詞の原形に(不定詞)なので、主語<私>にあわせて活用するとJe jase(ジュ・ジャス)となる。

 

注2)shasser(シャセ)は、狩る、追い立てるの意の動詞。同様に活用させるとJe shasse(ジュ・シャス)となる。

 

 

注3)アフリカ大陸中南部の広い範囲で使われている言語で、話者数は3億人を超えるとされる。

 

 

 こっちのがいくらかフェアじゃないの?「実際の所、諸説あって解らない」「ジャズボールの<ジャズ>は、ジャズミュージックとは無関係っぽい」の方が。

 

 山ちゃんが鼻の穴膨らませまくって、初出コピーして(前も書いたけど、こんなの簡単・笑)、誰も知らねえだろう馬鹿野郎ぐらいの勢いでドカーンと掲げてるジャズボールの事もしっかり書いてるしさあ(語源と関係ないって・笑)。

 

 古い記述なら無条件で正しいのか?じゃあ<16世紀のイギリスに「jazz」っていう農民の踊りの記述が出て来たら、また覆るの?>「いやあ、それはジャズミュージックが生まれる前ですから、ブッブー。アメリカじゃ通用しませんね」っていうかも知れないけど(笑)、そんな事言ったら、ニック・ラロッカの「オリジナル・ディキシーバンド・ジャズ・バンド」による「ジャズミュージックの、世界最初の録音」は1917年だぞ(笑)。「ジャズボール」は、それより古いよ(笑)。古い話しならお得意だろう。古い図書館通ってんだからずっと(笑)。

 

 

<もう疲れたんで、止めますが>

 

 

 ここでの山口雅也さんの、半ば「なりふり構わない結論」の目的はひとつです。

 

「ジャズを、<エロい>カルチャーだと、死んでもさせない事(講義観ればお解りですよね?激高するもんね。「ジャズに卑猥な意味があるとする人たちがいるんですよ!!」という辺り)です。

 

 これは、 

 

1)      北米で

 

2)      「ジャズの正しい歴史」を編まんとする

 

3)      白人中心の研究施設が

 

4)      ジャズに権威を持たせる為と

 

5)      ピューリタニズムの潔癖さを貫く為に

 

6)      不必要なまでに「麻薬」と「売春」を歴史から消そうとする

 

 という、ひとつの、面白くもない、オーディナリーな傾向に100%則っていて、同様意見は山口だけではないです。

 

 <ピューリタンの真面目野郎が今や日本ですら大学の科目であるジャズやヒップホップやロックを、ピューリタニズムに適合した権威にしようとするならば、現実には半権威であり非差別であり、麻薬にもセックスにも満ち満ちていた対象を歪めなければならない。ジャズ、ヒップホップ、ロックンロールなどの、カラードの音楽を権威に引きずり上げる時のコンフリクトは相当でかく、また、避けられない。ジャズやロックやヒップホップを<汚らわしい>と忌避するならまったく矛盾はなし。しかし、精神的ピューリタンの癖にこれをしようとするバカ共が(清教徒をバカだと言っているのではありません)腐るほどいる国=アメリカ>

 

 っちゅう事なんです。

 

 ワタシが山口への公開討論を呼びかけた、Amazonのユーザーズに書いた文章の中に

 

 

<また、これは個人的な経験であり、性急に一般化は出来ませんが、2007年に石川県七尾市で開催された「日本ジャズ教育サミット プレ大会」というのにパネリストとして参加した際、<モントレージャズフェスティヴァル・ジャズ教育部長/カリフォルニア州音楽教育協会前会長/カリフォルニア大学教授>という大変立派な肩書きのDr.Robert B Klevan氏(因に白人男性です)が「アメリカに於けるジャズの現状と教育」という講話されたのですが、以下、一瞬、やむおえなく汚い言葉を使いますが、反吐が出るほどファックな「ジャズ史」「教育観」が開陳され(討論に応じて下さった際には、この時壇上から吐かれた、異様なまでに権威主義的で人種差別的な言葉を、お望みであらば、ですが、お教えする事も可能です)、終止パネリスト席から中指を突き立てていたら関係者から注意された。という苦い経験もあり、「アメリカでジャズを教えている白人」アレルギーがあるのも事実です。あなたとの公開討論で、こうしたトラウマシックな(注意された事が、ではなく・笑)記憶が霧散する事を期待しています。>

 

 という一節がありますよね。ここでのロバート・クレヴァンの、ファックな演説の第一声はこうでした。

 

 「ご来場の皆様。特にご父兄の皆様。先ず最初にワタシが断言します。もはやアメリカでは、ジャズは、麻薬とは全く無関係な、最もクリーンで高潔な藝術として認識されています」

 

 

 そりゃ中指立つよ(笑)

 

 「こうした長くしつこい誤解は、歴史のごくごく初期に於いて、一部の狂った(*明らかにこう言った)、犯罪者的な(*明らかにこう言った)、ニグロ共の行いが伝説化した物であり(*明らかにこう言った)、こういった恐怖と汚濁のイメージを払拭する為に我々は努力に努力を積み重ねて参りました」

 

 

 そりゃ中指下げらんねえよ(笑)

 

 山口個人は、こいつらの精神的な手下です。

 

1)      先ずは権威主義(これは北米に於いては白人至上主義と癒着し易い)であって

 

2)      成功への渇望が強く

 

3)      性的な事、麻薬、暴力等々を、病的に嫌悪している(ピューリタンの病)。 

 

 これらマサノミクス三本の矢は、揺らぐ事なく、山口と、そのバックにある巨大な組織のモットーとして今でも生き続けています。

 

 そして(1)の根拠、つまり「マイナス(1)」には

 

 とてつもない一瞬の、あるいは漸近線的にゆっくりゆっくりとした屈辱経験から、自分を武装しないと行きて行けなく成った。

 

 という点が推察されます。劣等感ですね。アメリカの劣等感、山口の劣等感、それを読む人の劣等感。菊地×大谷を読む人の劣等感は、MIDIのように一瞬で繋がります。(勿論、ワタクシ菊地の劣等感、大谷の劣等感とてあるに決まってますが、チャンネルが違う訳です)

 

 

  <第二回「マイルス講義」については、自己模倣の手数尽きで、書くべき事もないです>

 

  気の毒なルイス・ポーターの連呼、「歴史編」でもそうだった、「広げた風呂敷がたためない、シュールな終わり方(長く成るから触れなかったけど、あれヤバいよね。しかも、あの辺の研究は、大谷クンがちょっとした権威だぞ)」、潔癖性。勿論、見上げん程の高見からの権威主義と、気持ちが悪く成る様な売り込み。

 

 重要な指摘があるとしたら

 

1)(本当に驚くべき事に)山口は、まだ我々が東大の教授かなんかで、この10年、毎年同じ講義が行われていると信じている事(一体全体、何をどう読めば、そんな妄想に駆られるのだろうか?)

 

2)「ソーラー」を我々が「マイルスの代表曲(いかにもマイルスらしいメロディ感と、何せ、墓石に掘られるほどの有名曲だし)」としていることを、「剽窃である事(これは知りませんでしたが、公開討論要求の文章にある通り、驚きもしないし、むしろ我々の論旨が強化されたので感謝しています)、「ハウハイザムーンのコード進行を想起していない事」から、バカ扱い、というか、犯罪者扱いぐらいの糾弾を浴びせている事。

 

3)二回目57分18秒の激昂。「そういうひとたちってねえ、ひきずりおろれるし、もう二度と教壇に立てなくさせられるんですよ、<あなた専門家じゃないの?>って話しになるでしょう?」

 

コメント(1)

 

ちゃんと我々の本を読んでないか、読んでも目に入らない。という、かなりの怨念の噴出により、判断力が完全に止まってしまっている状態(まあヒステリーとも言えるけれども、かなり重症)

 

コメント(2)

 

 ソーラーを「マイルスの最高の曲」なんて、1文字も書いてないし、一言も言ってない(笑)。「ソーラーは、独特のムード、実にザッツ・マイルスなムードを持った曲で、マイルス前半の分析対象に値する(後半の対象は「デコイ」)。また「ハウハイザムーン」のコード進行の想起などは、余りに簡単な事なので、前提として触れてもいない(笑)。コード進行に関する主眼は別に指摘しているし、それよりも遥かに高度な分析を、他ならぬ濱瀬先生と、布施先生がおこなっているので。

 

コメント(3) 

 

 自己愛の化け物は、鏡を見て、自分に対しだけ話す。鏡よ鏡、誰への話、これ?(笑)

 

 因にオレたちなら東大から何も言われてないし、何の処罰も受けてないし、何せ1年半でおさらばしている。怒られた事があるとしたら「アース、ウインド&ファイアーの<セプテンバー>がうるさいから、音量を下げて欲しい」の一回だけ(笑)。

 

 

<追加コメント>

 

 山口は、我々の「原理的におおよそ個人が編んだ歴史という物は多少鳴りとも偽史である(←単なる一般論)」に対して、激高している。「唯一の正しい歴史」があると思っているのだ。 

 

 しかし、一方で「本場アメリカ」「ニューヨークはマンハッタン在住」「図書館でコピーした原書の重さ(しつこいようだが、誰でもコピー出来る)」「英語に堪能」を権威的武装の道具にしている。 

 

 再びしかし、「アメリカの過去のジャズ史には間違いが一杯あった」という事も前提化されている(笑)。 

 

 ここから導き出されるのは、山口の「唯一絶対の正史」は、<自分が96年から99年に学校で習った事>と<その後、IJS(いわゆるニューヨークには無い)という図書館で調べた事>の曖昧な融合。であるということ。 

 

 なぜ「曖昧に」融合するのか?(「がっちり融合」しても良い筈) 

 

 途中に、意識に断線が入るほど(実際に記憶を喪失している可能性もゼロとはとても言えない)の、屈辱体験があると予想される。

 

 そこでは<あなた専門家じゃないの?>と、<ひきずりおろれ><もう二度と教壇に立てなくさせられた>可能性が、ゼロではない。山口は演奏で入学し、(いつのまにか)研究に転向している。この事について明確に書かれた事は無い。 

 

<追記2/警告>

 

 こんな風に、キチガイの詐術に持って行かれてしまう人々が山ほどいる。Amazonのユーザーズレビューを読み、彼を支持する「騙され易い人々」の多さを嘆いても、まあ、今更仕方ない。ワタシは実質上の中卒で、英語も話せないし、原著なんか一冊も持っていない。今回は、友だちが訳した最近の本を一冊使っただけ。しかし真実は物に宿るのではない。しかし、この程度の奴の権威主義とカリスマに持って行かれる人々は、戦争を準備する人々だよ。 

 

 山口雅也=デューク東郷(その他)については、これで終了します。コンテンツは、誰でも知っている事を図書館の図版付きで説明、オリジナルの発想は、薄っぺらいか狂った様な感じ。しかし、権威主義のオーラによって、「本物感」だけは充分。典型的な、女占い師の自我。付いて行く人は大勢いるでしょう。これは呉智英の言葉ですが、バカの中にあっては、大バカはバカの王である。これがアーレフであり、これがISです。つまり、無くなりはしない。我々は敵と共存するしかない。この長い文章をワタシは「(土下座しながら)すみませんでした菊地さん。あなたを胡散臭いとか言って、山口を信じかけてしまい。お詫び申し上げます。これこの通り。ううううう」とかいった、気の毒な人を量産しようとして書いたのではありません。

 

 そんな人は、おそらく世界中の日本語が読める人々を全員かき集めても1〜2人でしょうし、そんな人にワタシは興味は無い。「学歴詐称」から始まり、ワタシは、「読まれなくとも、恣意的に編集されても構わない。とにかく自分は、この事を自分の口から言うべきだ」という事を厳選して書いただけです。この回に関してのみ、もう少し具体的に書くならば「山口の妄想と別に、アメリカの最新のジャズ研究、ジャズの修得法、ジャズの聴取法は、優れた教育機関でちゃんと行われ、しかし未輸入である」という事です。山口の病理は、企まずして、この事実に、綺麗に寄生し、多くの人々を惑わせた」これは、明確にしておかなくてはならない。

 

 連載中に「どっちもおんなじキチガイだな」という、バカからメールが来ました。まあこのご時世、ワタシの様なバカが、バカを嘆いてもキリがない。論争対象のテキスト(Amazonのユーザーズレビュー)も、発端となった本(菊地×大谷の著作)も読まず、SNSだけで飲み食いしている乞食にまで物を伝える現代的で素晴らしい実力はワタシには無いです。という訳で次回は本当に最終回。「何故、無料で読める世界。から(再)撤退するのか?」について書きます。これもバカがすぐに勝手に挑発されてしまう。勿論、金が欲しいからそうするのではない。今、金が欲しかったらブログもSNSもやった方が良いに決まってるじゃないか(笑)。  

 

 ではまた次、、、、、、、っっと!!うおーーーーっと!!!そうそう忘れてた忘れてた!クソ長い文章の画竜に点睛君を打たないで終わる所だったよ(笑)。あっぶねえー(笑)。 

 

 ヤマグチ。君が自分で書いたwikiMarquis Who's Whoに自分について書いた文章があるよね?だから読んでみたんだ(笑)。

 

 そこには、日本における君の卒業大学が記されてる。

 

 オレも自分が、「入学金払っただけで、1日で自主退学した、東京近郊の4流滑り止め私大」の名を、今までボロカス言っちゃったんで、申し訳ないから名前伏せてるし、君はキチガイだけど可愛い所もあるから、武士の情けで、大学名は伏せてあげようね。 

 

 東京の郊外にある大学だよね?

 

 そこの英文科だ。英語が好きだったんだろうなあ。

 

 えーっと、「明星大学」だっけ?これ「メイセイ」って読むの?「ミョウジョウ」って読むの(知ってるけど。Marquis Who's Whoにはアルファベットで書いてあるから・笑) 

 

 これは、米国向けのプロフィールには書いてあるけど、日本向けのには書いてないよね? 何でなのかな? 

 

 旺文社大学受験パスナビによると、メイセイ大学の偏差値は 

 

  外国語|英米語 

 

 35・0〜40・0 

 

 君が日本語のwikiには日本の卒業大学を書いてない理由はこれだよね?

 

 明星大からニューヨーク私立に留学。なんて、明星の英雄だったんじゃないの?書きゃ良いじゃないか(笑)。隠すなんて、母校に対する侮辱だぞそれは。 

 

 偏差値なんかどうだって良い。っていうか、官僚にでもなりたいなら話しは別だが、学歴なんてどうだっていいんだ。何度だって言うけど、オレ、実質中卒だよ(笑)。オレが中卒だからインチキな訳?

  だからなんかな?オレがあっちゃこっちゃの大学の先生やって、好きな話して5~6人以外の生徒が全員居眠りしてる訳だよ(笑)。楽しいよ。ギラギラに集中してる子と、白目剥いてる子を教壇から見比べる事は。教壇に立った事も無い教育者である君には想像もつかないかもしれないけど(笑)。

 

 しかしだ、ヤマグチくん。君みたいな権威主義、特に学歴、特に留学にそのフォーカスが絞りきれちゃってる人(かつ童貞)のやった事として、これはありきたりすぎだよ。がっかりしたぜ(笑)。オレは楽しみにしてたんだよ「最近の、アメリカのジャズ学」とやらだけじゃない、キチガイの詐術の、デフォルトを越えた部分を。一切なにもなかったけどね。

 

 もう一度言う。オレたちは君にはがっかりさせられっぱなしだ。そして、合衆国のジャズ界は、がっかりさえしてないぜ。移民っていう黄色いウジの一匹だよ。君の卒業式に来てくれた、ヒラリーにとってもな。

 

 オレたちに憤激して、良く読みもしないで、ガブガブ噛みまくった理由も、濱瀬先生の業績を、揚げ足取りのバカみたいな嘲笑で1人ヒーヒー言ったのも(しかも、違う本を一緒にしちゃってるし・笑)、理由は同根だ。オレは中卒、濱瀬先生は慶応義塾大学卒。喉から血が出るほど名声が欲しい、メイセイ大学(だっせえライム)には、どうやら出る暇ねえんだよ。ウチ等の国では。

 

 

 出身校の名前まで曝して、キチガイだの童貞だの書いてるんだ。これは充分訴訟に値するよな?

 

 だっったら1秒でも早く告訴してくれ。待ちきれないぜ。待ちきれなくて、このまま歩いて国会議事堂まで行っちまうよ(笑)。

 

 しかし、君が一番良く知ってるだろう。インターネット社会の中に法なんか無い。ネットの中には個人の名誉なんて無い。だから毀損も生じない。君が別の人格で、好き放題に名誉毀損を行っても、消されもしなかっただろ?芸能人が2ちゃんねる起訴して、勝った試しがあるか?(オレが知らないだけで、数件は合った様な気がしないでも無いけど・笑)。

 

 殺人予告でもしない限り、こんな程度じゃ誰にも裁けない。もしオレが君の携帯番号を(勿論知ってる・笑)書いたとしても、1円の罰金も必要ない(昔やった事があるけど、いかなる団体からの、コーションすらなかった)。ブログは消去すればそれで終わりだ。そして番号はどんどん拡散する。嫌な世の中だな。雉も鳴かずば撃たれまい。1億匹の哭けない失語症の雉、あるいはコポロラリア(醜言症=毒舌が止まらなくなる、一種の人格文理)の雉、その集団列島に向けて、君は合衆国から好きなだけ狙撃ライフルを撃って、一発も当てられず、大暴れの発砲記録だけが残った。

 

 つまり、こういう事だ。我々のリングとして唯一存在する、Amazonの画面の中で、訴訟するのは、実際に商品を流通させている我々の方だって事さ(笑)。やられたな、「無名の人間も自己表現が出来ます」の罠に(笑)。これ考えついた奴、相当なワルだよね(笑)。

 

 法廷で会おう。まあ、民事だろうけど。民事のが距離が近いしね(笑)。ご自慢のスタインバーガー二刀流もって民事裁判所に現れてくれたら、嬉しくて悲鳴あげちゃうかも(笑)。オレは君の前から消えない。君を救う為にもね。SEE YA!!   MASAYA!! 

 

2016年

7月

06日

「デューク本郷」は「山口雅也」氏です(中編)

 

<どうやったら、こんな事できんの?デューク?> 

 

 

 恐るべき事に、「山口雅也a.k.aデューク本郷(その他)」氏は、ワタシの前々回の書き込みがあってから、僅か数日の後に、ヤフーやグーグルで、「山口雅也」と日本語検索をしても、自分が出て来ない様に細工をしました(汗)。 

 

 

 自分のサイトもwikiも残ってるんですが、名前で検索しても、同姓同名の日本の小説家が出て来るばかりで、綺麗さっぱり姿を消しています。 

 

 

 端的に、「どうやったらこんな事できんの?」と思いましたが(「意外と簡単なんですよ。コレ」という事なのかも知れませんけど)、とにかく彼は、<また逃げた>訳です。 

 

 

 しかし、やった事は驚きに値するとして、何故こんな事をするのか?ワタシのブログには彼のサイトもwikiもリンク貼ってる訳ですから、既に焼け石に水。とは思うんですが、なんかちょっと。行動に若干の異常性がありますね。 

 

 

 無理矢理こじつけるとしても、「菊地のブログを読んで、或は評判を聞いて、自分の事をもっと調べようと検索しようとする人々を、水も漏らさず総てブロックする」という事なのでしょうけど、一見狡猾でテクニカルに見えて、因果律がよく見えません。 

 

 

(*現在は元に戻っている模様)

 

 

 この行動を、、、、、と、おっと、彼の全体のプロファイリングはユーチューブ講義の分析結果と共に一覧しますので、楽しみにとっておく事にします。 

 

 

 しかし、というか、彼の一回目のユーチューブ講義が「ジャズ史」、二回目に何が来るのかと思えば「マイルス研究」って、どんだけオレたちが好きなんだよ(笑)。と思はざるを得ないし、雑な言い方をすれば、キチガイの強い憧れと移入を買ってしまう、というのは、ワタシの、そうですね、小学生ぐらいからの反復なんです。ワタシの半生記、ではないので、詳細は書きませんが。 

 

 

 ただ、フロイドで言えば、マイルスも関係してます。マイルスは世界で最高にクールで無邪気なかっぱらいですからね。墓石に人の曲のパクった曲の楽譜が掘ってあるんだから(笑)。まあつまり、かっぱらう奴は、かっぱらわれる奴でもある訳ですね。移入、転移というのは、心のかっぱらいあいです。 

 

 

 とか、物わかりの良い事言っちゃってますけど。 

 

 

<例えば、今年は皆様御存知(じゃないかも知れない・笑)、マイルス・デイヴィスの生誕90/没後25という事で>

 

 

 ドン・チードルがマックス・ローチ役じゃなくてマイルス役をやっちゃった(笑)「マイルス・アヘッド」の公開(?)もあり(「M/D」執筆当時から企画は進んでいた本作ですが、ワタシは撮影現場に取材に行くギリギリの所で頓挫しています→前書きに書いてあります)、グラスパーの、ちょっと残念(ごめんグラスパー・笑)なリミックス盤があったり、シンコーが出したマイルスのムック本とかあるんですけど、ワタシ完全にハブられてるんですよ(SONYなのにオレ!!!笑)まあNHKが相手をしてくれない山口雅也さんの気持ちが痛いほど良くわかりますよ(笑)。

 

 

 これも亡くなった中山康樹先生の呪いか、二代目中山康樹を名乗ると公言されたナギラさんの、中山先生の御遺志を守られる忠義からなのか、亡くなりそうなミュージック・マガジン先生の呪いか(笑)、この辺りはワタシの不徳の致す所、ですから仕方が無いとしても、日本のマイルス論壇の片隅にも入れても頂けない事という事実に、山口雅也先生のユーザーズレビュー(特にM/D)での大活躍が、0・1%でも関係しているとするとするならば、事務所の窓から六本木ヒルズを見て、涙を拭いてばかりではいけない。ちゃんと頑張って山口先生の講義を分析して、さっさと潰してしまおう(本稿の最後に書きますが、実際は潰せないんですが)。と自らを奮い立たせる訳です。 

 

 

<ただ、まー、思いっきりフェアに、フロイドで言えば>

 

  

 ワタシと大谷くんの深層に、<チープでパワフルな権威主義者に対する半感>があって、「そういう奴らをおびきよせてやる」と、まるでゴキブリホイホイみたいな罠を仕掛けた、のかも、知れません。あくまで無意識的にですが。

 

  

 ですから、寺島靖国先生を始めとした、保守的な権威主義者が、面白い様に

  

 

ホイホイ釣り上がったのは、「(我々の)無意識の望み通りに成った」とも言えます。

 

 ただ、「学歴詐称」の時に書いた通り、こっちは何せ、敵を釣り上げるつもりは、よしんばあったとしても無意識的ですから、「え?何で寺島靖国が怒ってるの?あんな中央線ジャズ親爺のこと、1文字もディスってないけどなあ。アルバート・アイラーが嫌いなのかな?」「<の>で繋げるのが嫌いなんじゃないの?戦場<の>メリークリスマスとか。となり<の>トトロとかさ。寺島って、一流が嫌いで、二流が好きらしいから」「かもねー。だから七人<と>侍とかにすれば良いんだよね」「ぎゃははははははははははははははははははは!!!!」「二十四<と>瞳!!!」「千と千尋<は>神隠し!!!」「罪<か>罰!!!!!ぎゃははははははははははははは!!」「2<の>ちゃんねる!!!!ぎゃはははははははははははははははははははっは!!」とか言って、二人とも躁状態が止められなかったですね。

 

 

 フロイドとベルグソンを立ち読みで思想的な依拠地点と決定したシュールレアリストかつアナキストそしてフロイディアンとして、いくつに成っても悪童(講義当時、菊地42歳、大谷32歳)が抜けない我々は、自分たちの「遊び場」が東大にまで広がったと、ゲラゲラ笑いながら楽しんでいた訳です。まあ、若かったんです(笑)。

  

 

 しかしまあ、悪童もいつかはは大人に成る訳で、だんだんと「世の中には寺島雅也(毎回2名分書くのがメンドくさいんで、1人分にまとめちゃいましたけど・笑)みたいな立派な怨念の大人がいて、我々が無邪気に遊んでいると怒られるんだな、こういう人々が集団的に戦争に向かって行くのに」とか思う訳ですが、致し方無し。

 

 

<おっとっと、程度の低い社会批評などしてる場合じゃない・笑>

  

 

 んだけど、ごめんなさいもうひとつだけ。

 

 

「学歴詐称」の時と類似の愚をワタシは犯していて、それについて書かないとフェアじゃないので、先に書いておきます。

 

 

 単行本の「東大アイラー」の帯、特に上巻には

 

 

「ジャズ史の新たなスタンダード」

 

 

 って書いちゃってるんですよね(だはははははは)。

 

 

 勿論!!ワタシが書いたんじゃないですよ(そんなん自分で書いたらバカもしくは寺島雅也でしょ・笑)。メディア総研っていう出版社の人が書いたの。

 

 

 これはまあ、端的に、刺さっちゃいますよね、寺島雅也(←面白いなあ。コレ)には。 

 

 

 余談が更に余談を生む恰好ですが、「アフロディズニー」の帯もヒッどくて、

 

 

 「20世紀の退行の謎は、この講義で総て解かれたのだ!!!」

  

 

 ぐらいの大ボラが吹き捲くられていて(笑)、読んで頂ければお解りの通り、ぜんっぜんそんな内容じゃないんですよ。

  

 

 まあまあ「他者(多くは「心酔している」)を使って、自分の劣等感や世界に対する恨みを晴らさんという人々は必ずいる」という、一種の仮託ですが、強調したいのは、ワタシの単著がそんな事に成った事、一度も無いんで、やっぱり<菊地×大谷が起こす化学反応>っていうのは、何かがヤバいんだと思いますね(笑)。

  

 

 いくら内容に「人類が編む歴史は総て偽史である」「一種のSFとさえ言って良い、この本は」と自分たちで書いてあっても、下巻の帯に「あんま僕らの話を信用しないようにね。いつも疑ってかかる精神は忘れずに」と書いてあっても、寺島雅也(地球上で40億人分)と言わず誰と言わず、地雷を踏んだらもうダメです。全体なんか読んでくれる訳が無い。 

 

 

<しかもコレ、「<学歴詐称について書いたときの様に、出版社がダマで書いた>か?」と言われると、違うんですよ(大苦笑)> 

 

 

 ちゃんとワタシに送って来ました。そして(もう大体予想はつくと思うんですが・笑)2004年という実に牧歌的な時代とはいえ、ワタシは送られて来た色校(帯とかの見本)を見もせずに、「こんで(銚子弁「これで」)良いです」と、OKを出しちゃったんですね(笑)。「大谷クンがチェックしてくれるだろ」ぐらいの感じで、ポーンって机の上に投げちゃったの(笑)。

  

 

 そしてまた、天地神明に誓って申し上げますが、もし、あのときの自分が、一回ぐらい帯の色校見ていたとしても、「こんで(下町から房総半島全域に。以下同文)良いです」と、やっぱポーンと放り投げたと思います。「オレが書いたんじゃないし」とか思ったでしょうね(笑)。

 

 

 「あのですねえ、、、これ、、、ここ、<ジャズ史のあらたなスタンダード>っていう部分なんですが、内容読んで頂ければお分り頂けると思いますが、我々はそんなつもりはまったくないんで、カットでお願いします」

 

 

 なんか言うわけがないです、11年前のワタシは(笑)。

 

 

 まあ、しょうがないっすよねえ。総ては。やっちゃった事なんだから。「学歴詐称」の時に「インターネットはいい加減で良い、活字や新聞はちゃんとする」的な事を書いてるオレ様ですけど(笑)、「帯(業界用語で「腰巻き」)」っていうのもね、本文と関係ないし、どうせ買ったらすぐ外して捨てるし(ワタシが、です)、まあどうでも良いね帯なんか。そもそもオレが書いたんじゃないし。と思ってましたね。

 

 

<とさて、大変長らくお待たせしました>

 

 

 「ジャズの本場=アメリカで成功した日本人ジャズ研究の第一人者として、アメリカのジャズ学の基本を教え」て下さる(総て自称)、山口先生の「ジャズ講義@ユーチューブ」の内容、更にそこから推測される先生人格について解説/分析させて頂きます。

 

 

 と言いたい所なんですが(笑)もうここまででも相当長いので(笑)、本編は次回に回すとして、今回はイントロダクションとして

 

 

  <第一回の、冒頭から僅か2分9秒までの間で、こんなに分る事がある

 

 

 という事で、ながあーい予告編。とさせて頂きます。

 

 

 まずは皆さん、ご覧に成ってどうでしたか?「黒い自意識のバイブスで最後まで観られなかった」「ぎゃははははははは!超面白れえコイツ!!!」といった方もおられる一方、正直な所「なかなか良いじゃないか」「すげえ。さすが」等々、様々な意見がおありだと思われます。 

 

 

 特に、権威主義者=資料主義者=本場主義、つまり古書や洋書が無条件で偉いと思ってる方(特に英語コンプレックスの方)等々には、いっぱい古書が出て来て、英文が乱れ飛びますから、「どんなに菊地能生(こっちも1人分にまとめてみました)を支持しようと、心が惹かれてしまっている自分がいる」事を隠せず、モヤモヤしている方もいらっしゃると思います。 

 

 

 何せ、山口デューク本郷雅也(まとめ過ぎて申し訳ないという気持ちから、フルネームにしてみました)さんは「自分で自分を100%信じている」という万能感に立脚しているので、オーラがパワフルなんですよね。

  

 

             <スタート>

 

 

 冒頭、山口くんという存在自体の前提と言って良い「こんにちは、ニューヨーク、マンハッタン在住の山口雅也です」という、自信に満ちた声が聞えて来ますが、えー、この事の証拠は最後まで何も示されません(笑)。 

 

 

 この人、こういう所が無意識的にすごく有能なんだけど、「90年代にニューヨークの大学を出た」事は、この講義に関係して来るでしょうが、「現在、ニューヨーク、マンハッタン在住」であることは、フラットに考えて申告必要性あるでしょうか? 

 

 

 「実際そうなんだから良いんじゃん?」と言われたらそれっきりですが、この人のトーンとマナーの中で、単に「実際そうなんだから良いんじゃん?」という事だとは、とても思えませんよね。 

 

 

 たったこれだけで彼は、「ニューヨークの大学を出て、ニューヨークに在住している=ニューヨークの大学で教鞭をとっている。或はニューヨークのしかるべき施設で、ジャズの研究をしている」と、驚くべきスムースさで我々を誘導します。催眠術のように。

 

 

 でも、最後まで見ても、この人、自分のクラス無いですし(あったら、こんな権威主義者がそれを見せびらかさない訳ないですから)、要するに、よしんばアメリカに住んでいるとしても(ワタシは「ニュージャージー辺りを、<ニューヨーク>と盛ってしまっている=住所詐称説」と推測します。現在のニューヨークは、地区や建築物によりますが、家賃はかなり高騰しているからです。ましてやマンハッタンつったら、あなた)、「マンハッタンは結構怪しいな」と思っています。

 

 

 また、まさかここまで移入だとすると、かなりキモイんで、そうでない事を祈りますが、ワタシは<歌舞伎町の住人>でしたし、今でも新宿者で、その事をメディアで言いまくってます。

 

 

 でも(言うのもバカバカしいですけど・笑)「だから自分は偉い」という、権威的な付加価値を持たせた事なんかありません(つうか持たせようが無いですからね。あんなとこに住んでたからって・笑)。

 

 

 試しに持たせてみましょうか。権威を。

 

 

<菊地成孔の風俗/キャバクラ講義第一回>

 

 

「こんばんは。新宿歌舞伎町在住の菊地成孔です」

 

 

  ↑こんなモンでしょう、あったとしても上限(笑・勿論こんな仕事、やった事も無いけどね)。

 

  

 御存知の通りワタシは「子供の頃、歓楽街で暮らしてたんで、ノスタルジーのはけ口にしている」「そうして歌舞伎町に住んでると、こんなに面白い事がある」とレポートし続けただけです。

 

  

 そして、何度マンションに取材が来て写真や動画撮らせたかわかりません。山口君も「成功者」なら、どこだか分らない自室のベッドだけじゃなくて、マンハッタン歩いてる写真の一枚ぐらいあってもバチ当たらないと思いますけど。

  

 

<ひとこと「怪しすぎる。素晴らしいほどだ」>

  

 

 さて、「学生証は見せるのに、卒業証書や修士号の写真が一切写らず、変な卒業写真しか写ってない(「ヒラリーが来た卒業式」なんて、ヒラリー以外の顔にボカしが入ってる)のは何でだ?アメリカの大学は<入るのは簡単で、出るのが難しいので、入学証明よりも卒業証書のが貴重と聞くが」などといった卑俗な質問は総て控えさせて頂くとして(笑)、以下 

 

 

 山口氏「大学院での専攻は<ジャズパフォーマンス科>だったんですが、(0分26秒)いろいろ事情がありまして、近年は、ジャズ研究の分野に専念しています」

 

 

「<いろんな事情>って、どんな事情だ?それってあのう、、、、ひょっとして下(以下略)」等といった、卑俗な質問は控えさせて頂くとして(笑)、それにしても

  

 

「ジャズ学位って、パフォーマンスで取ったの?それとも研究で取ったの?」

 

  

 という疑問を、この人、はっきりさせた事が一度も無いんですよ。<どうやら研究の方でとってるんだろうな>と、思わせる程度で、「日本人で最初にアメリカでジャズ学位をとった」の一点張りなんです。

 

 

「近年は、ジャズ研究の分野に専念しています」ってますよね?「近年」ということは、言うまでもなくここ数年の事でしょうから、「ジャズ学位」をおとりになられたのは、やはり、就学中というか、学内の筈で、入学がパフォーマンスだとして、卒業までの間に科を移動したとは、ご自分でも仰ってないんですこの方。

 

 

<とまあ、ここまでは「怪しい人」としてのデフォルトぐらいなんで、大した話ではないです。問題はこの先で>

 

 

 山「今年で渡米20年目なんですが、(0分36秒)その間にアメリカのジャズの研究も進歩しました」

 

 

 これ、凄い楽しみですよねえ。ワタシ、パフォーマンスも含めて、この人の事、大バカにしてますけど(訴訟されるのが目的なんで・笑)、やっぱこう言われちゃうと、ワクワクするのを禁じ得ません。

 

 

 んで、次の瞬間、サラっとですけど、かなり危ない写真出て来るんですよ。

 

 

「修士号を取得した卒業後はダウンビート誌(2000年9月号)に寄稿」

 

 

 って奴ね。

  

 

 これ、どういう事なんでしょう?あたかも、連載しているか、すげえ論文がドカーンと紹介され、常連寄稿者にでも成ったかの様な雰囲気満点なんですけど(デューク催眠術)、二葉の写真のウチ、右の写真の下の方にでーっかく自分の名前が出ている所を乗せてますが、左の写真を見て下さい。

 

 

 上の方に「wood shed」というコーナー名みたいなのがありますよね?「wood shed」は直訳すれば「薪小屋」の事らしいんですけど、アメリカつったらもう、薪小屋ですから(適当・笑)、先ずはポートランドに「ウッドシェッドジャズオーケストラ」っていう、白人ばっかりの、何て言うかな「アメリカの大学ビッグバンド平均」的なバンドがあるのを始め、「ウッドシェッドなんとか」言うフェスや学校がいっぱいあんの。日本語で言うと何なんだろうなあ。「○○庵」「○○堂」みたいな感じじゃないかと思うんですけどね。何れにせよマルシーな語ではないです。

 

 

 でも、そのどれもデューには関係ないと思います。何せ<いろいろ事情があって>パフォーマンス(演奏)はやってないわけですから。

 

 

 ただ、「wood shed jazz magagine」は、2・5流ぐらいのジャズ誌として、ウエブ版もあるんですよ。

 

 

 こことダウンビート誌の関係は調査しても良くわからなかったんですが(ジャズ素人の方もお読み頂いている可能性を鑑みて、念のために書きますがダウンビートは、全米無茶苦茶超一流の雑誌ですよ。挟間美帆さんおめでとうございます!こんな所ですみません!!)、ワタシの推測では

 

 

「薪小屋」というタイトルの小さい連載枠が90年のダウンビートにあった

 

 

wood shed jazz magagine」それ自体、もしくは同名の組織もしくは同名の別雑誌があり、ダウンビート内に半ページの枠を持っていた

 

 

 ですね。

 

 

 記事の内容は、拡大しないと読めない様に成ってるんですが、見出しを見る限り、なんちゅうか「コルトレーンのモードチェンジには制限が無い」といった、誰でも知ってる事を簡単に書いただけで、「凄い内容」とはとても言えません。

 

 

 ちょこっとモードの勉強して、コルトレーンのソロを採譜すれば(場合によっては、そんなことしなくとも)、学生にでも書ける文章です(ま、実質上の学生が書いた訳ですけどね)。

 

 

 これをもって「自分はダウンビートに寄稿した」は、事実無根とは言えませんが、かーなーりーいかがわしいですよ。そんな言ったら、ワタシなんかもう大変ですよ!!「文学界」に寄稿してんだから!!ヘタクソな書き初めを!!(笑)

  

 

<さて、そのあとなんですが>

  

 

 山「(0分42秒)自分と結びつきが強いのは、ニュージャージー州にありますラッガース大学の大学院ですね。ここのルイス・ポーター教授とは、仲良くさせて頂いております」 

 

 

「結びつきが強い」「仲良くさせております」っていうのは(笑)、「本場で成功した唯一の日本人」「研究の第一人者」という威勢の良い自称から、いきなり弱火になっちゃったよ、と思はざるを得ないんですが(笑)、確かにラッガースは、アメリカでも最初期の「大学でジャズを」の動きのひとつで、マーシャル・スターンズが創設者ですし、このあと出て来る「インスティテュート・オヴ・ジャズ・スタディーズ」というのは、ラッガース大学の資料室の事です。

 

 

 ただ、「アメリカでは<ジャズ研究と言えばIJS>みたいに、広く認識されています」とヤマグっちゃん仰ってますが、またしてもこれは若干誇大申告です(上手いんだよねえ、ちょこちょこボディに小刻みに当てて来るのが・笑)。

 

 

 どこが誇大かっちゅうと「アメリカでは<ジャズ研究と言えばIJS>みたいに」の「と言えば」の部分で、うおっと一瞬とはいえすげえ事言うなあ、怒られちゃうんじゃない有名なセロニアス・モンク・インスティテテュートとか、セントラルオクラホマのジャズ科とか、ちゅうか、いつのまにか「ニューヨークはマンハッタン」から、渋くニュージャージーに舞台が移ってんだけど、ニューヨークにジャズ科のある大学、それに併設される、あるいは独立して存在する図書館やジャズ研究所はすべて捨て置くのか?(笑)。

 

 

<ここで一度、基準として、ニューヨークに於ける「ジャズ科のある大学」の、大雑把なグレードを書いておきます(雑学にも使えます)> 

 

 

 「期待を裏切って」とか書いちゃうといけないんですが(笑)、我らが世界の山ちゃんが卒業した、と自称される「ニューヨーク市立大学」は、まあリーグBですね。悪い学校じゃないようです。

 

 

 リーグAは、先ずは言わずと知れたジュリアードですよね(マイルス、ウィントンが有名。但し、ジュリアードにジャズ科が出来るのは21世紀に入ってからで、両名ともクラシックの学校=芸大として入学)。

 

 

 あとはMSM(マンンハッタン・スクール・オヴ・ミュージック=マンハッタン音楽院。卒業生にハービー・ハンコック、ジェイソン・モラン、因みに挟間美帆さんはこちらの大学院卒です)。

 

 

 それと、最近「ニューチャプター系」の数名が卒業生である事から日本でも俄に注目を集めているニュースクール(ワタシのソロライブでドラムスを叩いてくれているFUYUがここの出身です)。

 

 

 ここまでを大雑把にリーグAとします。

 

 

 我らが手羽先王、世界の山ちゃんが何科で院を出たか不明なニューヨーク市立大学は、NYU(ニューヨーク大学。山さんのニューヨーク「市立」は「CUNY」)や、William Patterson(ここは後に重要なキーワードとして出て来ますから、焼き付けておいて下さい。カタカナで「ウィリアム・パタースン」ね)、ニューヨーク州立大学パーチェスカレッジ音楽院(すげえややっこしいが、ここは「SUNY」、因に実質中卒のワタシが現在契約している会社は「SONY」です)、等々、けっこうある「ジャズを教える芸術大学」の中で、大きくBリーグとする事が出来ます。

  

 

 Cリーグ以下は本稿に必要ないんで名前を挙げませんが、とにかくはっきりしていることは、「ジャズを教える大学」が、日本よりもずっと層が厚い。という事ですね。

 

  

 日本の様に、「やっとジャズ/ポピュラーに重い腰を上げた(つまりジュリアードと似た感じの)東京藝術大学」が唯一のAリーグ、以下、Bリーグがマイメン坪口が教授を務める「尚美」、元ティポグラフィカの水谷浩章さんや元ティポグラフィカの松本さんが先生を務めておられる「洗足」の2つ、Bマイナスぐらいが(やっぱ結局クラシックが強い)「国立」、と、物凄く少ないです。

  

 

 ただ、日本はヤマハの伝統もあってか専門学校が充実しています(ワタシがサックス科の院を卒業したメーザーハウスもそうです。因に「バークリー音楽院」は「すんげえ上手くやっている、田舎の専門学校」というのが正しい所でしょう)。

  

 

 また、実質中卒のワタシは東京大学の文理、慶応義塾の文学のみならず、音楽大学でもリーグA東京芸大、並びにリーグBマイナス国立のジャズ/ポップス科非常勤講師をやりましたが、東大の時は「菊地×大谷エフェクト」で、聴講生が群衆化し、狂たような事に成ったものの(笑)、菊地単体の、しかもジャズ楽理に特化した実学のクラスは、ポリシーで試験とレポートを出させないので、生徒は最初100人ぐらいだったのが、最後7人ぐらいに成りました(芸大も国立も・笑・芸大の最前列にはSIMI LABDyyPRIDEが真面目な聴講生として1年通いました・笑)。

 

 

 あと、ペン大と美学校の、、、、まあそれは良いか(笑)。戻しましょうね話を。「アメリカでは<ジャズ研究と言えばIJS>みたいな感じで」という、山田くんの小ボラで止まってましたよね。

 

  

IJSは確かに>

 

 

 優れた図書館であり、特に古レコードコレクション、特にベニーカーターのレコードが一杯あるらしいんですが(渋―い・笑)、すげえ簡単に言うと、「売りはレスターヤングが使っていたサックスが置いてある事(これとて、競売の果ての入札物で、寄贈品ではないです)。の、由緒ある、つまり、確かにコレクションは膨大だけど、ちょい古めの立派な図書館」に過ぎません(ワタシの勘ですが、山口雅也はここで我々の本を手にして、病気が発症したと思われます。「図書館に通いがちな人、狂う」という奴でしょうかね)

 

 

IJSの紹介動画

 

 

↑ありそうでしょ。ウチラの本。

  

 そしてココは、山講義にあるとおりラッガース大学の中にある図書館です。ヤマが「仲良くさせてもらっている」ルイス・ポーター教授がいる所です。

 

 

 んでコレ、正に「雅也催眠」としか言えない、あの効果で、知らないうちに「本場ニューヨークはマンハッタン」から、「ニュージャージー(ラッガース/IJSがある場所。ニューヨークが東京だとすると埼玉)」に移動してるんですけど(笑)。優れた詐術なのか、バカが気まぐれに構成して伝わりずらいだけなのかが分んないんですよね(笑)。

 

 

 んで、IJSが、直訳すると「ジャズ研究年鑑批評」的な赤い本を出していて↓

 

 

 ヤマ氏「(1分05秒)また、この機関が発表している学術機関誌があって、私の論文も、日本人としては、これも初めてなんですが、掲載されました」

 

 

 世界の山ちゃんの論文が掲載されたコレが「学術書」かどうか?百歩譲って「学術書」だとして、「どんな学術書」なのかは、ちょい疑わしいです。

 

 

 単に図書館が毎月(?)出してる、いろんな人が書いた論文の年鑑のひとつに載った。ってだけだと思うんですよね。諮問機関、っていうか、審査とかあるのかコレ?

 

 

 だって、2002年にですよ。「コルトレーンの転調には複数のトニックがある(=自由な転調)」って、もうトピック古すぎる上に、2000年のダウンビートに書いたのと内容同じですよね。

 

 

 コルトレーンの転調の自由さなんて、世界中のコルトレーンマニアが(奏者じゃなくてもファンだって)知ってる事です。

 

 

 ただ、もしですよ。「それの統一理論が出て、学術書に載った」なんて事に成ったら、黙っちゃいられないですよ。字義通りだったらもの凄い事なんですよコレは。

 

 

 日本語で書いて、日本で出せば良いのに。コルトレーンの研究家、多いんだから日本は。ってか、こんな、図書館の出してる年鑑に出た!なんつって満足してないで、本場アメリカで先ず出せば良いんじゃないの?一挙にコルトレーン研究の権威ですよ。

 

 

<と思うと、実はちゃんと出してるんですね。後でまとめてご紹介しますので、先ずは先に進みましょう>

 

 

 画面1分04秒に出て来るのが、IJSが出してる、前述の「ジャズ批評年鑑」で、これに世界の山ちゃんの論文が載ったんですね。内容はコルトレーンの転調(笑)。

  

 

 ところが、前述の音声「学術機関誌があって、わたしの論文も、日本人としては始めてなんですが、掲載されています」以下、「日本のマスコミから取材が来ると思っていたら、、、」の素晴らしい恨み節パンチラインがあって(笑)、こっちがそれに気を取られているうちに、画面がさっと変わるのね。上手いんだよコレがまた(笑)。

 

 

 1分25秒。音声「日本人はバークリーばっかり」のあたりで画像(字幕)「ラトガースijsの「ジャズ研究」学術論文誌の第1号はジャーナル・オヴ・ジャズスタディーとして1973年10月に発刊。

 

 

んで、画面に、それが載ります。すっと自然に画面が変わるので、多くの人が気がつかないと思いますが、この「ジャーナル・オヴ・ジャズスタディーズ」と、世界の山太郎の、論文が載った「ジャズ研究年鑑」は、違う本だからね(笑)。

 

 

 因みにこんなもん、それこそラトガースの図書館に行けば、いくらでも写本できます。稀少本でも何でもない(この講義に出て来る「由緒ありげな古本」も、一冊残らず統べてそうです)。国立図書館で昭和の文芸春秋のコピーとるのと何ら変わりません(やはり「図書館に足しげく通う人」タイプですよね)。

 

 

 上手すぎるぜ山っち!!

 

 

 その後、字幕はこう出ます。

 

 

 字幕1分40秒「ジャーナルオヴジャズステディーズ」として1973年に発刊後、ローレンス・コッホや、トーマス・オウエンスなどのジャズ研究者が続々と寄稿」

 

 

 すっごいミスリード。あたかも自分が、コッホやオウエンスと並ぶ研究家だと言わんばかり(笑)。

 

 

<とーこーろーがー>

 

 

 ワタシはコッホもオウエンスも英文で読んでますが、彼等のチャーリー・パーカーの「研究」は、酷っいモンで(笑)、まあ、「中世では糖尿病の人を治療しようとして砂糖喰わせて殺してたんだよなあ」といった具合のパーカー分析で、クラシックの分析家がモダンジャズのアドリブに興奮してやった、オモチャみたいなもんです。

 

 

 騙されないで!!バカで権威主義の皆さん!!(笑)古本と英語と、アメリカ人の研究家が偉いなんて事は、全くないです(笑)。渋谷陽一とかタナソーとかの日本のロック論と変わらないの。「同国人の批評だから信用出来る」なんて話しは、どこにもないぞ。特に、歌詞の無い世界では(笑)。

 

 

 もう既にすげえ文字数なんで、コッホやオウエンス等、初期の「白人ジャズ研究家」の「バップ分析」がどんだけ荒唐無稽かつ無意味なものだったかを説明するスペースが無いんですが、まあ、ワタシの授業受けに来て下さい。

 

 

 がっかりしたぜー。ワクワクして損したぜー。山くん。「ここ20年で、アメリカのジャズ研究の方法も変わりました」つって、どんなすげえモンが出て来んのかと思ったら、コッホやオウエンスが出て来るのか(笑)。話がアッチャコッチャすぎんだよ山太郎!!!!(笑)

 

 

<んで、いよいよ、こっから先、ちょっと凄いんで>

 

 

 なんていうかな、刺激に弱い方は、読むのを控えて下さい(笑)。

 

 

 さっき、こう書きました。 

 

 

<と思うと、実はちゃんと出してるんですね。後でまとめてご紹介しますので、先ずは先に進みましょう> 

 

 

 以下、調査結果です。

  

 

 自筆wikiより 

 

 

 ニュージャージー州ウィリアム・パターソン大学のジャズ科のディレクターであるデビッド・デムゼイ教授と共著した「John Coltrane Plays Coltrane Changes”」はコルトレーン和声の研究書となっている[6]。編纂と校正にはコルトレーンの息子であるラヴィ・コルトレーンと故アリス・コルトレーン(コルトレーンの妻)が協力し、その公式認可への感謝が本書の冒頭にクレジットされている。

  

 

↑ はい、出て来ましたウィリアムパタースン。「後に重要なキーワードとして登場するので刷り込んでおいて下さい」って言っていた奴です。

 

 

 すんげえー。デヴィッド・デムゼイは未だにウィリアム・パターソンの現役教授ですからね。やっぱ凄い人だったんですよ!世界の山ちゃんはだてに手羽先を付けた似顔絵や「I LOVE MASAYATシャツをのぼりにして店の前煮立ててないのであります。 

 

 

 コルトレーンの和声研究について、権威あるアメリカの先生と共著があるんだから!!一刻も早く翻訳しないと!!ワタシが費用を全額負担しても良い!!!凄い人なのに、運悪く陽の目を見てないんだ!!NHKオレが出たマイルスの番組でフェニックス賞なんかとってないで(貰ったのはオレじゃなくてプロデューサーだけどさ・笑)、拾ってあげて我らがデュークを!!!

 

 

 さあ、どんな本なのか見てみよう。

 

 

自筆wikiにある、「この本の存在証拠

  

 

↑ あったあった確かに!、、、、でも、、、、なんつうかコレ、、、、、単なるコピー楽譜集に見えるんだけど、、、、、シリーズ名に「アーティスト・トランスクリプションズ」とありますし(トランスクリプションっていうのは「写し」という意味で、採譜の事ですから)、、、、それに、どこにもデムゼイ教授の名前が無いし、、、、、

 

 

うーんと、試しに、このシリーズの他の見てみましょうか 

 

 

↑ ラインナップこんな感じですよ。ジャズファンの方なら分りますよね。ノリが。こういうコピー楽譜集の採譜の仕事、というのは、音大生や音大卒業生のバイトとして、重宝されるんですけどね。。。。。 

 

 

そうだな、じゃあ、同じ出版社の、同じコルトレーンのコピー楽譜集がどれぐらいあるか、見てみますか?

  

 

うわー、いっぱいあるなあ。さすがコルトレーン。おお、下の方(出版された年代が新しい方)に山ちゃんのさっきのみっけ。

 

 

 でも山ちゃんの本は

 

 

「コルトレーンプレイズ<コルトレーン・チェンジズ>」

 

 

 ですよね?wikiにもそう書いてあるし。

 

 

 あ。山はんの本の上の上に

 

 

「コルトレーンプレイズ<ジャイアント・ステップス>」

 

 

 という、良く似た名の本があるぞ。韻も踏んでるしな(ジャズファンの方なら、「ジャイアント・ステップス」と「コルトレーン・チェンジズ」が、ほぼ同義語だという事は、お解りですよね)。

 

 

 しかも著者は、出ましたデヴィッド・ダムゼイ教授!、、、、、、、1人。

 

  

<もうこんなメンドくせえ刑事みたいな真似止めたいんですけど(苦笑)>

  

 

 山口雅也さんの「コルトレーン・チェンジズ」の方の解説を読むと、世界の山ちゃんがダウンビートの端っこに載った時から全然変わらない、「コルトレーンの転調はああでこうで、、、」という事が書いてあります。

 

 

 デヴィッド・ダムゼイさんの「ジャイアント・ステップス」には、興奮気味に煽りが書かれてますね。簡単な英語なんで読み比べてみて下さい。

 

 

 これは「ダムゼイ先生の本の方が高く評価されている」と言ってるんじゃなくて(明らかに熱く推されてるんだけど・笑)さっき「単なるコピー楽譜集じゃないか?」みたいな事書いてしまいましたが、これは若干のフライングだったようで、厳密には「コピー楽譜集に、簡単な解説や分析が付いてる本」でしょうね。という事です。

 

  

 リットーミュージックとかの「コルトレーン完全コピー/渡辺貞夫著/監修:中村誠一」とかいった、ああいう感じじゃないでしょうかね。「何の解説も無い、純粋なコピー楽譜集」はオムニブックですからね。

 

 

 ただ、あの、どう見てもコレ、「別の著者が書いた、単著2冊」にしか見えないんですけどね。。。。。

 

 

<いやあ、とはいえwikiにはっきりと「共著」って書いてあるんだから>

 

 

 何かの間違い、或は省略されたカタログであって、正規の記録にはちゃんと残ってる筈ですよね。

 

 

 彼の勤務先、名門ラトガースの、大学が作っている簡単なプロフィールを見てみましょう。

 

 

↑ 簡単なプロフィール内には、ありませんね。まあ、略式だからね。

 

 

 あ、あったあった。ガッツリした奴が。

 

 

↑ ビブリオグラフィ全部見ましたが、、、、、ありませんね(笑)。

  

 

<ワタシが調査のメールを出した留学経験者&在米プロミュージシャンの中で>

 

 

 「日本人がアメリカ人と共著で出した、コルトレーンの和声研究の本」を、見たり聴いたりした事がある人は、残念ながらゼロでした。

 

 

 だって特に、外野の皆さん、わかりずらいかもしれませんけど、そんなもんがもしあったら、画期的なんですよ。要するに、ある訳が無い、夢の本なのよ。

 

 

<要するに、こういう事です>

 

 

 単に、ちょっとした解説が施されたコピー楽譜集のシリーズの1冊を手がけた山口デューク本郷雅也さんは、自分1人で書いたそれを、同シリーズの、自分より前に出た、同じコルトレーン解説コピー集を書いた、アメリカじゃちょいと有名な先生と共著で書いて、ラヴィとアリスにも感謝されたと、、、、まあ、盛っちゃったんですね(笑)。

 

 

 「盛っちゃった」っても、端的にウソだけどねコレ(笑)。ワタシが自分で自分の海外用wikiを英語で書いたとします(まあ、この段階でもうアウトだけどね・笑)。そこに、

 

 

 「M/D」は、日本のマイルス研究の権威である、小川隆夫氏との共著である。

 

 

 って書いちゃったのと同じですよこれ(小川先生スンマセン。こんな場で・笑)。

 

<さて>

 

 

 デヴィッド・ダムゼイ教授はご自分のメールアドレスを公開されていますし、ワタシはラヴィ・コルトレーンと共演歴があり、メールアドレスを知っています。

 

 

 ですので、この2人に

 

 

 「山口雅也って知ってる?(大意)」というメールを2週間前に出しました。

 

 

 ミスリードしたくないので、正確に書きますと、両者共に返事はまだ無いです。

 

 

 更に言うと、「ああ、良く知ってるよ。ワタシの親友だ」という返事が来ても「誰だそれ?」という返事が来ても、「ああ、知ってるよ。ちょっと変わった奴でね」という返事、或はこれらのどれとも違う返事が来ても、ここには書かない事にします。

 

 

 ワタシは、椅子に座らせてロープで縛り付け、頭からガソリンをかけてヘラヘラする所まではする男ですが、絶対に火は付けないです。

 

 

 何故なら、他者の息の根を止めた者は、他者から息の根を止められるからです。「殺そうと思えば殺せる、から殺す」では、倫理も正義もありません。

 

 

 だから、自分からは絶対に撃たないです(例外的に、慣れない事したから「セッション!」の件はあんなメンドくさいこじれ方をしたのだ。と思っています。「セッション!」を自分から撃ったら、脇から変な保安官が逮捕に来たんで、致命傷は与えて、殺さずに放流しました。今頃、かなり痛がってるとは思いますが)。

 

 

 デューク本郷は、その名の通り、自分から(「東郷」とは違い、誰の依頼も受けずに。或は、フロイド的に言うと「自分から自分に依頼して」)我々を暗殺すべく、撃ちまくって来ました。町山保安官に山口スナイパー。さすが在米の方は銃がお好きで、等と言ったベタなギャグは、、、まあ、書いちゃいましたけどね(笑)。

 

 

 特にお若い方、よく憶えておいて下さい。撃ったら撃たれる。そして、撃たれても黙っていたら、また撃たれる。撃たれたら撃ち返さないといけないです。そして、撃ってしまった過去がある人は、逃げ切れないと思って下さい。僕たちはオールを握り、懸命に流れに抗った(あらがった)、でも、いつも流されるだけだった。あの過去へと。

 

 

 ワタシは個人的に、「復讐の連鎖を止める為に、撃たれても撃ち返さない」という考え方を良しとしません。歴史的に、復讐の連鎖が、そうやって止まった事は無いからです。ドイツ人に復讐しなかったユダヤ人は、パレスチナ人に復讐をした。その結果が今です。

 

 

 「最初から誰も撃たない」「そもそも銃が無い世界」も素晴らしい。しかしそれは、かなりのユートピアでしょう。「一発撃たれて、撃ち返すときは、更にもう一発。が来ない様に、しっかり致命傷を与えておく」がワタシの、せめてもの倫理なのですが、どうなりますやら(笑)。さて次回は最終回です。2分09秒

 

 

音声「日本の国立大学で行った(正しくは「行われた」。内心で怒りが沸点に達しているので、時制と主客がおかしくなっている・笑・何せ24分55秒つまり終盤近くに、まるでサンプリングした様に同じ台詞がもう一度出て来る!!!)、ジャズの講義録をまとめた本なんかは」

 

 

 から怒濤の展開を見せる、図書館とネット検索を駆使して、「別にそれ、誰でも全部知ってるけど(笑)」というトピックを、権威ある風に盛りまくり、大いばりで天空から撒いて下さる有り難い講義録について、誰でもそこらの本屋さんで買える、一冊の本でひっくり返したいと思います。

 

 

2016年

6月

26日

「デューク本郷」は「山口雅也」氏です(前編)

 

 

 まあ、これもですね、放置が一番エレガントですし、相手が正気の人であれば、ですが、降り掛かる火の粉は払わにゃいけない訳ですが、なにせ相手が、結構はっきりわかる狂気の人(ここでの「狂気」は、あくまでワタシの判断なので素人判断ですが、精神病や神経症ではなく、人格障害、とくに自己愛人格障害で、主症状に「誇大妄想」「被害妄想」「万能感」「ダサい」等があります)、つまり「ヤバい人」なの

 

1)  端的に「面白い」ので、いじって楽しんでしまう方向に(全盛期のビートたけしが、様々な階層の狂人をいじって、楽しみながら救済した様に)なってしまうと、事が平和裏にグダグダになり、それは今回に関してはあまり好ましくない結末であること


2)キレられて訴訟されたりストーカーになられたりすると面倒であること(これが大袈裟ではない根拠は後述します)


 の2点の可能性が低いとは言えず、つまり、前々回、前回と比べて、具体的なリスクが高いということ。


 そして

 

 

3)前々回、前回と違って、「相手が1人で、こちらが複数。つまり、こちらが囲い込む形に成る事


 であって、これは、気にしない方は気にしないファクターでしょうが、ワタシは基本的に、1人の敵を味方と一緒に取り囲むのは、端的にイジメの形態と似ているので、あんまり好きじゃないんで、よっぽど止めとこうかなと思ったんですが、やはりキチガイはタダ者ではないので(端的に言うと、ワタシはキチガイが好きなので・笑)、長文で説明する事に有効性、特にジャズ批評に関する有効性、権威主義に関する有効性、あとは単にすげえ面白い物件&何せ実害があるので、それを晴らせる、という有効性、が包含されていて、まあ、犯罪者を警察が保護するような事だと考える事にして、書いてみました(「そんな事書いてないで、さっさとニューチャプター本を書け」「その前にグルメエッセイを書け」といった、腹をすかした読者の皆さんからの抗議のお声は、耳元で重々鳴り響いているのですが・笑)。


                      <舞台背景(amazonについて)>


 ワタシはamazonに対して、あくまで個人的には、ですが批判的です。

 

 

 「個人的には」とするのは、企業としてワタシと現在契約関係にあるSONYに代表されるビッグカンパニーは、amazonによる流通、特に、どんどん値崩れして行く。という構造が企業利益として+と出る律が高いと評価しているからで、ワタシがビッグカンパニー傘下にいる限りは、それに自動的に従っています(これは「改革を諦めている」とか「長い物に巻かれている」のではありません。「ビッグカンパニー目線ではそうだろうな」という説得力を感じているという点、そしてSONYの企業としての肯定的評価と、ワタシの個人的な批判的評価が、決別を招くほどのコンフリクトではない。というだけです)。


 個人的に批判的である根拠ですが、amazonは所謂タックスへイヴン方式というか、「本社はアメリカにあり、日本に会社自体が無い」という紙会社スタイルを採用しており


(*菊地注:最近はこんなんもありますけどね。でもまだ伏魔殿ですよ)


 とはいえそのこと自体は何の文句もありませんし(よくメカニズムが解らないので)、また、賛否が分かれる所であろう「ユーザーズレヴュー」の設置、に関してもワタシ個人はどうでも良いです(amazon自体を個人としては一切利用しないし、日常的にユーザーズレビュー見ないので。今回、山口氏をストップさせる為に、遅まきながら「それ関連」だけを見ました)


                     <ではamazonの問題はどこか?>

 

 

 ワタシの評価によるamazonの最悪点は、前述の「ユーザーズレビュー」内での、作家とユーザーの、或はユーザーとユーザーとの間に交わされる名誉毀損裁判、あるいは削除申請などの、いわゆる訴訟型のコミュニュケーションに関して、訴訟社会である米国ノリの人——在米の外国人や、そもそもそういうズケズケしたノリの人——、が優遇され、日本的な、遠慮がちで和を以て貴しとなす人々の、優しい抗議なんか、スカーンと退けられている可能性が濃厚だと推測せざるを得ないからです。


                         <根拠を出します>

 

 

 今回の主人公である、「デューク本郷」氏(他にも複数のアカウントとレビュワー名はあり、また最近、ワタシや濱瀬元彦先生の囲い込みを逃れる為に新しい名前が増えた様ですが)amazonの、ある狭い界隈での有名レビュワーには有名な人で、一方、本名である山口雅也氏の方に関しては、日本人のほとんどは知らない人で、ニューヨーク在住の、おそらくアルバイトかなんかで食ってる人、なんですが、自称「音楽家/教育家」です。


 後述しますが、最近、氏は、youtube内で「ジャズ講義」を始め、そこには自分で解説と、コメントを書いています(さすがアメリカ、DIY精神が強い方です)

 

 ↓

 

<ジャズの本場=アメリカで成功した日本人ジャズ研究の第一人者として、アメリカのジャズ学の基本を教えます>

 

 

<個人的には、尾木ママみたいな教育分野のご意見番に見て頂いたり、みなさんにpositive なコメントをtwitterでしてくだされば、一挙にアメリカの「ジャズ研究」は日本で広まると思っているんですが.......これで面白いと思ってくれなければ、本格的な「ジャズ研究」は、今後20年、日本に根付かないと思います(ジャズ教育なんかウソやデタラメの方が良いとなってしまうという意味です)。CCNYの卒業式では、ヒラリーと握手し損ねました(私に手を差し伸べて向かって来ていたのに、向かいにいた黒人女性に握手の機会を奪われました)。残念!>


 この段階で、動画を見る前から、かなりゾクゾクしますけれども(「尾木ママ」・笑)、スミマセンが、まだちょっと見ないで下さいね(流れがあるので・笑)、今回のを読み終えてから、せーので解禁、としましょう(笑)。


 とまあ、残念な事にヒラリーと握手をし損ねた山口氏ですが、とにもかくにも、先ず、氏を知っているニューヨーク在住のジャズ関係者の評判を聞きたいですよね。


 と、以下、ワタシは、アンケート調査をしたのですが、まあぶっちゃっけ、ヤバい人を暴く為のものですので(笑)、アンケート回答者の名前は出せません。出せませんが、


1)ニューヨーク在住

 

 

2)ニューヨークで演奏活動中(つまりプロ)


3)山口氏が卒業されたニューヨーク市立、およびジュリアード、M&S、ニュースクール、William PattersonPurchaseEastman、クイーンズカレッジ等々、「アメリカのジャズ学校」を、ひとつ、乃至、複数卒業している


4) そのご友人達

 

 を何人か知っています。「名前は出せない」という段階で「なら信じない」という方は信じなくて結構ですし、「ああ、○○だな」といった推測は簡単につくと思いますが(笑)、まあ取りあえず、先に進みます。


 ワタシは彼等、彼女等に、英文と和文で以下のメールを送信しました。「英文と和文」なんちゃって、外国語権威主義みたいですけど(笑)、要するに、非常に簡単な内容だということです。


 ○○さま


 お久しぶりです。菊地です。実は今、人探しをしておりまして、その方とコンタクトを取りたいんですが、あなたはこの方を知っていますか?もし知らなかった場合、お仲間に聞いてみてもらえませんでしょうか?不躾な質問で申し訳ありません。


 その方のwikipediaです(ご本人が書いたと思われます。ご自分のサイトにあるプロフィールと、Amazonのユーザーズレビューにあるプロフィールの内容と文体がほぼ一緒だからです)


wiki


公式サイト


                    <回答は非常に偏っていました>


 回答の内容は非常に豊富でしたが、先ず最重要だと思われる3点のみあげます。


1)自分はその人を知らない。


2)自分の友人知人も、その人を知っている人はいなかった。


3)友人の、更に友人、まで遡り、ご本人と同大学出身者にも聞いたが、その人を知っている人はいなかった。


 勿論、知名度というのはデリケートなデータです。操作も可能ですし、ワタシがここにウソを書く事も出来ます(書いていませんが)。


 また、ワタシは、「知名度がない奴はダメな奴だ」等とは、我が少ない毛髪のけ先ほども思っていません。非常に優れているが、国内外では無名である、アンダーレイテッドな音楽家/教育家/研究家、というものは、どの国にも存在します。


 (だんだん真面目に書いているのがバカバカしくなって来ているのですが・笑)ただ、ワタシが日本語の原義として考える<成功者><第一人者>というのは、いくら少数で(ツリー全部合わせても200人ほどでしょうし)、偏った(ワタシ個人が直接コンタクトを取れる方々と、その友人、知人のみですから。ただ、名前は出せませんが、彼等、彼女等はジャズファンならば誰でも知っている人ばかりです)アンケート回答だとしても、ゼロはちょっとキツいかなと(笑)。


 と、ここまでお読みに成って、「ちょっと待ってくれ<証拠を出します>ってのは何だったんだ?」と思った方も多いと思われます。こんな話題、初めて知った、という方も多いでしょうから。


 そういった方は、先ずはamazonに入り、濱瀬元彦先生の著作、ワタシと大谷くんとの共著作、のユーザーズレビューをお読みください。「デューク本郷」もしくは「tabby cat NYC」氏のレビューが嫌というほど読めます。


 端的に、非常に口が悪く、名誉毀損的で、場合に寄っては営業妨害にあたる、こうした書き込みを、amazonは再度に渡る削除申請をしても(以降、許可を得てお名前を出しますが、濱瀬元彦先生が、です。ワタシは「証拠の提示」の為に、今日まで放置しました)、amazonは取り合ってくれませんでした(なので、現在でも読める訳です)。


 ところが、「デューク本郷」「tabby cat NYC」の本名である山口雅也氏の著作に対する、批判的な書き込みを、氏は総て削除申請し、ブロックしています。


 何故それをワタシが知っているか?名前は出せませんが、濱瀬先生を尊敬する知人が書いたからです。


 彼の書き込みは、基本的に批判的なれど、山口雅也氏による、被害妄想や権威主義に立脚した、異様な口の汚さには足下にも及びません。


 ただ、興奮のあまり、著者本人に呼びかけてしまっているので(笑)規約にひっかっかったのでしょうが、不屈の彼は、規約を読み、何度も規約に触れない文章に書き換えました。濱瀬先生も、御自身で、何度もamazonにご説明され、削除申請を繰り返されました。


 どうやら我々は、アメリカ人の、訴訟専門の弁護士でも雇うしか無さそうです。


<これでもまだ、「何一つ決定的な証拠はない」と仰る方も多いと思われます>


 お待たせ致しました。すぐ出します。


 こちらも、許可を頂いたので名前を出します。岩波書店から発売されている、濱瀬先生の「チャーリーパーカーの技法」の編集担当で、現在はフリーの編集者である斉藤さんの証言です。あくまで証言であって、物的証拠をワタシは見ていません。総て書きたいほどの、抱腹絶倒の内容ですが、要約します。


1) 岩波書店に、「ニューヨーク在住の山口雅也と申します」で始まるメールが届いた。


2) 主題は(以下、実際の文章ではありません。斉藤さんから伺った「要約」をワタシが口語体に直した物です)「自分の著作(スケールの本)に、星ひとつをつけ、何度も貶すレビュワーが現れた。調べて見ると○○○氏(前述の、実際に書いた人です)という名で、菊地×濱瀬のイベントに関わっている。こいつはきっと岩波の社員だろう(*菊地注:どうして?・笑)。


3)「何故なら、ソッチが出している、濱瀬の<チャーリー・パーカーの技法>へのレビューに、名誉毀損に相当するオレへの書き込みがあったからだ(*菊地注:自白・笑)」


4)「○○を名誉毀損で訴えるので、所轄を教えろ。もし、岩波でなく、下請けだとしても、濱瀬×菊地のイベントに関わってるんだから、知ってるだろう。こいつに、何でこんな嫌がらせを書いたか法的に効力のある文章を書かせて送れ。ただ、オレはいままで嫌がらせされてる身だから、オレの名前や、一切の情報は伏せて送らせるんだ」


 ま、ここまでで、第一に、「デューク本郷=山口雅也」はゲロってしまっているし、「オマエどんだけ卑劣で気持ち悪い奴だよ」という事も、嫌というほどゲロってしまっているんですが、一番面白い=おっかないのは、メールのオチの部分です。


5)(送って来た物は)法務省とamazonに送付する。


 ひえー(笑)。もう一度


5)(送って来た物は)法務省とamazonに送付する。

 

 法務省(笑)

 

 それってアメリカと日本のどっちの?どっちでも良いか(笑)。

 

                 <とまあ、狂気の一瞬からひと呼吸おいて・笑>

 

「いや、まだ山口雅也は限りない灰色だけど、黒だという確証はないのでは?」と思う方もいらっしゃるかも知れません。話しが入り組んでいる上に、ちょっとワタシの説明不足もありましたかね。


 時系列でまとめますね。


1a. ○○さんはデューク本郷のひどい書き込みに怒り「山口雅也さん、教育者として匿名でこのようなことを書かれるのはどのようなお考えでしょうか」という文章を『チャーリ・パーカーの技法』へのamazonでのデューク本郷のレビューに対して書きました。これは前述の通り、すぐに消去されてしまいました。再び前述の通り、その後、○○さんは山口をイニシャルにしたり、変形したりして同内容の書き込みをしましたが、すべて迅速に消去されたそうです(バックに米国法務省がいるから?それとも「アメリカで唯一成功した第一人者」だから?笑)


2a. それで、○○さんは、山口雅也さんの三冊のスケール練習の本(この本については後に分析結果を書きます)について星ひとつをつけるレビューを書いた(これも現在は消去されてます)。


つまり山口雅也さんは


1b.自分の本3冊に星1つをつけるレビューを見つけ、そのレビューアーを辿って行くと、


2b. 自分の知らない「チャーリー・パーカーの技法――インプロヴィゼーションの構造分析」に辿り着いた


と言っており、本当の時系列は2b1bなのにとぼけて逆の順序、1b-2bで語っているわけです。卑劣だなあ。成功者というのは(笑)。


 つまり、「デューク本郷宛」のレビューに山口雅也の実名を書いた書き込みに気づくのは山口雅也本人でなければ無理ということ&削除要請するのは山口雅也当人でなければ、できないはずです。


 しかし、山口雅也の本に○○さんのレビューを書かれてから、レビューアーを辿って行くことにより「チャーリー・パーカーの技法――インプロヴィゼーションの構造分析」に辿り着いたと嘘を語っているわけですね。


 このことからデューク本郷が山口雅也であることは確定されます。


 <なんつって、思わず探偵みたいな口調になっちゃいましたが・笑>


 こんな推理や証拠を挙げなくても、読みゃあすぐに解るんですよ。ワタシは匿名でもの書いた事が無いから、書きゃあ即ワタシだと解りますが、いくら名前隠したって、ねえ?(笑)


 因に、岩波書店は○○さんは岩波書店の人間ではないと返事して、それで終わりということです。


 卑劣続きで言えば、「チャーリー・パーカーの技法――インプロヴィゼーションの構造分析」にたいする山口雅也さんのレビューは消えましたが、このレビューに対する批判の書き込みがあまりに多く、旗色が悪くなった事、そしてなにより「自分が山口雅也であることが発覚すること」をおそれ、自分で消しています。逃げた訳です(amazon側で消去した場合には「amazonにより消去」というコメントつきでレビューリストだけ残りますが、それが無いからです)。


 何か、「ネット音痴」とか言えなく成るかも、オレ(笑)、とか言っちゃって、勿論これは、複数の有志に寄って、証拠を挙げ、推測し、確定したのであって、ワタシ個人は「こんなん、コイツに決まってんじゃん(笑)」と思っていました。


 <卑劣で権威主義者で誇大妄想で、「I LOVE MASAYA」と自分でプリントしたシャツを愛機スタインバーガーの横に掲げた写真をサイトに乗せ、自分の講義を尾木直樹さんにジャッジして欲しいと願う山口雅也=デューク本郷(その他)は>


 ソロアルバムを、インディーレーベルから5年ぐらい前に1〜2枚出しており、現在うち1枚は実質的な廃盤。もう1枚は試聴が出来ますが、「お前が言うなよ」と言われそうですが・笑・演奏家としては、ちょっと、残念ながら、相当アレですよね。まあその、「よくこれ試聴させてるよな(汗)」と戦慄します。


 また、さっき「分析する」と言った、音階練習の本(日本版を2011年ぐらいから2〜3冊、出しています)ですが、お楽しみの分析結果を書くならば


「<オレは凄い>以外、何が言いたいか全く解らない、音階がいーっぱい書いてあるだけの本」


 です(笑)。


 まあまあ、「オリヴィエ・メシアンの方法論を云々」物凄い謳い文句なんですが、単なる文章がヘタクソな音階の本以上でも以下でもありません(ニューヨークが長過ぎて日本語が不器用に成られているのでは?)


<そこでワタシは、ここまで総てを知ってから、彼を引きずり出し、停止させる為に、罠を仕掛けました>

 

 こんな狂犬相手に吠えても無駄だろうと思い、紳士的に「公開討論」を申し出す事にしたのです。

 

 アップは2年前の年末です。少々長く成りますが、もう乗りかかった舟だし(笑)、出来れば全文お読みください。ここまでの一切何も経緯をしらない方でも、ジャッジは出来る筈です。「トップカスタマーズレビュー」というのは、どういうジャッジによるものか解りませんが、「212人のお客様がこれが役に立ったと考えています」という所でしょうか。212が多いのか少ないのか、皆目見当がつきませんが。


              <商品「M/D」カスタマーズレビュー 投稿者 菊地成孔


 この文章の結びで、ワタシは「最低でも3年は待つ」と書きました。要するに、2年早く「次の行動」に出た訳ですが、それには根拠があります。


 デューク本郷氏からも、山口雅也さんも、一切の音沙汰はありませんでした。トラップの例えで言えば「逃げられた」訳です。


 しかし、「逃げられた」だけで充分です。ワタシがこの文章で相手にしているのは(本名も素性も知らない→大ウソ・笑)「デューク本郷」氏であって、氏が大暴れしている主戦場(というか、「唯一戦場」笑)であるamazonのユーザーズレビューから、これだけ紳士的な対話要求が来ても逃げるだけの理由がある事、それ以前に、単に挑まれて逃げる様な奴である事が示せたからです。


                           <とーこーろーがー>


 ワタシは、このクソ忙しい時期に(いつでもクソ忙しいんですけどね・笑)「次の行動」に出ざるを得なく成ったのです。


 前述の通り、この夏、いきなり山口雅也氏がユーチューブで「ジャズ史講義」を始めたからです。言うまでもなく、我々への呪詛が渦巻く、非常にエグいものです(笑)。


 それは兎も角、多くの、彼を支持している権威主義の盲人は、自動的にこう思うでしょう。ってか、総てを知っているこのワタシですら、一瞬思いましたよ。


 「アメリカで成功したジャズ史講義の第一人者なのだから、自分のクラスの講義の録音、もしくはその講義録をまとめたものをテキストアップするのだろう」


 と。


 でもこの「講義」、どう考えても1人で自室で作ってますよね(笑)。

 

 思えばこの人、「教育家」とは書いてますが「教育者」とも書いてありませんし、自分の学歴はペダンチックにてんこ盛りですが↓


 「自分が今(あるいは過去)、どこの学校で教鞭をとっているか」


 どこにも書いてないですね(笑)。


 そうなんです。この人、「教育家」なんだけど、自分のクラスが無い、教育家なんですよ(笑)。天才バカボンに出て来る目玉のおまわりさんです。


 次回は、この方の「講義」が、どの程度の物であるかを分析します。今度は「1行だけ」ではありません。周到にやります。


 ですので、次回のアップ(一週間後ぐらいになると思います)までに、少なくとも、初回と二回目のマイルス編はご覧に成って下さい。


 人格障害者の毒性に弱い方、つまり、ほとんどの方が、途中で何度か吐きそうになると思いますが、感心してしまう部分もあると思います。


 いずれにせよ、全部見ないと、次回からのアップは面白くありませんから、全部見て下さい。「全部見たよ。もうお前(菊地)の分析はいいわ」という方もたくさんいらっしゃるでしょう。だってまだまだ日本は、捨てたもんじゃない筈ですから。最後に山口氏へ。法務省をバックに付けた告訴を楽しみに待っております。


 

2016年

6月

17日

<ハッピー・マテリアル>のCDは踏んでないです(笑)

 予告通り、<最後にオープンのネットに書くシリーズ文章>の二回目として、まあこれも、前回しつこく書いた通り、永遠に放置しておく方が遥かに粋だと思うんですが、とにかくまあまあネッ都ちゅう都は大変にゆとりのない都で、一度人の恨みを買うと、どんどん世代を越え、語り継がれて、盤石かつ、どんどん大きく成っちゃう。そのエスカレーションが止められないように都条例がなっているみたいで、おっかない事この上ないんで(「二次元だってそうだろ」という反論も、勿論あると思います。が、やはり事はーーーフロイディアンであらばこそーー質より量なので、ネッ都は最終都市であり、超歴史的な側面を持ってしまっていると思います)まあ、懐かしく、楽しい話しでもありますし、長々と書いてみます。

 今回、<何年何月>といった資料性はゼロに近いまま書きますので(自分で調べるのが面倒くさい&調べるのが得意な人なら、一瞬で調べが付く内容だと思うので)、疑わしいと思った方は各自調べてみて頂きたく、その点はご了承ください。(っていうか、まとめられて、転がっているかもね。この件は)。


 (*オタクの皆様にお願い1/「菊地成孔が、自分のラジオ番組の中でアニメ<ハッピーマテリアル>の主題歌CDを踏んだ。あるいは、踏み割った、そして更には、ブードゥーの呪いの音楽とミックスした」と断じている人がいたら、お手数ですが、コチラを教えて差し上げて下さると大変助かります。)

 

<プレ発端―――ワタシの10傑>

 
 本件はラジオの話ですが、入りが本の話しになります。

  ワタシは、国文学は、ごくごく普通程度にしか嗜みませんが、日本人のエッセイは大好きで、良く読みますし、モノによっては、エッセイという枠を遥かに越えた、越境的なエッセイもあって、それによって、所謂「正規の」学問書/思想書/芸術書/詩や戯曲も含む文学全般からよりも、遥かに大きな「生きる上での指針」を貰ったりしています。

  つまり、ワタシには「書き手というメンター(懐かしい言葉だなあ1)」が複数います。

 ここで「オレの人生を決定ずけた10人(日本人の著述家)」を揚げると(*今回、1人を除いて、生存者だけでラインナップされています)

 

1)筒井康隆

2)吾妻ひでお

3)山下洋輔

4)伊藤俊治

 

 この4台巨頭に関しては、アチコチで書きまくり、話しまくってますし、何せ信じ難い事には、お4方全員と、対談させて頂いたり、あまつさえ、お仕事などもご一緒したり、ワタシの演奏を聴きにいらしてくださったり、飲食なども共にしつつ、長いおつきあいをさせて頂いたりしている事も、御存知の方も多いと思います。

 続く(順不同ですが)お3方は、前述の4者に比べるとややマニアックになりますが、ご贔屓筋の皆さんならば、ワタシのメンターであることを御存知だと思われます。

 

5)呉智英(最も影響を受けた一冊は「バカにつける薬」)

6)南伸坊(最も影響を受けた一冊は「笑う写真」)

7)岸田秀(最も影響を受けた一冊は「ものぐさ精神分析」)
 

 更に、最近の方で、ワタシと同い年や、年下の方でも


8)片山杜秀(最も影響を受けた一冊は「音盤考現学1」)

9)中原昌也(最も影響を受けた一冊は「知的生き方教室」←文学作品だけど)
 

 と、とどめに、唯一の女性、そして物故者として

 
10)ナンシー関
 

 さんがいます。ナンシー関さんとは面識こそありませんが、もう自分の精神活動の一角をシンクロさせているので、一心同体感がとても強いです(鈴木慶一さんとヒクソングレーシーと千代の富士が好きだとか)。入手出来る総ての著作を持っており、総てを繰り返し読み返しました(今もたまに読む)。



 余談ですが、ワタシは、マツコデラックスさんとも、ジェーン・スーさんともお会いし、お仕事させて頂きました。お二人ともとても聡明で品が良く、とても親切にして下さったし、お仕事ぶりは――特にマツコさんは――いつも拝見させて頂いて、大いに楽しませて頂いております。



 ただ、巷間、お二人を「<ナンシー関直系>の毒舌コラムニスト」とする向きがあり、まあ、世の中、真贋の見分けがつかないメクラが大いばりで編集や評論をやっている――しかも、文字が書けるだけの素人と一緒に――という。批評行為、コメント行為に関する、完成されたディストピアとも言って良い手酷いご時世ですから、ある程度仕方ないにしても、端的にこれは間違っています。

 あくまで、エッセイストとして、と限定した上で比較した場合、関氏の知性と筆力、何より責任感と攻撃力は、比較されているお二人とは、比較に成りません(勿論、関氏――ちなみにワタシと同学年――の生きた時代――2002年に逝去――と現在では、あまりに時代も違いますし、大変聡明なお二人の事ですから、その事は自覚されていると思いますし、あくまで私見では、(関氏と違って)マスメディアでの積極的な稼働をなさる。ということは、「その事」への無意識的な表明行動だと思います)。
 

 <さて発端―――「上智」の件より遥かに古い>
 

 今回、証拠写真を添付しましたが、1997年にナンシー関氏は、これまた大変な才人である、放送作家の高橋洋二氏と共著で「ヴィンテージ・ギャグの世界~国民の心をつかんだあの一瞬(徳間書店)」という名著を発表しています。

 


 これは、「昭和」が終わって8年、オウム真理教事件と阪神淡路大震災から2年後というタイミングで、「<昭和>を彩った、さまざまなタレント達のギャグ」を「ヴィンテージ・ギャグ」とし、共著者である2人を筆頭に、多くのエッセイスト(いとうせいこう、ピエール滝、ヤマカタ・EYE、泉麻人、松尾スズキ、等の名も)と共に紹介し、解説して行く。という内容です。



 志村けん、野口五郎、堺正章、萩本欽一、所ジョージ、といった存命者から、マジシャンの伊藤一葉、ジャイアント馬場、愛川欽也、塚田茂、ハナ肇、フランキー堺、といった物故者たちがマーブルに混じる、正に「去り行く昭和が、まだ去りきっていないタイミング」に刊行された一種の、「喪の作業としてのエンサイクロペディア」であると言えるでしょう。

 


 この中で、ワタシが特に気に入ったものの中に、高橋洋二氏が紹介した「山本コータローの<鈴木老齢ディレクター>」があります。



 顔相的には、さかなクン、Coccoに先んじていた山本コータローについては、まあ、検索して頂くのが一番手っ取り早いとはいえ、ワタシの世代であれば、ググらずとも以下 ↓

 


 山本コウタロー/1970年に、フォークグループ<ソルティシュガー>の「走れコータロー」(フォーク・クルセーダーズの「帰って来たヨッパライ」の国民的ヒットにより、当時はひとつのジャンルとして成立していた「フォークのギャグソング」。競馬を題材にしている。<コータロー>は競馬馬と自分の名のダブルミーニング)が100万枚を越える大ヒットと成り、その後も「山本コウタローとウイークエンド」のデビュー曲である「岬めぐり」も大ヒットさせ、テレビ稼働も多かったとはいえ、やはり代表的な仕事はAMラジオで、TBSラジオの「パックインミュージック」のパースナリティとしての仕事は、未だに壮年ラジオファンの間で語り継がれている。

 


 と、一瞬の逡巡も無くまとめることが出来ます。

 

 <とさて、圧倒的なテレビっ子であったワタシは>

 

 山本コウタロー(紛らわしいが、こちらが本名。「走れコータロー」は、前述の通り、競馬馬の名前)のラジオ、なんて聞いた事は勿論ありませんで、ただ、歓楽街は夜が遅く、近所の飲み屋(友人宅)に風呂などに入りにいったり、晩飯をちょろまかしに行ったりすると、「オールナイトニッポン」や「パックインミュージック」を始めとする「深夜放送」がラジオから流れており、



 「おお、コレは何か、フォークとかには抵抗があるが、オレが抵抗があるだけで、一般的にはコレはサブカル(当時はそんな言葉ありませんが)系のエンタメ(当時はそんな以下同文)として、いま最もエッジなユースカルチュア(当時以下同文)なのでは?」



 等と思ったのが、ワタシのAMラジオ事始め、でありまして、その後の現在、ですから、まあまあ、人生とは不思議な物です本当に。



 ですので、<山本コウタローのラジオのギャグ>なんて知る由もないまま時は流れ、渋谷系の黄昏ともいえる1997年、ワタシは翌年に奇病で死にかけたり、その後、デートコースペンタゴン・ロイヤルガーデン(当時。現dCprG)を結成するなどとは予想だにしないまま、この本を(他の「ナンシー関本」同様)風呂でもトイレでもツアー先でも熟読し、暗記するほどになっていました。



 さて、問題の「山本コウタロー/鈴木老齢ディレクター」、高橋洋二氏の名調子を、以下、総て書き起こします。



 最初にオチを書くのは野暮ったいですが、これが掲載されるネットの世界の野暮ったさに合わせて書いてしまうならば「最後の最後の着地に総てがある」ので、どうか最後までお楽しみください。

 

<「ヴィンテージ・ギャグの世界」177~179ページ「山本コウタロー/鈴木老齢ディレクター」高橋洋二>
 

 本書にも頻繁に登場するせんだみつおは今から思えば、わずか数年の「全盛期」のあと、20年をゆうに越える長い長い「昔面白かった人時代」を生きつづけている。が、山本コウタローの場合は、面白い人としての全盛期が終わるなり、「昔面白かった人時代」を生きるのをこばむかのように「嫌われる人」となり、選挙に出て、「スタートダッシュに出遅れる、アントニオ猪木にも離される~」と、選挙活動で歌い(*菊地後注*これは「走れコータロー」の替え歌。選挙出馬は1989年であり、「走れ」のヒットから既に19年経っている)落選して、そのまま第一線からフェードアウトしてしまった感がある。



 政治に目覚めるまでの山本コウタローは、おもにTBSラジオの「パックイン・ミュージック」で、若者を爆笑させた。二大コーナーは「恥のうわぬり」と「たいこめコーナー」である。特に「たいこめ」は「逆さに読むとすごくエッチな言葉に成る」というだけの基本アイデアで、相当な質の作品がハガキで寄せられていた。

 


 「ルミ子、目のしたは」「根負け、私のニキビ」といった単純なものから、だんだんとストーリーもネタの前フリで語られるようになり



 (以下、非常に長い傑作ネタが紹介されているのだが、あまりにも卑猥なので中略)

  というものもあった。



 こういう「ド下ネタ」を、放送コードぎりぎりの発音で読むのが山本はうまかった。そして番組全体を貫く、ダウナー系の「どうでもいいナンセンス」も魅力のひとつで、その代表的なものが、「キューを振っている鈴木ディレクターは70歳のおじいさん」という設定である。「お、鈴木老齢ディレクターから今「もう曲に行け」と指示が出ました」と、何でもなく言うのである。あと、次に読む予定のハガキがどこかに行ってしまい、しばらく探したあとの「ありましたありました。私の足の裏に貼りついてました」というひとことも、なぜかずーっと忘れられないのだ。>

 

 勿論、「ずーっと忘れられなかった」のは、高橋洋二氏だけではありません。

 


   <と、もうこれで今回の話は終わった様な物なんですが>

 

 ネットによって精神に異常を来している人々ならずとも、つまり、あるていど健康な方であっても、自分の好きな者を足で踏まれたらたまったモンじゃありません。

 


 アニメ「ハッピーマテリアル」のファンの方は、ここで話が終わったら収まりがつかないでしょうから、続けさせて頂きます。



 ワタシは、この本を暗記するまで熟読していた頃、将来自分がAMであれ、FMであれ、ラジオのパースナリティを務めるなどと、夢にも思っていませんでした(そもそも、ジャズミュージシャンになるなんて夢にも思っていませんでしたし、それを言ったら、ルパンやガンダムの音楽やるなんて、大西順子さんのアルバムをプロデュースする何て、ありとあらゆる事を夢にも思っていませんでした)。



 ただ、ワタシは本や映画に「ヤラれ」てしまい、移入を起こしやすい、要するに妄想癖の強いお調子者で、クレージーキャッツの映画を観ては、妄想の中でクレージーの一員(それでも設定は「若手」という、妄想中のリアリティ・笑)となり、一緒に踊り、歌ったり、YMOのレコードを聴けば、オーディオ用のヘッドフォンをし、ぜんぜん弾けもしない(当時。今はヘタクソながら弾けます)キーボードを弾く真似をしたり、「カラヤン全集に付いてる指揮棒を部屋で振る人」の事をぜんぜん笑えない奴で、これは自分が音楽家に成る事でやっと治まった、重症のミーハーという病気ですが、「本に書いてあったアレ」をいつか自分もやってみたい。という欲望は、物書きに成った今でも結構強い方です。
 

 <「ラジオのパースナリティになって、山本コウタローのアレをやりたい」は、そのうちほんのひとつ(英語で言うとワンノブゼム)>


 ワタシの人生に於いて、「あの本に書いてあるアレをやり、この本に書いてあるアレをやり、あの映画に出て来るあの帽子を被り、あの映画の、あの台詞を言い、あの映画に出て来るあの店に行き、あの主人公が食べたアレを喰い、あれを飲んだ。セックスは、あのAVで観たアレを以下略」といった一連の行為を、総て知ってますよ。という人は是非名乗り出て下さい。きっと、ワタシよりも遥かに沢山知っているか、1万分の1も御存知ないか、どちらかでしょうから。



 2004年、つまり前回参照の「あらえっさっさの時代(←これもサンプリング。元ネタは言いません)」に、ワタシは、テレビのレギュラーを5本以上、雑誌の連載を10本以上、映画の出演を2本、映画監督を1本、東京コレクションのショーモデルを3本オファーされましたが、これら一律、総てお断りさせて頂きました。

 


 ワタシは特別なフェームもプライズも要りません、お金はまあ、毎晩の飲み喰いを始め、今だったら母親の介護費とか、まあその、いろんな扶養費(苦笑)とか、サックスの練習をするスタジオ代とか、○○○をするための○○○代と○○代とか、そこそこ小銭がかかるので、その程度が稼げればそれで充分ですし、うっかり街も歩けない有名人になんて成りたくもありません。



 ワタシは、一生好きな事をやって、遊んで暮らしていたいだけのロクでなしで、昔やった大病と、若い頃、やり放題にやりまくった罪科のツケで、子供の作れない身体ですし、とにかく、好きなだけ好きな事をやり終わったら、のたれ死にで良いです。
 

 <と、すみません二段落も余計な話しをしましたが、「そんな時代」に、東京FMから、「ラジオのパースナリティ」という、驚くべきオファーが入ったのです>

 ワタシが編成会議に行くと、番組プロデューサーは、「外回りをやって、あらゆる所でサックスを吹くのはどうか」とか「ジャズ人生相談」とか(笑)、まあ、楽な仕事だよなあバカでも出来るんだからラジオのプロデューサーなんて。と、下を向いて笑いながら、やがて顔を上げ、「ワタシには天才的なパートナーがいるので、彼と二人の双頭パースナリティで、企画はこちらが全部決める。という条件ならやります」と言えば、落とされるだろうと思っていたら、何とそのまま話しが通り、これが、一部で伝説の番組と言われている「水曜WANTED」です。



 この番組のDの方は、クルクルパーのPに比べると話しの分かる方で、結果として番組は、我々の出す企画と、彼等が作家の仕事もかねて出した企画をどっちも半々にやる。というスタイルに落ち着きました。



 その中に<今週のJ-POPトップ10を見て、うち何曲かをプレイしてコメントする>

  というコーナーがあったのです。

 


  我々(ワタシと大谷能生)は、今でもメインツールとして使っている、お互いの私物であるCD-Jを駆使して、あらゆる実験を行いました。その後、この番組の蘇生を狙った、宇川直宏氏(氏と志を同じゅうする人々は山ほどいました)による画策で、現在でも続いている(「WANTED」より遥かに長く!!)「ジャズドミューン」

 


で行われている事は、映像関係を除けば、総てこの番組で行われた事ばかりです(同じ機材を使ってるからね・笑)。

 


  「大谷マナー」としか呼び用が無い、不条理なほど面白い珍盤(後述しますが「ブードゥーの実況録音」は、そのうちの一枚です)を大谷くんは毎週持ち込み、それを打ち合わせの席ではなく、収録中にいきなり出して来たりして、共に躁病質である我々は、お互いのギャグにお互いのギャグを被せては、腹が痛く成って喋れなく成るほど笑い、毎週、大いに楽しみました。



  それは、前述の、お互いの愛機であるCD-Jの機能を使い、一切普通にプレイせず、速度を変えたり、逆回転にしたり、ブチブチにちぎったり、ありとあらゆるミックスをしたり、つまり、霊力が宿っている音盤にたいして、陵辱の限りを尽くしたのです(とはいえ、実際に踏んだり割ったりするような事は、一切していません。ここでいう「陵辱」とは、再生の際に加えられる音楽的な効果の総称です)。

 


  この「神をも畏れぬ」という、ピカレスク的な行為(「ジャズドミューン」を一回でもご覧に成った方にはお解りでしょうけれども「自分の大切なレコード」すら、無茶苦茶に犯すのですから)は、我々が単体に成った時には生じません。ワタシと大谷くんが一度一緒に成ると、そこには、自分の宝物(それは最終的には「自分そのもの」まで繋がっているでしょう)をも陵辱する左翼性とシュールレアリズムが、凄い勢いで立ち上がっては、止まらなく成るのでした。

 


    <そして、ワタシの、たぎるような移入の夢が>

 

 「ありましたありました。ワタシの足の裏に貼り付いていました」の実行、をしないで、どうしろというのでしょうか?



  ワタシは、さっき書きました、企画会議で偉いさんが得意に成って、寒すぎるコーナー企画を開陳するのを、嘲笑しながらも、内心では「とにかく、もしラジオをやることになったらアレとアレとアレとアレをやるのだ」と心に決めていました。ワタシが「ラジオでやりたい事」は、ラジオを聴かない人生でありながらも、前述の通り山ほどありました。「足の裏に貼り付いてました」は、そのトップクラスにありました。



 ただ、山本オリジナル版の「ハガキ」は、時代の遺物としてほぼ消えていました。ハガキはメールのプリントアウトに取って代わられ、「たった一枚を探す」というリアルと切実さを失っていました(「あのメールどこだっけ?」「あ、すぐプリントアウトしまーす」という時代です)。



 逆に、山本オリジナル時代の「音源」は、高い確率で「ラジオ局のライブラリーにある、レコード盤(ヴァイナル)」であって、アルバムにせよ、シングルにせよ、非常に貴重な物ですし、そもそも、床に置いて足の裏に貼付けたとしたら、音が出なく成ってしまう→器物破損になります。



 ここで三段論法的に(違うか・笑)、ワタシは「いま、アレをやるならCD盤を使うしか無い」と決定しました。



  もう一度、しつこく念を押させて頂きますが、ここでワタシが「CDを使ってアレをやる」というのは、擬似プレイ、つまり、どうせ目に見えない訳ですから、本当にCDを踏もう。とは思っても居ません。「踏んだ事にすればそれで良い」訳です。この点は「山本オリジナル」も、実に微妙な所だと思います。



 <以下、記憶は曖昧、記録は最大、といった感じなのですが>

 
 ある日、「<ハッピーマテリアル>というアニメ番組の主題歌を、チャートで1位にするために、1人が何十枚も買っている」と番組スタッフに告げられました。

 


  ワタシは後に「CDは株券ではない」という本を書いて、更に後に、AKB商法がすっかり定着した頃、「大変な先見の明だ」とか何とか、過分な事を言われましたが、その原体験は、この日の驚きにあります。



 ワタシと大谷くんは、そのCDジャケットを手に取り、「へー。面白い事思いつくなあアニオタは」とか言って、他の「今週のトップ10」を手に取ったりしました。そもそも、J-POP批評すらする気もなく、ただただ悪ふざけがしたかった我々は、今週はどのCDで、どんな事をしようかな、という事ばかりを考えていたのでした(因に「ハピマテ」は、現在に至っても1度も拝見しておりません)。

 


   <その結果>

 

 ワタシは、積年の夢であった「ありましたありました足の裏(実際の放送では、「スリッパの裏」、もしくは「靴底」と言った様に記憶していますが、曖昧です→調べればすぐに出て来ます。動画サイトに総ての回が上がっていると聞きましたので)に貼り付いてました」を実行し、大谷くんは、ブードゥーの実況版を「ハピマテ」に大喜びでミックスしました。



  悪事を相方に押し付けている訳ではなく、ブードゥーとのミックスは、こうして大谷くんがした事です。そしてそれは、純粋に音楽的に、物凄く美しかったし(ソウルシンガーの声より、アイドルの声より、演歌歌手の声より、「声優の声」が、一番ブードゥーから遠く、つまり、一番良くコントラストが出たからです)、面白かったし、そしてワタシは、例のギャグを実践する為に、ハピマテのCDを手にもって、リアリティを出す為にマイクをがさごそ言わせ「あれー、見つからねえなあ」とかなんとか言ったあと、「ああ、ありましたありました。ワタシの足の裏にありました」と言いました。



 勿論、実際には踏んでいません。以下、記憶は曖昧ですが、大谷くんが「あー、踏んじゃってるよ!割れちゃってるじゃん!」とか何とか、被せて来て、ワタシも「あ!いけねえ。割れてる!ぎゃはははははは」とかいうエスカレーションもあったかも知れません(全くなかったかもしれません・笑・因にワタシの部屋は非常に汚く、散らかりまくりで、自分の作品を始め、貴重なジャズのCDなどをぱりんぱりんと割りながら部屋の中を移動しています)。



 いずれにせよ、実際は行為としては擬似ですし、ここまで書いた通り、「ハピマテ」をピンポイント狙い撃ちにした訳でもなんでもありません。我々は毎週毎週、何らかの形で、適当に選んだ複数の盤を陵辱し、そしてそれは番組の最大人気コーナーに成ったのでした。

 

 <とはいえ、「擬似だろうが何だろうが絶対に許せない。謝れ。謝れ。謝れ」という方もいらっしゃるでしょう>
 

 本当に恐ろしい話しで、これを書いている最中、米国で、米国史上最悪の銃乱射事件がありました。犯人はゲイクラブを狙った。写真を見る限り犯人にゲイフォビアがあった事は間違いないでしょう。ISと関係しているとか言ってますが、自宅発育テロという言葉があり、これは例えばイスラム国のプロパガンタを見ているうちに、自分が日頃、恐ろしい、憎い、と思っている人々を殺戮する理由が発育するという事で、ワタシの直感では、こっちのケースでしょう。



 余談が続いて申し訳ない。ネットが無ければ、自宅発育テロ(「自宅養成テロ」かな?ホーム・グロウイング・テロ。とか言ったと思いますが、いわゆる模倣犯とか、有名な犯人への移入、などと区別されます)は今よりもずっと低い発生率で押さえられる筈です。秋葉原の加藤くんだって、掲示板なんてなかれば、あそこまで発育しなかった筈です。



 しかも犯人は、音楽に合わせて銃を撃ちました。ゲイクラブで、ゲイの人々に向けて、キックの爆音に合わせて銃を撃つ。



  これは、音楽というフォースを悪用してしまった、憐れむべきと同時に、決して許す事の出来ない「敵」それも「悪質な強敵」であって、犯人が射殺されたからそれで良し、とドラスティックには処理出来ません。ワタシは、地球上に「敵」がいる限り、今までも、そしてこれからも「敵」と戦います。あらゆる平和的な暴力を使って。

 


 以下は、予定外に、たった今、目の前で報じられた事件の衝撃と憤り、昂りを必死で押さえ込みながら書いたものだとご理解ください。



 <差別と敵意について>



 ワタシも大谷くんも、「萌えアニメに血道を上げている人々」に対し、<何の差別意識もありませんよ、他意は一切ありません>とは決して言いません。



 また<てめえらみてえなキモオタなんかいつか全員殺してやるよ>とも決して言いません。



 今回の話は「実際には踏んでも割ってもいないし、何故、そんなギャグをしたか」の説明であって、「さあ、萌えアニメ好きのオタクの皆さん。我々はみなさんに何の差別意識も悪意もありません。誤解は溶けましたよね?仲良く生きましょう」と言っているのでは決してありません。



 何せ一方で我々は、同じ番組の同じコーナーで、当時大変な人気があったのに、我々が知らなかった「湘南の風」を「何だこりゃ、バンド名、湘南の風。って凄くねえか?ぎゃははははは」「鹿島の水!」とか言って、湘南の風のファンの方から来た「テメエ等、何様か知らねえが、ぶっ込んでやるからな」というガチンコの恫喝メールを読み上げ、「いつでも来い。逆にぶっこんでやる。武蔵小金井の砂!!」とか何とか言った記憶があります(曖昧。実際は「怖いなーこの人たち」とか言いながら苦笑していただけかもしれない)。



  そういった、エンターテインメント、即ち芸やネタのレヴェルと、日常的な差別意識については全く別の話です。



 「WANTED」で我々が行った事は、我々なりの表現活動の一環であって、一種の無差別テロです。「無差別テロ」という恐ろしい行為の中にある、唯一の安息地は、言うまでもなく「無差別」の部分でしょう。あらゆる差別の撤廃こそが人類が目指すべき平和の形態であるからです。



 名女優が出した曲であろうと、自分が認める、数少ないJ-POPの名曲であろうと、何が餌食に成って陵辱されるかは、そのインプロヴィゼーションが始まってみないと解りませんし、それは毎週、何曲にも渡って続いたのです。無差別テロとか言って、偉い人のはいじれない。とかいった腰の抜けた事は、我々は一切していません。ジャズの名盤ですら、陵辱しました。

 


 我々は、あなた方を、あなたがたを蛇蝎の如く差別する人々が言うほどキモいとは思いませんが、とにかく我々と、文化的な嗜好がまったく違う事は間違いありません。



  この物言いですら呪われる可能性がある、苛立ちが循環するご時世ですが、我々にとって、我々とあなた方の嗜好の違いは、どうだって良い事です。



  お互い、好きなもんを愛でて楽しく暮らしましょう。いつか解り合える可能性だってあるのだから。

 


        <長いPS>

 

 差別に関するワタシの考えを書きます。ワタシは、幸福なバカであるオプティミストではありません。差別を含めた、あらゆる「敵」が、この世から、魔法の様に消えてしまう事はありません。



 だからこそ、「好き放題に差別し放題。憎み放題」では、人類は破滅するでしょう。



 この、我々神経症の猿である所の人類が、絶滅を避ける為に日々こころがけなければいけない事は、妊娠のためのセックスとかではありません。互いに、本当に潰し合う可能性を、自らとの闘いの果てに、回避する事です。ユーモア、特に毒舌は有効ですが、今の毒舌は、相手を活かす毒舌ではなく、相手を潰す、元も子もない様なものに移行しています。



 戦争があったっていい、差別があったっていい、貧富の差があったっていい、こういった物を、あるがままに乗り越えて行く知性と実行力がいま、総ての人類に問われています。



 アイドルの追っかけの方々、アニソンオタク、萌えアニメの二次制作、とにかくジャパンクール全般は、今や完全な消費メジャーの勝ち組です。我々ジャズのレコンキスタを天命とする者から見たら、<勝ち組なのに非差別意識でビクビクしたり、すぐに憤激したり、延々と呪詛したりする>という、一見、自家中毒的な真理/行動は、北米に於けるアフリカン・アメリカン所謂黒人の人々と相同的です。

 


  今やメジャーなのに、世界中から愛されるスーパーメジャーなのに、先駆者達が手酷い差別を受けていた長い歴史が合った事、そして未だに「あんなキモくて臭い奴らがメジャーだなんて」という内心の敵意を持っている者達が実際に多数存在している事、等の事実によって、非常に奇妙な立場に立たされている人々の、非常に屈折した心性、これに関する根本的な考察を、我々は、慶応大学の文学部で1年に渡って考察しました。その本は「アフロディズニー」「アフロディズニー2」といい、解答が書いてある本(物理や数学の専門書でない限り、そんな本はおかしいです。最近は「この本には解答が無い」と言ってキレる読者がいますが、インターネットによる病理の典型的な物です)ワタシが名付けた最初の「オタク=黒人」という天才的なタイトルは、文芸春秋社によって退けられました。



 また、これも余談ですが、「誰も聴いちゃい無いのに=全然売れていないのに、無意味に尊敬される=尊敬されるが金がない」という奇妙な立場に甘んじている音楽もあります。言うまでもなく、「ジャズ」のことです。



 前回ワタシは「呪いや恨みを命綱にしている人々の存在は否定出来ない」と書きました。そして、どんな形であれ、他人様の命綱になっているのであれば、それは人助けなのだから、まあ良いか(笑)。とも書きましたし、現にそう思っています。「敵」「悪」の超克手段の中の、最もマイルドで非行動的な物でしょう。



 そして、更に前回と同じ事を言うならば、ここまで事の次第を読んでも、ワタシを呪い、憎み、嘲笑したい人々はいなくなりません。いくらでも好きにして頂いて構わない。前述の通り、今回の目的は、こういう理由なのだから呪わないでくれとか、長年の誤解を晴らして、すぐにでも仲良くしようとか言う気はありません。「事実はこうだ」という事です。



 しかし、ネットによる伝聞、ネットによる呪いの循環、伝説のエスカレーションといった、恐ろしいメカニズム(「そんなんネットの前からそうじゃん」と言われればそうですが、本日二度目に成りますが、フロイド式に言うならば、質より量。であって、あらゆる総ての「圧倒的な大量」は減らした方がよろしい。喉が渇いたなあ、コーラが飲みたい。と言ったら、1ガロン出て来た。どうしますか?)に背中を推されての呪いならば、誰がターゲットであっても、さっさと止めたほうがよろしい。



 何故ならそれは、呪っているのではなく、呪わされているからであって、ワタシなんかより兆倍も京倍も悪い、巨悪に操られているだけだからです。「あいつがオレ等をキモがって差別している。くそう。くそう。くそう」などとビクビクしながら観るぐらいだったら、アニメだろうが何だろうが観るのを止めてしまえばよろしい。と、実際にそうはいかないのは良くわかった上で言っています。しかし、黒人は、黒人である事を止める事は出来ない。パレスチナ人もです。次回は、権威主義と屈辱によって気が狂った山口雅也=デューク本郷という、そこそこのカリスマを持った、卑劣カツ悪質な人物に関して、あらゆる証拠を提出し、こちらが一発で射殺(デューク本郷。は「ゴルゴ13」というスナイパーものの漫画の主人公名のパロディです)します。アメリカの大学に問い合わせたり下準備が大変なので、1週間ほど時間を頂きます。 
 

 <短いPS2>

 


 誕生日祝いのメールや、ライブやラジオ、アルバムの感想のメールを数多く頂戴しています。大変感謝しております。今日と前回のメールは、既にかなり前から準備していた物で、ワタシの主観上の時間は、誕生日の翌々日で、ガンダムのOSTが出て、そしていよいよ来週は大西順子さんの復帰盤が出る。という状況です。ブルーノートは特にセカンドが満席と成っておりますが、1stはまだ若干の余裕がございます。ブルーノートが終わると、翌日のサンダーボルト劇場版の劇場挨拶、名越先生との対談イベントがあって、次のフジロックまで人前に出ません。フジではいろんな奴らに、日本が如何にガラパゴスであるか、現行のメンバーによる最後の演奏で、思い知らせてやろうと思います(笑)。

2016年

6月

14日

「学歴詐称」は、してないです(笑)

 本日で53になりました。タランティーノも松本人志もKONISHIKIも宮根誠二もワタシも53です。おめでとう!!パチパチパチパチ!!!ふー。

 
 とまあ、誕生日が目出たい歳もとっくに越えましたので、前回からの予告通り、本日からシリーズで、「これは(野暮ったいとはいえ)一応、自分の口からキチンと言っておいた方が良いな」という事を厳選して書き終えたあと、「無料で見れる/読める」という世界から消えようと思います。テキストコンテンツのご提供は、今後有料世界のみとなりますのでご了承ください。
 

 と、さて1番目は

 
「学歴詐称」


 についてです。(*オタクの皆さんにお願い1/ワタシに対して未だに「学歴詐称」を明記している人がいたらーーいるでしょうけどーーお手数ですがココを教えてあげて下さると大変助かります)
 

 <先に結論を申し上げると>
 

 「学歴詐称」なんて大仕事は勿論していませんが、一部の皆さんが「菊地は学歴詐称をしている」というガセネタをしっかりと握りしめていらっしゃる事を、遅まきながら最近知り ↓

 
(ショーンK氏の学歴詐称事件の時に「最近、ラジオでファンになったんでいろいろ調べていたら、ネットに菊地さんが学歴詐称していると書いてあってショックなんですが、本当ですか?」というメールを下さり、「うおー、そんなにこの話、発育していたのか、すげえなあ(笑)」とか思いながらも、「はい、しています。本当はハーバードでメンタリズムの学科を出ているんですが、高卒と詐称しているんです。スプーンは曲がりますよ誰でも簡単に」と返信したら、レスが来なくなっちゃった・笑)

 
 まあ、本当は何にも言わずに泳がせておくのが粋だと思うんですが、ネットによる風評被害(懐かしいなあこの言葉)というのは、ファックながら大変な影響力があるという事は否定できず、放置はSONYにも我が社にもよくありませんし(自分でも嫌なんですけどね、こんな役員感覚)、この機会(53歳の誕生日・笑)に事の次第をはっきりさせようと思うに至った訳です。

 
 それに、この件に関して、ですが、えー。はっきりと身に覚えがあるからです(←あくまでもガセネタが流通する原因と成った、であろう、と推察される素材に関して、ですよ。最近は、ここまで読んだだけで「はい自白しました」ぐらい書き広めるキチガイでいっぱいですからなあネッ都という都は)。

 
         *   *   *   *   *
 

    <発端(けっこうな昔話)>

 
 えー、先ずはご面倒おかけしますが、時計の針を13年前に戻して頂きたい。2003年です。
 
 イラク戦争が開戦し、iTunesがアメリカで始まり、マイケルが性的虐待容疑で逮捕され、 Mac OS X v10.3 Pantherが発売された年です。といってもピンと来ないかも、ですね。<まだミクシィもSNSもなく、Amazonはぜんぜん黎明期で、2ちゃんねるが最初のピークを迎えていた時期(以上総て、ウィキペディアより)>といえば、もうちょっとリアリティ出ますかね。
 

 ワタシはこの年に「スペインの宇宙食」という本によって、チンケなサブカルのスターみたいな事に成りました。

 
 既に02年の「SWIM」というサイトが不安神経症の治療日記になっていて、当時からワタシの日記を、心酔とか忘我とかいったレヴェルで読んでいた読者も多かったのですが、そういった「ネットに書いた事」をまとめた書籍、の走り、としての「スペインの宇宙食」のインパクトは、自分で言うのもナンですが物凄く、狂信的な、つまりキチガイのファンとかライターとかを量産しました。

 
 もう一回確認しておきますが2003年です。しつこいようですが2ちゃんねるはあったけど、ミクシィはなく、SNSなんて夢のまた夢、ワタシは「アナタがインターネットに書いた事をまとめて本にしませんか?」と小学館に言われた時、げらげら笑いながら「新手の詐欺が来た」と知人に言いました。本当に、牧歌的な良い時代です。

 
 ま、それは兎も角、とにかく物凄かったのは、出版されるや否や、取材やインタビューと称して、上はちゃんとした出版社の編集者から、下は、ペナペナの手製名刺を持った(あいつらこそ「職業詐称」だと思うんですが・笑)自称「ライター」が、すんげえいっぱい訊ねて来た事です。

 
 そして、どう高く見積もっても、彼等の取材目的は、一流出版社の編集者と言わず、狂信という病が発症させた自称ライターと言わず、全員が、「ワタシに会いたいだけ」だったと思います。

 
 当時ワタシはステイミュージックという事務所に所属しており、第二期スパンクハッピーというバンドとDCPRG(現dCprG)というバンドがカルト的(懐かしいなー。この言葉2)な人気があったぐらいで、インタビューなんて、音楽誌とクイックジャパン以外の雑誌や出版社からほとんど受けた事がありませんでした。

 
 それが、ほぼ毎日インタビューがある。という状況に成ったんです。そして、瞳孔が開きすぎて目が真っ白に成っている「自称ライター」達は、とにかく長居しました。まあまあ、話しても話しても帰らないわけ(笑)。彼等はワタシの自伝でも出版する気だろうとしか思えませんでした。

 
 「スペインの宇宙食」は、厳密には03年の10月に出るんですが、翌年にはワタシ、今よりずうっと影響力の強かった「情熱大陸」に出るので、03年の10月~12月と、04年一杯、都合たったの14ヶ月で、インタビューは、少なく見積もっても500件以上あったと思います。

 
 あんなに自分の半生を他人に興味持たれた年は無いですね(笑)。二度とないでしょう。

 
 ワタシは、コメカミに銃口を当てられて、今からすぐ書け、はいスタート。と言われたら、いつでも半生記が書けます。この14ヶ月間で、500回以上、同じ事を喋らされたから、もう、完全に憶えちゃってるわけ。


 そして、彼等の殆どが、現在ではインタビュー用の道具として当たり前の、小型録音機を持っていませんでした、というか、あれが一般化する遥か前です。

 
 ということは、話しを聞いて、自分でノートに書き込む訳ね(笑)。

 
「ええウッソー(笑)03年で?」と仰る方も多いでしょう。でも、ホントなのよ。ワタシは2003年と2004年の事は一生忘れないですよ(あと、多くの新聞社は、基本的に今でも録音機は回しません・何でだか知らないけど)。

 
   <そのうちの1人は(他意はありませんが)女性で>

 


 重ねて他意はありませんが、ふっくらした方でしたね。ワタシの声を聞いて、手が震えたり、涙ぐんだりしておられまして、しかも、しつこいようですけど、ノートに手書きです(笑)。


 もし、「あ、それアタシだ」という自覚がある方。現在、どこで何をされているか全く解りませんが、是非、連絡ください。クレーム付けるとかではないです。


 この話(「学歴詐称」と言われる素材であろうこと、について)が痛恨なのは、彼女が何の媒体の、何のページの為に来て、何でワタシのプロフィールを、ネットに上げたのか、ぜんぶ忘れちゃってるし、一切記録が残っていない事、なんですよね。(*オタクの皆さんにお願い2/「これじゃねえの」みたいな素材があったらご教示ください。謝礼させて頂きます)。


 言うまでもなく、彼女も勿論、ワタシの評伝作家たらん、<瞳孔広げっ放しの人々>の1人でした。
 

 「スペインの宇宙食」は、今で言うブログ本でありながら(「ブログ」という言葉すらまだありませんでしたが)マルチコンテンツというか、いろんな内容が入っています。


 中には「自伝的」なコンテンツも含まれており、その中で「子供の頃、実家の店番をしていて、ケンカばかり観て育った」「ストリップ小屋に出前に行き、中年のストリッパーにいたずらされそうになって、ゲロ吐いて逃げた」というエピソードは、多くの人をフックしたと思います。何せ後にNHKでテレビ化されたんだから(「わたしがこどもだったころ」という番組でした)。


 しかし、伝記作家たらん彼女は、更にその先、その先の先、つまり、産まれてから今日(2003年か4年)までの事を、ひとつ残らず、全部聴きたい。ぐらいの勢いで、瞳孔を開いたまま、涙ぐんだり手を震えさせつつも、どんだけ話しでも、全然かえんないわけ(笑)。


 ワタシは御存知の通り、出も育ちも、お世辞にもよろしいとは言えず、勉強は未だにさっぱりです。しかし、歓楽街ストリートの知恵がクソほどあったので、「狂信者」という存在の意味や行動様式は、ガキの頃からよく知っています。


 なので「まあ、この人、帰らないわな。刺激しない様にしよう」と、ウザイ半分、面白半分、諦め半分で、マメにお茶出したりしながら、スクイーズされる様に、全部話しました。


 ワタシは暇だったんです、今よりずーーーーーっと。


 そして彼女は、以下の事を聞き出して、総てノートに書き写しました。

 
 古くからの御贔屓ならば、総て知っている事、そして、ココ最近のラジオ新規の方ならば「へー、そうだったの。びっくり」という逸話もあるかもしれません。それらは、総て、本当の話でした。


 「そんなん当たり前じゃん。インタビューなんだから」と仰るかもしれませんが、その頃のワタシは今よりも遥かにおおらかなホラ吹きで、飲み屋なんかで面白がってエピソードを盛ったりするのに一切何の抵抗もないタイプでしたし、増してや、ウインドウズ95前の、牧歌的だった「インターネットというメディア」に対しては

 
<どうせこんなもん何の裏付けも無い、無法地帯の獣道なんだから(DCPRGのwikiに「海外公演多数」と書いてあったり→1回も無い。北海道にすら行った事ない。ワタシのwikiにアニメ関係の仕事とスパンクハッピーの事しか書いてなかったり→どういう方が書いたかボロ解り。していた時代です)、公式性/公明性を持つメディアだなんてひとつも思っておらず、「インタネ(懐かしいなーこの言葉3)なんかに、真面目にホントの話なんかするのは勿体ない」>


 ぐらいの感覚だったんです。


 とはいえ、基本的に、この感覚は現在でも変わっていません。皆さんは、どうでしたか?現在のそれはともかく、03年のインターネットって。っていうか思い出せる?


 とまあ、それは兎も角、そのときワタシは、狂信者は危なっかしいわ、ワタシ自身が、精神分析治療の最中で、我ながら真面目すぎるぐらい真面目に、ホントの事ばかりを話したんです。


 以下、箇条書きなれど、すごく長くなりますが、これは勿論、読む方をウンザリさせるのが目的じゃありません。次の伏線に成っているので、全部読む必要は全然ないですから、面倒な人はスキップして下さい。
 

1)母親の臍の緒が首を絞め、呼吸困難の逆子として、窒息して生まれて来た(アンダーウォーターフェチの原典)。産婆が思いっきりケツを叩き、2分後に爆発的に泣き出した。

2) 実家は映画館に挟まれていた。母方は寿司屋、父方は料亭。実家はそれをカジュアライズした食堂兼割烹の様な、結局夜は飲み屋。

3) 泣くと母親が映画館に連れ込み、そうすると何故か泣き止むので、幼児期から映画館に顔パスで入っていた

4)3代続いた大衆料亭を継いだ、商才は無いが、無茶苦茶イケメンだった親父が、店を潰しそうに成る恐怖から、おかしくなり、ワタシは幼稚園児の頃から、昼の出前、夜中の店番をさせられた(ネグレクトの症状)。

5)そこで、タランティーノどころではないエゲツない喧嘩を毎晩見た(ここは「スペイン」既出)

6) あんな喧嘩があった、こんな喧嘩があった、こんな客がいた。といった、この次期全部を話させられるぐらいのエピソードトークを50個ぐらい(「スペイン」は、中でも一番文学的なものを一個紹介しただけ)言わされる。

7)不在の兄貴の部屋で、はじめてレコード盤という(これ有名エピなんで略)

8) 母親の妹は太平洋戦争の直前から直後にかけて精神分裂病に罹患し、しかも生来、片足に障害があった(自分が始めた観た「女性の裸体」はこの人のもの)。

9)この人(元気で存命中)が、ワタシの育ての母に成る。理由は、いよいよ店を潰す恐怖からおかしくなった父親がネグレクトを悪化させた上に、共依存的に愛し合っていた実母と症状を完成させたので。

10) 店員も雇わず、ずっと小学生が1人だけで、1日中店番をさせられた。自分達はぴったりくっついて上階の調理場にいるのである(実母は不安症で、父親の浮気を60年以上心配し続け、認知症に成る事で、やっと解放される)。育ての母との擬似親子関係は僅か10年弱だったが(風呂や食事や散歩などを、ずっと二人っきりでさせられる)、彼女は後に、やはり障害がある方と結婚、ワタシは実母との暮らしに戻されるが、その頃は中学生で、童貞ですら無かった。

11) そんな中、中学入学時に買ってもらったステレオセットに耽溺し、クラシック音楽に触れ、中学の吹奏楽部にトランペットとして入部し、2年でファゴットに転向、3年で部長になるも、がコンクールの成績がひどく、ほとんどいかなくなり、市の交響楽団に出入りし始める。

12) 高校は普通科だが、授業中は殆ど寝ていたか(当時から夜行性で、寝るのが5時とか6時とかだったので)、さぼって煙草を吸っていたか、ジャズ喫茶に通っていた。思い出せば思い出すほど、自分は実質上の中卒だと思う。

13) 当時は「コピーライターブーム」で、「コレならオレも出来そう」と思ったワタシは、大学の文学部を卒業し、広告屋に入るべく、上京する。

14)とはいえそんなバカが大学なんか受かる訳がなく、上京して早稲田予備校に通うも、1年間で、授業に出たのは3回。ディスコ通いやライブハウス通い、デートやセックスに忙しく、何度か予備校からコーションを受け、実母が半ば(予備校に)謝りに来た事もあった。

15) 当然、大学受験は総て落ちた。唯一合格したのは、東京都内でもない近郊都市にある、誰も知らない、滑り止め用の3流大学だけ。

16)それでも、銚子に帰るのだけは(二浪はさせてくれなかった=金がないので=もうこの頃は店が潰れていた)絶対に嫌なので、その大学に入学手続きをし、オリエンテーションに行った。

17) その日、生まれて初めてのパニック発作に見舞われる(インタビュー当時、まだパニック障害には成っていない)。日本中から集まった、ハイに成った地方の人々のパワーに当てられたか、よほどその大学が嫌だったか。過換気を起こして上半身をはだけながら校門を出、公衆電話で「この大学には入れない」と実家に伝える。

18)尋常成らざる様子に当てたれ、何とか許されたものの、そのままでと家を継がされる。苦肉の作で、その年に立ち上がった母校(これが、所謂「履歴書」的な最終学歴)「メーザーハウス」に入学、入試も無い、ポピュラーミュージックの専門学校。当時は「スタジオミュージシャンブーム」でもあり、ああそうか、「ここを出て手に職を付ける」と言えば逃れられるだろう。

19) しかし入学には楽器が要る。出来そうだったのは管楽器だけだったのでサックスを購入、サックス科に入る。楽器代は、当時長者番付1位の名を欲しいままにしていた小説家の菊地秀行先生(彼は、店を潰した父親のサポートを200%行っても、痛くも痒くもない年収だった)が一括でくれた。

20)そして、高校のときの親友かつジャズ仲間のSという男が上智大学に入学し、ジャズ研に入ったと知り、以後、専門学校でジャズを習い、上智のジャズ研に忍び込み、という二重生活が始まる。「メーザーハウス」は3年でドクター過程を終了、しかし上智のジャズ研にはその後も3~4年通い続ける。


 と、まだ、たったの20項目ですが、今回必要なのはここまでなので、ここで止めます。

 

 実際はこのあとの、「サックスで初仕事→山下洋輔との出会い→ピットイン通い→と、横須賀の米軍基地でデビュー→PC購入(1997)」まで、だいたい126項目ぐらいを、時間で言うと6~7時間かけ、その「自称ライター」女史は持ち帰った訳です。彼女にとってみれば、ですが、「大変なお宝」だったんじゃないでしょうか。


 今でこそ、これらのエピソード群は、何年もかけてあっちゃこっちゃに小出しにして来て、ファンの方なら御存知の事ばかりですが、03年当時、まだワタシのバイオグラフなんて、「スペイン」の中から啜り取る、ぐらいしかなかったあの時期に、この人、まとめて全部、1日で、126項目ゲットしたんだから。しつこいようですが、瞳孔開いたまま、震える手でノートに書いて。

 
 んでまあ当然この人が、多分ネット上だと思うんですが(「少なくとも紙媒体ではない」という意味で)、その126項目をまとめ、ワタシの人物紹介みたいな事をしたんですよ。

 
 しっかしくっっそー、さっきも書きましたが本当に痛恨です。思い出してえなあ。あれ何だったんだろう一体。当時のインターネット界って、まだホント、ジャングルっつうか、開発中の中国郊外みたいな感じだったんで、とにかく憶えていない事が悔やまれるんですが(*オタクの皆さんにお願い/以下同文)、下手するとその人のホームページとかだったかも知れない。

 
 前述の通り、ここが曖昧なんですよね。「ソースは?」の時代(=フランス料理の時代)ですから、このエピソード自体が丸々ウソだと言われたら、もうそれで、今日の話、仕舞いなんですが(笑)。まあ、信じようと信じまいと、取りあえず最後まで読んで頂けると幸いです。
 

 <んで、この先、想像付くと思うんですけど(笑)>


 その人のまとめが、もう、なかなかの仕上がりでして(笑)、父方が寿司屋になっちゃってるのを始め(父=寿司という安易な連想でしょうね・笑)、高校から吹奏楽部とか、育ての母の障害が両足だとか、メーザーハウス中退とか(何でもみんな中退で揃っちゃってる・笑)、まあまあ、瞳孔開いてたからしょうがないよね。としかいいようの無いものだったんです。


 そこにですな


「上智大学に入学するも、オリエンテーションで具合が悪く成り1日で退学。でもジャズ研にだけは通い続けた」


 というのが入ってたの。


 ただ、正直、「アチャー」とすら思いませんでした。それが彼女のアベレイジですし、しつこいようですが、当時も今も、ワタシはインターネット界に公器としての厳正性なんかこれっぽっちも認めていないし、別にいいよデタラメで。ネットなんか。これが新聞とかに載ったら直させるけどね。といった感覚で放置していたんですね。

 
 今はもう、クッソ面倒くせえ時代に成りまして、ラジオで「あの事件何年だっけ?○○頃だと思いますけどね」というだけで、サブがスピード検索して、イヤホンから小声で「1956年です」とか言われて、リズムもヘッタクレも無く、とにかく言い直すんで、曖昧とか勘違いとか適当とか法螺、といった豊潤さがどんどん失われ、パッサパサの世界に成っているんで、嫌々適応してますけどね。って爺の繰り言ですねこんなの(笑)。


 そして、インタビューを受ける様な職種の方だったらどなたも同意見の筈です。インタビュアだとかライターだとかは、おそらく未だに、ジャーナリズムの徒というより遥かに、大なり小なりイマジネーションを持たない小説家ですし、録音機が付く様に成って、彼等の書き起こしのスキルは更に落ちていると思いますが、いかんいかん話が逸れました。

 

 <そして、以下が「身に覚えがある」という根拠なんですが>

 
 ワタシをそのファンタジー小説を、放置どころか、面白半分、めんどくさい半分、何も考えてない半分で、それをまるまるコピペして、母親の事だけ削り、当時のサイトのプロフィールにしばらくそのまま貼っちゃったんですよね(笑)。何の疑問も無かったです(笑)。「アイツが悪い」ぐらいの感じで(笑)。
 

 それに、「自分で自分のプロフを書く」っつうのが、当時、恥ずかしいと思っていたんですよ。「自分はすごい」みたいな事を、自分で書く事になるじゃないですか。今では普通ですけどね。
 

 因に、そのプロフは、1年ぐらい放置したかなあ。後に自分で自分のプロフを書くのが面白く成って、下げました。

 
 と、この段階で
 

 近郊都市にある滑り止めの三流大学(という風に、過去ボロカスに書いてしまっているので、名前を出すのは、当該大学の名誉の為に控えさせて下さい・笑・因みにこないだHPを観たら、メディアなんとか科とか、それらしい科をこしらえて、すごく大きな大学に育っていたので驚きました)にしか合格していなかったのに、上智に合格した(行っちゃいないけどね)というネット上のプロフィールを訂正せず、1年近く放置した、という事実をして<学歴詐称>とするのであれば、ワタシ黒ですね、はっきりと。はーい。

 
 とはいえ、開き直る訳でもなんでもなく、この行為を「学歴詐称」とはワタシ、全く思っていませんし、増してや悪事を働いたとも一切思っていません(悪時だったらもっと100倍働いてますよ。今日も誰にも見えない所で・笑)。
 

 だって「一般的に推測するに、実際より(間違いで)悪く書かれた部分」だっていっぱいあったんだから、まとめてみんな平等に放置ですよ。勿論。
 

 要するに自分がした事は、単に、ネットに対していい加減な対応をしていた、というだけで、これは厳密には「セッション騒動」の現在まで、続いていると思っています。「公開前の映画の悪口を書くのはいけない」なんて知らねえもん(笑)。っていうか、ネットにルールなんかあるの?(笑)この文章だって、菊地成孔が書いたかどうか、何の保証も無いですよ。誰も調べられない。新聞記事だったら調べられるけど。
 

 <ところがですなあ>


 果たしてそのプロフィールを見ると、10人中6~7人が、家が飲み屋とか、両脇が映画館とか、喧嘩のエグいのを観て育ったとか、その他etcみんなすっ飛ばして、「すげえ、上智に入学してオリエンテーションで辞めたんですね!!」という箇所にだけ一点張り、ピラニアみたいに食いついてくる事がわかりました。

 
 「う、何か嫌だなあこの空気。そんなに有り難いの学歴?」とか思いながらも、それでもワタシは更に適当に処していました(もうそのプロフは下げちゃった後だったんですけど)。

 
 「いやいや、あれは変なライターが間違えて書いちゃったの。上智はジャズ研だけだよオレは」と訂正した事もあったし(勿論、コッチのが多かったです)、細かく説明するのが面倒なんで「そうなのよ、オリエンテーションで気持ち悪く成っちゃって」と放置した事も1回や2回じゃないですね。
 

 ただ勿論、「上智に入学して、通っていた(卒業した)」とは、流石に言った事は無いです。そもそもが「実質上、入学すらしていない」というのが前提ですからね。


 再び勿論、マジで神に誓って、「上智大学=偉い」「地方の三流大学=偉くない」なんて全然思ってないです。嫌がらせのメールで「自分を大きく見せようとしている」とか「セコい」って書かれた事があるんですけど(笑)、ホント勘弁して欲しいですよ(笑)。

 
 入りもしなかった大学が○○でなく上智というと、このオレ様が大きく成るの?(笑)どんだけ?(笑・出来たら身長があと10センチ、髪があと2万本ぐらい増えたいですけどね)

 
 それより、こんな素材で「あいつは自分を大きく見せようと<学歴詐称>をした」なんつってる、言葉の意味も解らず熱狂する小学生みたいな人たちや、「上智に入ったのに1日で辞めちゃったんだ。すげえなあ。すげえなあ」って、何回も何回も言い続ける人々のが遥かにセコいですし、「<話しを大きくしている>のはどっちだよ」っちゅう話しですよ(笑)。
 

 <そもそも日本の大学なんて>

 
 特に戦後は、世界の水準から観たら大した事は無く、増してや我らがバブル世代は、大学に入らないと一生棒に振る。という感覚がそもそも無い上に、適当に遊んで暮らしたいだけの躁病質なんだから、自分をデカくしたかったら、まあ、最低でもハーバードぐらいは言いますよね(笑)。「オレとセックスしたら、やりながら発狂するよ。良すぎて」「ライブ来てよ。今まで音楽で経験したことなかった事だけが3時間続くんで」とかは、毎晩言ってました(笑)。

 
 既に、04~5年の講義録である「東大アイラー」にはっきりと書いてありますけど、ウチ等は2人とも高卒なんだけど、面白いイマジネーションと視点を持ってれば東大の先生に成ったり成らなかったりするんだ、っっだちゅうだけの話しです。東大の授業と併行していたラジオ番組「WANTED」でも、はっきりと「ウチら高卒だもんね」と発言している筈です(*オタクの皆さ以下同文)。

 
 後にワタシは大谷クンと一緒に、日本人の学歴差別主義者、抽出的に権威主義者全般のストーカーばりの執念と滑稽さ、悪質さ、醜さを嫌というほど知ることになりますが(「東京大学のアルバートアイラー」というタイトルを、「どうだ、東大だから偉いだろう」と思い込んだ人がどんだけ居た事か。その代表が、寺島靖国とデューク本郷=山口雅也という権威主義で気が狂った二大巨頭ですけど。とにかく顔真っ赤にして激怒したんだよね「東大」という地雷に・笑・寺島クンは早稲田大学を、山口クンは一応、事実上そこそこのアメリカの大学の大学院を出ていますが、そんなん言ったら「ソース」一滴も無いです。自分で自分のwikiに書いてあるだけなんで)、その頃は、二人とも鷹揚で、「東大の教室にアイラー流したら面白い」とか言って、いつもの調子(後にジャズドミューンで炸裂する、あのクソみたいな調子・笑)でゲラゲラ笑っていたのです。
 

 <あとこれも、書くのも馬鹿馬鹿しいですけど>
 

 ワタシは東京大学(文理)/東京藝術大学(楽理)/慶応大学(先端芸術)/国立音楽大学(ジャズ科楽理)の非常勤講師を務めましたが、履歴書に「上智大学入学(もしくは卒業)」なんて書いた事は一度もありません。ってか、メーザーハウスですら書いた事無いです。履歴書は「市立調子高校普通科卒業」でバッチリですよ。普通科でてるんだからね。商業科とは違うんだぞ!!(笑)。

 

 これは調べて頂ければ解りますが、総ての大学からは委託で授業持たせてもらってるんで、、、、とかいうとまた、「自分を大きく」とか言われそうですけど、そうじゃなくて単なる客寄せパンダなんですよ。それはオファーが来た段階から解ってた事なんです。

 
 だから履歴書なんか出す必要も無かったです(出したけどね、大学によっては、形式的に。勿論、最終学歴は「市立銚子高校普通科卒」で決まりですよ・笑)。そして、そんでも構わん。面白く、イマジネーションに溢れた授業が出来るかどうかに、学歴なんか関係あるわけないです。結果は御存知の通りですよ。

 

 っていうか、ワタシの考えでは「学歴詐称」というのは

 
「履歴書に、事実より大きな事書いて、あるいは正規のミーティングの席でその事を一貫して事実であると吹聴する事で仕事取る奴の事」

 
 なんですけどね。大きく間違ってますかねコレ?

 
 ショーンKさんがこれやって、バレて自滅した時、前述の「菊地さんって、学歴詐称しているんでしょうか?」と並び、「あいつと一緒にされてますよwwww2ちゃんで」というタレコミもあって「とうとうそこまで落ちたか2ちゃんねるも(笑)」と思はざるを得ないんですが、とにかくワタシは(そういう意味での)「学歴詐称」なんて大逸れた、そしてケチ臭い事は全くしてません。

 
 それ以前にアナタ、こんな国の大学程度の事をペダンチックに捉える学歴権威主義者だったら、高卒で東大で講義なんかしたら、緊張と歓喜の余り卒倒するか、感動して泣いちゃって授業に成らないですよ(笑)「あー、時間が少し余ったからアース(ウインド&ファイヤー)でも流そう」とかいって、大講堂をディスコみたいにして、隣の教室から怒られてニヤニヤしながら謝ったりしてたんだからコッチは(笑・これは別に「空文化されている大学権威に対するアンチ」とかでもないです。我々はシュールリアリストとダダイストとノンセクトラディカルと人情家の混合体で、楽しくキチガイの振りしたかっただけです。怒ってた学校側の人も、最後は笑ってました)。
 

 大体、そいつが頭が良いかどうかなんて、最短で3分も喋れば解りますよ。そんで充分です。

 
 <まあ、従軍慰安婦問題とか竹島だとか持ち出す気はありませんが>

 
 この件に限らず、「強烈な恨みや他罰行為が、もう生きる糧にしてしまっている人々」は治療した方が良いです。治療したら治るよ。本当に。放置するといじめとかDVとかに発育する可能性あって、怖いですよ。
 

 ワタシを「学歴詐称」って言っても構わない、言いたきゃ好きなだけ言える世の中ですからね。ただ、どんな説明をどんだけ受けても「アイツはアレだから」という信念が揺るぎなく、病的に強い人々は、端的に勇者であり患者さんですよ。余計なお世話ですけどね、ワタシも患者だ。誰に何と言われようと、無条件で音楽の演奏が一番偉いと思ってるんだから。
 

 <しっかしテレビは、見るのは好きだけど、出るのは本当にファック>

 
 とはいえ学歴詐称従軍慰安婦問題の人たちが、鬼の首でもとった様に成るだろうなーコレ。と思った物件が2つあって、これが困った事に、どちらもテレビなんですよね(笑・支持してるのにさー)。

 
 ひとつは「情熱大陸」の字幕かナレーションかで、「上智」と明言もしくは明記されてしまっているらしい事(ワタシは、オンエアも観ておりませんし、オンエア後も一度も観ておらず、手元にDVDも無いので、ちゃんと確認出来ないのですが、オタクの皆様に以下同文)。

 
 これは冒頭、手の震えてる姉ちゃんのテキストを貼っちゃってた時期とさほど離れてないのでしょうがないんですが(「しょうがないも無いもんだろ」と仰られても仕方ないですが・笑)、ここはこのテキストの最重要な所なのでご理解頂きたいんですが、ああいう番組というものは(つうかテレビなんてみんな)

 
 事前に字幕とナレーションの確認なんかさせてくれないんですよ。凄くないか?

 
 まあ、身から出た錆ですし、あの番組のスタッフの方は、ワタシをとても大切に扱って下さったので、全く恨みに思っていませんが。
 

 ワタシは、手が震える姉ちゃんのテキストをコピペして、適当な奴らに適当に返事してました(日によっては訂正もしていたから、要するにグダグダだった訳ですが)。しかし、テレビはマスメディアであり、公器だと今でも思っているので(ウソばっかりの公器ですけどね。そこが良いんですよ)、もしこれを事前に見せられてたら訂正をお願いしていたと思います。

 
 だってテレビは偉いんだもん。ネットなんかより1万倍ぐらい。何せ、合法性が高いし。ネットがどんなに垢抜けてみせたって、非合法性があんなに強いのに法規制がほとんど無い。というだけで、誰かの陰謀で撒かれたドラッグとしか思えないですもん。人倫と経済をパイピングしておかしくしようとしてる奴らがいるんですよきっと。
 

 ネットの悪口をネットで書くと、「オレの大好きなネットを悪く言うな!!」って怒れば良いのに、遠回しに「菊地の文章は悪文」とか「つまんねえ」とかいってセコいやり返ししか出来ない、気の弱い人々に、ワタシは優しいからサーヴィスしちゃいますね。テレビの酷さは、ネットどころじゃないです(笑)。


<完全な余談なんだけど、今でもものすげえ恨みに思ってる事があるんで聞いて下さいよー!>
 

 ワタシ「有吉ジャポン」のパイロット版に出たのね。

 
 テレビのねえ、しかも純バラエティ班のPとかDとか、まあまあ結構なクソばっかですよ。台本見たら、ワタシの紹介の所に「歯に衣着せぬ毒舌で世相を斬る、人気ラジオパースナリティー」って書いてあったの(笑)。シーズン2とかの頃ですよ。1文字も合ってない(笑)。
 

 だから、長沼と二人で、本番前にADくんに言ったんですよ「これ全部、事実無根なんで、カットして下さい」って、勿論、ケンカ腰とかじゃないですよ。微笑みとともに、「宜しくお願いしまーす」みたいな感じで。

 
 そしたらそいつが、「解りました。この紹介文カットで」って言うから「はい、番組では音楽を流して面白い話ししてるだけなんで。すいません」って、頭まで下げたのね(笑)。

 
 そしたら、今から収録するぞ。っていう、ピンマイク付けて、セットに入る直前に、そいつが半ベソかきながら「すいません。あの~う。ここやっぱり、言い方変えて使えないでしょうか。<毒舌>無しで、<舌鋒鋭く>とか<世相を見事に斬る>とか」

 
 「え?何で?(微笑)」と、さすがにキレてみせまして。「だから、世相なんか斬ってねえよ。違う番組と間違えてねえか?言ってみろオレの番組の名前」
 

 とか言って凄んでる最中に「はいゲストの皆さん入りまーす」っていう声が聞こえたのね。ひっどいよねー。
 

 そしたらそいつが「お願いします。お願いします。だって、これだけだとパンチが無いから」って、本当に涙目で言ったんですよ(笑)。
 

「これだけだとパンチがない」

 
 言いたかないけど、コッチぁ熱烈なオファー受けて、断って断って、そんでも追っかけて来るから出たのよ(笑)。
 

 これがテレビですよ。
 

 ウソでもパンチが欲しいんだって(笑)。そりゃあメルトダウンなんか金輪際してないですよね(笑)。

 


 <で、まあ、話戻りますが、「情熱大陸」から幾星霜、もう流石にこの件も忘れていた頃、亡霊みたいに甦るのね>

 
 あれ、CSか何かだと思うんですけど、まだやってると思いますね。「バズーカ」っていう番組があって、小藪さんが司会で、まあ、番組はとても面白い訳。

 
 ワタシは、ヘンリーダーガーからミンガリングマイクを経て、格闘技団体の「ジ・アウトサイダー」に繋げる、所謂「アウトサイダーカルチャーの先生」みたいな訳で、まあ捕まっちゃった(笑)真木蔵人さんとか、辞めさせられちゃった高垣勇二選手とかと仲良く成って、良い事ずくめだったんですけど、いよいよ本番、セット入り、という時に
 


 「講師は、上智大学に入学したのに、1日で辞めてしまった事で有名な」
 


 って、思いっきりガナられたの(笑)。

 


 勿論、アナウンス内容の事前確認なんて、ある訳が無いですよ。普通にこういうのはダマなんですよ。「進行台本」には、おおまかな台詞の流れしか書いてないんですよ。総ての番組が相かどうか知りませんけど。少なくとも「タモリ倶楽部」はそうですよ(笑)。
 

 っていうか、「まだここがフックの人、いるんかのう」と、不思議な方言が飛び出してしまうほどビックリしました。もう腰が砕けてセット内で倒れるかと思いましたが、何とか堪えて無事本番を終えました。これは動画サイトで(恐らく)見れると思います。オフィシャルでやってるから。

 
 ここで、小薮さんとか、真木さんとかが見てる前で「ちょっと止めて止めて!いまのガナリ違います。言い直して下さい<地方の某三流大学に入学するも>に」なんて、とてもじゃないですけど言えないですよ。「パンチが無い」って言われるに決まってるし(笑)。

 
 「じゃあ、どこなんですか」「いやそれは勘弁して下さい。誰も知らないもん」「何て言えば良いんですか」「何も言わなくていいですよ」とか押し問答するか?収録現場で、ヤダよーそんなのー。
 

 出来なかったですねえ。これは悲しいよなあ。多重債務的に(笑)。主観的には苦笑しながら半ベソかいてたと思いますよ。

 
 なにせチーフPの人は、悪い人じゃなかったんですけど、パンクの恰好してるんですよ。

 
「大学出て、テレビ局に入って、サブカルエンタメ番組作ってるけど、オレのスピリットはパンクなんだ」という、事、、、、でしょうね(涙)。

 
 パンクは嫌いじゃないです特にニューヨークパンク。でも、日本でパンクって、マスメディアとかで上に居る人がこうやって使うんだな。そういえば、日本のパンクルックの人って(実際のパンクスを除けば)マスメディアの人ばっかりだな。コックさんにはいないもん。
 

 そして、この人の心には「上智に合格したけど、1日で辞める」が未だにオレの最大のフックに成ってるんだな、、、、ひょひょっとして、それ、<菊地さんってパンクだぜ>って事?、、、なのかしら、、、、とか思うと、もうそれは、悲しみ以外の何物でもないですね。その人が良い人だっただけにね。もう涙無くしては語れないです(因に、数年前、偶然歌舞伎町のコンビニで出くわしたら、出世して、アルマーニのスーツ着てました。このときも悲しかった・笑)。

 
 <とはいえ総ては自分がまいた種ですからな(「スペイン」を出して、狂信者を量産した段階で)>

 
 人のせいにしてはいけない。しかし、ネットにまいた種は、永遠に刈り取れません。半減期もないわけ。03年の自分に言ってやりたいですよ。ネットは怪物化/放射能化するぞと。ガッチガチに脇を固めて、誰に何を言われるか全部想定した上でかからないと、後々すんげえめんど臭せえぞと。

 
 ワタシは、フロイディアンの端くれとして、一点に凝縮された呪い、嘲笑、その混合などなどを命綱として、しっかり握って絶対離さない。離さないと死んでしまう人々がいることは仕方ないと思っています。キリストやマホメッドやピタゴラスが喋った事が、狂信者(アンチも合わせて)によって、ねじ曲げられ、何百倍にも成ってしまう事も。

 
 そういった事が、近代というものの数少ないメリットとして、20世紀になって、随分と薄れかけていた頃、ネットという道具によって、見事に復活している訳ですね。
 

 「菊地成孔bot」ってあったのね。あれ、やられてみれば解るけど、キリストに成った気分ですよ。自分の言った託宣が勝手に切り取られて、どんどん伝えられて行く、っつうのは。平和的に閉鎖をお願いしましたけどね。

 
 ですから、なんであれ誰かの命綱になっているのなら、それは微弱な意味で人助けですから(笑)、まあ、そんでいいかな、どうせ、ここまで書いても、更にケチがつくだけだと思うばかりですが、とにかくこれが事実の総てです。細部に微細な記憶違いなども多々あると思いますが、話しの胆というか芯の部分は間違っていません。

 
 なんで、どう評価されても構いませんが、「学歴詐称」は無いでしょいくらなんでも(笑)。「いい加減で胡散臭い奴」ぐらいで御勘弁頂きたく(笑・それは紛れも無い事実だからね)、次回は「<ハッピーマテリアル>のCDは踏んでません」です(アップは3日後になります)。これも、知らないうちにすげえデカくなってるの、話しが。驚いた(笑)。