<BOSS THE NK(最終スパンクハッピー)の回想録(9)>

 

 工場長は、彼女と二人きりにさせてくれと言い、おーい、お前、降りてこい、と彼女に言った。彼女はワイヤーアクションのワイヤーが背中についているとしか思えなかった。いつも降りているであろうルートで、10メートル弱はある高さから数秒でストン、と降りてきて、工場長に駆け寄り、タックルのようにして思いっきり抱きついた。

 

 

 工場長~。あのお兄さんは自分と一緒に歌を歌いに来たデス。パンをあげて欲しいじゃないスか。お兄さんは今日からここで働くデスか?うん、、、まあな(笑)、、、ちょっとお前、オレの部屋で話さないか?、、、あの人は、、、、、まあいい、久しぶりで2人で話そう。おーい、みんな、今日はもう上がって良いぞ。

 

 

 彼女は一瞬、怪訝な顔をしたが、満面の笑みで「お兄ちゃんの皆さん。今日も1日、お疲れ様じゃないスか~。明日また会うじゃないスか~。歌ってほしい歌があったらなんでも言ってくだサイ!」と手を振って、ぴょんぴょんその場を跳ねた。私は工場長と目を合わせ、軽く頷いてから、「じゃあな、オレは今日は帰るよ。またな」と言って工場を後にした。彼女は私のところに走り寄って来て、「お兄さん、明日は一緒に何を歌うデスか?好きな曲の名前を言ってくれたら、インターネットで憶えておくじゃないスか!さようならじゃないスか(笑)。早く明日がこないかなー」と笑って手を振った。

 

 

 工場長にはまだ一銭も渡していないし、金額の提示も条件の提示もしていない。一緒に逃げられても、やはり気が変わったと強硬になられても、最悪、彼女が錯乱して失踪してもフォローショットはいくらでもある。ただ、彼女には、納得してもらわないといけない。今の所彼女の利益は、パンと歌うことしかない。私は、あまりの事の容易さと難しさに挟殺された。東京でレコード会社と契約する。歌が君の仕事になる。今の1万倍の人々が君の歌を聴く、パンはいくらでもやる。ただ、工場を出て貰わないといけない。帰る頻度は、保証できない。全てがシンプルだ。シンプルすぎる。

 

 

 工場長は「あいつを説得できたら連絡します」と言った。何日かかるだろうか?私は久しぶりの自分の寝床に戻り、疲労がまとめて襲ってこないように、内気功で呼吸を整え、4時間でスローダウンが完了するように身体に言い聞かせた。

 

 

 工場で貰ったバケットをそのまま、マグロの解体のように一文字にナイフを入れて切り開き、近所のコンビニで買った雪印の「切れてるカマンベール」を2箱分、均等に並べて、軽く胡椒を振り、元に戻した。カーヴに保存しておいたドンペリニオンのヴィンテージ06を開け、マグカップに注いでから、その筋に彼女の指紋を渡し、3分間瞑想し、星の使いと言われるシャンパンを半分、バケットサンドを一本分全部食べて、残ったドンペリをデキャンタージュしてから冷蔵庫に仕舞い、12時間眠り、菊地くんに電話をした。

 

 

 

 全てを聞き終えた菊地くんは、開口一番「小田さんに似てんのね?ていうか、そっくりなのね?」と言った。「そうだ。だが別人だ。指紋の照合を当たっているが、小田朋美さんのじゃないのは言うまでもなく、警視庁の失踪者のデータベースにも、韓国にもベトナムにも台湾にも中国にも一致するものはなかった。つまり、厳密には何人かも同定できない」「わかった。歌は似てるか?声というか」「全く同じだね」「ヤバいなあ(笑)。やると思う?やってくれそう?」

 

 

 

 すまんが、今回ばかりは全く予想、、、、と言いかけた瞬間、別のガラケーが鳴った。着信名は

 

 

 

 

「パン(OD)」

 

 

 

 としてあった。工場長のガラケーの番号だが、取り急ぎ呼称がないので、小田さんと似ていることから仮にそうしておいたのである。

 

 

 

 

 私は深呼吸をして、脳内であらゆるケースのシュミュレーションをした。そのうちの幾つかは、あろうことか、私に悲しみを与えた。任務の遂行が頓挫したという意味でなく、個人的な悲しみである。個人的な悲しみは、何年ぶりだろうか?私は、自分の手が軽く震えていることに、自分でも驚くぐらい驚いた。

 

 

 「はい、もしもし、菊地です。工場長さんですか?」

 

 

 

 「はい、○○です。おい、、、お前(工場長さん、自分が出るじゃないスか~)、、そうか、、、、(貸してくだサイ~)お、、、おお」

 

 

 

 

 「君だね。久しぶり(笑)」

 

 

 「そんな~、昨日会ったばかりじゃないスか!(笑)」

 

 

 

 「工場長さんに、話は聞いたか?いろいろそのう、、、君にとって、、、、なんというか、、、」

 

 「自分、やるじゃないスか(笑)」

 

 

 「え?」

 

 

 

 「やるじゃないスか(笑)」

 

 

 「そ、、、うか、、、、、それは良かった。嬉しいよ。あの、念のために、もう一度聞くけど、ちゃんと工場長さんから話は聞いたか?」

 

 

 

 「勿論じゃないスか!(笑)」

 

 

 

 「わかった、、、、、うん、、、、その、、、そうか」

 

 

 

 「お兄さん、、、、なんか、、、自分じゃ駄目スか、、、嬉しくなさそう、、、、」

 

 

 

 「いやいやいやいや!そんなことはないよ!、、、あの、、、、いや、ちょっと、あまりにあっけなかったんで驚いてさ、、、、、あの、、、、ありがとう」

 

 

 

 「本当スカ?、、、、やっぱ自分じゃ、、、、」

 

 

 

 「ダメなんかじゃないダメじゃない」

 

 

 

 「本当スか~、、、、、」

 

 

 

 

 「嬉しいよ。ありがとう(笑)。わかるか?オレは喜んでるんだ(笑)」

 

 

 「そうスか!(笑)良かったデス!(笑)」

 

 

 

 「今からすぐ向かいに行く。工場に行けばいいか?」

 

 

 「工場の皆さんとは、もう挨拶をしてきたじゃないスか(笑)。今は工場長と川崎の駅にいるデス」

 

 

 「そうかわかった。何口にいる?」

 

 

 

 「もしもし、菊地さん」

 

 

 

 「あ、はい」

 

 

 

 

 「こいつを、、、、、よろしくお願いします。あたしは、こいつを置いて工場に戻りますんで、、、、、今はアトレにいます」

 

 

 「わかりました。アトレですね」

 

 

 

 「はい。こいつに、あたしの携帯をやることにしました。これからはこの番号で、こいつが出ますんで」

 

 

 「工場長さん」

 

 

 

 「はい」

 

 

 

 「毎日連絡させます」

 

 

 

 「、、、、、はい」

 

 

 

 「それでは、、、、あのう、、、、工場長、、、あの○○さん」

 

 

 

 「はい」

 

 

 

 「本当にありがとうございました」

 

 

 

 「はい、、、、、はい、、、、おい、お前(もう大丈夫じゃないスか!)そうか、、、ここでおとなしく待ってるんだぞ、、、、それじゃあ、菊地さん、失礼します」

 

 

 

 電話が切れ、私はベッドから飛び起きて、シャワーも浴びずに服を着て、タクシーに乗った。着信歴には、初めて記載される「パン(OD)」という文字があった。私は運転手に行き先を告げてから、心の中で(パン、OD、パン、OD、パン、OD)という呪文を唱え続けていた。

 

 

 

 タクシーを降り、急いで歩道橋を登り、アトレ川崎の入り口に駆け込んだ。映画の待ち合わせのシーンのように私は焦ってキョロキョロし、人ごみの中から彼女を見つけると、私はあろうことか、涙が溢れてきた。なんてことだ。

 

 

 彼女は、背中に大きな風呂敷包みを背負い、両手に大きなビニール袋を2つづつ持っていた。そこには、間違いなく、パンが詰まっている。

 

 

 私を見つけた彼女は、満面の笑顔で、ビニール袋を持ったまま手を振った。幾つかのコッペパンが床に落ち、彼女は「うわ~。落ちたじゃないスか~」と、慌ててパンを拾い集め、最後の一つにかぶりついた。私は彼女に向かって歩いて行った(パン、OD、パン、OD、パン、OD、パン)。

 

 「OD!」と私は叫んだ。彼女は怪訝な顔をして「オーディー?それ何スか~?」と言った。まずそのパンを食い切れ。今日からそれが、お前の名前だ。