この対談は本当に面白かった

Apr-03-2007


 「まあ、本人が目の前に居るからヨイショしようって訳じゃあありませんが、いろんな曲が流れる2時間超のショーでしたけど、一番良い曲はやっぱピチカートでしたよ」と言うと、小西さんは相好を崩されまして、以後対談は大いに盛り上がりました。小西さんとの対談は「アイ・スクリーム」「ファッションニュース」に引き続き、三度目でしたが、今回が圧倒的にグルーヴィーだったと思います。「東京という街について」というお題で、ワタシと小西康陽さんとで対談し、ホストは磯部涼さん。と、贅沢な顔ぶれです。媒体は「TITLE」(過去、横山剣さんとワタシで対談した事が有る雑誌です)。発売をお楽しみに。

 出来ればもっともっと話す事を練り上げてから望めば、一冊の本に出来るクオリティに成ったと思われますが、何せ歌舞伎町クラブハイツ公演の翌日。伊藤俊治先生と、宗教学者の植島啓司先生、そこにバンドネオンの北村君とベースの鈴木君、アレンジ/作曲の中島ノブユキさん等を加えたメンツで、「青葉」の閉店まで盛り上がった翌日。ですので対談はノー準備の即興になってしまい、非常に惜しい事をしました。

とはいえ小西さんがワタシと同じデパート・ラヴァーであること、免許を持たぬタクシー移動であること、そして「タクシーエム」が本当にファックであること等々、かなり盛り上がりまして、ワタシが小西さんに聞きたかった事(「小西さんはどこからどこまでを東京だとお考えですか?」「東京をどうお使いですか?」「パリのデパートではどこが一番お好きですか?」等々)がほとんど聞け、ムードも良く、非常に有意義でした。もう一度同じテーマでやるべきでしょう。

この対談でも何度か名前が出た近田春男さん、そして小西康陽さんは、ワタシが尊敬するポップメイカーでありクリティックであるお二人ですが、共通している事は(ワタシも含め)、常に軽躁状態でハイなので、勢い音楽に極端なまでの鬱性というか、キラキラした曲の中に、ちょっとどうなのか?というほどのメランコリア/センティメントがある所。だと思います。巷間言われる様な「策士」であるとか「批評性」であるとかは、少なくともこの三人(自分含めてます)に限っては、音楽を作っている間には全く稼働していないと思いますね。詳しい様子や考察は例によって「ザ・ユニヴァース」にて。

歌舞伎町クラブハイツ公演が盛況の中終了しました。クインテット・ライブ・ダブ、ペペ・トルメント・アスカラール共に、文字通り何かが取り憑いた様なベストアクトが出まして、しかしそれは夢の中での出来事のようで、未だにワタシ自身がボーっとしております。

 ひとつ懺悔せねば成らぬのは、実はワタクシ、休憩中に去る場所から皆様のドレスを堪能させて頂きまして、特にペペの日の皆様の麗しさには興奮と悦びを隠し得ませんでした。子宮/夜会場としてのクラブハイツも、さぞかし喜んでいたでしょう(通常営業では、あれほどドレスアップされた女性が大挙する事は絶対に有りません)。総てのお客様に愛と感謝、そして連帯に近い気持ちを捧げたいと思います。無痛社会化が進み、「傷つくのは受け入れがたいから、傷ついても傷つかない(という事にする。やがて「傷つくと言う事自体が、意味が分からない。という風に進む」)とか、「愛も美も本当はナチュラルな物であって、決して狂おしい物ではないのだ」といった考え方(こんな抑圧のおかげで「欲情したら即殺したく成る(ので殺す)」といったタメの効かないバカが量産されるのであります)が世論の大勢を占めるというご時世に、女性が着飾って出掛ける力。音楽が傷をこじ開けて、それによって官能に昇華される。というのは、ある種の人々にとっては恐怖に近いほどの、甘美な劇薬であるかも知れないのです。どうかその力を、ワタシの音楽に、これからも捧げて下さいますよう。

ペペは6/30に九段会館、クインテットは未だ未定ですが、ツアーを行おうかなと思っておりますが、何にせよクラブハイツの公演はシリーズ化がほぼ決定しました。お楽しみに。それではごきげんよう。しかしワタクシは、家のすぐ近所で起った甘美な悪夢に、未だにうなされ続けております。

 

 

四月からも番組続きました(冷やし中華始めました)

Apr-05-2007

 

 

 

本日は美学校の授業が有るだけ。の、ほぼオフに近い一日ですが、昨日は「UOMO」の、歌舞伎町クラブハイツ(二回分)公演の記事の為のインタビューとイントキシケイトの「アメリカ」用のインタビュー。&夜はJ-WAVEの収録で、デートコースの「フランツ・カフカのアメリカ」と、「TOKION」の菊地成孔特集に関するインタビューもいよいよこれで最後に成りました。

 今期(「TOKION」の特集、「アメリカ」関連すべて、「TITLE」の小西さんとの対談、「UOMO」のクラブハイツ)のインタビューはワタシが自分で言うのも何ですが、クオリティーが一様に皆高く、非常に嬉しく思っております。特にネットワーカーであるばるぼらさんのインタビュー(「TOKION」収録)は、今まで余り発言してこなかった事が多く、読み応えが有ります。掲載誌の発売日など、ワタシの現在進行形の仕事を総て閲覧したいという方は、ワタシのマネージャーのブログをご参照下さい。

 マイコプラズマ肺炎のおかげで煙草が吸えなく成り、そのまま止めてしまったので、喉の調子が良く、歌とサックスには好都合なのですが、何事もリターンばかりというわけには行きません。最大の損失は、フィットネスジムに行けなく成り、しかし栄養をたっぷりとる癖がついてしまったので、不本意に増量してしまった事です。面白くもない数値ですが、現在ワタクシ身長167センチの体重61キログラム。体脂肪率が22%、血圧は下が60上が125です。理想は体重55キログラム、体脂肪率は15%そして身長が2メートル78!!人生成せば成る。頑張ってみようと思います。

 さて以下は、ワタシが書き込む唯一の掲示板である東大菊地ゼミの掲示板からの転送です。以前ワタシが大谷くんとやっていた「WANTED」というTFMの番組が(ワタシと大谷君の枠が終了したまま存続していたのですが)今期で終了してしまった。という書き込みを受けての物ですが、広くこちらの読者の皆様にも訴えたく転送させて頂きますぞ。


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<番組という物は>

 レーティング(レンティングじゃないですよ)によってクルーエルにもバンバン切られてしまうので、ホントに恐ろしいです。逆に言えばレーティングが上がるとどんどん条件や状態が良く成り、結果番組も面白く成ります。

 さてレーティングのチェックは4月の後半に行われるので、みなさん、次回から4月いっぱいの「ザ ユニヴァース」を聞きに聞きまくり、お友達にも勧めまくって下さい。ワタシの目論みはJ-WAVEの上層部がまったくのノーチェックであるユニヴァースの火曜日が、局全体のレーティングのベスト5ぐらいに入り(笑・無理だと思いますが。まあ、現実的には50位ぐらいに)。「何だこれ?誰がやってんだ?」か何かで番組の評価と予算が跳ね上がり、海外や地方、歌舞伎町からの中継が出来る様になったり、ワタシの発言力が上がって、様々なゲストを呼べる様になったりする事なのです。

 ついでに言えば、そういう状況が続けばワタシの出演料も上がるかも知れません(確約無し)。ワタシは生活する分のインカムは他の仕事で確保してありますので、この番組で頂いた出演料は、一円残らず番組に還元する事をお約束します(というか、現状そうなっています)。つまり新しい音源や資料の購入、あの番組は写真も撮りますので、服。とかね。というわけで、地方の皆さんも、各地方のコミュニュティーFMで聞けるようなのでよろしくお願いします。


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 フランジェリコ(ヘーゼルナッツのリキュール)を舐めて寝る習慣がつきまして、指先にヘーゼルナッツの香りが移っています。では明日、新宿はジュンク堂で御逢いしましょう。ごきげんよう。

 

 

 

甘くて強烈

Apr-06-2007

 

 

 

イタリアンのリキュールについて詳しい方なら、女子供じゃあるめえし、甘いもんばかり飲んでんじゃねえ。と苦笑したく成るかもしれません。現在、モスカートのスプマンテであるアスティと、そろそろお馴染みに成りつつ有る、ヘーゼルナッツの香りをつけたグラッパ、フランジェリコにより、50%以上睡眠状態、グラグラ揺れながら書いております。ヴィノ・ロッソはステインによって花粉症で荒れた喉に障るので、勢い甘くて強いリキュールに行きがちですなあ。甘くて強烈。というのが性にあっているのかも知れません。

 本日は「聴き飽きない人々」のトーク/サイン会がありまして、ほぼ毎日通っている場所。である新宿ジュンク堂(同じく、ほぼ毎日通っている場所。には伊勢丹、伊勢丹メンズ館、紀伊国屋、TSUTAYA。があるのですが)に出掛け、約100名の方の前で対談(相手は元ユリイカ編集長の須川さん。テーマは「80年代は本当の本当に永遠にダメなのか?」)をし、30名の方々にサインをさせて頂きました。予定時間よりも30分早くサイン会が終了しまして、これだったら倍の60人でも大丈夫だったなあ。という話に成ったのですが、まあそれはまたの機会に。という事で、沢山お集まり頂き有り難うございました。お客様そして学研そしてジュンク堂スタッフの皆様に感謝致します。

 その後、そのまま歌舞伎町に戻り、9階で映画の撮影と成りまして、すわ監督第一作か。という事ではなく、出演したのであります。とはいえこれはドキュメンタリー映画で、しかも日本映画ではなく(アメリカ人の女性監督による、アメリカ映画です)、完成しても、おそらく日本での公開も無いであろう。という作品で(ですので皆さんがご覧に成る可能性は極めて低いと思われます)、ワタシはインタビューを受け、それがそのまま撮影されました。

 アメリカ人スタッフにも歌舞伎町の夜景は眩しかったらしく・・・というか「ロスト・イン・トランスレーション」だとか「ブラック・レイン」だとかで見知った風景だった様ですが、とはいえ最初は歌舞伎町の路上でキャメラを回そうとしたので「いかんいかん。ここは危険な地域だ。ギャングスタがいっぱいだよ。我々には許可が必要だ。警察ではなくてだ」と英語で言うと「オー。メニーヤクザ、メニーゲイシャ」と答えまして、「でかい声でヤクザと言うな(笑)」と警告する所でしたが、そこでワタシの仕事場のベランダで撮影。という事になりまして、1時間程で無事終了。アメリカ人スタッフは撤収し、入れ違いで6/30九段会館のフライヤー・デザインチームが入って来まして、デザインの打ち合わせ30分。めでたく今日の仕事が終わりまして、「プレーゴ・プレーゴ」に出掛け、アスティをグラスで一杯、突き出しは桜エビとエダムチーズのパテ、前菜にカポナータ(野菜のトマト煮込みの冷製。フレンチで言うラタトゥイユです)、パスタは旬の貝類のキターラ(ギターの六弦。という名の、断面が四角い太麺です。これは絶品で、うおー。と小さく叫んでしまいましたね)、セコンディは鶏の胸肉で巻いた黒米をブロード(フレンチで言うフォンですね)でヴァポーレした物を。ドルチェはやらず、ショットグラスでフランジェリコを一杯。で千鳥足。であります。おやすみなさい(ウソ。これから「ミセス」に原稿を書きます)。ごきげんよう。



 (追記)

 東京芸大での授業スケジュールが本日解りました。毎週水曜日。第一回は4/11です。これ以上はここには何も書けません(笑)。

 

 

セルフサブミッション

Apr-08-2007

 DCPRGの「フランツ・カフカのアメリカ」が奇跡的。と言っても良い制作進行によって無事リリース予定日に滑り込んだので(らゆる制作ラインに時間がかかり、90%以上の確立で「発売延期」に成る所だったのです。その場合は「ツアー終了後にリリース」という、誠にブサイク極まりない事態に及んでいた筈です)、そのツケでしょうか、現在、良い歳して右の脇腹にテーピングを施し、「アメリカ」を聴きながらじーっとしております(笑)。ブサイクを回避してブサイクに。田園調布に肉を切らせて骨を断つ!

 それは昨日の事。来週からNHK「知るを楽しむ」の収録と芸大の授業が始まるぞ。という事でオアシス新宿(ジム)に復帰したのですが、さあゆくぞとストレッチを開始し、一番テンションのかかる状態(「自分の踵を抱えて胸元に引き寄せ、大臀筋を延ばす」という物です。やってみてください。ヤジロベエに成ったキブンになります)でいきなり背後から「菊地さん!」と呼ばれたので、「あ?」と振り返った瞬間に右脇腹がグキと言いまして(笑)、我ながらビックリする程の早口で「あーいけね自分で自分にサブミッションしちゃった」と叫ぶが早いか「ギックリ脇」のようになり、哀れストレッチマットの上で固まってしまいまして、背後では、ワタシではない、女性の「菊地さん」が、トレーナーと楽しそうに話しているという(笑)。

 誰にも気づかれぬ様に軽く口笛など吹きつつ1分間ほどマットに寝そべってから、おそーるおそる立ち上がると立てる。よおしこのままジムのフロント脇にある「オアシス接骨院」に行こう、何事も無かったフリをして。と思ったのですが、脇をかばうあまりコントに出て来る忍者の様な動きに成ってしまい、ジム中の視線が集中する中、(職業柄、視線が集中する事。に慣れていて良かったわい。こんな忍者みたいなムーブを大勢の人に凝視され、デリケートな人だったら羞恥心の余り舌を噛んで死んでしまうだろう。ふふふふ)等と思いながら抜き足差し足。忍者姿のままフロントを通り越し「オアシス整骨院」に辿り着きまして、ちーいさな声で「あのすいません・・・たったいまストレッチ中に脇腹を捻りまして・・・・」「はいはいこちらへどうぞ」。

 マッサージ用の、息が出来るように顔の所に穴のあいたベッドにうつぶせたまま(どうしよう芸大の講義もNHKも忍者のママ出る事に成ったら。ドンキホーテの宴会コスプレ売り場で買ってこないと。いいいいい色は何にしよう。ややややっぱり赤かな)等と沈思黙考しているうちに、異様にガタイの良いスポーツ整体師さんが「はい電気通しまーす」「はいマッサージしまーす」「はいテーピングしまーす」と、さくさく治療を進めて下さり「大丈夫です軽症です。このままお風呂はいっても良いですよ。但し今日は安静にして下さい」とニッコリ微笑んで下さったのですが、そのまま「いかんペン大の授業が」と、授業を3時間やってしまい、一夜明けたら起き上がれなく成っていた。という始末。

 現在は何とか起き上がり、御陰さまで痛みもほとんど無くなりまして、キーパンチなどしておりますが、皆さんストレッチの際には気をつけて下さいでござる。ごきげんよう(じーっとしながら)。





 <追記>

 「フランツ・カフカのアメリカ」お買い上げ&お楽しみ頂いた皆様有り難うございます。ワタシにとってのアメリカ合衆国を描いたこのアルバムの、着想とテキストレヴェルの話は雑誌のインタビューで語っておりますし、企画書は当欄過去ログ(2/23「双子座のAB型の、もうすぐ44歳」)の中にあります。具体的なサウンドについては基本的には発売後は話さない事にしていますが、ひとつだけ惜しむらくは、5・1サラウンド盤を制作する予算と時間(と、メディアの定着)がなかった事です。

 ワタシは過去、SONY社の企画で「マイルス・デイヴィスのアルバムをSACD/5・1サラウンドのシュミュレーションで聴く」というイベントに出た事が有り、その時にエレクトリック・マイルス期の諸作品がいかにサラウンド向きか。という事を身を以て知りました。ポリリズムやクラスター・ファンクというのは実にサラウンド向きなんですよ。樹木的と言うか、曼荼羅みたいな物より、実際のジャングルに近い。ピグミーの音楽なんかと同じです。

 更に言えば、サラウンドのまま、リスニングルーム自体が移動する様に聴こえるシュミュレーターがあれば最高だと思いました。窓の外の景色が動いて、自分はボートに乗って川下りしている。という疑似経験ですね。これは仕方が無いので。というより、その方が早いので。というより、それこそがそもそものイメージ原形なので、i-podに突っ込んで東京ディズニーランドのジャングル・クルーズなどに乗ってみて下さい。ジャングル・クルーズじゃなくても、川下り系のアトラクションなら何でも良いです。

 ついでにもうひとつ。ワタシからお勧めするのは、いつの時代の何でも良いので、アメリカ合衆国が写っている映像を流しっぱなしにして、CDも流しっぱなしにしてみて下さい。ゼネラル・モーターズのモートラマの映像が。等とグルメな事は言いません。CNNで充分です。

 ワタシの考えでは、アメリカ軍が空爆をしているニュース映像に最も「合う」のはボサノヴァです。ウソだと思ったら脳内でミックスしてみて下さい。爆撃機の腹がぱかっと割れて爆弾がパラパラっと落ちる。爆撃機の動きというのは、恐ろしい事に、すさまじくエレガントなんですよ。そこにジョアン・ジルベルトの歌声が。ブラックジョークを越え、批評も越えた、野生の思考によるマリアージュの完成形ですね。2曲目の「(イッツ・ア・スモール)ワールド・ミュージックス・ワールド」は、そういうつもりで作りました。お好みでアメリカン・ハードコア・ポルノに併せてもイケルと思います。

 非常に長く作ってあります(それでも、元のセッションテープを5分の1に編集したんですが)。詰まらない人には退屈極まりないでしょう。どうしても退屈さが我慢ならない。こんなCD捨ててしまえ。という方は、ご面倒でも、3分おきに止めて、つまり3分間隔でバラバラにして、30曲ぐらいにして聴いてみて下さい。どの瞬間も非常にスタイリッシュでクールなのに、それが連続して流れると退屈極まりない。ワタシはこれをゴダールの映画、特に「ワン・プラス・ワン」と「東風」から学びました。

 

「ジーン・セバーグだ。寝ているようだ」

Apr-09-2007

 

 

 

 歌舞伎町クラブハイツ公演の感想メールが未だに届き続けており、それをじーっとしながら読んでおります(もう、テーピングも剥がし、痛みも取れまして、ほぼ完治。来週よりジム通い再々開。となりました。お騒がせしたでござる)。有り難うございます。いきなり石原都政への抗議。に聞こえるかもしれませんが(断じて違うのですが)、都知事の再選、三期目就任により(お目出度うございます。ワタクシ僭越ながら私信をしたためまして「FRAU」誌に掲載させて頂きました)、都知事が推進される「浄化」政策によってクラブハイツは数年後に取り壊されるという説が有り(未確認)、もし万が一そうなったとしたら、ワタシは再び母親の子宮を失うわけですが、喪失も憂鬱もワタシの栄養であり、失われ行く場こそがワタシの舞台であります。取り壊されるその日まであの場所で演奏して見せましょう。

 最近は新宿勤務の皆様・・・伊勢丹各フロア勤務の皆さんから、二丁目の住人、銀行、リストランテ、家具ショップ、デザイン事務所が新宿にある方、果てや市長、区議等々。からまでメールが届きまして、町内会の様で非常に楽しい限りです。まだ歌舞伎町在住3年目の新参者ですが、新宿通いは一応40年のキャリアがあります。宜しくお願い致します。

 「本当に毎日、伊勢丹、伊勢丹メンズ館、紀伊国屋、ジュンク堂、TUTAYA新宿店に寄るのですか?そんなにお忙しいのに?」というお声を方々から頂きますが、本当も何も、そこにコマ劇場周辺、歌舞伎町全域、西新宿(レコード屋だらけ)全域、二丁目、三丁目(ペン大は三丁目です)全域、が加わり、週末には都庁/パークハイアット周辺が加わります。最近は当欄の更新も毎日ではなくなり、飲酒の習慣もつきましたので尚更です。

「ネットサーフィン(死語に近いですが)、漫画、ゲーム、テレビに興味が無ければ、この国ではかなりの時間が出来る」というのは気の利いた警句や皮肉ではなく、単なるワタシのリアルライフでありまして、一時、Uチューブとフランス国立視聴覚研究所のサーヴィスには眠りを奪われそうに成りましたが、そのブームも無事乗り越え、現在はオットー・プレミンジャーの「悲しみよこんにちは」を見ながら(ジーン・セバーグの、最初に着ている水着の色が赤だったかオレンジだったか確認するため)、マーテルのコニャックにコーヒーフレッシュを入れて舐めております。ジーン・セバーグの水着姿を見るとちょっと胸が痛む。その痛みがチェイサーです。ワタシは20年前に「ジーン・セバーグだ。寝ているようだ」というファンクの曲を作りました。彼女の変死体を車の中で見つけた警官の第一声です。

 今日から数日間は結構大変な事に成ります。芸大の授業(毎週水曜日。2時辺りから、上野校の、かなり大きい教室で。と、もう本当にこれ以上は言えません。残されたウィズダムがあるとしたら「芸大は人々が多く訪れて、話題になる事を望んでいなくもないようだ」とだけ・笑)と国立音大の授業が始まりますし、NHK「知るを楽しむ/マイルス・デイヴィス」の撮影がいよいよスタートします(マイルスに最も縁が深い日本人。との特別対談も有り、充実した物に成りそうです)。それが済んだらいよいよDCPRGのツアー開始。となります。東大のマイルス講義録、グルメエッセイ、格闘技エッセイの準備は着々と進んでおります。さっきまで、最後にパリに行った時の話を書いていました。

 「南米のエリザベステイラー」の録音がパリで終わり、これぞ正にラストタンゴ・インパリ。数日パリで過ごしたものの、もう行く所も無く成り、実に寂寞としていて、雨が降って来て、ヤケクソでドゥ・マゴに一人で入り、疲れ果ててタルト・タタンを注文し、他にガトーを4つも注文してしまい、全部食べたら、隣に座っていたドイツ人に哲学談義をふっかけられた。という話です。ワタシはただ単に遠い目でテーブル一杯のガトーを食べ散らかしていただけなのに、何で彼がジャック・ラカンの話をしてきたのか、未だに解りません。ではごきげんよう。



<追記>

 トップ写真のキャプションは「<悲しみよこんにちは>は<勝手にしやがれ>と<サイコ>を生んだ」としてください。



<追記2>

 因に、当時マイルスは「マイルス・アヘッド」から「死刑台のエレベーター」

 

 

現在、仕事と仕事の合間(実は常に)

Apr-10-2007


 「そのお話を伺っていると。まるで父親の様ですね」

 「はい。そうですね。父親です。彼が生きている事で、僕らは自分たちの位置を確認出来た。」

 「父親でありながら、さきほど仰った通り、ピュアな5歳児でもあったということですね。」

 「そうです。そうです。だから彼が亡くなったとき・・・僕は泣きました。」

 ごめんなさいね僕は日本語がヘタクソだから。とおっしゃいながら、ケイ赤城さんは明晰かつ雄弁、そして非常にハートウォーミングな語り口でした。本日はケイ赤城さんと対談(というかインタビューですね)して参りました。ジャズファン諸氏には言うまでもないでしょう。マイルスが死ぬ半年前までバンドに在籍した「マイルス・デイヴィス史上唯一の日本人(アジア人)メンバー」がケイさんです。

 NHK「知るを楽しむ/マイルス・デイヴィス」の撮影が本日から開始されまして、番組の中で3人の方と対談することになるのですが、人選はワタシがする事に成りまして、何せNHKですから、外人を呼びつけても構わない。時間さえ許せばアメリカに行っても良い。といった構えだったのですが、ワタシが考えたのは全員、日本人にする。という事です。

 これは、いくらワタシが英語でしゃべらミー賞/最優秀発音部門の受賞者だからと言っても通訳無しのインタビューは無理であり、また、同時通訳つきのインタビューは、往々にして音楽のテクニカルタームが扱いにくく成る。といった事だけではありません。

 晩年のマイルス・デイヴィスは「親日家」といっても良い姿を見せました。親しくしたかったのは日本の金と日本の女だけだ。という人も居ますが、この点は未だに実に微妙です。80年代/バブル経済。という現象のフェイスはボディコンや業界君、地上げ屋に会員制ディスコだけではなく、アフロ・ポップや(拙著「聴き飽きない人々」をご参照下さい)、復帰後のマイルスにも有形無形の影響を及ぼしているわけです。「マイルスに縁のある日本人」は、60年代からポツポツいましたが、復帰後に急増します。

 ケイさんは非常にインタラクチュアルな方ですが、恐らく今までどのジャズマガジンからもされた事が無いであろう、この質問(80年代の日米の関係とマイルス・ミュージック。そして自分が起用された事)に対して、即答で「なるほど」と膝を打つ様な明晰な発言をされました。

 対談はあらゆる意味での記念の場所、目黒ブルースアレー・ジャパンで行われ、2時間に及びましたが、番組で流れるのは15分程度でしょう。明日は芸大の授業初回終了から直接現場入りで、アーシュトン・ボラージュ代表、佐藤孝信さんと対談して参ります。「マイルス研究家」としてのワタシはどんなにひいき目に見ても2・5流程度ですが、ケイ赤城さんと佐藤孝信さん両氏に突っ込んだ話が聞けるナヴィゲーター。というのは少なくとも日本人ではワタシだけだと思われます。オンエアをお楽しみに。

 これから「kamipro」のインタビューを受け(DSEのファイナルショーであるPRIDE34について)、夜はJ-WAVEで収録で、バンドネオンの北村君が来ます(要するに、「来週放送分」に北村君が出ます)。そして更に次の週。4月の最終週は久しぶりの生放送です。「爆笑問題のニッポンの教養」もそろそろ始まります。諸々お楽しみに。ごきげんよう。

 

 

新宿→上野→西麻布→京橋→新宿

Apr-12-2007


 本日は東京芸大でのプレ講義で、「講義の概要を説明して、履修するかしないか生徒に決めさせる」そうですので、これはプレゼンではないか。プレゼンは苦手である。製品は出来上がってから関係者に公開するタイプである。だって、事前に計画だけ話したら、誰も本気にしないもんー。そんなクリエーター人生だったもんー。等と思いながら、すっかり授業の一回目だと信じ込んで準備して来たのを頑張って寸止めしまして、プレ講義にしました。ご興味御座居ます方は是非履修して下さい。

 講義のテーマは「エロティシズム/エキゾチズム」ということで、要するに非常に幅広く、一見テーマは無いのかと思われるほど幅広く、今までワタシが大学でして来たあらゆる講義(レギュラー/ゲスト併せて、東大、早稲田、慶應、国立音大、芸大、アテネ・フランセ)の内容に、現在準備中の「ポスト/カウンター・バークリー」の内容を併せ、かつワタシの音楽作品のコンセプトと構造(ポリリズム、ポリトーナル、そしてポリパーソナル)を総て結びつけた結果、総合的な方向性としてはこう銘打つしかないな。という緩い感じでありまして、「芸大の楽理科」という枠組みを尊重するという意味で、ジャズ発の特殊理論(LCC、LUNG等々)の周囲を回りながら進む事を基本としますが、毎回テーマを設定して実験を行い、果たして前回の講義と今回の講義は関係があるのか?ぐらいの形で、1年後には何かを掴んでいる。といった感じに成ればなあと思っています。東大の時の様な、血湧き肉踊る面白さ。面白すぎて結局なんだか解らなかった。みたいな(笑)方向の反対に行こうという訳です。

 プレ講義である今回は、特殊理論の構造理解から引っ張って来た「意識と調整はアナロジー可能か?(無意識と下方倍音列による調性拡張/再編成はアナロジー可能か?)」という命題をきっかけに、まずは「夢」という現象を扱う。という予告まででした。初回(つまり来週)の授業ではルイス・ブニュエルの映画から音楽が消えてしまった事、フロイトの音楽に対する不感症の記録、シュール・レアリズム芸術が何故エロティシズムばかり追求したのか?夢はなぜ多く映像と音声(音楽ではなく)を中心に構成されているのか?ゴダールの映画が持つ記憶喪失的な効果。といったフラグメントを結びつけ、「ブニュエルの映像に音楽をつけてみる」という実験に向かいます(時間が足りなかったら更に翌週へ)。これは、ペペ・トルメント・アスカラールの音楽を作るときの過程を逆行しようという試みですね。要するに「忘れられない。頭から離れない」という現象と「観た(聴いた)筈なのにどうしても思い出せない」というコインの両面の如き現象と音楽/映像との関係についてです。昔から問われて来たテーマですけれども、調性は無意識からの突き上げによってヒステリックに拡張する。というアナロジーを加える事で現代的にブラッシュアップ出来ればなあと思います。宿題。ではありませんが、「夢で音楽を聴いた事がある」という生徒の方は、可能な限り採譜してきて下さい(採譜時に起った葛藤や不全感なども記録しておいて下さい)。数が揃ったら演奏/分析してみて、共通項を探したりしてみたいと思います。

 本日はその後、西麻布に向かい、アーストンボラージュ代表、佐藤孝信さんと対談しまして、これはもうあらゆる意味で、今までにワタシがして来た対談の中で最も興奮した物でした。凄すぎて何も書けませんこれは。放送では恐らく10分に満たない長さに成ると思われますが、ノーカットの1時間番組にしたとして、全世界での放映に耐えうると思います。マイルス研究家が見たら鼻血で部屋が洪水に成る程の貴重な写真や資料が何十枚も。少なくとも、世界中のマイルス研究者は巨大な盲点を西麻布に放置したままだという事が明白に成ったと思いますし、巷間盛り上がっては沈んで行く「80年代リヴァイバリズムはいつ、どうやって来るか?ブーム」というのは、結局当時の人々の証言を欠いた、追想と妄想による仮説の体系。なので力弱いのだ。という、至極まっとうな事を痛感しました。昨日のケイ赤城さんもそうでしたが、佐藤孝信さんもハートウォーミングかつクールなナイスガイで、非常にナイスな時間を過ごしました。

 そのままアテネフランセへ。というコースで帰宅し、アカゼ海老のグリエと菜の花とアサリのフェトチーネを頂き、明日の準備をしてから寝ます。明日からいよいよ、メインのシーンの撮影になり、週末からはいよいよDCPRGのツアーが始まります。長編カフカのアメリカ。が音楽として演奏される旅。山査子酒を舐めております。春の嵐ですなあ。それではごきげんよう。

 

番組撮了/ツアー前夜

Apr-13-2007

 

 

「知るを楽しむ」の収録が本日終わりまして、原稿をいくつか片付け、旅支度をして、明日からデートコースのツアーに向かい、名古屋~大阪~広島~博多と毎日本式3時間演奏し、博多を出て羽田に着いたら直接芸大に向かい、二回目の講義から夜はアテネ・フランセ。と書けば、びっくりする方もいるかも知れませんが(最近ファンに成った方などで)、ツアー中はむしろ普段よりゆったりなんだ(演奏だけすれば良いし、デートコースの演奏はワタシの心身にはとても良いので)、という事は昔からのファンの方であれば周知の事実。今からゲランのクレンジングミルクでドーランを落とし、台湾式のフットマッサージに行ってから、行きつけの寿司屋で一人で番組の打ち上げなどして、部屋でコニャックを舐めて寝ます。

 今回収録した「知るを楽しむ~私のこだわり人物伝」の素材は、そのまま拡大され「ETV特集」として再編集~放映される事が決定しましたので、そちらもお楽しみに。ワタシのパートはともかく、ケイ赤城さん、佐藤孝信さんのインタビューはかなりの価値があると思います。なるべく多く放映される様、局側に直訴(「しゃべらミー賞」の像を掲げながら)してみます。40代の方などは、佐藤さんのインタビュー全部観たら泣いちゃいますよもう。

 それでは明日より4日間は当欄ツアー休暇に入ります。各地でDCPRGを待ち受ける皆様。共にサウンドし、グルーヴし、空間をスカルプチュアしましょう。我々のファンク抽象化のレヴェル、祝祭電化のレヴェル、空間彫刻化のレヴェルは「フランツ・カフカのアメリカ」にてご確認下さい。フェリーニの「サテリコン」がアメリカで上映された際、ロックコンサート後のスタジアムで巨大スクリーンに映写されました。「会場の上空までマリファナの匂いが立ちこめていた。何万人というヒッピーたちが寝そべり、立ち上がり、愛し合いながらスクリーンを漠然と見つめていた。壮観だったよ」何と景気の良い話でしょうか。

 

 

 

ツアーより帰還

Apr-23-2007

 未だに歌舞伎町クラブハイツ公演に関する感想メールが届き続けている状況ですが、そこに大量と言って良いであろう、DCPRGツアーに関するメールが重なりまして、結構たくさんの仕事をしているのではないかと思う訳ですが、一番才能を発揮するのはライブパフォーマンスなのではないかと思わざるを得ない菊地成孔です。ツアーにお越し下さった総ての皆様に感謝致します。クインテット・ライブダブ、ペペ・トルメント・アスカラール、DCPRGと、揃いに揃って結成以来のベストアクトが連続し、恐ろしい程であると同時に「そんなもん当然だろ」と思っております。

 とはいえやはり直前までにNHKでの番組複数進行をクリアし即ツアーに出るというのはさすがにハードワークだったようで(演奏自体は実に心身に良く、特に骨格矯正の側面が強いのではないかと思っていますが)、というか博多の夜が思ったよりも寒く、ワタシとゴセキくんがライブ終了後に風邪で倒れる。という珍事が起こり、あまつさえ発熱したまま飛行機に乗り、航空中耳炎気味のまま羽田に着いて即、上野に向かい、芸大で授業をやって、夜は美学校。というスケジュールをこなしたとたんに笑いがこみ上げて参りまして(笑)、そのまま倒れ、今日に至ります(とはいえ休んでいた訳ではなく、ペン大の授業や原稿など、働きまくっていたのですが)。

 明後日はアメリカン・クラーベ代表、キップ・ハンラハン氏との対談、冨永監督とのトークショー、J-WAVEの生放送(次回と次々回、二連続で生放送です)、そしてその翌日はいよいよDCPRGアメリカ・ツアー(国内ですが)のファイナル。と続きます。ネットメディアや活字メディアを否定するつもりはまったく有りませんが、ワタシの「現在」の「本当の姿」をキャッチするのに、ライブ会場以上のメディアはありません。ワタシの事をアレコレと語る人々が有り難い事にたくさんいらっしゃるわけですが、誹謗や中傷や皮肉ではなく、無心に本音の本音を申し上げれるならば、ワタシにはほとんど全員が考古学者に見えるのです。即ち、古い資料(の、自説の構築材料に足るほんの一節)によって妄想に耽る人々。です。そして、生きている人物を考古学的に捉える事の意味。について、まったく理解出来ないでいる。というだけなのです。

 「俺を捕まえられるもんなら着いてこい。シートベルトはしっかり締めてな」等と格好の良い事を言うつもりは毛頭ありませんし、「俺の事がわかるのは俺だけなのさ。双子座だからな」と、マイルスの物まねを言うつもり(日本語で)もありません。ただ、ワタシは、自分が演奏する時、目の前にいる人々全員を無条件で愛してしまう。という我ながら狂おしい悪癖があるだけなのです。O-EASTでは共にサウンドし、グルーブしましょう。それではごきげんよう。

 

ビストロ→デパート→学校→原稿

Apr-24-2007

 

 

 明日は「エスクァイア日本版」誌上で、アメリカン・クラーベ代表、キップ・ハンラハン氏と対談するので、滞在中に可能だったらキップ氏に歌舞伎町をご案内さし上げようと思います。彼はワタシと同じビフテキ・マニアなので(ワタシがブエノスアイレスに行くと決まった時「いいなあ。旨いビフテキが喰えて」と言ったのはキップ氏です。ワタシは不覚ながらそれまでアルゼンチン牛が世界一の肉牛だと言う事を知らず、シカゴとフィレンツェとパリと神戸を押さえたから俺は大丈夫だとタカを括っていたのです)、コリアン・バーベキュウの名店に連れて行けばさぞかし喜ぶでしょう。ニューヨークのコリアンタウンにどの程度のバーベキュウ・ショップがあるかは知れませんが、少なくともサムギョプサルに関しては絶対に負けない自身が有ります。

 と、こちらの読者の中で、キップ氏についてご存知の方。というのがどれだけいるか想像もつきませんし、また、じゃあ彼がどのような人物か?という事を過不足なく説明しようとしたら、当欄が少なくとも3日分は埋まってしまいます。今は「日本でジャズのレーベルはいくつかあるけれども、そしてまあ、ワタシがソロアルバムを出すと言えば、リリースしてくれる所もいくらかはあるだろうけれども、中でもEWEを選んだのは、キップ・ハンラハン/アメリカン・クラーヴェと提携関係にあるからだ」とだけ言っておきましょう。

 彼の音楽、特に、ニューヨーク・ポストモダン・ムーブメントの嚆矢として燦然と輝く「クープ・デ・トゥトゥ」(ポストモダンのスタートを、これで切るか「ノー・ニューヨーク」で切るかで派閥は大きく変わりますが、ワタシは断然こっちでありまして、とはいえほんの一瞬「ノー・ニューヨーク」にヤラれかけた。という実に恐ろしい経験をし、「クープ・デ・トゥトゥ」で目が覚めた。という経緯が有りますので、これはもうホントに今でも命拾いをした感覚で一杯です。明日会ったら礼を言わなくては)、名作「ディープ・ルンバ」、ピアソラ再評価の最終形「タンゴ・ゼロ・アワー」等々、毎度おなじみ勘違いしたバカとかに「菊地はキップ・ハンラハンのパクリだ」とか言われても仕方が無いほどに(誰も言いませんが・笑)共振関係を感じているのですが、有り難い事に、キップ氏には「デギュスタシオン」以降の作品(デートコースも含む)を総て聴いて貰っている上に、毎回「何だよキップ嬉しいなあ女なら紹介しないでもないけど」等と、くすぐったく成る程の賛辞を頂いており、これはもう禁句ですらないレヴェルですが、ワタクシ、年に一度は必ず「海外で暮らそうかな」と思う事が有るのですが、その根拠が、FUTONといい、キップ氏といいビル(ラズウェル)氏といい、ジョン(ビーズリー)やオラシオ等々、海外のクリエイターや、プレスが来て、ワタシの音楽に触れた時の反応が決まって「普通に、ちゃんと解っている(ようにワタシに思える)」という事で、これはエキゾチックに過大評価されている。とかとも違い「ああ。何だよもう。すごいやりやすいなあ。そうよ、その通りなのよ。解るよねえ?普通に解りやすいでしょ俺」といった感じなのですね。この感覚に対する違和/親和感に関しては永遠のテーマに成るでしょうなあ(「日本人はダサいから俺を理解していない」などといった、思い上がった勘違いでは有りませんぞ。生まれもっての<行き場の無さ>についての話です)。
 
 今日はクレッソニエールでフロマージュのアソートとブフ・ブルギニオンのフェトチーネ添えを頂き、昼からワインというわけにも行かず、とはいえちと寒く、シェーブルに水も無い物だ。という事で、少々お行儀が悪いのは承知で、コニャックを一杯だけ頂きまして、リニューアルオープンした高島屋に行き、それから美学校で授業をやって、今から「ファッションニュース」の原稿を書きます(今年、上手く行けばこの連載はまとめて本に成ります)。120億円をかけて行われた高島屋リニューアルの結果に関しては「ザ・ユニヴァース」でご報告したいと思います(今週と来週は生放送です)が、女性ファンの皆様へ。8Fに入ったGVGVとイランイランのフロアは素晴らしいですよ。隣にあるサンパウロ・コレクションのセレクトショップも良いです(スイムウエアが無いのが非常に残念ですが)大柄なのでシーバイクロエが着たくても着れない。という方などは是非イランイランをお試しあれ。既に秋冬物のレゼルヴェを取っているのですが、「中国女」というコンセプトのコレクションはいやもうどうしようかというほど素晴らしいです。

 さて明日はキップ氏と対談後、冨永くんとトークイベントをやり、その後J-WAVE入りします。冨永君とはDCPRGの「アメリカ」の話を中心に話すと思います。会場には大谷くんやキップ氏も来るかも知れないので、場合によってはゲスト参加して貰おうと思います(確約一切無し)。それでは会場で御逢いしましょう。番組へのメールもお待ちしております。ごきげんよう。

 

 

 

DCPRG活動終了に関して

Apr-30-2007

 どうもどうも。今や旧聞に属しますが、このたびDCPRGの活動を終了しました。この件に関してはインタビュー等は一切受けない予定ですので、ワタシがこの件に関して書くテキストは以下の物が最初で最後に成ると思われます(未定。どうしても喋れと、どの媒体/個人に言われても、死んでも断る。というほどの強い決意でもないので)。何でもかんでもブログに書く。というのは(過去自分がそうして来た。という事をはっきりと受け入れた上で申し上げますが)はっきりと古いしダサいと思うのですが、事が事だけに一度だけ書いてみます。不可避的に少々長く成ると思われますので、なるべく解りやすく書くよう心がけます。

 まず第一に言葉の問題ですが、些末な言葉のニュアンスなど言うのも野暮かと思われるのですが、ワタクシ今回「解散」という言葉は使っておりませんで「活動終了」という言い方で統一しております。あらゆる意味でDCPRGの活動は終了した。任務遂行終了。という意味であります(ここでいう「任務」が含意する物も、多岐に渡りますが)。

 というのは、ワタシの解釈では「解散」というのは、あらゆる意味で「活動の維持が不可能になった」場合。を指すからです。MCでもチラと申し上げた通り、ケンカによる分裂、メンバー間に於ける音楽性の相違による分裂、バンドの音楽性の行き詰まりによる沈滞、金銭的なトラブル、メーカーやオフィスレヴェルの問題(移籍などなど)、主要メンバーの死亡。等が、「活動の維持が不可能」に至る原因の代表例だと思われます。

 ワタシも一応、バンド経歴の中でメンバーとしてティポグラフィカ、グランドゼロ、リーダーとして菊地成孔トリオ、スパンクハッピー(一次末期と二次全体)と、5つのバンドの「解散」を経験して来ましたし、メンバー達が経験して来た事を含めれば、膨大なバンド名リストが出来上がるでしょう。そしてそれはどれも上記の原因のいずれかに複数的に該当した物ばかりで(暴露話はいけませんので、詳述は避けますが)とにかく総て「普通に<解散>と称すべき終わり方だった」と言って良いと思っています。

 そういう意味で、繰り返しますが、あらゆる意味に於いて、DCPRGは「解散」と称するには状況が違い過ぎます。我々はケンカは言うまでもなく(少しはした方がヘルシーだったんじゃねえの?というほどに、我々は全員仲良しで、オフステージではほとんどつきあいがありませんでした)、また、メンバー間の音楽性の(演繹するに、思想、人格、等々、あらゆる個人差の)相違など、バンドの音楽性に組み込めばそれはもう相違ではない訳ですし(現にワタシは集団をウォークさせる方法はそれしか知りませんし)、金銭面に於いても「あんな腕利きが、あんなに長時間のギグをやって、これだけしか貰えないのか!という低額のギャランティに甘んじながらも」まったくトラブルは発生していません。これも、ある意味ヘルシーでは無いかも知れません(これはスキャンダラスな暴露話でも個人の誹謗でもないと思うので書きますが、大友良英の脱退にはギャランティに関する条項が少なからず入っていました。彼の名誉の為に強調しますが、彼の言い分は正当であり、法外なギャラを請求した。とかではありません。彼以外の全員が、逆の意味で「法外なギャラ」を呑み続けた。というだけです。勿論、呑み続けた者の一人にワタシもカウントされます)。
 
 ディレクターは15人目のメンバーこと、天才マタバくんであり、T-シャツのデザイン、対バンの選択、アー写のディレクションに関して、ワタシは一度たりとも口を出した事は有りません(我々の最初のT-シャツ「ボイコット・リズム・マシーン」に関してのみ、ワタシがデザインに大きく関わっています)。という以前に、彼が居なかったら現在の我々は無かった訳です。1999年に彼は、どう考えれば良いのか、何と呼べば良いのかまったく解らない奇妙なビッグバンドの噂を聞きつけ、ライブを観たその場で契約を求めて来たのであります。

 以来、我々は、彼が忠誠を誓うP-VINEというメーカーもろとも、どこかへ動く気はまったくありませんでした(バンドが売れて来たらメジャーカンパニーへ。メンバーもヤバいのはチェンジしてグレードアップ。さあのし上がろうぞ。と言った、ちょっと可愛いほどのドラスティズムは我々にはまったく有りませんでした。もしそういう事が起るのであればそれはもうDCORGではない。という結束が我々には悠々と維持されたのです)。そして幸か不幸か、ご存知の通り、メンバー全員が存命し、あまつさえ音楽性/演奏力/統率力は(ラストツアー、ラストライブを経験した方なら異論は無いと信じたい所です)結成以来ピークを迎えていたと思います。終わりが決まった時に底力を出せなくて何の男ぞ。と、マッチョな事を書いてしまいたく成る程、ラストツアーからラストライブまでの演奏は神懸かっており、打ち上げでは「決心が揺らぐ名演が続いておりますが~。乾杯~」などと言っては笑っていました。

 というわけで、「活動を終了」するに至る、様々な理由ですが、第ゼロには「新しいジャズファンクのサウンドを思いついた。それがDCPRGでは出来ないので」という、当たり前の物ですが、第一には「AMARIKA」というアルバムを作る事で「ワタシ(菊地成孔)にとっての未経験/未知/妄想としてのアメリカ」という状況が終了した。と言う事が大きいです。東京のラストに来ていた方ならご存知の通り、12年ぶりに自分名義のアルバム(「ビューティフル・スカーズ」=「美しい傷」傑作)を出したアメリカン・クラーヴェ主宰、キップ・ハンラハン氏が来場しており、彼とは一緒に音楽をクリエイトする話が出ています(正式な契約等はまだ。ワタシのCDやライブを聴いて発狂したキップのカマしレヴェル)。そうした動向も含め、今年から来年にかけて、いよいよニューヨーク、シカゴ、ロス、ワシントン、DC等に直接向かい、つまり北米と直接接触してこようと思います。これはワタシの人生にとって、かなり大きなパラダイムシフトになると予想されます。「妄想のアメリカ、妄想の戦争」というDCPRGの基本的な構えは、これで消失します。

 第二には、前述の通り「もう、これ以上の発展は無い」という、ピーク感の明確な感得です。結成以来、ワタシは、この集合体が「キャッチ22」方式のマルチ・グルーブが即興で、しかも強いダンス衝動を伴った形で演奏できる。という状態に至る事が最終的なステージであると設定していましたし、なかなかそうは行かなかったのですが、「アメリカ」の制作をトリガーに、8年間の経験的内知がいきなり顕在化/体質化した。としか言いようが有りません。

 「だったら、後はそれを10年でも20年でもやればいいだろ」という考え方が有るのは解っています。延々と楽しませろよ。こっちは踊るからよ。という声もあるのは解ります。とはいえこれはマイルスの教えでして、そうは問屋がおろさないのであります。完成したら次に。また次に。<留まるな。そして、常に前の時代が懐かしい奴らに文句を言われていろ>というのがマイルスの教えなのであります。

 一方、デューク・エリントンやジェームス・ブラウン、ジョージ・クリントンの教え。というのもありまして、こちらはバンドをファミリー/コミューン化して何十年も使う事なのですが、そしてDCPRGは「長時間プレイ」「ダンス」「大人数」という意味で、こちらの教えを守った方が良いのでは?という意味合いが強いのですが、やはり僅差でマイルスの教えに従う事にします。

 <留まるな。そして、常に前の時代が懐かしい奴らに文句を言われていろ>というのは、マイルス信奉者の中でも成績は中の下ぐらいであろうワタシが唯一遵守している事かもしれません。

 ワタシが過去やって来たバンドは、ピーク時に解散という事が多かったので、そもそもワタシのフロアとメールボックスとスレッドには「昔は良かった」という、しがみつきの人々が一人も居なく成った事がく、DCPRGはティポグラフィカとグランドゼロのしがみつきから嫌みを言われ、第二期スパンクハッピーを立ち上げては第一期のしがみつきに嫌みを言われ、ジャズのソロアルバムを出すと菊地成孔トリオのしがみつきに嫌みを言われ、ザ・ユニヴァースはウォンテッドのしがみつきから嫌みを言われ続けているのですけれども(勿論、数的にはごく一部ですが、彼等は非常にしつこく、精神的毒性のオーラが有るので目立つのです)、彼等は一律(この、判断留保の時代にしては驚くべき事に)まったく疑う事なく「前のが良かった、面白かった」と信じ込んでいるのです。

 ワタシは今後、スパンクハッピーの後のポップスを始めますし、DCPRGの後のジャズやファンクを始めますし、他にもいろいろ始めますが、「デートコースのが良かった」「瞳ちゃんのスパンクスのが良かった」というしがみつきがいなく成る事は無いでしょう。つまり、彼等にとって、ワタシは刻一刻と一直線に、どんどんダメに成っているようなのです。実に惨たらしい事実であります。

 <確かにおっしゃる通りですな。あなたが生まれた時、それはそれは玉の様な純粋無垢な子供だったでしょう。それが今やこんなに薄汚く気持ち悪く、生き生きとしなく成っているのは何故でしょうね?今のアナタより前のアナタのがずっと素晴らしいですよ。あなたのおっしゃる事にはとても同意出来ます。うん>と言ってあげるべき人々の罵詈雑言に晒されないで、何のマイルス信奉者でしょうか。

 常に前に進む事、一番良い時にスパっと奇麗に止める事。という美学は、この国から失われつつあります。関係のありかたは依存一色に、欲望のあり方は退行一色に、そしてその事が既得権として、胸を張って堂々とまかり通る時代になりました。センスが古いと言われようが、つまらねえと言われようが、ワタシはそういう時代はファック以下だと思います。頭の中に次の音楽(アフター・スパンクスとしてのポップス、アフター・デートコースとしてのファンク)が鳴り始めた時、それは来るべきニューシングの到来であると同時に、一番良い時に、続けられればいくらでも続けられるにも関わらず、先に進む為にスパッと止める。という事が表現出来るな。と、ワタシは思いました。

 DCPRGが出来た時、誰に構想を話そうと、怪訝な顔をされるか嘲笑されるだけでした。彼等が最初の「変化を受け入れない人々/状況に順応しきってしまう人々/創造力に欠ける人々」でしたが、そんな先人達を嘲笑とともにブッチ切り、まったく新しいダンス衝動を放ち、受け入れて頂く事でDCPRG の歴史、ひいてはワタシの歴史は進んで来ましたし、それだけは頑固一徹変わらないのであります。事前に予告しなかったのは「解散ツアー」なるものの、いじましーく、涙ぐましーく、せこーい感じが、ワタシは言うまでもなく、全員まったくノーだったからです。解散と聴いて自分の過去だか何だかを重ね合わせ、一時期は音のデカさと複雑さに熱狂したものの、細部まで理解が及ばなかったせいで現在は飽きてしまい、来なく成っていた癖に、その日だけ記念だとばかりに、大いにしんみりする。といった、最もファンクの精神から遠いフォーク~ロック調のクラウドが一人もいないフロアで、何のイベント性がなくとも「アメリカ」を聴いて、ライブに足を運んでくれた人々だけの前で終わろうと思ったのです。我々の音楽を離れた友情関係、99年以来の我々と世界の歴史/音楽シーンの推移。といった物は総て割愛します。前者は余りにも大切過ぎ、ここに書くべきではなく、後者は書くまでもなくご存知だと思うからです。ゴセキくんがワタシのマネばかりしているお猿さんから、立派な青年に育ち、とうとう結婚した、坪口がこのバンドを縁に結婚した、そういった微笑ましい話は、音楽の持つ絶大な力の前には、ニュース速報の白い文字のような物です。

 結成以来の、総てのクラウドに感謝します。書いておいて言うのもナンですが、こんなのは本当に野暮ったい手紙モドキです。こんな物を読む必要はまったくない。音楽はどんどん進み、変わり、豊かに成って行く。それで充分です。毎度毎度の話ですが、次のターンをご期待下さい。「前のが良かった」か「今度はすげえ」のかは、あなたの全知全能(特にリズム感)が一瞬で決める事です。ワタシは特に守ってくれる御用批評家もおりません。ワタシの音楽は常に、みなさんお一人お一人との直接取引なのです。フロアで再び御会いしましょう。それはまったく新しい姿をしているでしょう。