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20
2月
2012
大分日が経ちましたが個人的に頂戴したショコラの御礼など(「ヴァレンタイン・ジャズドミューン」的に頂戴した分はご覧に成った皆様にはお解りの通り、ほぼ一生分でしたので・笑)。TBSのスタジオ、ライブ会場、事務所に郵送、等々でいくつか、丁度一週間で食べきれるぐらいの(といっても、ワタシその気になればガーナミルク換算で1日10枚ずつぐらいは食べられるのですが)数を頂戴しまして、大変有り難うございます。
一時テレビに出ていた頃などは、これはもう食べきれない、冷蔵も不可能なり、というほど頂戴していた頃もあり、「どうしても食べきれない場合は、痛ませてもいけないので、近所のホームレスの方々に配るので、それでも良いという方のみ」というアナウンスを差し上げるという措置をとらねばいけなくなるほどだったのですが、この話をしながら我ながら感慨深いのは「ああ、2004〜5年というのは<情熱大陸>なんかに出ちゃって、あんな好事家向けのアルバム(「南米のエリザベス・テーラー」の事)が1万枚も売れてしまい、自宅の郵便受けに圧縮されたショコラの箱が詰め込まれていたのだなあ。おっかねえなテレビは」という事よりも「ああ、2004〜5年というのは、この周辺にホームレスの方々が普通に沢山いたのだ」という事です。
ワタシは、つい気を許すと都知事を、まあ、愛しても良い、かな。等と思いかけてしまうという大変な愚か者ですが、あの時の愚行(北東アジアの人々を「三国人」呼ばわりし、東京オリンピック誘致の為にホームレスの方々を一掃し、新宿の「浄化」に乗り出した)を思い起こすたびに「SPとかいないタイマンだったらいつだってやってやる」と思いますし、あのファックな「東京オリンピック誘致」が本当に素晴らしい、無様なコケかたをした時には、うっひょーとばかりに小躍りし、三国人、三国人との混血、ついでにブラジル人との混血、を含めたWBOの仲間とともに都庁に繰り出し(サルサ・バーでテキーラを飲み過ぎていた。という特殊エンジンもあり)中身の入ったコーラの缶を投げたり野次を飛ばしたりして(「これは祝砲じゃバカタレ」「悔しかったら寂しそうなその窓からチンポコ出してオレラにぶっかけてみやがれ。出来ねえだろう太陽の季節!ぎゃはははははははははは!」とか何とか言った記憶があります・笑)、危なく逮捕されそうになったのは、本当に楽しい思い出です(当時のワタシの日記を紐解けば記述があると思われます)。
とまあ、そうしたナスティな話はおいておき、更にナスティな話に進む訳ですが、先ずはキラースメルズの「タラード1&2」について。ビュロー菊地の代表、そして「粋な夜電波」のパースナリティ、そしてアテネフランセ映画美学校/音楽美学講座の理論科主任講師としまして(菱田エイジさんはここの卒業生で、「タラード」は卒業制作として、教室内で発表された物です)、実直に予想した数字は「初動500で、最終的に40万ぐらいかな?世界で」というものでしたが、まあ後者は神のみぞ知るとして、前者はどうやら的中した様子でして、現在、流通のみお願いしているエアプレイン・レーベル(ここの担当者もワタシーーと南博さんのーー生徒なのですが)さんに予約枚数を刻々とレポートして頂いているのですが、とにかく先ずは追加プレスを決定した事、そして、結果として「初回限定」となりましたが、最初の1100枚に関しましては、オトナの理由によって販売不可能なオリジナル・ジャケットを特典として封入させて頂くという措置をとらせて頂きました。菱田さんの作品に「特典」が付く。というのも凄い話で、そもそも「タラード」自体が一種の特典(誰の、何の為のかさっぱり解らないけれども・笑)ですので、不思議な事でもないのかもしれません。
と、次に「完成不可能」と言われたDCPRGの最新アルバム「SECOND REPORT FROM IRON MOUNTAIN USA」ですが、本日無事に実質上の完成を迎えまして、こちらの内容やレコーディングに関するREPORTは当欄および「粋な夜電波」で追々ご紹介させて頂くとします。SIMI LABからはQN、OMSB’Eats、MARIA、DyyPRiDEの4mc(レコーディングには常にHI’specも帯同されていました)、JAZZ DMMUNISTERSからはMC菊地、MC YOSHIO*Oの2MC、そしてヴォーカロイド兎眠りおん氏が参加、アミリ・バラカakaリロイ・ジョーンズ氏の参加も含め、過去ワタシも経験した事が無い様なセッションになりました。本隊であるDCPRGのコンディションも最高です。
まったく「泣ける」要素のない、ハイ&ドープ志向の作品と成りまして、とにかく「泣き」はKSに一任して、もう問題は何も無い。というのがワタシの率直な所であります。「粋な夜電波/シーズン2」も、残す所あと4〜5回と成りましたが、うち3回はKS特集、DCPRG特集、そしてペペ・トルメント・アスカラール特集とさせて頂きます。写真のガキはそこらの少年ではなく、我がビュロー菊地の会長、ユーキ・ナガヌマ氏であります。