31

12月

2011

2011

 

 


 恐らく、ワタシの脳の形に端的な様に、やや動物に近いのかも知れません。昨年の暮れ、12月13日にオーチャードホールで武満徹トリビュートコンサートを大友良英さんと終え、大晦日の新宿ピットインを除けば仕事納め、という事になったワタシは、とはいえ来年(つまり今年)の仕事始めがトウキョウ・スカパラダイス・オーケストラとのツアー(初日は1月6日の新宿文化センター)だったので、演奏用の筋肉が鈍らない様に、毎晩深夜、スタジオにこもってサックスを吹いていました。初台のNOAHというスタジオの深夜パック(0時から早朝6時まで)というやつです。

 

 ここは、外に出るとすぐに甲州街道、その上に高速道路。という場所柄、ちょっとした写真撮影等に使われるロケーションなのですが、ここを使い始めたのはここ数年ですので、要するに、この風景は見慣れた物で、作曲や練習に詰まると、この風景を見ながら缶コーヒーを呑むのが楽しみなのでした。

 

 何日だったかは覚えていませんが、ほとんど年の暮れ。というある日、ワタシはいつものようにその風景を見ながら缶コーヒーを呑んでいたのですが、突如として胸が痛くなり、涙腺から涙が込み上げて来ました。最初は急性の内臓疾患かと思ったほどです。つまり、いつもとまったく違う、というより、今まで経験した事が無い様な強烈な悲しみを覚えたのです。

 

 殴り掛かる様にしてやってきたそれは10数分ほど続き、ワタシはほとんど、悲しくて悲しくて、胸が張り裂けそうに痛く、何の根拠もないのに、路上で空を見ながら泣き崩れてしまうかと思いました。

 

 勿論ワタシは、こういった事(これといった理由も無く、泣き崩れるほど悲しくなる)が日常的に起こる様な、詩人の様なタイプではありませんので、本当に、腰が抜けるほど驚きました。なんだこれは。なんなんだ。

 

 いきなりまた不安神経症の症状が再発したのだろうか。DCPRGの始動というのは、12年前、ワタシの神経症の症状と繋がっていたし、ひょっとしてもしや。と思ったのですが、遠い記憶の先の経験と比較するに、去来した感情や身体的な感覚の質は全く違いました。

 

 次に考えたのは、すわ母が死んだか。という事です。これは、調べればすぐに解る事で、5分ほどで違うと解りました。ですから結局、撃たれた様な悲しみの発作の理由も意味も、すぐには全く解りませんでした。

 

 なのでこれはとにかく、全く新たな経験だと思い、それを誰にも言わずにいました。「昨日の晩さあ、いつものようにノアの外に出て高速見てたら、いきなりものすげえ悲しくなってさあ。いやあ恐ろしかったよ」などと話しても、友人達は皆、どうせ喰いかけの握り飯でも道に落としたんだろうと思うでしょう。

 

 でも、きっと何かあるに違いない。来年。何かがある。かなり大きな何かが。

 

 

 

 

 

 年が明けて、スカパラのツアーから仕事が始まりました。ワタシは和服を着て参加し、ナイスガイの集団であるスカパラの皆さんと、ステージでギャグを言って絡んだり、打ち上げも毎回とても楽しく、何せスカパラのファンの皆さんというのは、ワタシが知る限り、世界で一番ヘルシーで元気がある、グッドヴァイブス溢れるナイスオーディエンスです。ああ、これは良い年の始まりだ。と、ワタシは思い、2月を迎えました。謎の悲しみの件は、すっかり忘れていました。

 

 ブルーノート東京と、年間でブッキング契約をしようという話は決定していました。丁度前年末で、オーチャードホールの3年+1年という、高校を1年ダブったような感じの契約も終わり、ベースとなる会場をどうしようかと思っていた所でしたので、それがブルーノートになるなどとは予想もしておらず、もしブルーノートが常打ちになったら。。。と、いろいろなアイデアを浮かべては楽しみ、そしてそのほとんどは、今年中に実行されました。

 

 AMラジオのレギュラーが決まった。という報告も昨年から受けていました。ブルーノートとTBSラジオがレギュラーになるというのはなかなか面白い話です。というか、ご贔屓筋にはおなじみですが「そんなん世界でオレしかいない」シリーズですね。TBSラジオ。というのがキモです。J-WAVEとブルーノート東京では、あっという間にコラボコーナーとか出来て、提携会社だと思われてしまいかねません。

 

 番組名を決めてくれと言われたワタシは、ゲラゲラ笑いながら「菊地成孔のサヴォイ赤坂宵の口」だの「菊地成孔の東京エッフェル塔」だの「菊地成孔の夜の政治と経済(これは筒井康隆先生の短編のタイトルです)」だの、そして「菊地成孔の粋な夜電波」だの、面白おかしいのを100個ぐらいひねり出し、5個ぐらいに絞ってTBSに送りました。

 

 2月には高円寺でドキュメント映画祭があり、選者/解説者としてチャールズ・ミンガスの「ミンガス」というドキュメント映画を上映し、良い調子でした。まだエリザベス・テーラーも、立川談志も、上田馬之助も、辛うじて生きていました。

 

 2月は、ペペトルメントアスカラールとDCPRGの2DAYSというコンサートもあり、これまた実に良い調子でした。3月には、ナオミ&ゴローさんとのアルバムレコーディングも決定しています、それと平行して、類家くんのバンドのトータルプロデュースもするのだ。番組名は「粋な夜電波」に決まりました。年末のあの突然の強い悲しみは、まあきっと風邪でもひいていたんだろう。と思う様に成っていました。

 

 


 そんな中、一番盛り上がったのは、昨年の10月にテストランが成功を収めていた「HOT HOUSE」の拡大展開でした。ワタシは大谷君とともにPVを製作し、出演者全員に自分で声をかけ、万全の体勢で事に望みました。このパーティーは、確実に何かを変える。とワタシは確信していました。MC KIKUCHIMC YOSHIO*Oというのは、ディジー・ギレスピーのトランペットを曲げてしまったコメディアン/タップダンサーのチーム、スタンプ&スタンピーのようなもので、先行していた「ジャズドミューン」からのスピンオフ・キャラクターであり、タップの代わりにラップをする。というコンセプトも含め、パーティーの布陣は、完璧だとしか思えませんでした。

 

 そして、このパーティーの開催2日前、3月10日の夜中に楽譜やパーティーの進行表を整理し、出演者全員にメールを送って志気を高め、はやる心を抑えて、タキシードとシューズは明日整えればいいや。などと思いながらワタシは眠りました。

 


 

 そして、目が覚めたら、家具が振って来たのです。厳密に言えば、家具が振って来て、それで目が覚めたのですが。

 

 ワタシは逃げ足が早く、ガキの頃からそれで命拾いをして来ましたので、今回も、うおーーーなどと言いながら、もう気がついたらスエット姿のままで地上なのでした。無意識のウチにちゃんと携帯と財布を持っていたのだから、我ながら小憎らしいぐらいです。

 

 そしてワタシは、グニャングニャンに揺れるマンションを見つめ、まるでヘタクソな舞台役者みたいに驚愕し、「ああ!ああ!ああ!あれか!あれが!そうか!ああ!ああ!!!」と、誰にも意味不明な言葉を叫びながら、先ずは明日行われる「HOT HOUSE」を、どんな事があっても開催する様に、関係各位に連絡したのですが、結果は御存知の通りです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、どなたも経験された、あの、刻々と迫り来る事実の波状攻撃に対して、ワタシは心身は反射的に「敵」が来た。という構えに成りました。具体的には、マンションの前を「帰宅難民」たちが大挙して歩いている姿を見た瞬間からです。これは投降だ、と見立てたワタシは、心の中でですが、「ついに来やがったな」ぐらいは呟いていたと記憶しています。

 

 路上でいきなりインネンをつけられた。といった気分です。我が国に最も欠けている、というより、ネット空間中の遍在に過集中している「敵」という概念。ネット空間中のそれは敵というよりもテロリストですが、それの、リアルステージでの実体が一斉に襲いかかって来た。とワタシの心身が判断したのでした。

 

 以下、非常に不謹慎である事を予め申し上げなければいけませんが、ですからワタシは非常に充実した、爽快で戦闘的な気分に成りました。テロリストとの心理戦は、基本的には勝敗も、従って和解もなく、要するに、闘争としては実在しません。しかし、実体のある敵との、心身を賭した闘いというものは、第一には実体がありますし、第二には、その実在がもたらす、あらゆる犠牲と恩恵があります。これは両者とも計り知れず、場合によっては死んでしまう可能性もあります。

 

 ワタシは一昨年辺りからのブームである「岡本太郎氏の生前の言葉に背中を押されたので、岡本太郎氏の発言集を買う」といった植物的な趣味はありませんが、生きる事が、死の自覚によってのみ燃え上がるというのはよく知っています。

 

 凄まじい生命力の充実。岡本氏ならば「爆発」と言うでしょうが、とにかく、けたたましい程のやる気が、ワタシに去来しました。この震災や事故によって、地球はより良くなり、音楽芸術は著しく発展する。癒しは深く成り、高揚は高く成る。あれから8ヶ月が経過しましたが、この思いは1マイクロシーベルトパーアワーも下がっていません。

 

 

 

 

 

 

 

 エンジンを思いっきりふかしたまま、4月以降が始まりました。ワタシは選曲家の中村ムネユキ君(レコード探偵ボブ)と万全の臨戦態勢を整えて毎週TBSラジオに通い続け、大儀見や坪口やケンタ等々、日本でも屈指の演奏家たちと万全の臨戦態勢を整えてブルーノート東京やリキッドルームに臨み続けました。新しい事は一切何もしていません。総て今までやってきた事です。

 

 しかし、同じ事をしても、とにかく心身が充実しすぎていました。次に何をすべきか、あらゆる判断が総て一瞬で下ってしまうので、恐ろしいほどでした。迷いが消え、リズムに合わせて動いてさえ居れば、何をすべきかが解るのです。フットボールに例えるのは癪ですが、グラウンドに立てば、身体が自然に動くという奴です。毎日番組の構成と選曲と台本書きをし、毎日サックスの練習とオルガンの練習をしましたが、まったく疲れず、むしろどんどん力が漲るのを感じました。

 

 ワタシは、哲学というものは、基本的に必要の無い学問だと思っています。人は、何の為に生まれて、何をすべきか、そんな事は、臨死すれば誰でも、恐らく赤子にでも解るのです。「特別な事はしなくて良い。今まで通りにいけ」と、音楽がワタシに、はっきりと告げました。

 

 20世紀の大衆音楽の歴史は、戦争と完全にリンクしています。ですから、日本にもし、別化された戦争が起こったのなら、それは、情緒的に見積もっても、理性的に見積もっても、結果は同じ、別化された、千載一遇のチャンスです。良い意味も悪い意味もまったく無い、単なる純粋な、恐ろしいほどのチャンスなのです。

 

 ワタシは、平時でも別化された戦争を見いだし続けていたので、これは即ち、毎日釣りに出かけるが、ある日大物がかかった。といった事に等しい。ワタシは今年、新曲を3曲しか作っていません。「セクターB」に収録されているGL/JM」、「カレンデュラ」に収録されている「一番小さな賛美歌」、そして、DCPRGの二枚目に収録される何曲かの新曲のうちの1曲です。年に3曲など、殿様のようである。しかし、それでもう充分でした。

 

 ワタシはとにかくひたすら、ラジオ番組という作品、CD盤という作品、演奏という作品を、毎日作り続けました。それは恐ろしいほど楽しい、リラックスしつつもハイな時間で、それらは完成するたびに、現実などどうなっても構う物かという充実感が毎回訪れました。音楽は、ワタシにとって、宗教であり、遊戯であります。ですので、これはつまり、毎日祈り、毎日遊んでいる事に等しい。昨日今日始めた事ではない、おそらく、ですが、これをワタシは、母親の胎内に居る頃からはじめています。それが、とんでもないチャンスの上にライドしたのです。波乗りと似ています。Impuluse!レーベルと契約の話が来たのも初めて自分の事務所を構えたのも4月以降に降って涌いたような話で、計画したり目指したりしていた事ではありません。

 

 グッチが90年目にして初めてパトロネージを決めた竹内咲さんとまったく同じ様に、ワタシにとって、今年は、本当に素晴らしい年になりました。新倉タケオ君とは、実質上共演した様な物です彼はDCPRGの演奏を聴きながら、一時も休まずにカスンケのパターンで机を叩き続けていたのだから)。シュヴァルブランの00年(新宿末端価格17万円)の、一生忘れられない偉大な味、池袋プレゴ・パケットの金子シェフにこしらえてもらった、気が遠く成る様な真鴨とポルチーニのコース、オールタイムベストに初めて邦画が入ったかも知れない瞬間を感じさせてくれた、本当に素晴らしい「サウダーヂ」レディ・ガがや少女時代のホールコンサート、一番近くなのに、生まれて初めて訪れた驚くべき街ソウル、リンディーホッパービバップダンサーの素晴らしい動き、毎週録音される「粋な夜電波」、あらゆるライブステージ、どんどんfeutを希望するシンガー&ラッパーが増え続け、まだまだ終わらないDCPRGの新作、ワタシの自己最高記録をどんどん更新してゆく、様々なヤバい経験がありました。

 

 

 

 

 

 しかし、敵は侮れません。「敵」がワタシに喰らわせた最大のパンチは、目に見えない放射能汚染も去ることながら、目に見える肥満と運動不足でした。歌舞伎町に来てから早7年が経過しますが、テレヴィジョンを日常的に見るという習慣が、初めて戻って来たせいです。来年からは、テレヴィジョンを消すか、もしくはテレヴィジョンを見ながら運動するという戦術を身につけて抗戦するしかありません。

 

 写真は昨日行われた忘年会で、DCPRGの田中ちゃん、前述の中村ムネユキ君、アンフォルメルの三輪君、「ユングのサウンドトラック」編集者のコーラ君といったお馴染みの面々が写っており、いくらホットパンツのフーターズガール達が一生懸命働いてるのを見て感動するほど盛り上がったとはいえ、そんな勢いで喰ったらオマエも田中ちゃんも肥満時代に戻るぞ。といった飲み食いっぷりですが、パルチザンというものはいつでも作戦を秘密裏に決行しており、写真にこそありませんが、ワタシと田中ちゃんのバッグの中には、テーブル下ですぐに取り出せるようにサントリーの黒ウーロンが隠し持たれており、お互いがお互いの壁と成ってポンプ呑み(瓶を掴んで横っ腹を押し、シュポシュポという感じで高速で呑む)するように、血の滲むような特訓がなされているのであります。

 

 つまり、ワタシが言いたいのは、闘いも、そしてお楽しみもこれからだという事です。テレヴィジョンは「今年を振り返る」と称して、3/11の映像を流しています。テレヴィジョンのテロップに文句をつけだしては、一流のバカオヤジですが、振り返るんじゃねえだろう。まずは向き合え。トゥーフェイス!!向き合わずに振り返って、忘却の棚の前にそっと置いてしまえってえのは、絵に描いた様なお為ごかしだろうがマスメディア!!等と叫びながら大晦日を迎えました。怒りも、狂気も、このごろは良い湯加減です。大体毎日ニコニコしています。あと20時間ほどで、今年最後の、そして来年最初の演奏を行いにピットインに向かいます。

 

 ご覧の総ての皆様に申し上げたい。然るに現在は、さながら休戦なのであります。命がけの激闘の中にトイレタイムがある事を、ワタシは映画「エクソシスト」で初めて知りましたが、そういえば亡き父、徳太郎が似た様なことを言っていました。満州で撃ち合いに成って、いきなり弁当の時間になる。と。祝日は普通に祭りがあったと。

 

 正月は大いに帰郷し、大いに晴れ着を着て羽根をつき、大いに凧をあげ、大いに餅を食って日本酒を飲み、大いに年賀状を読んでください。そして再び集結し、共に、大いに闘おうではありませんか。一週間ほどの休憩を経て、あなたの来年が、戦闘の豊かさ、それは勝利の輝きとも違う、神が我々に与えたもうた、あらゆる豊穣を祝えますよう。ワイルド&エレガント&イル&ビューティフル&クレイジー・イヤーが終わり、ワイルド&エレガント&イル&ビューティフル&クレイジー・イヤー2が始まります。YO EON TOO SHIT WAR. 闘うときにはいつでも愛と、愛と、愛と、愛と、愛と、愛と、愛を。

 

 

 2011/12/31/5/21/AM

 

 菊地成孔(ビュロー菊地 代表)

 

 

 

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