火
29
11月
2011
*冒頭追記/この文章をアップしたほぼ直後に、本作は「ナント三大陸映画祭」のグランプリを受賞しました。ワタシがリキまずとも、観る人はちゃんと観ているという事ですね。関係各位には、ワキから失礼おめでとうございますと申し上げたいです。では以下、拙文をどうぞ。
キネマ旬報の連載用に、というのマクラは無礼ぎりぎりになってしまいますが、映画「サウダーヂ」を観ました。「モテキ」「恋の罪(既にレビュー済み。要約すれば「90年代の渋谷が舞台なのに、まったく<渋谷系>の音楽が流れない抑圧が園子温流とはいえ、もし渋谷系の音楽が流れる余地がこの映画に生ずるとしたら、それによって一気にコメディ映画に成るだろう」といった感じ。現在店頭に並んでいる号に掲載されています)「サウダーヂ」と、邦画の話題作を連続で拝見した事になりますが(久しぶりの事です。キネ旬様々であります)、あくまでもワタクシ一個人のリコメンド。という事であれば、圧倒的に「サウダーヂ」で、これは「今年の邦画ベスト」とか「今年の映画全般のベスト」といった枠を越えて、ワタシのオールタイムベストに入りかねない圧倒的な強度がありました。
一言で申し上げれば「ヤンキー映画の大傑作」なのですが、そう聞いて「ああ、じゃもういいわ」と、反射的に身を翻すような方々も(というか、「で、あればこそ尚」)必見の作品だと言えます。
Bカルチャーをドキュンと称して恐怖/軽蔑/嫌悪している様な方々の心身の偏り(凝り。と言っても良いでしょう。しかも、文化的な心身ではなく、そのものずばりのリアルな心身)、そして、そうした方々と、そういう方々の欲望の集団的な存在による、現在の我が国の状況自体が持ってしまった偏り/凝りに太い鍼灸の針を突き刺し、あらゆる鈍い痛みや重みを一掃する、爽快で緻密な作品ですから、当欄をチェックし、ワタシの作品を好んで下さる皆様ならば、なんとかして「タケオ〜ダウン症ドラマーの物語」と「サウダーヂ」は観て下さい(これに「イブサンローラン」と「グレン・グールド/天才ピアニストの愛と孤独」を加えれば、ほとんどワタシの事を丸抱えで理解したも同様と言えるでしょう)。
この二作は、他者をも生かし、自分も生かす、つまり自滅の反対側、共生や反自滅のエネルギーに満ちており、少なくとも、状況主義的に極言する限りにおいて「現代日本人が全員観るべき映画」と言う事も出来ます。現代日本は共生エネルギーが危機に瀕しており、内田樹曰く「呪い(しかも、伝統的コントロールの利かない、モダンで危険な)」が充満した世界ですので。
とはいえワタシは内田説には若干の修辞上の違和感ありまして、これは伝統的な呪詛や呪殺に通じる「呪い」というよりも、集団的な退行の結果であって、呪っている方——ワタシの修辞だと「泣いている赤ちゃん」という事に成りますがーーもキツい筈なので、言葉を憶えさせてやれば良いと思うのですね。「サウダーヂ」は、そういう意味で「言葉を教えてくれる作品」だと言う事も出来ます。脚本に関して言えば、3時間という上映時間を統御しきる。という難事業(過去、3時間単位の映画で、暴走や解離、強迫などによる破綻が一切ない脚本というのは、ほとんど無かったと思われるので)を、「え?良いのそれで?少し破綻があった方が色っぽくない?」とコチラがドギマギするほどの完璧さでやってのけています。
これは、「右を向いても左を見てもマンガとアニメのアキバカルチャーかよ。もう良いよ。もう韓流で行くよ」といった方々がいるとして、彼等は美味しいし栄養もあるし、流行のものだとはいえ、毎食同じ物ばっかり喰わされるという拷問を受けている訳で、違う旨いモンを喰えば、さっきまで喰わされてウンザリしていたものも、また旨くなる。といったありきたりな栄養学に属しますが、そしてこれは天地神明にかけてディスりではありませんが、ワタシ「モテキ」と「恋の罪」の僅か二本だけで、もうアップアップになりまして、あと20年は新作日本映画いいわ。と思っていたのですが、「サウダーヂ」によって心身ともにスッキリして邦画への食欲がぐわーっと湧いて来ました(「ハードロマンチッカー」はそれ以前から観たかった訳ですが)。
と、まあ、一時はあらゆる格闘技を観ていて、その後、DSE帝国の物ばかりになり、いろいろあって現在はUFC(秋山がんばれ!君こそ元祖韓流だぞ!しかも「韓国人に成りたかったのに、成れなかったので、仕方なく日本人になった」というスーパーモダン)とTHE OUTSIDERしか観ない、といったような奴の戯言としてお耳に入れて頂ければ。といった次第ですが、過去、日本映画はロックを結びつこうとしました(ここでいう「結びつき」は、映画音楽=サントラに使う。という意味ではなく、画面の物語の中に取り込む。という意味で。です)、ジャズとも結びつこうとしました、フォークとも、アイドル歌謡とも、ヒップホップとさえも結びつこうとしました、しかしそれら総ては、誤解を恐れずに言えば、主に生理学的な齟齬に依って、不適応から分離。という結果を繰り返して来ました。本作によって、映画を作る人々と、ヒップホップクルーと、労働者の間の齟齬が初めて完全になくなった訳です。
極言するならば、やっと日本映画にラティーノ/チカーノの表現が現れた。という事が出来ます。やがて我が国の地方都市は世界最悪のエルサルバドルまで届くでしょう。恐るべき事に(未だに、ワタシ自身が俄には信じられないまま。なのですが)、「地方都市ドキュメント・ミュージカル」とでも言うべき本作に映し出される、山王市のシャッター街や郊外が、映画史に直結して、イメージ召還の山を築くという事実です。ヤンキー映画が「ウイークエンド」や「七人の侍」を召還するというのは、日常系と呼ばれるアニメが、日常でありながらどこにも見えない。といった体勢を死角から思いっきりドツく、強烈なボディブローである事は間違いありません。韓流一辺倒の世に、本作はブラジル人とタイ人ばかりが登場します。
と、キネマ旬報の次号にレビューが掲載されるので、二重売りやネタバレのリスクが不可避ですが、前述ヤンキーカルチャーに偏食がある方々や、「サウダージ」というタイトルだけでお洒落映画だと勘違いして(というか、非常に明晰で知的なこの作品の制作チームは、このタイトルにも、高度に批評的なパンチを打ち込んでいます)自動的に避ける処理をしてしまう方々もいると思いますのでアナウンスメントさせて頂きました。本作製作チームの次回作には、ワタシ些少ながら出資させて頂きたいと思っています。