土
27
8月
2011
サーキットの御報告と御礼は後ほど。本日は、本日から公開される映画についてのちょっとしたやりとりをご紹介します。
当欄をご覧頂いている総ての方にお勧めします。文中にある「2006年の日記」はコチラの中の下から2番目「フジ前夜のセネガル」です。
菊地成孔 様
初めてお便りいたします。
映画「タケオ」ダウン症ドラマーの物語-を制作しました常田と申します。
実はツイッターでこんな事が呟かれていました。
「ジャズミュージシャンの菊地成孔氏が2006年墨田トリフォニーホールでのドゥドゥンジャイローズオーケストラのアンコールにタケオくんが飛び入りした時のことを、ラジオで話されています。菊地氏がこれまで見たダンスの中でベストと言えるパフォーマンスだったと..。」
このタケオが映画になりました。
この「タケオ」はサバールの本場セネガルへ行ったタケオの記録と。セネガルに行くまでの10年間のタケオの音楽との関わりを記録した映画です。
セネガルの映像には、ドゥドゥとタケオの小さなセッションや親子のような二人の様子なども記録されています。
お忙しいと存じますが、映画「タケオ」ご覧頂きたいと思いご連絡させていただきました。
もし、よろしければDVD送付させていただきます。ご住所等ご連絡いただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。
ドキュメンタリー映画『タケオ ダウン症ドラマーの物語』
公式サイト http://www.takeo-cinema.jp
1)東京・ポレポレ東中野 劇場公開決定
8月27日~9月16日まで
イベントもいろいろと予定しています。
スケジュール等詳細は劇場HPをご参照ください。
※チラシ配布などにご協力頂ける方も募集中
2)横浜・ニューテアトル、大阪・第七藝術劇場 公開決定
○横浜 9月17日~30日
○大阪 秋以降を予定
常田高志様
菊地成孔です。ご指摘されている件は紛れも無い事実です。是非拝見したく
新宿区 ○○○—○○○
までお送り頂けると幸いです(郵便受けが小さく、また、外出が多いので、コンパクトなサイズにラッピングして頂けるとありがたいです)
現在ワタシはキネマ旬報で映画評の連載をしており、今回の候補作リスト(編集部から、公開待機作品を一括で送ってくるというものです)に「タケオ」が入っていたのですが、たまさか墨田トリフォニーで観たあの奇跡の様なパフォーマンスの主役の青年の映画だとは思わずにスルーしてしまいました。
拝見したらまたメールさでて頂きます。ご案内有り難うございました。
菊地成孔さま
早速のご連絡大変ありがとうございます。
取り急ぎ、DVD送付させていただきました。
明日にはお届けできると思います。
よろしくお願いいたします。
本当に嬉しいメールでした。
常田高志様
菊地成孔です。本日無事にDVDを落掌致しまして、拝見させて頂きました。有り難うございます。
私は親族に知的障害者や発達遅滞者(共にダウン症候群ではありませんが)がおり、また実家が飲食店だった事から、幼少期からあらゆる障害者と交流しておりましたし(私の幼少期である昭和40年代は、地方都市には、まだ隔離が行われていない知的障害者が町中に普通に出歩いているという状況でした)、後年アフリカ音楽の魅力に打たれ、特にドゥドゥ・ンジャエローズの業績には、深い敬意と共に自己の作品にも大変なインスパイアを受け(06年の墨田トリフォニー公演に行ったのもそういった流れによるものです)、アフロ・ポリリズムを取り入れたエレクトリック・ジャズファンクのバンドを活動させています(バンドのパーカッショニストはセネガルでンジャエローズ一家のワークショップに二度参加しています)。また、本作の一方の骨格を成す、新倉氏が参加したワークショップの参加者であるジャズ・サックス奏者である竹内直氏は、同業者であるという事もあり、とても深いという訳ではありませんが、些かの知己があります。
そして、06年のドゥドゥンジャエローズ公演のアンコールに於ける新倉氏のパフォーマンスからは、そこにいる総ての者を、感動といった表現ではとても記しきれない啓示的なまでの、圧倒的なメッセージを受け、早速当日のブログに評を描き、自著にも記させて頂いておりますし、ラジオ番組等々のマスメディアでも、機会があるたびに公言しています。私の06年以前からの読者と聴衆の多くは、このエピソードを記憶していると思われます。
といった身ですので、つまり私は、本作に対して、知的にも情緒的にも大変なバイアスがかかっており、本作をドキュメンタリー映画批評として、冷静かつ客観的に、自分が納得行く様に、的確に文章化できるかどうか、甚だ自信がありません。私は、ドゥドゥの自宅で新倉氏がセッション中に立ち上がって踊り出した瞬間から落涙が止まらなく成り、それはほとんどラストまで止まりませんでした。私は本作に対し、例えば、ある少数の人々が、3/11の被災者として、3/11の記録映画を、冷静に観る事が出来ない様にして、冷静に観られない。つまり、僅かながらの「当事者」であると自認しています。
何らかの障害がある者から、稀に天才的な芸術家が輩出されるという事について、我々は既にかなりの事を知っており、そしてほとんど何も知らぬ様な状態です。詩や絵画などの視覚芸術に「アウトサイダーアート」や「素朴派」という概念があり、既に一般化していますが、俗な言い方をすれば「キチガイ」の描いた絵や詩は見れば一目の後に我々は障害や病理を感じ取る、しかし、こと音楽に関しては、その作品からは、作曲者や演奏者が障害者や病者、所謂<アウトサイダー>であることはまったく認識出来ない。ここに視覚と聴覚の稜線があり、身体性を考える新しい領域があるというのが私の持論ですが、本作は、私が観た06年のパフォーマンスと同じく、ややもすれば受け止めきれぬほどの雄弁なメッセージを発しており、俗流の「障害者と健常者の物語」というクリシェを大きく逸脱している様に思います。
ダウン症候群の人々に多く観られる「おおらかさ」に関する一般的な理解の甘さを、新倉氏が痛快なまでに打ち壊して行く様は素晴らしく、特に、新倉氏の、卓越したサバールの技術よりも上であろうと思われる「指揮」の力、どんどんリーダーシップを掴み、周囲を支配、教育してしまう、ある種カリスマ的でデモーニッシュですらあるとも言える(私は、日本人がアフリカ人に対し、積極性と開放性で上を行き、アフリカ人が所謂「バカ負け」をして、しかも説得されてしまう。という図を、少なくとも映画では見た事がありません)、あらゆる力のありようは、我が国に於ける、第一には障害という大現象の細部についての無知、そして第二には音楽、特にリズムという大現象に対する無知を一撃でこじ開け、その後、我々がまだ何も知らぬ、人間同士のコミュニュケーションと、そこから発せられる生命力の根源について、大いに啓発すると信じて止みません。そしてそれは、本作冒頭が、「指揮をする新倉氏」の姿から始まっている事に表されていると思います。常田富士男氏のナレーションと、母親のナレーションのみが交差する、という構えも含め、作品の開始当初は「障害者=天使」的なクリシェかと戸惑いながら、それえは僅か数分で霧散します。
「キネマ旬報」は、御存知の通り、シネフィルの雑誌であり、私もエッセイスト/音楽家枠ではなく、映画批評家の枠で連載しておりますので、ここまで書いた経緯により、本作の批評を書くかどうか(批評対象が本作でも構わない。という旨、編集者には同意を取ってありますが)、まだ私自身悩んでいる最中ですが、ブログ等では是非御紹介させて頂きたいと思います。取り急ぎ、ここまでの私と常田さんのやりとりを、固有名詞等は抑えた上で、掲示してもよろしいでしょうか?
菊地成孔 様
本文拝見しました。
読んでいて、私も涙が出来ました。
ただただ私には嬉しい内容でした。
今までの疲れが菊地様のおかげで消えました。
27日からのポレポレ東中野での上映も気合いが入ります。
もちろん、ブログ等のご紹介をお願いいたします。
私もこれまで作ろうか迷っていた映画パンフレットを今から作る決心ができました。
パンフレットへの掲載よろしいでしょうか?
本当にありがとうございました。
取り急ぎ、御礼まで
常田高志様
菊地です。自分のバンドでツアーに出ておりまして、メールを拝見したのが本日に成りました。遅きに失したかもしれませんが、パンフレットへの掲載は問題ありません。
尚、これは全文このまま、「メールでのやりとりの一部」として掲載して頂けると有り難いです。というのは、原稿として寄稿するという構えに成ると、マネージメントサイドが、稿料を取る様に動かねば成らず、この形であらば本人承諾の上で稿料無しでもオーケーという事に出来ますので。東中野の上映にも伺います。楽しみにしております。