27

7月

2011

impuls!との契約に際して

 

 

 インパルス!との契約に際して、今後、少なからずメディア露出があると思われますが、毎度おなじみ、最も詳細で文字数の多い情報として、ワタシ自身がブログに書く。ということをさせて頂きます(笑・最近は、インタビュアの方も暑さと放射のせいでおかしくなっちゃってる方が多く、最新号のジャズライフのインタビューなど、文章のてにおはが微妙におかしいわ、ワタシが何だかずいぶんと偉い人みたいになってるわ、読んでいて爆笑してしまったんですが、面白いので&直すと全部書き下ろして書き原稿になってしまうので&写真の大胸筋の迫力が凄いので、そのままノーチェックにしました。「まあ著述と音楽とMCを拮抗させた人となると、ひょっとしたら僕が初めてかも知れないです」なんていうもの凄い台詞、一度言ってみたい物ですし・笑・そもそも「DCPRGが東京ジャズに降臨」って・笑・まあ、ライターの方が興奮しまくってるんですね。3ヶ月前ぐらいにワタシの事を知ったらしいんですが・笑)。

 

 

 


 まず、ジャズファンの方にも、そうでない方にも、「インパルス!」というレーベルがどういうレーベルかご説明します(ジャズマニアの方の方が、以下、面白いのではないかと思われます。ジャズマニアでない方は、スキップして下さっても問題ありません。そもそも長いですし。この文章の全長・笑)。

 

 

 

 

 インパルス!は、61年にABCパラマウントというメジャーカンパニーのジャズセクションとして、悪名高いクリードテーラー(もともと、ベツレヘムにいた名プロデューサーで、というより、名プロデューサーであることは間違いないのですが、悪名高いです。理由は後に出て来ます)によって設立されました。俄ジャズマニアならば「ええ!インパルス!ってクリード・テーラーが作ったの!!」という方もいらっしゃるかもしれません。

 

 61年は、「ジャズの名門」と呼ばれるには、遅すぎる年です。ブルーノートは39年設立、サヴォイも同じく39年設立、プレスティッジが49年設立、リヴァーサイドが53年設立、そして現在、インパルス!を傘下に置いているヴァーヴは57年設立です。ジャズの黄金期が4〜50年代である事が如実に示されている。という言い方も出来るかもしれません。

 

 インパルス!の「!」は、名称にコミですが、この意気込みは何かと言えば、レーベルのコンセプトが「ニューウェーヴ・イン・ジャズ」であって、そもそも「impuls」という語が機械工学の用語でして「衝動タービン」と訳されますが、これは蒸気噴流によって、一気に(「衝動的」に)もの凄い勢いでタービン羽根を回転させる装置ですから<とてつもない推進力>とか<衝動的な激しいパワー>みたいなニュアンスです。

 

 ですので、CTI(フュージョン/ブラジリアン・フュージョンやイージーリスニング・ジャズなど、ソフト路線の元祖にして中枢。因にCTIとは「クリード・テーラー・インターナショナル」の略)のオーナーとして有名なクリード・テーラーがインパルス!作ったというのは、人間が、何か間違った興奮をしてしまう典型的な感じともいえます。公民権運動とか、ああいいうのをテレビで観て、興奮したのかもしれません。「デフジャムって、最初はアレ、カントリーのジョンデンバーが作ったんだよ」と聞いたら、どなたでも腰を抜かされるでしょう(勿論これはウソです)。まあ、文字通り、クリードテーラー自身が「インパルス!」だったという訳です。

 

 

 実際、テーラーは、ヴォサノヴァのムーブメントが来そうだと見るや、インパルス!を設立2年目でさっさと捨ててヴァーヴに転身し、エゲつないほどの転向で、かの「ゲッツ/ジルベルト」で何とグラミー賞を受賞してしまうという、一種の天才ですが、何れにせよインパルス!は、テーラーを継いだ二代目のプロデューサー、ボブ・シールと、最初のレーベル・スターである、「完全にシリアスになった」ジョン・コルトレーンとのタッグによって、世界的な名盤を連発する事になります。「インパルス!といえば、ハードコアなコルトレーン」というジャズファンの方は非常に多いでしょう。

 

 かの「アフリカ/ブラス」(永遠にカッコいいこのタイトル!)はインパルス設立年の61年に、正に衝撃作としてドロップしますが(この段階ではプロデューサーは当然ながらまだクリード・テーラー。ワタシは、このアルバムでの、エリックドルフィーの、ハードながらも美しすぎるオーケストレーションにクリード・テーラーがヤラれてしまい、そっち→アレンジされた奇麗なイージーリスニング→CTI調。に流れたと信じています)、後にやってくるヴォサのヴァもビートルズもモータウンも何のその、自らの命を縮める様にして、克己的な自己探求を続け、天才ハードバッパーから、闘争的なフリージャズの象徴、そして自ら「聖人になりたい」といった宗教的覚醒に向かって行くコルトレーンの短い人生(約41年間)の後半は、インパルス!/ボブ・シールと共にあります。ワタシ個人は、このコンビの最良の仕事は「アセンション」だと思っています。

 

 しかし、67年のトレーンの半ば自滅的な死後2年目にシールもまたインパルス!を離れ、フライングダッチマンを設立、後にギル・スコット・ヘロンの作品等をリリースする硬派ぶりを見せますが、インパルス!は、ポスト・コルトレーンとしてキース・ジャレットやガトー・バルビエリなど、見るからにハードコアそうな人々によって「ニュー・ウェーヴ・ジャズ・オン・インパルス!」という社是を遂行しようとしますが、結果としてはレーベルの活動は一時的に凍結されます。この事実は、6〜70年代を、ジャズをハードコアでアートなものとして戦闘的に展開するという営為が、非常に厳しい負け戦だった事を端的に示しています。79年には、インパルス!は親会社のABCと共に、大手のMCA(これが現在のユニヴァーサル・ミュージック・グループ)に売却されます。

 

 しかしインパルス!は蘇ります。95年、元祖クロスオーヴァー・プロデューサーにして死体蘇生博士でもある、かのトニー・リピューマ(YMOのアメリカデビューを決めた人。ですね、何と現在ヴァーヴの会長です)が参入、「高度で良質なフュージョン」という路線、具体的に言えば、ブレッカー・ブラザース(アリスタ)やステップス、ステップアヘッドといった歌舞伎なバンドを解散させ、落ち着いた、しかも更にスキルアップした、「オトナな」マイケル・ブレッカーをスター(まあ、コルトレーンの正統的な後継者。という事ですよね)として。(とはいえまあ、リピューマの仕事の半分以上は、過去カタログの再CD化、そのマスタリングでしたが)

 

 この時期の、所謂「90〜00年代ブレッカー」は、既に殿堂入りの貫禄があり、新作が出ても「インパルス!」というよりも、「スムース!」ぐらいの印象を持つ方が多いと思うのですが、とんでもない話で、この時期のマイケルブレッカーは、アフリカ音楽を徹底的に研究し、自分の吹くフレーズと、バックトラックの双方に、プログレぎりぎりというぐらいポリリズムを導入しています。ワタシ個人はこの時期のブレッカーが一番好きですが、好きな理由に「アフリカを研究し、ポリリズムを導入している事」は言うまでもなく、更にそこに「ジャズファンにその事をいくらアピールしても(インタビューの度に言っています)スルーされ続けて来た」という点があることを否めないと思います(笑)。

 

 ジャズリスナーは、特にダンスを失ってから、リズムに関しては、ドラムが大きな音で派手に叩くとか、凄く早く叩くとか、みんなが汗かいて熱演するとかすると喜ぶという、ほとんど構造を聞かない、エネルギー有り難い派の人々か、所謂「ジャジーな雰囲気」をタバコ片手に楽しむ、人生の傷にじんわりとジャズが染みる、粋なオトナ達かに別れてしまい、ジャズジャイアントのほとんど(あの、ビル・エヴァンスにさえ)がアフロ・ポリリズムの強い影響下にある事を、そもそも検知出来ない体になっています。これは洋の東西を問いません。やっと、最近に成って、我々音楽家や実際に踊って音楽を聴くクラウドたちによって、(民族音楽にではない、都市音楽に導入される)ポリリズムは基本的な覚知情報になりました。

 

 アフロポリの追求は、マイケル最晩年のライフワークとなりましたが、民族衣装も着ず、アフリカの打楽器をこれみよがしに並べたりもせず、普通のフュージョンの編成とルックスで演奏する彼に、愛ある数多くのジャズファンは「いえー。さすが名人。上手いねえ。良いもん聴いた」といった賛辞を惜しみませんでした。マイケルは、特に絶望もせず、基本的には人生を楽しんでいた様に思います。

 

 しかし98年には、インパルス!は再び衝撃波!を失い、ポリグラムとユニヴァーサルの合併を機会に、ユニヴァーサル傘下のヴァーヴの一部になります。大きさで言うと「ポリグラム&ユニヴァーサル帝国の下にヴァーヴがいて、インパルスは更にその一部」という状況です(この時代の「ビッグカンパニーによるレーベル吸収合併の歴史」は、さながら戦国物語であり、ワタシもそう詳しくは知りません)。

 

 病魔と闘いながらも、比較的幸福な晩年を送ったマイケルも、インパルス!がヴァーヴの一部となってから約10年後の07年に58歳で亡くなり、インパルスは以後、ほとんど新譜は出さずに、旧作をCDで再リリースしたり、旧作をネタにしたクラブミックスをリリースするだけのレーベルになっています。

 

(菊地注*ホセ・ジェームスが去年、ジェフ・ニーヴとの共作「For All We Know」を出していたのを完全に失念していました。この作品がインパルス!の長い沈黙を破った作品になっており、我々はこれに続く形に成ります。ホセとレーベルメイトなんてなかなかナイスじゃん)

 

 

 そのインパルスが今年創立50周年を迎えたわけです。ワタシが「<名門インパルス!>が創立50周年を機に、初めて契約した日本人アーティスト」である事の意味が、無知から来る異様な興奮(菊地さんスッゲー!快挙!!的な)や、逆に、やはり無知から来る、異様な否定(あんなとこ、もう終わってんじゃん。的な)ではなく、歴史の流れの果て、そして現在の状況の上に立ち、冷静に受け止めるべき懸案である事がお解り頂けたかと思います。

 

 この事を更に立体的に説明すべく、以下、ワタシがDCPRGメンバー全員に送ったメールを加筆修正を施した上でアップします。

 

 

 

 

 

 

DCPRGメンバーしょっくーん!

 

 

 

 

暑中お見舞い申し上げます菊地です。まとめて全員にメールを出すのは活動再開後初めてかも知れない(昔は、何かというとやっていた・笑・懐かしいなあ)。

 

えー、この度、非常に良い知らせと、非常に悪い知らせがあるので、聞いて貰いたい。

 

良い方の知らせは、インターナショナルデビューの件で、これはもう情報公開に成っているし、みんなも誰かから聞いているかも知れないけれども、このメールをもってオレの方からの正式に告知とさせてほしい。

 

今まで我々は、P-VINEというインディーからアルバムを出しており、そこでラストアルバムまで出して活動を辞め、活動再開後はイーストワークス(こちらもインディー)預りの様な格好で(実際の、法務上の契約はどことも結んでいないまま)、ライブ音源の配信ばかりやっていた。

 

なのだが、以下、ジャズに興味が無い大村君などにはチンプンカンプンな話かもしれないけれども、とはいえそのまま話を進めるが、ユニヴァーサル・ジャズから接近があった。

 

というより、厳密には逆で、我らが高見P(イーストワークス取締役)がユニヴァーサル・ジャズに売り込んでくれた訳だ(オレ自身は、もう大体皆もわかって来たと思うが、自分から一生懸命売り込みが出来る様なタイプの、野心溢れる立派で貪欲な男前ではない)。

 

我々は製作すると成れば制作費がかさむし(大人数でスタジオに入り、非常に細かく編集やTDを行うため)、何せイーストワークスにはインターナショナルのセクションが無い。そこで、製作がイーストワークス、販売/流通をユニヴァーサルでどうか?出来ればインターナショナルで。という話を、ユニヴァーサル・ジャズの斉藤氏に、高見君が振った訳だ。

 

斉藤氏は所謂70年代エレクトリック・マイルスのマニアで、何と、ノータイムで即契約と成った。しかも、インターナショナル・サイズで。

 

現在、ユニヴァーサルは、18世紀の大英帝国の様なもので、我々が知っている、20世紀のほとんどの名門レーベルを持っている(ググると解る)。ジャズに於いては、そもそも御存知名門ヴァーヴがユニヴァーサル傘下にはいっている、そして、ユニヴァーサル経由でヴァーヴと契約している日本人は、山下洋輔、大西順子、山中千尋、等々(敬称略)、何人もいるので、オレはてっきり我々もヴァーヴから出るのだと思っていた。

 

しかし、誰が見たって、いくらなんでもヴァーブと我々ではカラーが違いすぎる。ヴァーヴの会長はトニー・リピューマで、クロスオーヴァーの第一作「ブリージン」を作って、YMOを世界デビューさせた人物が我々のライブを聴いたら、ゲロ吐くか、吐く前に腰をやられて倒れるか、或は倒れながら吐くだろう。

 

そこで、斉藤氏は今年レーベル誕生50周年を迎える名門インパルス!(「!」も名称に含む)にアプローチした。インパルス!は、97年からヴァーヴ傘下にある。

 

インパルスの歴史を書いていたら、ジャズマニアでも眠く成ってしまうだろうから極めて簡単に書くが(以下、前述の「インパルス!の歴史」と、内容は同じなので中略)

 

 

 、、、、、が、かのトミー・リピューマが再生のために立ち上がり、マイケル・ブレッカーのソロをメインに、打ち込みとアコースティックが入り交じった独特なソロ作を連発し、それがみな傑作だったため、インパルス!は「コルトレーンの遺志を継いだマイケルブレッカーのレーベル」というようなイメージで、二回目の最盛期を迎える。

 

そして、この時期のマイケルは、あまり知られていないが、アフリカ音楽に傾倒し、ポリリズムに関するトライを徹底的に行っている。そしてそれは、そもそもコルトレーンとエルヴィンが行っていた事なので、まあ、あくまで図式的に、無理無理言えば。だが、流れ的には、我々がそこに続く事で

 

「アフリカのポリリズムをモダンに追求したアーティストを擁するジャズのレーベル」

 

という事で、つながりはあると言える。

 

斉藤氏がインパルス!側にプレゼンテーションしたのは、ついこの間の、アートリンゼイが来たリキッドだ。インパルス側は(多分に、オレに対するヨイショが入っているので話半分として聞くべきだが)まったく問題なくレーベル使用にゴーを出したそうだ。

 

何せ、これまた御存知の通り、マイケルもまた07年に亡くなっており、二人目のスターを失ったインパルスは、07年から新作を一枚も出していない(*前注にあるとおり、これは間違い。ホセ・ジェームスがやっています。また、マイケル生前の04年にはアリスコルトレーンがアルバムを出しており、「コルトレーン一族」を押し出そうという動きもあったが、商業的には、鼻血が止まらないほどの失敗に終わった)旧タイトルの再発レーベルになっていた。なのだが、今回、レーベル誕生40周年、しかもポリリズムを追求した、前衛的なエレクトリックジャズオーケストラが何と日本にいた!ちゅうことで、彼等は大いに乗り気である。と考える様にしよう。無理にでも(笑)。

 

契約内容としては、先ずは二枚組のライブ盤(こないだのリキッド)、それから新作としてのオリジナルスタジオ録音盤。の二作で、よくある話だが、この二作でポシャればポシャるし、何かの間違いでこの二作がイケれば大変な事になる。いずれにせよ。腐っても鯛というか、インパルス!が創立40年周年にして初めて日本人と契約!!とかいうのは、ほんのちょっとしたニュースではあると思うし、ジャズ史に残ると言えば、少なくとも最低、記録上は残る。とはいえ宇多田ヒカルがデフジャムと契約したのとは大変な違いだ(笑)。

 

 

と、まずここまでの話で、みんなに謝らなければ成らない事がある。第一に、そもそも契約に際し、誰にも相談せずに俺の判断で決めてしまったこと。そして第二に、そもそもライブ盤を出すなどという心つもりもなくやったリキッドのアレを出さなくては成らないという契約条項をオレがひっくり返せなかったことだ。

 

これらはすべて、話が余りにも急速に進んだためで、時間的にどうしようもなかったし、緊急ミーティングを持ち、みんなに相談して「オレはインパルスからインターナショナルデビューなんて死んでもごめんだ!」という奴がいるかどうか想像した時に「まあ。。。。いないか。。。な」と、曖昧にやってしまった事で(笑)もしそういう奴がいたら、今から対処するので、マジで遠慮なく言ってほしい(*菊地注。いませんでした・笑)。

 

いずれにせよ、みんなのような腕もハートも素晴らしい、優れたプレイヤーを11人も束ねながら、海外契約に関してミーティングのひとつも持てなかった事は本当に反省している。人数が多いので、全員で集まる事が難しく、事の流れが余りに急で、ついつい流されてしまった。ここはひとつ、借りを作ったという事で一度流してほしい。しかしオレは必ず借りは返す。

 

 

 

 

以上が、良い知らせ事&お詫びだ。次に、悪い知らせに入る。

 

前述の通り、まず我々は、リキッドのライブ盤が世界に出る事に成る。なのでオレはまず、久しぶりでリキッドのマルチを一通り全部聞き(今までのライブ配信は、ミックスにすら立ち会わず、無編集だった)、それから膨大な時間をかけて、トラック別に全部聴きなおした。

 

その結果、リキッドのライブが、ライブ会場での盛り上がりとは裏腹に、結構ダメな演奏である事が解り、悲しむというより、青くなった。これはマズい。これはインターナショナルデビュー盤というより、マイルスのダメなときのブートというに相応しい。

 

勿論、みんなが音楽家としてダメだとかいう事ではない。新宿文化センターの演奏は、背筋が凍る様に凄い。ボロフェスタもかなりヤバい。

 

なので、タカをくくっていた。このメンツでなら、いつでも良いライブになると。

 

ところが、リキッドは、メンバーほとんど全員が(勿論、オレのオルガンとCD-Jも含めて。唯一、会場に目当ての女子が来ていたアリガスだけが鬼の様なプレイを見せていて、モチベーションの根拠も含め、イラっと来るばかりなのだが・笑)手抜きもしくは疲れているような状態で、ソロは雑だし、リズムはコケてるし、キメはキマっていないし、インタープレイは無いし、リフは適当で、しかも悪い意味で遊びすぎていて、トラック別に一人一人聞きながら、何度も笑ってしまったほどだ。

 

様々な原因があると思うのだが、オレの考えでは、フロアが上がり過ぎ(上がるのは勿論悪い事ではないのだが、マイルスの言う通り「客席のドラマとステージ上のドラマは別だ。二つのドラマが存在する」)、ライブ慣れして油断した事、いきなりアートリンゼイと共演する事に成って様子見のような心理状態があった事、それに興奮しすぎて最後の方までに疲れてしまった事、それとやはり震災の影響はまったく無いとは言えないと思う。

 

全体にボーっとして、心ここにない感じだ。調子が狂っている。マイルスのライブにも、とても聞けてモンじゃない奴があるが、あれはコカインのやりすぎと健康状態の結果であって、健康でノードラッグでコレはちょっとまずい。

 

 そして、何とこれが出る事に成った。オレも高見君も、大いに焦り、対策を考えたが、「え?あれライブ盤にするの?しかもインターナショナルで?」という状況を作ってしまった事は確かだ。みんなだって「そんな事なら、最初に教えてよ!!」と言いたいだろう。それは解る。すまん(笑)。

 

 オレもあれが気に入られ、そのまま盤になるとは毛の先ほども考えてなかったんだ。まずあれで軽くプレゼンして、契約が決まったら、もっと先のライブをライブ盤製作前提でガッツリやるもんだと思っていた。ところが、話が転がりまくってしまった。何せ、向こうさんが、あのライブは素晴らしい素晴らしいというのだから「いや、全然素晴らしくないです。アートリンゼイは、最初のインパクトとライブアクトのルックスが素晴らしいだけで、音的にはずっとガリガリ言ってるだけでした」とは言えない(笑)。

 

苦肉の策で、何とか次の7/31リキッドに音源を差し替えてもらえないかと頼んだが、ふと気がついたらその日は丈青じゃないし(笑)、諦めた。ここは残念ながらアーティスト対レーベルの力関係の中で泣く事になった(苦笑)。情けないバンマスで本当に申し訳ない。しかし、相手はインパルス!だ。常にオレはビジネス上の駆け引きは上手くやっている方だと自負しているのだが、外人とは初めてだからな。


 

だから、つまりこういうことだ。

 

我々がレーベルの上に立つには、もう、我々がやってみせるしかない。

 

 

編集は困難を極め、何とか使える所だけを繋き、結果として、ものすごいコンパクトなサイズに成ったので却って良かったりもしたんだが(笑)。とにかく大変だった。10年ぶりでオレは神経性の胃炎を発症して、背中が伸びなく成り、酒が飲めなく成った(まあ、つまり、軽い物だが)。

 

オレの編集作業が大変だったのが悪い知らせという事ではない。編集が大変なんてことは、はむしろ楽しい事だ。スタジオにずっと居れるしね。盤自体は、胃まで壊してやった甲斐があってか(菊地注*現在は完治しています。完成したので・笑)、とても良い物に成ったと思う。でも、まだまだ、みんなの力がガッツリひとつになれば、この50倍は楽勝だ。とはいえジャズのライブアルバム史を見渡す限り、そのぐらいが良いのかも知れないけれども。

 

ただ、これは正直に言う。もし万が一、演奏のレヴェルがここで止まってしまうとしたら、我々がインパルス!に貢献出来る事は非常に少ないと言えるだろう。勿論、ここで止まってしまうなんて思っちゃいない。繰り返すが、野音も、ボロフェスタも、新宿文化も、ピットインもとても良かった。あとで契約が待ってるんだったら、配信なんかしないでこっちだせば良かったよ!と言いたい所だが、誰に言っても仕方が無い。計画なんて、立てても意味が無い事を、音楽は教えてくれる。

 

このバンドは、集中すれば世界でも類例のない、緊密で複雑なポリリズムのフォーメーションを実行出来るジャズファンクのバンドになるし、ちょっとボヤっとしたら、ダラダラした、楽しいお祭り集団フリージャズみたいになってしまう。恐ろしい事に、客がいっぱいいて、盛り上がれば、良いヴァイブスが来て、必ず良い演奏になるかといえば、これがそうとも限らない事が今回明確に成った。

 

「いよいよ世界デビューだ!気を引き締めていくぜ!!」とか、ほっぺたが赤くて腹が出た、田舎のラグビー部の顧問みたいな事は言わない。どこのレーベルからどの規模で出ようと、客がどこの国の国民で何人いようと関係ない。永遠に最高の3時間を繰り返したい。それだけだ。充分にリラックスして、クールで、どこまでもハイになる。もう一度言う、我々は、やってみせるしかない。そしてオレは必ず借りは返す。音楽でだ。